1-3

 少女は壮琉と同じ時坂高校のブレザー制服を身に着けており、その制服がきゃしゃな彼女の体型を一層引き立てていた。身長は壮琉より少し低く、柚莉よりは少し高い。おそらく一六〇センチ程度だろうか。顔立ちはやや幼く、な美しさが青み掛かった瞳からにじみ出ている。


 あれ……?


 彼女を見た瞬間に、何か心に突き刺さるような感覚に囚われた。

 一目惚れでもしたのかと思ったが、どうにもただの一目惚れとは少し異なる。彼女をどこかで見たことがある気がして、胸の中に奇妙な焦燥感が広がっていくのだ。

 リボンの色から見て、下級生であることには間違いない。ただ、下級生に知り合いはいないし、学校で特段見た記憶もなかった。だが、彼女のあどけない表情には何故か見覚えがある。

 信号が変わる直前、彼女と目が合った。彼女は何かに驚いたように、その青み掛かった瞳を大きく見開いてこちらを見ていた。

 そして、その直後──先程と同じく、激しい頭痛と眩暈が壮琉を襲った。


ってぇ……!」


 その痛みに、思わず額を押さえて小さく呻く。だが、今回は痛みだけでは収まらなかった。

 頭の中で、シャーッというホワイトノイズが鳴り響いたかと思えば、モノクロのノイズ画面のように揺れ動き、脳裏に見たことがないはずの映像が浮かび上がってくる。

 頭の中の映像は、同じく時坂神社の石碑の前の信号で、壮琉と同じ学校の制服を着た女生徒と目が合ったところから始まった。その女生徒は壮琉を見るや驚いたかと思えば、うれしそうに顔を綻ばせてこちらに歩み寄ろうとする。しかし、その刹那、激しいスリップ音が響いて……白い自動車が華奢な彼女の身体をぎ倒し、そのままガードレールに突っ込んでいった──。

 それは一瞬の出来事だった。夏の太陽に照り付けられたコンクリートに、赤い水たまりが広まっていく。長くれいであっただろう黒髪は血でべっとりと濡れており、腕や脚があってはならない方に折れ曲がってしまっていた。一瞬で見惚れてしまう程に美しかった面影は消え、ぴくりとも動かない肉塊と化してしまったのである。


 何だ、これ……?


 そこで、はっとして顔を上げた。

 今見た映像とこの状況は、あまりにも似ていたのだ。目の前の少女の表情、立ち姿、それに制服は、脳裏に浮かんだ映像と殆ど変わらない。そして、頭の中で見るも無惨な姿になっていた少女と同じように、壮琉を見て驚いている。この部分も同じだった。

 まさかと思って車道を見てみると、遠くから蛇行運転をする車が迫ってくるのが見えた。先程の映像で彼女に突っ込んだ白い自動車だ。

 壮琉の鼓動が、一気に跳ね上がる。このままいくと、間違いなく脳裏で見た映像と同じことが起こる──何の根拠もなかったが、その確信が壮琉にはあった。

 すぐさま壮琉は鞄を投げ捨て、彼女に向かって駆け出していた。一方の少女は、いきなり男子生徒が自分に向かって走ってきたからか、凍りついてしまっている。どうせならその場から離れてほしかったが、いきなりのことであるし、驚きのあまり動けなくなるのも無理はない。

 彼女からは気味悪がられるかもしれない。しかし、ただの一時的な錯覚や幻覚だったのなら、それでよかった。その時は素直に謝るだけだ。

 ただ、あの光景だけは再現してはならない。それはまるで自らが負った使命のように壮琉のかたにのしかかっていた。

 信号はまだ赤だったが、お構いなしに彼女に向かって一直線に走り抜ける。幸い、他に車も来ていない。ギリギリ間に合うはずだ。

 その刹那、先程見た脳裏の映像と同じく激しいスリップ音が鳴り響いた。そこで彼女も車に気付いたが、距離的にもう避けるのは不可能だ。


 間に合ってくれ──。


 壮琉はそう祈りながら、少女に向かって身体を投げ捨てるようにして飛び込んだ。

 飛び込んだ勢いのまま彼女を両腕でかかえ込み、自分の背が地面になるようにして倒れ込む。ずざざ、と地面を擦る音とともに背中に激しい痛みを感じたが、そんなものはすぐに吹っ飛んだ。激しい激突音を響かせながら、つい先程まで彼女が立っていた場所に自動車が突っ込んだのである。

 周囲の大人達がざわつき、こちらに駆け寄ってきている。昼下がり故にあまり人は多くないが、近くの家の人達も何事かと飛び出てきてくれた。

「大丈夫か!?」と壮琉達を心配する声が聞こえ、ひとりが慌ててスマートフォンを取り出し、救急車を呼んでいる。手を上げて交通を止める人、事故の状況を確認する人、少ないながらも周囲の人々は何かしらの行動を起こしていた。

 これなら、車の方は彼らに任せて大丈夫だろう。壮琉はあんのあまりぐったりと力が抜けてしまい、大きな溜め息とともに後頭部をコンクリートに下ろした。

 真上からは真夏の太陽が照り付けていて、背と後頭部には太陽の熱を吸収したコンクリートが容赦なく熱を伝えてくる。おまけにスライディングした背中がじんじんと痛んできた。

 事故直後であるし、一刻も早く動いた方がいいのは間違いないのであるが、今の壮琉にとってそんなことはどうでもいい。ただただ安堵感から少女をそっと抱きしめた。


「よかったぁ……」


 本心が漏れる。一瞬でもちゅうちょしていたら間に合わなかった。自分の英断を褒めてやりたい。

 そこで、腕の中の彼女がもぞっと少しだけ動いて、はっとする。そうだ。見ず知らずの少女を抱きしめたままだったのだ。


「あっ……ご、ごめん!」


 慌てて起き上がり腕の力を緩めるも、彼女はこちらの服をぎゅっと掴んだまま、壮琉の胸に顔を埋めていた。肩を震わせて、ひっくとえつを漏らす。


「おい、大丈夫か……?」


 やはり、いきなりのことで怖かったのだろうか。心配になって彼女の細い肩に触れようとすると、彼女はそっと顔を上げた。

 その時──夏風が舞った。

 流れるような少女の長い髪が風に揺られて、柔らかな光を放つ。そして、改めて彼女と視線が交差する。

 彼女の瞳は秘密を隠す深い湖のように輝いていて、星屑がちりばめられた夜空みたいにきらめいていた。細やかな鼻は彼女の顔の中心に控えめに位置しており、その控えめさが彼女の愛らしさを一層引き立てている。

 すぐ近くには事故車があって、車のエンジンからは白煙が上がり、周囲の大人達は運転席から老人を救い出そうとドアをこじ開けている。それなのに、壮琉はその全てを忘れ、少女に目を奪われてしまっていた。

 それは、ただ彼女が可愛かわいらしいから、という理由だけではなかった。そこには壮琉が予想もしていなかった表情があったのだ。

 少女は恐怖や驚嘆といった類の表情を浮かべていたのではなく──何故か、感動にうち震えて涙ぐんでいたのである。

 彼女は嬉しそうな笑みを浮かべると、涙声でこう呟いた。


「本当に、会えた……」



──────────────

【作者より】


 試し読みはここまでとなっております。

 本作『最後の夏は、きみが消えた世界』は2024年6月28日(金)スターツ出版文庫より全国の書店にて発売!


https://kakuyomu.jp/users/kujyo_writer/news/16818093079045389987


 TVアニメ『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』の装画・挿絵や『僕らの雨いろプロトコル』のキャラデザを担当するぶーた先生の可愛すぎる書影が目印です!

 ぜひとも、書店にてご購入くださいませ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

【試し読み】最後の夏は、きみが消えた世界 九条蓮@㊗️再重版㊗️書籍発売中📖 @kujyo_writer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ