赤ずきんちゃん 世間ラビリンス迷走中

すどう零

第1話 困った男たらしもどき登場 

 私は、有名しゅうまい店に勤めて二年目の中堅アルバイト。

 年齢は二十五歳。職場は私より年下の子ばかりである。

 たいていの子は、私に敬語を使う常識的な問題のない子ばかりだが、たまに想定外の困ったちゃんが入店してくる。

 世の中には、今までどんな世界のなかで生きてきたんだろうかと、首をかしげるほどの困ったちゃんが存在している。


 ある日の冬、童顔の一見アイドルもどきのような女性ー咲香ーが入店してきた。

 本人曰く、半年間だけだったが売れない地下アイドルを体験したこともあったという。

 通りで少々華やかなムードを漂わせてはいるが、スタイルは太目であり、上品とはいえない二流半アイドルだろう。

 言葉遣いは誰に対してもタメ口であり、入店して三日目に、とんでもない想定外の行動にでたのだった。 

 咲香特有の甲高い声で

「ねえ、店長。このビールケース、運んでよ」

 先輩バイトは、あきれ果てたように

「よりによって店長をつかうなんて」

ため息まじりの、聞えよがしの声が聞こえてくる。

 私もまったく同感である。

 しかし咲香は、ノー天気のおかまいなしなのん気な表情を浮かべている。

「いいじゃん。店長は私のダーリンなんだから」

 これには、皆呆れかえって開いた口が塞がらない。

 知らない人が聞いたら、昔からの知り合いだと誤解されないが、もちろんその筈もない。

 それほど、咲香は誰に対しても、妙に馴れ馴れしいのである。

 先輩バイトは、思わず店長に助け舟を出した。

「このビールケース、重いから一緒に運びましょう」 

 咲香は知らん顔を決め込んでいる。


 咲香は、店長が妻子持ちだとわかった時点で、ちょっかいをかけるのを諦めたらしい。

 その代わりといってはナンだが、私と同い年の二十五歳の独身チーフー野田チーフにまとわりつくようになった。

 どうやら咲香は、男性に媚びる習慣をもっているらしい。

 そういった世界の中で、生きてきたのだろうか。


 咲香は、聡明とはいえない少し間の抜けたタヌキ顔であり、あどけなさの残るベビーフェイスであり、なんとなく憎めない愛嬌さがある。

 人を傷つけてやろうとする悪気は全くないのだろう。

 いつも男性の目を意識するようにニコニコ、いや男性に媚びるようにニタニタと笑っている様子が、かえって妙な雰囲気を感じさせる。

 まるで初めてバラエティー番組に出演することになった、無名のアイドルのようである。


 咲香は、最初はおとなしかったが、徐々に男性店員に対して馴れ馴れしい態度をとるようになっていった。

 これは、咲香の性なのだろうか?

 売れないアイドルというのは、男性に媚びを売り、ときには、ハニートラップに利用されることもある。

 もしハニートラップが成功したとしても、人を傷つけ、人の人生を狂わせてしまったという罪悪感からホストクラブにはまるようになり、甘い言葉で褒めてくれる担当ホストに大金を投じ、気がついたときには、風落ち(風俗に落ちること)、泡沈み(ソープランドに沈んでしまうこと)になってしまうという話を聞いたこともある。

 

 男性は、男性側が女性にY談をしかけ、女性側が驚いたように目を丸くしたり、頬を赤らめて恥じらうことを期待しているという。

 いつまでも、淑女志願なのだろう。

 男性のY談に乗せられ、過去の性体験をしたりする女性は興ざめで、飽きられるのがオチだという。

 逆に、男性からのY談を避けるためには、女性側からY談を仕掛ければ、かえって男性も興ざめし、シラケムードになり、Y談をする気力が無くなるという。

 しかし、咲香にはそのような算段はないようである。


 咲香が目をつけた相手は、私と同い年の二十五歳の独身男性、野田チーフだった。

 咲香は、店長が既婚者であるということがわかったので、さすがの咲香も遠慮したようである。

 不倫など陥らないという算段が生じたのであろう。

 まあ、不倫で幸せになる人は一人もいないという。

 当人のみならず、家族、あるいは親戚に至るまで不信感という不幸の種が蒔かれるばかりである。

 昔、伝説の大親分と言われている有名アウトロー組長はなんと不倫の子だったという。

 実母は幼児期に亡くなり、それからは不倫相手の男性の家にもらわれることになったが、そこで奴隷のような扱いを受けたという。

 小学校にもロクに通わせてもらえず、力仕事ばかりやらされ、そこで知り合ったもらい子の女性と結婚して、自らが組長である大きな暴力団組織を築いたという。

 組長曰く、親がいて、帰宅する家があって、学校に通わせてもらっている人が非行に走るなどということは、考えられなかったという。

 ましてや、高価なバイク、派手な革ジャンパーの暴走族など到底理解不能だったという。

 組長曰く「あいつら、親がいるのにどうして、こんなことをするのだろう」

 少なくとも、組長は自分よりはるかに恵まれている若者が、我が物顔で深夜の道路を走る暴走族になるのが、不思議で仕方がなかったという。


 既婚者は女性慣れしているので、女性のミスや欠点に対して寛容であり、おおらかに包んでくれるという長所がある。

 女性特有の多少のわがままや悪口でも、そう嫌悪感をもつこともない。

 なんでも話を聞いてくれ、否定的なことは一切言わない。

「君は間違っているよ。君のそういうところ、辞めた方がいいよ」

 ただただ、包容力をもって自分を抱きしめてくれる。

 心に傷ややましさを抱えている女性ほど、それにハマっていく。

 昔、銀座のクラブの経営者から、作詞家、直木賞作家に転身した山口洋子氏は、銀座のクラブ時代、祇園出身の若いクラブのママに言葉巧みに騙され、客をみな吸い取られた過去をもっていたという。

 彼女は山口氏の経営しているクラブにやってきて、将棋の駒ほどもあるヒスイの大きな指輪を見せびらかしながら、いきなり三つ指を突き、

「うちはなにも知りませんのえ。いろいろ教えてもらわんと」

と低姿勢で山口氏を安心させた挙句、

「妹分として、客のことを教えて下さい。ただし、客をとったりはしない約束の上でのことですよ」

 その言葉にすっかり騙され、山口氏は客の名前を教えてしまったという。

 そのことを山口氏が「お約束した筈なのに、どういうことでしょうか」と反論すると、祇園出身のママは

「ようお言いやすわ。生き馬の目を抜く銀座の夜のど真ん中で。

 それじゃあ、ウチがお約束したとして、ウチの店長はそないなお約束なんかしてませんで。これでよろしおまっしゃろ」

 甲高い笑い声の裏で、山口氏は裏切られた空しさと淋しさを感じていた。

 裏切られる方と、裏切る方とどちらが孤独かというと、裏切る方だという。

 まるで母親を慕う子供のように、無邪気に信頼してくれる人を裏切ってしまったという罪責感の入口は、暗く冷たい孤独の檻である。

 もう自分は誰からも信頼してもらえないという孤独感以上の恐怖感がひしひしと身に迫ってくるという。

 そんな祇園出身のママが、ホストクラブにはまっているという。

 素人女性ならいざ知らず、同じ水商売同志、手の内は見え透いているのに、どうしてはまったりするのだろうか。

 やはり、自分を信頼してくれる人を裏切ってしまったという罪責感と、孤独感を紛らわすために担当ホストに夢中になり、ひとときの宴ということはわかっていても、恐怖感から逃れようとしているのだろう。


 淋しさの種類は、年齢や職業によって様々であるが、やはりホストにはまるのは淋しさと将来への不安を抱えた女性なのだろう。

 NHKの「クローズアップ現代」でも取り上げられているが、現代のホストは女性客に高価なシャンパンやシャンパンタワーで百万円以上の売掛金をつくらせた挙句

「肝臓を売って金にしてこい。お前が五体不満足になろうと俺たちの知ったことか」

「外国へいって、死ぬ気で働け」

現在、ホスト問題は、社会問題、人権問題になっていると、締めくくっていた。

 ホストが狙うのは、ボロい服を着た世間知らずの若い女子だという。

 入店してきた時点から「この女の子は、グラマーだからソープ行きだ」

なんて値踏みするという。

 まあ、若い女性は下着も含めて、金になるというのは古今東西の現実であるが。

 ホストクラブは風落ち(風俗に堕ちること)や泡沈め(ソープランドに沈めること)は、常套手段だという。


 不倫もホストも、甘い夢をみたあとは、厳しく孤独な現実が待っている。

 

 

 








 

 

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