掌編小説集 葬メシ
やまこし
ep.1 カップラーメン
「おばあちゃんが亡くなりました。段取りをしたいので、電話してくれる?」
仕事をしていたら、母からそんな連絡があった。
数日前から危篤の連絡を受けており、両親も、姉も、親戚みんな覚悟していた。母親は、危篤の知らせを受けた時から、祖母のもとにつきっきりだった。家族4人で住む街から、電車で2時間くらいのところにあるちいさな街で、祖母は息を引き取った。最後までよく頑張ったよ。苦しくなかったかな。眠るように、目を閉じることができたかな。ありがとう、おばあちゃん、そう心の中でつぶやいてからデスクを離れ、母に電話をかける。
「もしもし、お母さん?」
「ああ、電話ありがと」
「お母さん、大丈夫?」
「うん、まあほら、これからが本番よ」
こういうとき、母の長女としての強いところを見る。どこにいくにも姉についてまわった私にはない強さだ。
「そうだよね。どうしようか」
「今日は木曜日だもんねえ」
「おばあちゃんなら忌引きは3日くらい取れるよ」
「でもとりあえず、明日くる?」
「お姉ちゃんはどうするの?」
掃いて捨てるほど代わりがいる、と思っている私の仕事とはちがって、姉は教員をやっている。姉ではなければできないことが、この世の中にたくさんあるということだ。
「まだ葬儀の日程が決まらないからなんともだけど、通夜の日に来て、葬式やったら帰るって感じになると思うよ」
「そうだよなあ」
「まあ、あんたも無理しない範囲で手伝ってよ」
「うーん、とりあえず明日仕事終わりに行こうかな。それからさきのことは、土日に考えるね」
「わかった」
「はい、また連絡するね」
電話を切ると同時に、緊張の糸の一本目が切れた。おばあちゃんが死んでしまった。もう暖かくないし、息もしていないし、わたしのこと「かわいい」って言ってくれないし、つまみ食いしようとする手を叩いてもくれない。そういうことが、本当に突然悲しくなってきた。これが、人が死ぬということなのだ。そして、たぶん、これから数日間、そういうことを経験していくのだ。
なんだか力が抜けてしまって、仕事に戻ったはいいものの、あまり身が入らない。サボっているような、最低限のことはしているような、そんな感じで時間が過ぎていった。
帰り道、冷蔵庫の中身を思い浮かべる。たしか、大したものは入っていない。食べたいものも思い浮かばない。明日の夜から何日間家を空けるかもわからない。ていうかお腹が空いているのかわからない。何を食べるべきか、何を買うべきか、ぼーっと考えながら歩いていたら家に着いてしまった。
強制されてもいないオフィスカジュアルのジャケットを脱ぎ、ハンガーにかける。時計とピアスを外してアクセサリートレイにおき、いつも通り手を洗う。肌が荒れてしまうので、化粧落としシートで化粧を落とす。はあ、なんだか疲れている。すっぴんになった、気の抜けたような自分の顔に、もっと力を奪われてしまい、倒れ込むようにベッドに横たわる。
そして気づく。
私、お腹空いてるかも。
何も買ってこなかったのは失敗だった。かといってこれからコンビニに行って何か買ってくる気力もない。大きなため息をつきながら体をおこし、シンクの下の収納スペースを検める。すると、塩のディスペンサーの向こう側にカップラーメンが横たわっているのが見えた。いつ購入したものかもおもいだせない。腕を伸ばして底を確認すると、賞味期限は1週間前の日付ということになっていた。背に腹は変えられない。やかんに水を入れ、火にかける。コンロの火はあたたかい。青くて、明るくて、そしてあたたかい。おばあちゃんは、もうこれを見ることもできない。寒くないかな、寂しくないかな?そういえばお母さんは大丈夫なのだろうか。
急に心配になって、テキストを打ってみる。
「お母さん、大丈夫?」
するとすぐに既読のマークがつき、1分後に返事がきた。
「うん、さっきまみちゃんがばあちゃんちに到着しました。今日はおばあちゃんと、まみちゃんと、母娘3人水入らずです✌️」
まみちゃんは母のいもうとで、私からみると叔母に当たる。なんだか楽しそうだ。きっとそれなら、お母さんもおばあちゃんも大丈夫だ。
「寝ずの番というやつ?体に気をつけてね」
「最近の技術はすごいぞ〜!ぐるぐる巻きのなが〜い線香!一晩中ついているらしいです!」
線香の写真が送られてきた。そのうしろには、ぼんやりとおばあちゃんが写っている。はっきりとは見えないけれど、きっと穏やかな顔で、今にも起きてきそうな顔で眠っているのだろう。
適当なスタンプを送って母とのラリーを終了させた瞬間、やかんが大きな音で鳴いた。
お湯を線まで注いで、スマホに向かって「3分はかって」と話しかけると、スマホは律儀に返事をした。
できあがったカップラーメンは、やっぱりあたたかくて美味しかった。お腹なんて空いているはずがなかったのに、とても美味しい。人はどんなに悲しくても、お腹が空く。勝手にお腹が空く。食べたいものなんてなくても、いつかはお腹が空く。なんかちょっとおかしいな、と思ったら、勝手に涙が出てきた。
今日、おばあちゃんが死んだ。
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