刻ノ傀儡

文月 澪

始まりの物語

第1話 ︎︎出会い

 爽やかな風が木々を揺らし、柔らかい日差しが心地よい。森の香りを運ぶ風が、草原を駆け抜け、町に達すると人混みの合間をすり抜けていく。そんな穏やかな日に、花で彩られた町並みは賑わいを見せていた。


 ここは、海洋に浮かぶ大陸、マーザンドの南東に陣取るユンクハント王国だ。三方が海に面しているこの国は、三日月形に伸びている。そして、その南端に位置する港町、ウタンユでは春の祭りが行われていた。


 海沿いの町なだけあり、冬は冷たい風が打ち付ける。海も荒れ、漁に出ることができず、ただ家の中でじっと耐える日々は、若葉と共に春風がさらっていった。


 出店には普段よりも少しだけ高価な物が並び、人々の目を楽しませている。その中には、いつもは見ないような旅人の姿もあった。


 特に人が集まっているのが、町の中心にある広場だ。円形の広場には舞台がしつらえられ、それを囲んで少女達が軽やかに舞っている。そしてその舞台の上には、花が散りばめられた純白のドレスに身を包んだ一人の少女。周りの少女達よりも明らかに質のいいそのドレスは、選ばれた者のみがまとうことを許されていた。


 この祭りの主役、豊穣の女神を演じるのは滑らかな金の髪と、新緑の如き若草色の瞳の少女。女神役といっても、田舎の町だ。普段から子供達は家の手伝いをしている。この少女も例に漏れず、健康的な肌をしていた。


「芽吹けよ 生命いのちの声を上げ 紡ぎ繋がれ 輪廻の糸をり 巡り巡る なれは蒼き血を継がん」


 一同の視線が集まる中で、女神は朗々と謳う。手にした錫杖しゃくじょうを振ると、重なった輪がシャランと鳴った。それと同時に、周りの踊り子達が花を振りまくと、鮮やかな色が舞い人々の歓声が上がる。


 その光景を、一人の少年がひっそりと陰から眺めていた。


「……エスフィリア、綺麗……」


 ほぅっと頬を染め、ぽつりと呟く。


 少年の名はクオード。この町にある学園で海洋学を学ぶ学生だ。ウタンユは田舎の港町ではあるが、北から流れ込んでくる寒流と、南から上がってくる暖流が交わり、栄養豊富な豊かな海には、多種多様な海洋生物が集まっている。海中にとどまらず、それらを餌にする鳥類や肉食獣も多い。そのため、徐々に研究者が集まり、田舎には見合わない規模の学舎となった。


 元々は港町だ。生きるために語り継いできた知識も、研究者からすれば有益なものであり、調査への協力の見返りに金銭のやり取りもあった。そのおかげもあって、寂れた漁村は港町にまでなったのだ。


 クオードは元は違う町の育ちで、この学園に入学するために越してきた。歳は十九。モサモサとした前髪に、青白い肌、力仕事など到底出来そうにない細い手足と、いかにも学者といった風情を醸し出している。


 クオードがこの街に来た頃は、図書室に篭って、本ばかり読んでいた。人付き合いが苦手なクオードは、友人も少なく、しかし、授業の一環で実地研修に出た際に対応したのが、今多くの視線を集めている女神、エスフィリアだった。


 課外授業で港の見学に出た日だ。同級生達と教授について町を回っていたクオードだったが、図鑑でしか知らなかった生き物を実際に見て、夢中になってしまい気が付けば誰もいない。


 実の所、同級生達も教授も、クオードには手を焼いていたのだ。


 ひとつの事に集中すると、周りが見えなくなってしまうたちが災いし、どれだけ声をかけてもなんの反応もしないクオードに、いつしか誰もいない者として振る舞うようになった。


 教授もつい口をついた他愛ない言葉に、しつこく質問してくる生徒には辟易している。クオードのせいで授業が進まなかった事が、一度や二度ではなかったからだ。


 そんなクオードに、エスフィリアは優しく接してくれる。一人、置いていかれた港で呆然としていたクオードに声をかけたのも、エスフィリアだった。


 エスフィリアは漁師の娘で、その日も両親の手伝いで港に来ていたという。漁師の朝は早い。昼前には競りも終わり、帰途につこうとしていた時に、クオードを見つけ声をかけた。


 クオードとて、もう大人の部類に入る。例え置いていかれたとしても、学園に帰ることくらいできるのだが、さすがに同朋達の仕打ちには衝撃を受けてしまった。いつも一人で図書室に篭ってはいるとはいえ、同じ学問を専攻する仲間だと思っていたのに。


 そんな時に、女神が舞い降りた。


「どうされました? ︎︎その制服、学園の生徒さんですよね。今日は見学に来られると聞いていましたが、他の方々は?」


 そう言って、周りに視線を巡らせる。その度に金の髪が輝いて、神々しく見えた。口を半開きにして見入るクオードに、何かを察したのかエスフィリアは微笑んだ。


「もう競りも終わりましたし、町までご一緒しましょう。普段はどんな事を学んでいらっしゃるの? ︎︎私で分かる事ならお答えできますよ。さ、立って。私はエスフィリア。あなたは?」


 伸ばされた小さな掌に、クオードは恐る恐る手を乗せた。

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