第3話 咲香を狙ったギャンブル狂店長の罠

 咲香は、野田チーフを味方につけているという自信があるからだろうか、いつもニタニタと薄ら笑いを浮かべている。

 咲香はどんな神経をしているのだろうか?

 私は、徐々に咲香を避けるようになっていった。

 私は言うことをきかない咲香に声を荒げた。

 さすがの咲香も

「そんなに怒ったような言い方をしなくても。私のことが嫌いですか?」

などとすがるような声をあげた。

 咲香は、マットずらしといい、自分の行動の意味がわかっていないのだろうか?

 今まで、どんな世界のなかで生きていたのだろうか?

 私はもう、咲香と接すること自体がしんどくなっていった。


 咲香が入店して二か月目、店長が交代することになった。

 店長といっても、所詮雇われ店長であり、売上と客の苦情によって、上層部であるエリアマネージャーから転勤を命じられる。

 店長によっては、最短二か月で転勤ということも有り得る。

 店長交代ということは、売上が落ちたという意味でもあるが、もしかしてそれは咲香が原因なのではなかろうか。

 事実私は、咲香にマットをずらされたおかげで、足をすべらせ、両手にもっていた料理を落としそうになり、幸い料理が客にかからなかったのが救いであった。

 しかし、私は客からこっぴどく叱られた。

 そういうことも原因で、売上が落ちたのかもしれない。

 おとなしくしていたら、まだ救いがあるのに。

 まったく咲香は、前代未聞の想定外の困ったちゃんである。


 今度入店してくる人は、エリアマネージャーから抜擢された新店長である。

 新店長の失敗や不祥事は、九割方任命したエリアマネージャーの責任になってしまう。といっても、雇われ店長は一年契約更新、アルバイトは一か月契約更新でしかないが。


 岩本店長は、入店して二か月目に減給をされたという。

 誰がみても、野田チーフの方が調理の実力は上である。

 事実、岩本店長はときおり、オーダーを忘れたりするが、それをアルバイトの責任に仕立て上げようとするなど、アルバイトから愚痴がでている。

 いくら新任店長といっても、これでは先が思いやられる。


 それでも最初の二週間は、ランチタイムの忙しい時間帯を除き、表面的にはスムーズにいっていた。

 

 ある日、岩本店長は困り顔で、野田チーフに愚痴をこぼした。

 健康保険証を失くしてしまったので、歯が痛くても歯医者にも行けない。

 野田チーフは怪訝な顔をして言った。

「僕は体験したことがないですが、サラ金で借りたとするでしょう。

 サラ金というのは、支払いが滞ることが数回あると、すぐ健康保険証を取り上げ、それを担保の闇金から借りさせるのです。

 だから、本人も気づかないうちに、借金が膨れ上がっていくという地獄を見る例が、あとを絶ちません」

 それを聞いた岩本店長は真っ青になっていた。

 噂では、岩本店長は競輪競馬に夢中のひどいギャンブル狂であるという。

 ということは、岩本店長は、健康保険証を失くしたのではなく、闇金業者に取り上げられたのではないのだろうか?

 現在は、闇金で借金すること自体が、違法であるという。

 ギャンブル狂いは周りをも巻き込むトラブルメーカーが多いというが、今に災難が降りかかってきそうな嫌な予感がした。


 ある日、咲香は岩本店長に呼び出しを受けた。

 三日前に咲香の接客に対し、女性客から苦情がでて、その翌日にわざわざその女性客の家にまで謝りにいかされたという。

 本当かな?

 カスタマーハラスメントと言う言葉があるが、苦情があるならその時点で、店員に対して文句を言うだろう。

 翌日になって、その場に居合わせていない店長(といってもあくまで雇われだが)に向かって家にまで、謝りにいかせるのだろうか?

 そんな話は聞いたことがない。

 それとも、その苦情を言った女性客と岩本店長とは知り合いなのだろうか?

 岩本店長曰く

「あなたのような人を、この店に置いておくわけにはいかない。

 あなたは、今日から無期謹慎を言い渡す」

 はあ? 咲香は怪訝な顔をしたが、店長の言葉に従うしかなかった。

 しかし、咲香は納得いかないので、本部にそのことを通告した。

 すると、本部からエリアマネージャーがきて、話し合うことになった。

 本部曰く「親御さんを呼んできてもいいですよ」

 やはり飲食店は人気稼業なので、妙な噂を立てられたら困るという配慮からだろう。


 エリアマネージャーと岩本店長は私の前に座った。

 岩本店長は、一通の手紙を机に置いて公表した。

 手紙には、こう記されてあった。


 咲香は先週の土曜日、そちらの二階でやきそばを食べました。

 そのとき、ウエイトレスの態度にあきれ返りました。

「はい、いらっしゃいませ」などという、取ってつけたような白けた物言い。

 カチャリンと音をさせて水を置いたあと、ガチャガチャと皿洗いの音が気に障って仕方がありませんでした。

 そこで、私はその翌日に、岩本店長を自宅まで呼び出し、土下座をして頂きました。このことで、私の気はすみましたが、このようなウエイトレスを店に置いておくということは、そちら様にとってマイナスなのではないでしょうか。

 この事実を証明したあと、ご検討いただけるように御願いします。


 エリアマネージャーは私に尋ねた。

 この手紙に書いてある

「はい、いらっしゃいませ」などという、取ってつけたような白けた物言い。

 カチャリンと音をさせて水を置いたあと、ガチャガチャと皿洗いの音。

 このことは、事実か?」

 咲香は「はい、事実です」と答えた。

 エリアマネージャーは頷き

「このことは、認めたな。

 お客様は神様である。その神様を怒らせたということは、あなたに責任がある。

 あなた、今私に水を出して下さい」

 咲香は、エリアマネージャーに言われた通り、テーブルに水を置いた。

 するとエリアマネージャーは

「あなたは、私の顔に水をかけようとした」

 咲香がキョトンとした瞬間、エリアマネージャーは

「お客様は神様である。

 そのお客様が水をかけようと思ったら、その通りになるんだ」

 あなたは、今から謝罪証明証を書いてもらう」

 エリアマネージャーは、ビジネスバックから便箋を取り出し、咲香に自筆で記入することを命じた。

「  謝罪証明証

 私は〇月〇日、お客に対してこのような行動をとりました。

一、はい、いらっしゃませと言った。

一、水をカチャリンと置いた。

一、ガチャガチャと音を立てて皿洗いをした。

 以上のことで、私はこの店に非常なる迷惑をかけました。

 今後、どのような処分をも受けることを、ここに証明いたします」


 咲香は、自筆で記入したあと、不思議な顔で尋ねた。

「たった、それくらいのことで、処分を受けるのですか?」

 エリアマネージャーは、呆れたような顔で答えた。

「たった、それくらいのこと? あなたはお客様を怒らせたのだ。

 私のエリア内ではあなたはアルバイトすることは、赦さない」

 咲香は、疑問で首を傾げた。

 これでは私が、一方的な悪者に仕立て上げられようとしているようだ。

 なにか悪事をしたわけではなし、お客様と言い合いをしたわけではない。

 なのに、どうして私ばかりが責められるのだろう。

 裏には、なにか大きな闇の力でも働いていて、咲香はそれに抵触する羽目になったのだろうか。

 咲香は不思議というより、不気味なものを感じた。

 しかし、このまま黙っていると、咲香だけが悪者扱いされ、バッシングされる恐れがある。

 咲香は、この忙しく退職していく人の多い店で、懸命に働いてきたのだ。

 こんな矛盾したことがあってたまるか。

 それとも、所詮は一か月契約の女性アルバイトなので、なにをしても無抵抗でいると思ったのか。

 このまま黙って放置していると、私の身になにが降りかかってくるかわからない。

 悪質な水商売の店では、罰金などという名目で従業員に借金をつくらせ、辞めさせないようにするという。

 まさか、この店はそんなことはしないと思うが、別の支店にアルバイトすることは赦されないなんて、どうみても私が悪者ではないか。

 

 



 

 


 

 

 

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