MC李徴a.k.a.TIGER

刻露清秀

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 某県出身の阿部あべ海麗みれいは才女で有名、平成の某年、その年の模試では上位に名を連ね、ついで東京の名門大学に入学を果たしたが、自尊心がすこぶる高く、ただの優等生に甘んずるをいさぎよしとしなかった。いくばくもなく退学した後は、音楽の道を目指し、ひたすらクラブに入り浸った。年功序列の象牙の塔に屈するよりは、ストリートに生きhardcore註1なDJとしての名をのこそうとしたのである。


 しかし、名声は容易にあがらず、生活は日をおって苦しくなる。海麗はようやく焦燥に駆られて来た。この頃からその容貌も様変わりし、染めた髪は色落ちしてバサバサで、カラコン入りの瞳ばかりが輝いて、かつて高校に通っていた頃の清楚系女子高生の面影は、どこにも求めようもない。


 一年の後、海麗は金回りだけは良いクラブの経営者と同棲どうせいするようになった。一方、これは、己れの技術に半ば絶望したためでもある。かつての同級生は大学生活を謳歌し、彼女が昔、バカにしていた地元の連中にも見下される、wack註2な男の愛人もどきに落ちぶれたことが、海麗の自尊心をいかに傷つけたかは、想像に難くない。


 ある日、金回りだけは良い経営者が、海麗に仕事を任せてきた。袁傪えんさんという、さる国の高官が、虎とラップバトルをするという。ついてはビートを海麗に頼みたい。虎がうんぬんは酔っ払いの与太話として、海麗はありがたく請け負うことにした。


 果してバトルの日に真夜中のクラブに躍り出たのは、一匹の猛虎であった。比喩ではない。虎である。会場は貸し切り。観客は袁傪の部下らしき男達。スタッフ一同唖然とするなか、八小節三本の奇妙なラップバトルが始まった。くじ引きの結果、袁傪が先攻、虎ことMC李徴りちょうa.k.a.TIGERが後攻となった。


 海麗のビートに乗せて、火蓋は切って落とされた。


【袁傪】

YOH、その声は、我が友、李徴子ではないか?

親しい友よ、気分はどうだい?

厳しく誇り高き君は ついに狂ったと聞いていた

虎の身に堕ちたそのわけを 聞かせてはくれまいか


【MC李徴a.k.a.TIGER】

如何にも自分は隴西ろうせいの李徴、孤軍奮闘まるで李陵りりょう

天下無双の李広の親父、エンカウントすりゃ危険な猛虎

友よ……あぶないところだった


【袁傪】

懐かしい友よ 超自然の怪異も今は受け入れて久しぶりのハンドシェイクとしようか

だが青年時代に親しかった者として理由が知りたい 

どうして君が虎の身となろうか?


【MC李徴a.k.a.TIGER】

俺を呼ぶ声に導かれ、虎としちゃ一人前?

闇の中招く声 無我夢中に追い駆ける俺

理由も分らずに押付けられたもの、生きて行くのが、我々のさだめ

rapしたいのはlyricのため 詩人としては半人前


【袁傪】

なるほど、君は第一流 lyricは格調高雅、意趣卓逸

しかしこのままでは心がダンスしない

布団で寝てるみたい 第一流の作品ではない

言いたいことがあるのなら 聞かせてくれ、友よ


【MC李徴a.k.a.TIGER】

ふとしたことで虎となる 災いは尊大な心ゆえ

爪や牙がお似合いの心 磨こうともしないうえ

俗物にもなれなかった 布団に枕の君は雲の上

胸をいと踊る くさむらを寝床に俺は月に吠え


 人々は最早、事の奇異を忘れ、シリアスに、このLyricistの薄幸を嘆いた。


 李徴は呟いた。


 自分に才能がないことを恐れ、しかし才能を信じたがゆえに研鑽けんさんを怠った。臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせいだ。俺はまもなく人としての理性を保てなくなる。袁傪、故郷の妻子に、李徴は死んだと伝えてくれないか。


 自らを嘲るように、MC李徴は続けた。


 まわりくどいことをせずに、最初からそう伝えれば良かったのだ。それなのにバトルをして己れのlyricを披露しようなどと、乏しい才能のことばかり気にかけているから、あさましい身に成り果ててしまったのだ。今でもbig willie註3を夢見ている。この虎をわらってくれたまえ。


 彼を嗤う者はいなかった。


 虎は、二声三声、咆哮ほうこうしたかと思うと、夜の闇におどり入って、再びその姿を見せることはなかった。袁傪一行も静かに去り、この奇異な出来事は、夢幻のように有耶無耶になってしまった。


 阿部海麗はまもなく経営者と別れ、再起を図ることにした。海麗よりも遥かに年老いて学もなく才能もないが、それを真剣に磨いたがために、堂々たるDJとなった者が幾らでもいる。おそらく、高学歴や優等生であることに意味がある成功者の方が少ないだろう。それがHIPHOPだから。海麗はHIPHOPによって名を成そうと思いながら、才能に甘んじて、誰かを師と仰いで技術を学んだり、クラブの気軽な友達ではなく、切磋琢磨できる同胞を探したりすることをしなかった。


 海麗は優等生の過去にしがみつき、自分は音楽の才能があると信じていた。いや、信じたかった。プライドは高いのに臆病だった。失敗して恥をかくのが怖かった。そんな自分が恥ずかしかった。


 磨いて光る補償はない。けれど、虎になる前に、踏み出すことに決めたのだ。


 薄暗いクラブを出ると、早朝の東京が目の前に広がっていた。関東に特有の湿っていて冷たい風が頬をなでた。なでられた頬が濡れたのは、夜露のためばかりではない。自らの足で立ち、空に向かって吠える。うるせーぞ、と怒鳴られた。


 理解されずとも、孤独ではない。海麗は二度と、振り返らなかった。




※HIPHOP用語については、概要欄に記載の記事を参照した。

註1……ハーコー。荒々しい、転じて、怖いものなしの。

註2……ワック。弱虫。まったくダメな。

註3……ビッグウィリー。HIPHOPの成功者。

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