ep.2 オムライス
翌日、上司に事情を話すと「まあ、うまくやっとくから」とのことで午後早い時間に早退させてくれた。会社に戻る時にはお土産を買ってこようと、脳内のリマインダーに刻み込んだ。
会社の最寄駅から、私鉄を一回乗り換えて、その次の乗り換えで特急に乗って1時間半。おばあちゃんと、お母さんとまみちゃんが生まれ育った土地にたどり着く。改札を出ると、まみちゃんが車で迎えにきてくれていた。
「お〜すっかり社会人じゃないか」
「もう5年目だからね」
「ありがとね、遠いところ」
まみちゃんの優しい目は、ちょっと赤いように見えた。
車に乗り込むと、昨日からさっきまでに起こったことを教えてくれた。
まみちゃんはおばあちゃんが亡くなる瞬間には立ち会えなかったこと。息を引き取る瞬間は穏やかだったらしいこと、昨日の夜は泣きながらいっぱい思い出を語り合ったこと。そうしたら寝坊をしてしまって、葬儀屋の打ち合わせ時間の10分前だったこと。バタバタと着替えていたら玄関のチャイムがなって、葬儀屋さんがきたこと。火葬場の混雑具合と友引の関係で、通夜は4日後になること。そしておばあちゃんは本当に寝ているみたいに横になっていることを教えてくれた。まだおばあちゃんに会う覚悟はない気がする。
「おばあちゃん、冷たいんだよね」
「そうだね、一晩かけて、冷たくなっちゃった」
「まみちゃんが最初におうち着いた時はまだあったかかった?」
「ちょっとだけね、あたたかかったよ」
おばあちゃんが住んでいた家まで車で20分ほどかかる。途中のコンビニで、まみちゃんがジュースを買ってくれた。
「もうジュースって年でもないか」
と、笑いながら買ってくれたぶどうジュースは、今まで飲んだぶどうジュースの中で一番美味しかったような気がする。
おばあちゃんの家に着くと、母が出迎えてくれた。
「よくきたね、ありがとね、仕事大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だったよ」
たしかに、母の目もちょっと赤く見えた。
「お姉ちゃんが今日の夜来るみたい」
「学校大丈夫なの?」
「大丈夫みたい。土日こっちにいて、その後どうするかはきてから考えるって」
おばあちゃんの顔を見る。たしかに、本当に寝ているみたいだ。
おじいちゃんが死んだときはまだ高校生で、何が何だかよくわからないうちに葬式が終わっていた。いわゆる地元の権力者だったおじいちゃんの葬式にはたくさんの人が参列してくれて、みんないっぱい泣いていた。それをぼんやりながめていただけだったから、どんな顔で眠っていたかなんて覚えていない。
おばあちゃんの頬を優しく撫でる。冷たい。
亡くなった人の冷たさは、何度触っても慣れない。確かに人間の肌の質感なのに、人間のあたたかみはない。生きているわけではないパソコンすら、作業が重なると熱を持つというのに。
おばあちゃんに線香をあげて手を合わせていると、母が隣に座っていた。
「おばあちゃんはね、何も言わずに寝ちゃうみたいに逝ったよ」
「苦しくなかったか、心配だった」
「大丈夫。きっとみんなに感謝しながら眠ったと思う」
そうだよね、わたしだって、感謝してるよ。
さあ、と言いながら母は立ち上がって、テーブルに置いてあった出前のメニューをいくつか見せた。
「今日はお姉ちゃんも来るし、お父さんも来るから出前でも取ろうか!」
「いいの?これから入用だよ?」
「今日くらいしっかり食べよう!葬儀の日程も決まったし、明日の朝には新聞に載るから、近所の人がしこたまくるぞ〜」
「火曜なんだよね、通夜はね」
「そう!あ、まみちゃんから聞いた?」
「うん、大体聞いた」
テーブルの上にメニューを並べる。
洋食か、そばか、うなぎか、またはラーメン。
「お姉ちゃんが来る時間わかんないし、ラーメンはないかな」
「じゃあ、そばにする?」
「そばも伸びちゃうよ」
「かといってうなぎはなんか」
「でもママはうなぎ大好物だよ」
「おばあちゃんうなぎ好きなの?」
「そう、大好きでねえ」
「羨ましくて起き上がってくるかもね」
「うなぎにする?」
「お父さん怒るんじゃない?」
「なんで?」
「なんでって…」
「あたしカレーがいいな!」
まみちゃんの突然のオーダーで洋食屋に決まった。
カレー、スパゲティ、オムライス、一般的なメニューがならぶ。おばあちゃんのうちに来るといつも頼んでくれる出前。あと何回食べられるのだろうか。
おばあちゃんが使いかけた、裏紙のメモ帳に、オムライスx1、カレーx2、スパゲッティx2と書き込み、電話代の横に立てかけてある電話帳から洋食屋の電話番号を探す。固定電話で電話をかけるのも久しぶりだ。丸みを帯びたボタンをしっかりと押し込む感覚がなんだか懐かしい。
数回のコールの後に、洋食屋の店主のおっちゃんが元気よく出る。
「はいまいど!オオサカヤ!」
「あ、おっちゃん?黒田のすみれだよ。ひさしぶり、覚えてる?」
「すみれのじょうちゃん!どしたの?こっちきてるんだ?」
「うん、そう…」
母に目配せすると、母はうなずいた。
「実はね、おばあちゃん亡くなって。いまみんなでこっちきてるんだ」
「ああ、そうかい…」
「うん。お腹すいたから、出前お願いします」
「わかった。注文は?」
メモ帳に書いてある通りに読み上げると、おっちゃんは元気よく電話を切った。
「おっちゃん、なんてー?」
ほこりをかぶった食器を洗いながら、まみちゃんがこちらを覗き込んで聞く。
「そうかって。出前きたら葬儀の日程教えていい?」
「もちろん。ほんとはちゃんと電話して伝えたかったけど」
「そうだね。ねえ、それ洗うの手伝うよ」
こうやってまみちゃんと台所に並ぶのは初めてのことだった。
おばあちゃんは、一年前から施設に入ってしまい、今みんなで集まっている家は空き家同然だった。だけど、おばあちゃんや、お母さんや、まみちゃんが住んでいた跡がのこっている。その温かさまでつたわりそうな形が残っている場所もある。食器棚に残る子供用のスプーンはそのうちの一つだ。自分が子供だった時も使っていたわけだが。
自分と両親、姉とまみちゃんの5人がこれからしばらくここで生きるために必要な分だけ、食器を軽く洗っていく。見たことない形のスプーンや、なんのために存在しているのかわからないような細長いフォークが見つかったりした。手土産の東京っぽいおやつを食べていたら、勝手口から声がした。
「ごめんくださーい」
姉の声だった。ごめんくださいとはなんだ、他人行儀だなと思っていると、後ろにはおかもちをもったおっちゃんがいた。
「ここくるときにあーちゃんを見かけたから乗せてきてやったんだ」
「おっちゃんありがとうね〜」
姉は靴を脱いで家に上がり、おかもちの中から皿を出していく。ひとつだけ、他の皿より一回り小さいオムライスが出てきた。
「オオサカのおっちゃん、これは?」
母親がその小さい皿をかかげて聞く。
「それ陰膳みたいなもん。うちにはそれくらいしかできないからね」
「わざわざありがとう」
「父ちゃんも来るんだよね?」
「今日の夜来るよ」
「じゃあ、よろしくお伝えくださいね」
母親から財布を受け取って、かわりに支払いをするとき、おっちゃんの手が大きいことに気づいた。こんなにおおきくて、あたたかそうな手からご飯が作られていたのか。お釣りを受け取るとき、手が本当にあたたかいことに気づいた。
おっちゃんには葬儀の日程を伝えて、いただきますの大きな声で見送った。
「は〜!お腹すいた!」
姉はそう大声で言って、ソファに沈み込んだ。
「あやめ、久しぶりだねえ」
まみちゃんがやってくる。
「まみちゃん久しぶり。いつぶりだろう」
「パパの葬式ぶりじゃないかなあ?」
「え?!?!そんなに前?!?!」
「そうだよ」
「そっかぁ〜」
「先生はどう?」
「まあ…いろいろあるよね」
沈黙から何かを読み解くように、まみちゃんは黙って、そのあと少しだけニコッとした。
その瞬間、勝手口が勢いよく開いて父親がやってきた。
おばあちゃんの家の食卓を囲むのはとても久しぶりのことだった。でも、おばあちゃんが座っていたところにはいまお父さんが座っている。そしてオオサカ屋のオムライスを食べるのも久しぶりだった。私はいつも、おばあちゃんと同じオムライス。今夜は、ダイニングテーブルにオムライスが一つだけ並んでいる。こうやって私たちは、不在の数を数えていって、それがだんだん増えていって、心にあいた、おばあちゃんがいたところの穴の存在に気づくのだ。
おばあちゃんが眠っている、少し寒い和室から、ちょっとだけ小さいオムライスの香りがふわりとやってきた。
掌編小説集 葬メシ やまこし @yamako_shi
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