第2話 ︎︎帰り道
町までの細い砂利道を、二人は並んで歩いた。喋っているのは主にエスフィリアで、クオードはどもりながら相槌を打つしかできない。
「難しい勉強をされているんですね。海流とか、私はなんとなくしか知りませんでした。子供の頃から、海に入る時は流されないようにって、言い聞かされてきたんです。それに漁獲高もはっきりとは。ここの海って恵まれているんですね」
エスフィリアは小さなクオードの声にも嫌な顔をせず、しっかりと聞き取ってくれた。質問したり、質問されたり。そんな言葉のやり取りはクオードにとって初めてだった。
いつもなら、他人の話しなど耳に入らなかったし、口を開けば自分の考えを押し付ける。少しでも知らない事柄には、次々と質問を投げつけた。
しかし、不思議とエスフェリアの言葉は、自然と体に染み渡るのだ。どれもクオードの知識には必要のないものばかりなのに。
隣のおばさんの事。
最近産まれた子猫の事。
家で栽培している野菜の事。
そんな些細な話しを、エスフィリアは楽しそうに話している。その声も、表情も、クオードを惹き付けた。
いくら篭もりがちなクオードでも、異性と接した事はある。何故かいちいち突っかかってくる同級生や、たまたま隣に産まれた幼馴染だ。実家も普通の家庭だったから、近所の主婦が両親を尋ねてくる事もある。
だが、どの女性もクオードの興味を引かなかった。今となっては、顔さえ思い出せないほどなのに。
それがどうだ。
エスフィリアは一瞬でクオードの心を奪った。何がそうさせるのか、クオードにも分からない。ただ、キラキラと笑うエスフィリアから目が離せず、鼓動がうるさく打つ。
「クオードさん? ︎︎どうかしました? ︎︎私、お邪魔っだったかしら」
不安気に眉を垂れるエスフィリアに、クオードは焦った。
「そ、そんな事ない、です。僕、話すの、得意じゃなくて……君こそ、僕といるの、嫌じゃない……?」
目を覆うモサモサの髪の隙間からエスフィリアを窺えば、キョトンとしている。
「え、どうしてですか? ︎︎クオードさんのお話し面白いですよ? ︎︎私の知らない事ばかりだし、漁師の娘として恥ずかしいくらいです。もっと色々教えてください」
そう言うエスフィリアの顔に、嘘は見当たらなかった。クオードはその性格から腫れ物扱いにされる事が多く、親さえ手を焼くくらいだ。この町に来たのも、ある意味捨てられたと言えなくもない。
そんなクオードに、エスフィリアは笑顔を向けてくれる。初めての経験に、みるみる紅潮していくクオードに、エスフィリアは首を傾げた。
「? ︎︎クオードさん?」
ずいっと近付く若草色の瞳に、クオードは咄嗟に顔を背けてしまう。しかし、それはエスフィリアを傷付ける結果となってしまった。
「……やっぱり、お邪魔でしたよね。ごめんなさい。わ、私、用事があるから……!」
笑顔に痛みを浮かべながら、エスフィリアは踵を返そうとしたが、クオードは慌てて腕を引いた。
「ま、待って! ︎︎違う……! ︎︎あの、僕、慣れてなくて、嫌じゃないよ。もっと話したい! ︎︎でも、その、用事があるなら……」
徐々にしりすぼみになっていく声に、エスフィリアは頬を染める。この町は学園のお陰で発展したとはいえ、しょせん田舎だ。同世代はみな顔見知りで、クオードはある種、エスフィリアにとっても初めての異性だった。
学園の生徒と接した事もあるが、それはあくまで授業の一環。エスフィリアにとっては仕事だ。ここまで密接に関わった事はない。
生徒はどこか偉ぶった雰囲気を持っていて、話しかけづらい事も一因だろう。その中にあって、クオードは異質だった。教授や学生達が漁師や父の話しを聞いている間も、クオードはいくつも質問をしていた。ただ話しを聞くだけの生徒と違い、学ぶ意思を強く感じたのか、父もいつもより楽しげに見える。
周りの生徒や教授は顔を
それまでも、同様の感情はあった。
港を訪れる学者達は、漁師の知恵だけを欲していた。酷い時は研究のためだと言って、商品である魚介をタダで寄越せと詰め寄ってくる。それを断ると、ギャーギャーと大声で騒ぎ立てた。
クオードはそれをしなかったのだ。父の言葉をしっかりと受け止め、市に並ぶ魚介の値段も聞いていた。クオードによれば、値段も知識の一部らしい。他の町との差額が分かれば、地域による希少性も自ずと導き出される。それは生息域、繁殖域にも通じると。
「今日は、すごく充実して、ました。海も、珊瑚礁がしっかり育ってて、ここの漁師さんは、ちゃんと管理してる、んですね。珊瑚礁は、ヒトデなんかが増えると、あっという間に全滅するから……」
ポツポツと零れる声は、小さく、ハスキーでかすれ聞き取りにくい。それでも、エスフィリアはときめいた。船同士で怒鳴り合う漁師とは違う、穏やかな声。
「あの」
不意に、クオードが顔を上げる。聞き入っていたエスフィリアは、びくりと肩を揺らした。高鳴る胸を抑え、続く言葉を待つ。
「僕に、敬語はいらない、から。呼び捨てでいいし、その、また会える……?」
突然の申し出に、エスフィリアは頬を染める。会いたいと思ってくれる事が、素直に嬉しかった。
「じゃ、じゃあクオード。私の事もエシーって呼んでくれる?」
それは、恋の始まりだった。
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