番外編 君と締めくくる年(後編)
「おれは認めんぞ! こんな女々しいのが直央の伴侶なんて!」
豊島さんのおじいさん。
彼女の実家に着いて、顔を合わせるなり開口一番このセリフ。
ご両親や親戚の皆さんにはとてもフレンドリーに出迎えてもらった直後だったので、あまりの温度差に脳がバグったのか一瞬何を言われたのか処理しきれなかった。
豊島さんの話によると、おん年八十五歳になるというがとても見えない。足腰たくましく、動きや言葉にキレがある。服装は唯一の着物姿で、和室の座布団の上であぐらを組んでドンと座っているものだから威厳が半端ない。
彼の背後には達筆な字で「直央」と書かれた命名紙が飾られており、俺はようやく彼女の祖父のエピソードを思い出した。
『遠い昔の話ではありますが、豊島家は武士の血筋のようでして。祖父が男の子を期待して名付けた結果、この名前になりました。『なおすけ』と勘違いされることは多いですが、まっすぐ真ん中なイメージが自分にぴったりな気がして気に入っています』
都知事選出馬会見の時に豊島さんが掴みで語ったエピソード。
その名付け親こそが、目の前のこのご老人に違いない。
「ちょっとおじいちゃん、失礼だよ」
豊島さんがムッとしてたしなめるが、おじいさんは少しも悪びれる様子はない。
「前の広告マンと一緒になるんじゃなかったのか、直央。あいつもいけすかん奴だったが、こいつよりいくぶん漢気があったろう」
「赤坂くんの話はしないで。もう終わったんだってば。あと、こいつじゃなくて、中野くん。中野栄多くん!」
うーむ。元カレの話、こんなところで聞きたくなかったなあ。
しかし失礼も度を過ぎるといっそ清々しく思えてくるものである。
それより実家という環境のせいか、いつも優等生らしい愛想の良い豊島さんとは違った表情が見られるのはちょっと面白い。おじいさんの耳が少し耳が聞こえづらいのだろう、豊島さんはぷんぷんしながら彼の耳元で俺の名前を何度も連呼している。
「ごめんねえ、栄多くん。おじいちゃんがひどいこと言って」
そっとお茶とお菓子を差し出してくれたのは豊島さんのお母さん。
おっとりしていて雰囲気からも優しそうなのが伝わってくる人だ。
「いえお構いなく。女々しいのは……まあ、事実だと思いますし」
「そんなことないでしょう。直央の選挙、ずっと手伝ってくださったんですって? それって結構な覚悟と根気が必要なことだと思うのよ」
後から振り返ればそうだったかもしれない。
当時は選挙活動の大変さを知らなかったからこそ安請け合いできたけど、知っていたら気後れしただろう。実際、選挙期間中に手伝いを辞退しようと思ったこともあったっけ。
それでも続けられたのは、豊島さんに励ましてもらったからこそだ。彼女が頑張っていたから、俺も頑張ることができた。
(やっぱり、豊島さんには引っ張られてばかりなんだよな……)
だめだ、自分で自分のネガティブスイッチを押してしまった。
せっかくお母さんにフォローしてもらったのに、思いのほか「女々しい」って言われたことがショックだったのかもしれない……。
豊島さんの実家は代々この辺りに住んでいる一族ということで、家もでかいし周辺に住む親戚も多い。年末の食事会ということで、昼時になると続々と人が集まってきて、老若男女二十人以上がリビングと和室を行ったり来たりしだしたものだから、なかなかカオスな状況だ。
「しらないおじちゃん」
「だれ?」
「だれー?」
物珍しさからか、俺の周りには豊島さんの親戚の子どもたちがわらわら集まってきた。
「絵本読んでー」
「おままごとするー?」
「ゲームしよーぜー」
「わかったわかった! 順番に、な?」
正直今は、大人たちから豊島さんとのことアレコレ聞かれるよりも、子どもの相手の方が気が楽だ。
横目で他の人たちの様子を見ると、豊島さんはお母さんと昼食の準備に行き、お父さんは他の親戚たちと話し込んでいて、おじいさんはというと最初にいた座布団の上から一歩も動かず黙々と新聞を読んでいる。……しかしなんだか読みづらそうだ。さっきから何度も顔をしかめて紙面を覗き込んでいる。彼の手前には四角のローテーブルがあり、おじいさんの座っている対岸の位置、俺のいる場所のすぐ近くに老眼鏡が置いてあるのに気づいた。
「……あの、これ使います?」
おずおずと尋ねてみると、おじいさんはハッとしたような表情になった。眼鏡をかけ忘れていたことに気づいていなかったようだ。しかしすぐしかめ面になり、「いい! お前の手は借りん」と言って立ち上がろうと……あれ? おじいさん、その場から動かない。力を込めているようだが、身動きができず顔が赤らんでいる。これは、まさか……。
その時だった。
昼食のお吸い物を豊島さんがおぼんで運んできた、その後ろに追いかけっこを始めた子どもがよそ見した状態で走ってきていた。このままではぶつかる。
「豊島さん!」
しかし俺の声は喧騒にかき消され、彼女は気づかない。
そういや、ここにいるのはみんな豊島さんだった。
その隙にも豊島さんの背後にぶつかりそうになる子ども。
避けようとして、思わずバランスを崩す彼女。
その先には、おじいさんが……!
「直央さん――!!」
とっさにローテーブルの上を飛び越えて、彼女とおじいさんの間に躍り出た。倒れかかった彼女の肩を押し返す。その反動で宙に浮いた汁椀。湯気を立てたお吸い物が、頭上に飛び散って――
「あっっっっっっっつ!!!!」
「栄多くん!?」
豊島さんの対応は早かった。すぐさま台所のお母さんへ呼びかけ、冷水を用意する。そして畳が濡れるのを躊躇することなく、俺の熱湯をかぶったばかりの俺の頭上にぶちまけた。
「さっっっぶぅっっっっ!!!!」
彼女の実家。集まった親戚一同。
ただでさえアウェイの空間で一人びしょ濡れの俺。
いったい、何をしているんだろう……。
呆然としていると、豊島さんが浴室まで引っ張っていってくれた。
「ごめん、わたしがちゃんと周りを見てなかったから……」
「いや、豊島さんは悪くないよ。人がたくさんいたし、しょうがない」
あ、しまった。
つい豊島さん呼びに戻ってしまった。
おそるおそる彼女の表情をうかがうも、そのことについては気にしていない様子である。心配そうな顔でバスタオルを手渡してきた。
「でもどうして栄多くんがあそこに? 周りにおじいちゃん以外は誰もいなかったはずだよね」
念のため周囲を確認する。他の人たちはみんな和室の片付けに追われていて浴室の近くにはいない。ここには俺と彼女の二人きりだ。
「おじいさん、たぶん避けれなかったから」
「え?」
「足痺れてて動けなかったんだよ。だから、庇わなきゃって……わっ」
豊島さんが急に抱きついてきた。
これじゃ彼女まで濡れてしまう。
けれどそんなこと気にしていないのか、彼女は俺の胸に顔を埋めて呟いた。
「……もう」
怒って、る?
「栄多くん、優しすぎ。火傷しちゃったらどうしようって思った」
まあ確かに我ながら後先考えない行動だったとは思う。
豊島さんが派手に転んだとしてもおじいさんの頭にお吸い物がかかるほどの距離ではなかったし、むしろ放っておいた方が軽傷で済んだ説すらある。
けど、万が一にも傷つけたくなかったんだ。
豊島さんのことも、彼女を大事に思うおじいさんのことも。
「心配かけてごめん」
「……ん」
豊島さんは顔を上げると、ほんの少し背伸びして、それから。
さらりと俺の唇を奪っていった。
だ、大胆すぎるっ!
家族や親戚たちが一枚扉を隔てた先にいるっていうのに……!
「ふふっ。冷た」
彼女の人差し指が俺の唇をなぞる。
そりゃ冷水かぶった後ですからね。
でも、頭の中は沸騰寸前だ。
「とりあえず、シャワー浴びてきていい……?」
一人で冷静になる時間が必要である。
豊島さんのお父さんの着替えを借りて、賑やかな昼食。
ひと騒動あったせいで一躍注目を浴びることになってしまった俺は、火傷は大丈夫だったかとか、豊島さんとは普段何をしているのだとか、色々と質問攻めに遭う羽目となった。こうやって自分に話題が集中することなんて滅多にないのでどっと疲れた。なかなか食事を口に運ぶタイミングが掴めなくて、ときどき豊島さんが話題を逸らしてくれなかったら一口も食べれなかったかもしれない。
おじいさんはというと、食事中は一言も発しなかったが、心なしか俺を見る目が柔らかくなったような……気がする。気のせいかもしれないけれど。
食事を終えて、ひと段落して。
そろそろ帰ろうかと思っていた頃、豊島さんがせっせとコートを着込んでいるのに気がついた。
「あれ、今日は泊まっていくんじゃなかったっけ」
事前に聞いていた話では、彼女だけは実家に泊まって家族で年越しをするものだと思っていた。
だから家族水入らずの時間が作れるよう、俺は早めに退散するつもりだったのだが。
「うん、やめた。今日は帰るよ」
いいのだろうか。ちらりと豊島さんのお母さんの方を見やると、すでに話をしてあるのかニコニコとこちらに向かって手を振ってくる。
でも、なんで急に?
豊島さんこの後どうするつもりなんだ?
まごついていると、ドンと誰かに肩を小突かれた。
後ろを振り返ると、眉間に皺を寄せたおじいさんが立っている。
「あ、あの……?」
「察しが悪いッ!」
部屋中震えるような大声で一喝。
それからおじいさんは、懐から無地の封筒を一つ取り出して、俺の胸に押し当てた。
「商店会から譲られたモンだ。おれにはようわからんから、お前が直央を連れてってやってくれ」
そっと中身を確かめると、最近オープンしたばかりのハリー・ポッタースタジオツアーのチケットが二枚入っていた。ここからだと徒歩でも行ける距離である。
これはつまり、おじいさんから認めてもらえたってことで、良いのだろうか。
「あ、ありがとうございます」
「……ふん」
おじいさんはそれ以上語らず、新聞を持って奥の部屋へと姿を消してしまった。
「じゃ、年末デートと行きますか!」
「うん。せっかくだし、ありがたく使わせてもらおう」
出発前に豊島さんがお手洗いにとその場を離れる。
俺も荷物をまとめて出る準備をしていると、すすすとお母さんが近づいてきて言った。
「直央の相手は大変でしょうけど、これからもよろしくお願いしますね」
改めてぺこりと頭を下げられ、俺はいたたまれなくなってしまった。
「大変だなんて。むしろいつも申し訳ないくらいです。何をするにも彼女に引っ張ってもらってばかりで……」
「たまにはリードしたい、って?」
「ええ……まあ」
言葉にされると恥ずかしい。
情けなくて俯いていると、お母さんはくすくすと笑った。
「気にしなくていいと思いますよ。あの子ったら、昔から思いつくがまま行動する子だもの、そう簡単には引っ張れないし、無理にリードしようとしてお別れした人たちも見てきたわ」
「そ、そうですか」
ひい、耳が痛い。
「でもね、別に前からじゃなくたって良いと思うのよ」
お母さんは微笑みを浮かべて言う。
「あの子が危ないことをしようとした時だけ止めてもらえれば、私たちはそれでいいわ。後ろから引きとめるのだって、引っ張るうちの一つでしょう?」
……そういえば。
選挙の時に豊島さんから期待されていた俺の役割って、そういうことだったんだよな。
彼女が伝える言葉を間違えたら、正してほしいと。
真夜中の公園で言われたことを思い出す。
「……そっか。それで良いんだ」
独りごちる俺に、お母さんは無言で頷いてくれた。
豊島さんが戻ってきて、俺たちは二人彼女の実家を後にする。
家族の目から離れた途端、俺の手を引く彼女。
歩幅の大きな彼女に引っ張られるように歩きながら、俺は。
「好きだよ、直央さん」
自然と言葉が口を突いて出る。
彼女はちらりとこちらを振り返って、それからにぃと少し悪戯っぽく笑ってみせた。
「今日は、二人きりで年越ししようね」
外の寒さのせいかほんの少し赤らんだ鼻の頭が愛らしい。
やっぱり、来年も彼女についていくのに精一杯な一年になりそうだと、そんな予感がしたのであった。
〈番外編 君と締めくくる年・了〉
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これにて現在予定している番外編の更新は終了となります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
本作は現在カクヨムコン10に応募中です。
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(すでに評価してくださった方、ありがとうございます!)
東京都知事物語 乙島紅 @himawa_ri_e
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