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 何もない町並みをぼんやりと眺めつつ、壮琉はだらだらと神社を目指して歩く。

 壮琉達が暮らす時坂町には、どこか懐かしさを感じさせる美しさがあった。都会のけんそうとは程遠いが、田舎の閉塞感からも逃れている、絶妙なバランスの町である。

 一歩駅を出ると、広がるのは緑豊かな山々のスカイライン。その足元には、鮮やかな色彩の町並みが広がっている。古い商店と新しいカフェやブティックが並ぶ商店街で、地元の人々と観光客が交流する。車で数分走れば、都会の喧噪を思わせるショッピングモールやエンターテインメント施設が点在する一方、反対方向へ進めばすぐに田園風景が広がる。この町は、どこか時がゆっくり流れるような感覚と、新しいものを迎え入れる活気が共存しているのだ。

 その象徴として、古い時計塔の下で、子供達が最新のゲーム機で遊びながら過ごしていた。その横を通り抜けると、何となしに彼らの会話が聞こえてくる。その内容は、いつ皆で海に行くか、というものだった。

 そういえば、最後に海に行ったのはいつだっただろうか。中学生になってから高校二年に至る現在まで、海に行った記憶はない。きっともう五年以上前のことだろう。

 特段行きたいとも思わないのだが、それでも中学から通して五年以上もの間、夏の風情を一切放棄しているのも我ながら如何いかがなものかと思う。

 ただ、正直に言うと、夏は苦手だった。暑いし、すぐに汗をかくし、日焼けもするし、熱中症にもなる。いいことなど何もなかった。

 夏と言えば、滴り落ちる汗と自分の影。照り付ける太陽の光から目を背けたくて、できるだけ日陰を求めて歩く。家に帰れば基本的にはクーラーの効いた部屋で過ごし、惰眠をむさぼるだけだ。それが壮琉にとっての夏なのである。

 七月十四日となると、夏休みが始まるまであと一週間。この殺人的な太陽の下を歩かなくて済むと思うと幾分か気が楽なのだが、また退屈な夏が訪れると思うと、少し憂鬱な気持ちになる。


『ねえ、壮琉! 夏だよ? 高校生だよ? もっと楽しもうよ!』


 そう言って、惰眠を貪りたい壮琉を外に引っ張り出そうとするのが幼馴染の天野柚莉だ。柚莉とは家が近所で、小学生の頃から家族ぐるみの付き合いだった。

 彼女はあの通り明るい性格なので、昔から周囲に人が集まっていた。そんな彼女にとって夏休みはまさしく水を得た魚も同然で、昔はよく色々付き合わされたものである。

 中学生になってから付き合う友達も変わったので、彼女も普段よく過ごす友達と夏を楽しんでいたようだ。無論、毎年しつこく誘われているし、それを懲りずに断り続けているので、彼女もその友達と遊ぶしかないようだったが。

 どうして柚莉がいつも誘ってくるのかについては、壮琉もあまりわかっていない。彼女とは趣味趣向が異なるし、壮琉自身、明るく活発な柚莉が自分と過ごして楽しいとも思えなかった。だが、懲りずに毎年彼女は誘ってくる。

 そうして今年もその季節がやってきた。柚莉からしつこく誘われる季節だ。あまり無下に断ってしまうと、朝から部屋に突撃してくる──幼馴染の弊害である──ので、慎重に断り文句を選ばないといけない。それに、断り続けていると、彼女の機嫌が著しく悪くなってしまうため、結局ご機嫌取りのために何かひとつくらいは付き合わなければならなくなってしまうのだ。

 柚莉もそれがわかっているから、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるで誘いまくってくる。そうした誘いのひとつが、『彗星を見に行こう!』だった。

 いつもは夏の終わり頃に嫌々何かに付き合うのだが、今回壮琉はすぐに承諾した。というのも、天泣彗星には壮琉自身興味があったからだ。

 天泣彗星とは、五年に一度の周期で地球に接近する彗星だ。彗星の輝きがまるで天空から落ちる涙のように美しいことから〝天泣〟と命名されたらしい。

 五年前、壮琉は自室からこの彗星を眺めていた。夜空全体を青白く照らす輝きは美しく、夢のような幻想風景に目をらすことができなかった。部屋の電気を消して窓の近くに座り込み、その美しさに心を奪われていたのを今もよく覚えている。

 同時に、もっと空に近い場所で見たかった、という後悔もあった。もしこの光景をもっと高い場所、たとえば山の頂きや空に近い場所で見ていたら、どれだけ美しかっただろうか。それに、この瞬間を誰かと共有できたら、その感動はもっと増すかもしれない──そういった後悔と思惑が壮琉にもあったので、柚莉から誘われた時はすぐに承諾したのである。

 初っ端の誘いでOKが出るとは彼女も予想していなかったらしく、ぽかんと間抜けな顔をしていたのが印象的だった。もっとも、すぐにいつものはつらつとした笑顔になって、それからどこで見ようか、という話になり今日に至る。彼女が調べてくれたいくつかの候補地の中で、一番ひとのないと思われる場所、それが今向かっている時坂神社だ。

 時坂神社はこの町に古くからある神社で、神社の裏の方は高台になっている。星を見るのにはちょうどいいのだ。

 どうしてそんなスポットに人が少ないのかというと、夜間は神社内への立ち入りが禁止されていて、一般人が入れないからだ。そんな場所に、柚莉はこっそり侵入して見ようというのである。じゃじゃ馬な彼女らしい発想だった。

 いつもなら壮琉も反対するのだが、今回はその案に乗っかった。単純に、人が少ない良スポットで彗星を見れるならいいかと思ったからだ。今日はその下見である。


「あれ、そういえば時坂神社と天泣彗星って何か関わりあるんじゃなかったっけ?」


 視界の先に神社がある高台が見えてきて、ふとそう独り言ちる。

 時坂神社は色々伝承や言い伝えが多い神社だ。何でも、大昔は将軍までもがご利益を求めて参拝に来るなど、色々由緒ある場所だったらしい。もっとも、神社のご利益などといった非科学的なものが活躍する機会があるとは思えない現代社会においては、神社の意味合いなど宗教的な象徴以外に殆どない。さして気にする必要もないだろう。

 そう思って、時坂神社の方に向かっていた時である。神社裏手にある石碑の前の交差点で信号が変わるのを待っていると、目の端にひとりの少女の姿が入った。黒絹のような長い髪が柔らかな風になびき、壮琉はその姿に一瞬で心と視線を奪われる。

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