もう、離してもらえない

「頼むから、無視だけはやめてくれないか」


 夜になっても、エルの無視は続いた。無視が一番堪えるのだと懇願されるも、聞く耳を持たない。

 あの言葉が嘘ではないにしろ、それを聞いて「好きだと言いたい」と思ったエルの気持ちを弄ぶような行為。少しは反省すべきだ。

 でも、とちらりとユリウスの様子を窺う。今、彼はソファーの隅で膝を抱え、顔を埋めている。


(……やりすぎかしら。それに、何だか)


 許さないと無視を決め込んだのは、エル自身だと言うのに。

 開いてしまったこの距離が。伏せられた赤い瞳が。名を呼んでくれない声が。今は感じられないぬくもりが。どこか物足りない気持ちにさせる。

 この気持ちが何を意味するのかはわからない。けれど、これ以上無視を続ければ、物足りなさをくすぶらせることになる。

 小さく息を吐き出すと、ユリウスの傍へ座った。彼へ反省を促すはずの仕打ちが、まさかこのような気持ちになるとは。


「ユリウス」

「……無視をやめてくれるのか」

「はい」

「本当に?」


 本当に、と答えると、ユリウスは顔だけを動かし、こちらを見た。赤い瞳が向けられたことに、心臓が跳ねる。


「すまなかった」

「……次からは、節度を守ってくださいね」


 そう言って視線を膝の上に移す。

 次からはとは何だと思いつつも、節度を守ってほしいのは本当だ。以前にも言ったが、ユリウスとのキスは嫌ではない。節度さえ守ってくれれば、キスなら──。

 いや、何を考えているのか。じわじわと顔が熱くなる。誰かを好きになれば、こんなことを考えるようになるのか。

 ふと、あることに気付く。そうだとするならば、あの頃からユリウスが好きだということにならないかと。


(わたし、あのときから……え? ユリウスは、気付いていたの?)


 一人でパニックに陥っていると「エル」と手を握られた。


「その、悪いとは思っているんだが、わかってほしい。エルにようやく好きだと思ってもらえるようになったんだ。ようやくだぞ。調子にだって乗るし、浮かれもする」

「……それが悪いのではなくて、やりすぎなのがいけないのですよ」

「わかっている。次からは節度を守ればいいのだろう?」


 調子が戻ってきたようで、何だか楽しそうだ。

 そのとき、外から大きな音が聞こえてきた。何の音かと窓を見れば、打ち上げ花火が上がっていた。


「ああ、そうか。今日は俺が王に即位した日だ」

「大事な日ではありませんか。忘れていたなんて……」

「国が変わった日だと、毎年民が自主的に上げている花火だぞ? 俺は特に何もすることがないし……だが、あの花火は見物だ」


 せっかくならバルコニーへ見に行こうと、ユリウスに誘われて部屋を出た。廊下を歩いている間も大きな音が聞こえ、花火が上がっているのがわかる。

 バルコニーへ出ると、下では大勢の民が空に打ち上がる花火を静かに見上げていた。懐かしいものを見ているような目をしており、毎年この日になると国が変わったことに思いを馳せているのだろう。


「綺麗ですね、花火」


 花火が上がるたびに、大きな音が身体を震わせる。様々な色が夜空を彩っており、見惚れてしまうほどだ。


「ああ、綺麗だな」

「花火という存在は知っていましたが、見るのは初めてです。こんなにも綺麗なものなのですね」

「花火も綺麗だが、それを見ているエルも綺麗だ」


 隣を振り向けば、ユリウスは花火を見ずにこちらを見ていた。

 どうしてさらりとそのような言葉を紡げるのか。それよりも、何のためにバルコニーへ来たと思ってるのか。エルは頬を赤らめながら、顔を背ける。


「……っ、い、今は花火に集中してください」

「エルのそのような顔が、次はいつ見れるかと思うと目が離せない」


 視線が気になって花火に集中できない。

 それなのに、とエルは胸の内にある熱いものを吐き出すかのように息を吐き出した。

 不思議と、今は花火よりもユリウスが気になって仕方がない。隣に並んでいるはずなのに、触れそうで触れられない距離がもどかしく感じる。もっと近くにいきたいと思ってしまう。

 気が付けば、ユリウスの服の袖を掴んでいた。


「エル?」


 目が合うと、胸が締め付けられる。名を呼ばれると、胸が熱くなる。

 どれも、戦乙女として生きていたときにはなかった感覚。今ここにいるのは、エル・リーゼロッテ・クラルスという、一人の人間なのだと実感する。

 それは、きっと。ユリウスのあたたかさに触れて、優しさに触れて。──愛に触れて。

 少しずつ、少しずつ。心が溶かされていったのだと思う。


(これが、好き。これが、愛)


 今なら伝えられる。エルの想いを。

 自然と、表情が綻んでいた。


「ユリウス、わたしは貴方が好きです」


 花火が上がり、光が二人を照らし出す。


「すまない。花火で聞こえなかった。もう一度」

「ユリウスが、好きです」

「……もう一度」

「わ、わざとですよね。聞こえていますよね。だって、ユリウス……」


 そう、彼はとても嬉しそうに笑っているのだ。

 聞こえていないのであれば、そのような表情はしないはず。つまり、聞こえていて何度もエルに言わせているのだ、この男は。


「何度だって言ってもらいたい。好きだと。そうだ、愛しているは?」

「そっ、それは」

「俺はエルを愛している。この先、何があっても、ずっと」

「あ、あの、い、今言わなければいけませんか?」

「今聞きたい。エルの口から」


 まだ求めてくるのか。今度は好きよりもハードルが高いものを。


「エル、言ってくれ。俺を愛していると」

「……っ、あ、愛して、ます……」


 よし、言えた──と思った瞬間、熱いキスが降ってきた。身体は引き寄せられ、後頭部は押さえつけられ、身動きが取れない。

 少し唇が離れたときに、二人の間に右手を滑り込ませる。


「ま、待ってください。こんなところでキスだなんて、誰に見られるか」

「花火に夢中だ、気にすることはない。……それでも気になるなら、気にならないようにしてやろう」


 何度も花火が上がっている。光でわかる。ただ、音は聞こえない。

 ユリウスの息遣いと、エルの口から漏れる声だけが耳に届く。こんな声を出しているのかと恥ずかしくなるも、止めることができない。


「息、できな……っ」


 足から力が抜けそうになったとき、やっと唇が離れ、強く抱きしめられる。


「節度は守ってくれるという話は、どこへいったのですか」

「守っているだろう? で」


 エルが考える節度とユリウスが考える節度は違うと言いたいのだろう。要は、言葉遊び。出し抜かれたような気分だ。

 ユリウスはエルを確かめるかのように、いろんな箇所へ唇を落としていく。エルを形作るもの一つ一つに。


「ようやく手に入った。エルのすべてが、俺のものになった」

「ユリウス、さ、さすがに限界です、離して……!」

「エル、俺だけのエル」


 うわごとのように繰り返しながら、その行為を繰り返す。

 今日くらいは仕方ないのだろうか。抵抗をやめ、ユリウスの好きにさせる。

 時間が経てば落ち着くはず。そう思いながら。

 しかし、ユリウスは落ち着くどころか更に執着がひどくなり、エルを悩ませるのだった。




〈了〉

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戦乙女は冷酷非道の王から離してもらえない 神山れい @ko-yama0

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