第3話 加茂哲夫 目眩

 意識が戻る感覚に瞼が開いた。どうやら、いつの間にか眠ってしまったようだ。


 頭の奥には刺すような眠気がまだ残っている。視線を動かして時計を見てみるが、まだ家に帰って来てから二時間ほどしか経っていなかった。近ごろは睡眠が浅く、深く寝付けない日々が続いている。そのせいで、仕事中にも眠くなることがあった。

 やる気がないと店長に怒られることがあった。だけど真剣に仕事をしているのだ。これ以上、どうやる気を出せばいいのだろうと悩む日々が更に睡眠時間を短くさせた。


 久々にゆっくり眠ろう。


 もう一度眠る為に瞼を閉じてみたが意識が落ちることはなかった。それどころか瞼の裏側に映る闇が少しだけ怖くなった。先ほど一度振り払ったはずの不安がまだ心にねちっこく絡みついているような感覚がする。一度眠って心を落ち着けたせいか、その不安は眠る前よりも強くなっていた。

 息が浅くなるのを感じ、意識して呼吸を深くする。それでようやく喉が渇いているのがわかった。確か、冷蔵庫に缶チューハイが入っていたはずだ。ぎしり、と立ち上がる時に床が軋む音がした。

 この音を聞く度に、床に穴が空くんじゃないかと不安になる時がある。なにせこのアパートは築百年の歴史があるアパートなのだから。

「……げ」

 冷蔵庫を覗いてみると、チューハイどころか食べ物すらなかった。そういえば、昨日の夜にもやし炒めのチーズ乗せとチューハイで冷蔵庫の中を空にしてしまったことを思い出す。かなり面倒だが買い出しに行かなければいけない。気持ちが沈んでいても腹は減る。食べなくても生きられる人間など限られている。

 仕方なく、床にちらけてあったジャージを着て、スリッパで近くにあるコンビニへと歩きで向かった。今日は車に乗るのすら億劫で、遠くにあるスーパーに行く気にはなれなかった。

「ワインとチーズと、後は何か弁当でいいかな……」

 コンビニへ向かう途中に何を買うのか考える。ワインは絶対に欲しい。何せ、六百円そこそこで一本買えるのだ。焼酎や缶ビールなんかを買うよりも、よほど安く感じる。

 コンビニに入り、適当に易いワインとプラスチックの入れ物に六個入ったチーズを手に取り、後は適当におにぎりを見繕った。(今日はおにぎりが安くなるフェアをしていたので弁当はやめた)

 後はアパートへ帰るだけになったのだが、帰ったところですることがない。だけど、ワインを家に持って帰らなければいけない。

 どうしようか少しだけ迷って、結局散歩をすることにした。荷物も軽いしそこまで気にすることはないだろう。

 ──近くに公園があったな。

 そこでおにぎりを食べようと思い、公園のある方へ足を向けた。


 公園には誰もいなかった。平日の真昼間にいるのは、赤ん坊を連れた母親たちぐらいの物であろう。その母親たちも今頃は家で食事を作っているはずだ。

 俺は公園の中でも一番目立つブランコに腰を掛けた。ギシリと錆びた鎖の擦れる音が聞こえたが、無視をすることにした。

 袋から昆布の具が入ったおにぎりを取り出し、袋を剥き一口頬張る。一口目は白米だけが口に入った。俺は食べる時に少しずつしか口に入れない。口の中がパンパンになるという感覚があまり好きではなかった。

 仕事先で食べるのが遅いと注意されたことを思い出し、気分が悪くなる。

 飲み物を口に含もうとしてワインしか買ってないことに気づき、ブランコ下の地面にワインを置いた後、近くにある自動販売機で水を買う。水を口に入れたところで硬水であることに気づいたが無理矢理飲み下した。口に残る感じがするのであまり硬水は好きではない。安いからと水を買ったのが間違いだった。


「はぁ⋯⋯なにしてんだろうな⋯⋯」


 ぽつりと愚痴をこぼし空を見上げる。まだ太陽は空のてっぺんにある。忌々しいほどに光を放つ太陽を見た瞬間、世界がぐらっと揺れた。

 ⋯⋯またか。

 最近、寝不足が続いていたせいか、目眩が頻繁に起こるようになっていた。

 なんとかブランコまで戻り、体重を預けるように座り、目を閉じて目眩が収まるのを待つ。だけど、いつまで経っても目眩が収まらない。初めてなった時に比べて段々と酷くなっている気がする。


 ⋯⋯病院に行くべきかな。


 病院に行くのは嫌だったが、日常生活が困難になる前に行かなければいけない。


「明日行くか⋯⋯」そう心に決め、家へと帰るのであった。

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明日と暗日。 真上誠生 @441

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