第3話 変化

 学園の寮へと戻ったクオードは、ベッドに飛び込むと枕を抱え、見悶える。エスフィリアと別れたのはついさっきなのに、頭の中はあの笑顔でいっぱいだ。


「エシー……」


 そっと口に出すと、それは極上の甘味の如く甘い。きゅっと胸を抱き、何度も呟いた。


 翌日。


 早朝に目覚めたクオードは、上機嫌で教室へと向かう。その足取りは踊るように軽い。昨夜の夢にエスフィリアが現れたからだ。


 二人で手を繋いで、海岸線を歩く。そんな他愛もないものだったが、クオードにとっては甘美な時間だった。気を抜くとすぐニヤけてくる顔を何度も整えるが、無駄な努力に終わる。


 その肩に、何かがぶつかった。


「痛いな。もっと隅を歩いてくれないかい? ︎︎万年最下位のクオード・ファラムくん」


 クオードが顔を上げると、キザったらしく前髪を掻き分ける男が目に入る。クオードとは真逆の、長身に金の髪、青い瞳。この学園の出資者の息子で、試験でいつも上位に陣取るスウェン・ピオスだ。


 スウェンはクオードを見下し、こうして突っかかってくる。嫌いなら放って置いてほしいのに、何故いちいち構うのか。


 クオードは無言のままきびすを返し、教室へと一歩踏み出した。だが、そこにサッと足が差し出され、クオードは転倒してしまう。スウェンには、どんな時も取り巻きが周囲にいた。今のも、その中のひとりだ。


「おやおや、万年最下位くんはまともに歩く事もできないらしい!」


 派手な音を立てて転倒したクオードを、スウェン達はゲラゲラとわらう。それでとりあえず満足したのか、取り巻きを引き連れて去っていった。


 クオードはむくりと起き上がり、服に付いた埃を払うと、ツキりと痛みが走った。顔をしかめ袖をめくれば、肘に血が滲んでいる。たいした傷ではないが、利き腕で動かす度に痛む。ひとつ溜息を吐くと、クオードは前を向いた。


 以前のクオードならめそめそと泣いていたが、今は心を強く持てる。そこにはエスフィリアがいるからだ。彼女のために強くなりたい。クオードの瞳には、確かな信念が宿っていた。


 それは、学業にも現れる。


 クオードはこれまで、数えきれないほどの疑問を教授達にぶつけてきた。そのため、知識量はずば抜けている。時には教授さえ言い負かすほどだ。


 しかし、いざ試験となると問題に集中できない悪癖あくへきがあった。解くべき問題に疑問を持ち、意識が明後日あさってに向いてしまう。そのせいで成績はスウェンの言う通り万年最下位。それでも進級できているのは、ただひとり、クオードを理解してくれる師がいたから。


 入学したのは十七の時だ。ある種の問題児であるクオードがこの学園に入学できたのは、地元の教師が厄介払いという名の推薦をしたからだった。要は学園に押し付けたに過ぎない。そうして、いつもの調子で授業を搔きまわしていたクオードに、その人だけは真摯に向き合ってくれた。名をダネス・ギエといい、この学園の創始者の一員だ。創始者は六名。他の者達は専攻が違い、クオードは会った事がない。


 そのダネスのはからいで、クオードは問答式の試験を受けさせてもらっていた。そんな特別扱いに、贔屓ひいきだと言う者も少なくない。スウェンもそのひとりだ。だが、進級できても成績自体は最下位。それがスウェンの溜飲りゅういんを下げている。だからこその、あの態度だ。


 しかし、それも変わった。


 疑問を口にするのは相かわらずだが、それが理路整然とし始めたのだ。以前なら、教授が答えている合間にも、遮るように疑問を重ね続けた。だが今は、しっかりと飲み込み、教授の言葉を待っている。


 試験も同様だ。試験は学期末の大規模なものが成績に反映されるが、授業の中でも定期的に行われる。授業の試験は十点満点の小さなものだが、クオードはその問題にも集中し、空欄を埋めていく。すると、どの講義でも見違えるように満点を量産するではないか。


 そんなクオードに周囲は驚きを隠せずにいた。教授陣は不正を疑ったほどだ。そのせいで大勢の監視のもと、再試験を何度も受けた。それでも結果は満点。教授達の驚愕きょうがくの表情が誇らしくて、少しずつ自信も身につき、背筋がしゃんとする。


 周囲の態度も、それにならうように変わっていった。授業中の質問攻撃に辟易へきえきしていた生徒達も、クオードの言葉を書き留めるようになったのだ。時にはクオード自身に問いかける者も出てきた。


 その一方で、暗い目を向ける者もいる。奇人だと嗤っていたのに、いつの間にか優等生なのだから。特に面白くないのは、もちろんスウェンだ。今まで馬鹿にしていたクオードが自分に勝るなど、絶対にあってはならない。級友に囲まれるボサボサ髪を睨みつけながら、口元を歪めた。

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刻ノ傀儡 文月 澪 @key-sikio

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