番外編 君と締めくくる年(前編)
駅前の商店街。
それぞれの店のウインドウに、年明け営業について書かれた紙が貼られている。
「謹賀新年、一月四日から営業を開始します」
古い戸建て住宅にはしめ飾りがきちんと飾られ、街の正月感の演出に貢献している。
ただ何よりこの季節らしいといえば、昼間らしからぬ静けさだ。
地方出身の人々が各地に帰省をするので、東京はいつもより心なしか人が少なくなるのだ。
と言ってもつい昨日、この時期の東京イチ人口密度が高い場所に行ってきたばかりで、今朝になるまでそのことを忘れていたのだが。
「お待たせ!」
豊島さんが息を弾ませてやってくる。
吐く息は白く、急いで来たのかほんの少し頬が赤らんでいた。
「仕事納め、お疲れさま」
「うん。やっと休める〜〜〜〜!」
ぐーんと伸びをする彼女。
都知事選が終わって以降、しばらくニートとしてのんびり過ごすつもりと言っていた豊島さんだが、実のところ俺よりも忙しそうに過ごしている。
選挙期間中はいっさいテレビで取り上げてもらえなかったのに、終わった途端「供託金没収ラインを超えた奇跡の無名の新人」として注目を浴びるようになったのだ。
ニュース番組などでたびたびコメンテーターとして呼ばれたり、人気YouTuberと共演したりするのがここ最近の彼女の仕事になりつつある。それと並行して前都知事の池上から招待された政治塾に通い、政治について勉強したり、政治家の卵たちと交流したりしている日々だ。次の目標は今のところ具体的には決まっていなさそうだが、また選挙に出ると言い出すのも遠い日のことではないかもしれない。
「そっちはどう? 昨日の戦いは」
「朝イチで行って、なんとか勝ちとったよ」
俺は誇らしげにバッグから一冊の本を取り出す。
厚み1cmにも満たないそれは、コミケ限定で販売されたVTuber千石みねあの写真集ならぬイラスト集だ。
「へー。これがいわゆる、ウスイホン」
物珍しげに覗き込む豊島さん。この本は公式が出しているものなので見られてやましいページは特にない。
他にも何冊か同人サークルが出している肌色率の高い二次創作本も買ったが、そちらに関してはちゃんと家に置いてきてあるのでご安心だ。……まあ、一緒に回った蓮根さんには何を買ったかバレているのだが、彼女も同じものを買っていたので共犯である。
「いいなあ、わたしも一緒に行ってみたかった。コミケ、行ったことないんだよね」
「学祭みたいな雰囲気で楽しいよ。とはいえ濃い世界だから、アニメとか詳しくないとついていけないかもしれないけど」
話しながら駅の改札を通る。
片手には昨日デパートで買っておいた手土産。
……そう、今日は初めて豊島さんのご実家に挨拶に行く日である。
「ラッキー、電車空いてるね」
豊島さんに手招きされ、横に座るよう促される。
「いやいいよ、ちょっとの間だし立ってる」
「栄多くん」
うう。彼女の声にわずかな圧を感じて、俺は素直に従った。
冬の厚着越しとはいえ、隣に彼女の温もりを感じてわっと体温が上がる。そこへさりげなく手を絡めてくる彼女。……いかん、額に汗が滲んできた。
「や、やめといた方がいいんじゃない。今からご実家の近くに行くわけだし、誰かに見られたら……」
「別に構わないよ。付き合ってるんだし、これくらい」
豊島さんはつんと形の良い唇を尖らせながら言う。
うーん、拗ねてるなあ。手を解こうとしても放してくれない。
他の乗客がちらりとこちらを見ているような気がして、俺の体温はますます上がる一方だ。
付き合い始めて五ヶ月。
俺たちはひとつの壁にぶち当たっていた。
それは――二人の恋愛偏差値の格差である。
俺にとっては人生で初めての彼女。
だけど、豊島さんにとっての俺はそうじゃない。彼女ははっきりと言おうとしないが、端々の言動から察するにおそらくこれまで七人以上の男と付き合っているはずだ。
だから恋人らしい行動を取ろうとすると、途端に経験の差が露呈する。
名前呼び、手繋ぎ。どちらもタイミングを切り出せないでいると、豊島さんからリードしてくれた。
たまには自分から行動を起こしたくて、先日のクリスマス一泊デートではホテルで先手を打って彼女にキスをしてみたんだ。思い切り歯が当たったけど、彼女はそれでも喜んで応えてくれた。
少しずつ、少しずつ、確かめ合うように舌を絡めるディープキス。お互いの気持ちが最高潮になったところで、ベッドに入る前に一度シャワーを浴びることになった。
それで、彼女を待っている間、俺は――緊張をほぐすために部屋にあったワインを飲んだ。
……愚行だった。
気づけば朝になっていたのだ。
あまりの緊張と慣れないワインで思い切り酔いが回って、そのまま寝てしまったのである。
豊島さんは笑って「また今度トライしよ」と言ってくれたけど、俺は惨めで仕方なかった。早く挽回したかった。だが、なかなか二人の予定が合わず今日に至る。
ずっとリベンジすることばかり考えていたので、今日顔を見た瞬間からやばかった。身体が触れ合うとなおさらだ。ご両親に会うという一大イベントがあるのに、このままじゃマズい。なのに恋愛強者・豊島さんは涼しい顔して距離を詰めてくる。
黙っているとますます意識してしまう。
何か話題を、話のネタを。
――そうだ、選挙の話をしよう。
「それにしても、今年は選挙の話題に事欠かない年だったよね」
自分たちが参加した七月の都知事選。
その二ヶ月後には国会与党の総裁選が行われた。ギリギリまで誰が首相になるか分からないような接戦で、様々な予測が飛び交ったのは記憶に新しい。
「素朴な疑問なんだけどさ、なんで首相は国民投票では選べないんだろう」
すると豊島さんは「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりのしたり顔で言った。
「それはね、日本が議院内閣制をとっている国だからなんだよ」
議院内閣制とは、国民が選挙によって国会議員を選び、その議員の中から首相や内閣のメンバーを選ぶ制度のことを言うらしい。
議会は「法律を作る」、内閣は「政策を実行する」という役割の区別はあれど、議会の多数派のリーダーから内閣のトップを決めるという仕組み上、基本的には議会と内閣の連携を取りやすく、「政治のスピード感が良くなる」のがこの制度の強みなんだそうだ。
「なるほど。だから国会議員の選挙のたびに議席数を気にするわけだ。過半数とか、三分の二以上とか」
「そうそう。首相が決まった後すぐに衆議院議員選挙があったでしょ。今回の選挙だと、与党の議席数が過半数割れちゃったのが話題になったよね」
与党の敗因については「政治とカネ」問題に対して国民の不信感が招いた結果だという見方が大きいようだ。
一方、議席を増やした野党の勝因についてはネットでの選挙活動が功を奏したという評価がある。
これはもしかすると俺たちが参加した都知事選が大きなターニングポイントだったのかもしれない。
当初は政治経験・知名度で万願寺が圧勝すると思われていたが、選挙期間中のスキャンダルに加え、その他候補の躍進により、次点の若林との得票率差はわずか2.7%だった。
三番手の豊島さんなんか、マスメディアの力を頼れなかったのでほぼネットと街頭だけで選挙活動をしたようなものだ。
四番手のテレポートゆうこもまたオンラインサロン会員による組織力の強さが、五番手の鮫洲はYouTubeでの拡散力が票数に現れており、いよいよネット選挙も無視できない時代がやってきたと言えるだろう。
その後に行われた兵庫県知事選挙でもまたSNSを使った選挙活動が大きく影響を及ぼし……知事が決まったのち、公職選挙法違反の疑いが発覚して今まさに真相解明が行われている最中だ。
「ちなみに議院内閣制はイギリスが発祥の制度なんだけどね、王様や天皇陛下みたいな君主がいる民主主義の国ではよく取り入れられている制度なんだよ」
「なるほどなあ。確かにイギリスも『首相』だったっけ。……あれ、でもちょっと待って、十一月のアメリカ大統領選挙って国民が投票してなかった?」
「うん。アメリカは議院内閣制じゃなくて大統領制の国だから、議員選挙とは別に大統領選挙をやるんだ。議会と政府の立場がはっきり分かれててより『三権分立』を体現しているのが大統領制だよ。たとえば、議員と政府職員は兼任できないルールがあるんだ」
「へええ……今まで何の疑問も持たずにいたけど、日本とアメリカじゃけっこう仕組みが違うんだね」
豊島さんの解説によれば、議院内閣制と大統領制、どちらもメリットもあればデメリットもある。
議院内閣制は独裁政治が生まれやすいとも言えるし、大統領制は議会と政府の間を調停するために軍が介入して政治不安になることもあるそうだ。
日本も法律を変えれば国民投票によって首相を決める仕組みに変えられるが、そうすることが本当に良いかどうかは一概には言えないという。
話をしている間に目的の駅に着いてホッとする。
……いや、ホッとしている場合じゃなかった。
これから豊島さんのご両親に対面するというのに。
いかん、意識すると身体が強張ってきた。
「もう、また緊張してる」
豊島さんに脇腹を小突かれ、俺は思わず飛び上がった。
よくない、不意打ちはよくないです、ほんと。
「うちの家族うるさい人が多いから、根掘り葉掘り聞かれるかもしれないけど許してね。答えたくないことは答えたくないでいいからさ」
「う、うん」
「あと、たぶんほとんどの人は初対面じゃないんじゃないかな。選挙初日に応援しに来てくれてたしね」
そういえばそうだった。
選挙初日、豊島さんが第一声演説に選んだ場所は地元の練馬駅前だ。
そこに家族や親戚の人たちがたくさん集まってきてくれたのを覚えている。豊島さんのお母さんは気を利かして俺にも声かけてくれたっけ。「お手伝いありがとうね」って言われたような気がする。
「……あ。でも確か、おじいちゃんは来てなかったかも」
駅の改札を出て、豊島さんがふと立ち止まって呟いた。
豊島さんのおじいさん。
はて、どこかで話を聞いたことがあったような、なかったような……。
何やら胸の内に引っかかったまま、駅から十分ほど歩いた先にある住宅街へ向かう。
それが「嫌な予感」だったと気づくのは、彼女の実家に着いてすぐのことであった。
(続く)
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