エピローグ

好き

 一度目のキスは、強引で貪るような荒々しいものだった。

 二度目のキスは、激しく求められているようなとても熱いものだった。

 唇を何度か啄まれたかと思うと、離さないと言わんばかりに口内でねとりと絡んでくる。どうやってこの状態で息をするのかがわからないため、苦しいと両手でユリウスの胸元を叩くも離れてはくれない。


「も、もう、これ以上は無理です!」


 ほんの少し唇が離れた瞬間を狙い、エルは両手で力一杯ユリウスの肩を押した。涙を浮かべながら肩で息をするエルに対し、ユリウスは平然としているうえに目を細めて楽しそうに笑みを浮かべている。


「な、何で、急にまた、キ、キスなんて」

「俺の妻となると言ってくれたではないか。あのときからずっと我慢していた」


 あのような場でなければ何度でもしていたんだからな、と得意顔で話すユリウス。

 正直、勢いで言った部分もあるが、嬉しいと思ってもらえたのならそれはそれで──ではなく。


「確かに言いましたが、どうしてそれが今なんですか」

「俺のことが好きだとわかったからな」

「え?」

「ならば、キスだってしてもいいはずだ」


 近付こうとしてくるユリウスの身体を両手で押し返そうとするも、強く抱きしめられどうすることもできない。


「エル、俺のことが好きなのだろう?」


 耳元で囁かれ、くすぐったい。腰辺りに今までにない感覚が襲い、思わず目を瞑る。


「わ、わかりません」

「では、俺が教えてやろう。エルが抱いているそれは、俺が好きだという感情だ」


 胸の内にあるあの激しい感情が、好きというものになるのか。

 ユリウスのことを考えれば胸が苦しくなり、言動や行動で一喜一憂することが。感情に振り回されそうになり、それを必死に堪えることが。

 少しだけ、抱きしめられていた身体が離れる。何もなかったと安堵しながら目を開けるも、顔が両手で包み込まれ、ゆっくりと上げられた。

 熱を持った赤い瞳が、エルをうつしている。

 胸が苦しく、うまく息ができない。目を逸らしたい。

 何より、顔に熱が集中しているのがわかる。ユリウスの手で触れられているところは、もっと熱い。


「……っ、ユリウス、離して」

「その顔、誰にも見せるなよ? ああ、でも……もう、俺だけのものか」


 額、瞼、頬、と順番に唇が落とされていく。最後に唇が啄まれ、赤い瞳が細められた。

 ──逃げられない。

 目を瞑ると同時に、あの激しく熱いキスが再び始まる。ユリウスの両肩に手を当てながらも、今度はその身を委ねた。



 * * *



(まさか、酸欠で気を失ってしまうなんて……!)


 何だかおかしいとは思っていた。途中でキスをしていた感覚がなくなったのだ。

 慣れてきたのか。そう考えていると、エルと必死に呼ぶ声がし、目を開けるとユリウスが涙目でこちらを見ていた。


「本当にすまなかった」

「い、いえ……その、慣れていないので」


 今後は配慮してほしいと続けるつもりが「わかった」とユリウスの言葉が被せられる。彼は自信に満ち溢れた顔でにやりと笑った。


「慣れていないのであれば、慣れるまで何度でもすればいいんだな」

「な、何でそうなるんですか!」

「何でって……慣れてもらわなければ、俺も困る。俺にエルとのキスを我慢しろと言うのか?」


 やっと両想いになったというのに、と眉間に皺を寄せて唇を尖らせる。我慢とはどれほどのものを指すのかと頭を悩ませていると「そういえば」とユリウスが声をあげた。


「今度こそ本当に両想い……だとは思うが、エルにはまだ好きだと直接言ってもらっていない」


 それはユリウスの言うとおりだ。好きだとエルからは言っていない。ただ、ユリウスに指摘されただけだ。

 正直、まだ理解が及んでいない。が、ユリウスは理解しているようだった。であれば、別に言葉にせずとも──と考えていたとき、両肩を強く掴まれ、エルは驚きからびくりと身体を震わせた。ユリウスはと言えば、目をキラキラと輝かせている。


「言ってほしい、俺のことが好きだと」

「そ、それは」

「ほら、早く」


 これは言うまで離してもらえなさそうだ。仕方ない、とエルは腹を括る。


「……わかりました、言えばいいのですよね。わ、わたしは、ユリウスがすっ、す……す?」


 首を傾げた。どうしてだろうか、言えない。

 ──好きという、たった一言が。

 言おうとすれば胸が締め付けられ、残りの一文字で詰まってしまう。


(これが、好き?)


 恥ずかしさが込み上げ、またしても顔に熱が集中し始める。見られたくないと背けようとするが、ユリウスの手によって顔が固定されてしまう。


「はっ、離してください!」

「嫌だ。エルが恥じらうところなど見たことがなかったからな。堪能したい」


 これまでと立場が逆転したことが嬉しいのか、ユリウスはニコニコとしていてこの状況を楽しんでいる。


「そうだ、こういうのはどうだ? 俺のことが好きだと言えなければ、キスを一回するというのは。もちろん、エルからだ」

「……メリットがユリウスにしかありませんが」

「エルもキスがうまくなるかもしれないぞ。……いや、いつまでも恥じらいのあるエルでいてほしい気もする。悩みどころだな」


 ふむ、とユリウスは考える素振りを見せる。こんな身勝手な案まで出すなど、弱みを握られているような気分だ。承諾なんて絶対にしないと、ユリウスの手を剥がしにかかる。が、張り付いているのかと思ってしまうほどに動かない。

 顔を引き抜くしかないと身体に力を込めたとき、ユリウスの手が離れた。だが、すぐに両脇に手が差し込まれ、引き寄せられてしまう。


「──っ!?」


 ユリウスを見下ろす形で膝立ちさせられ、この状況に熱が更に上がる。


「まあ、どちらでもいいか。どんなエルでも愛おしいことに変わりはない。それでは、キスしてもらおうか」

「す、するなんて言ってませんよ」

「仕方ないな。じゃあ、今回は俺から」


 膝の上に座らされたかと思うと、腰辺りを強く抱きしめられ、後頭部に手が添えられた。エルは両手をユリウスの肩に置いて何とか押し返そうとするが──抵抗も虚しく、唇が塞がれた。


「……よし、もう一度だ。エル、俺のことを好きだと」

「今日はおしまいです!」


 ユリウスの膝の上から下りると、少し離れたところへ座り、彼に背を向けた。

 今回は歯列をなぞられたくらいで、数秒ほどのものだった。だとしても、今日は終わりだ。これ以上は、身が持たない。

 キスばかりしているからか、気分がおかしいのだ。ふわふわとしていて、気を抜けばどうなってしまうことか。

 落ち着かせなければ、と胸元で両手を握りしめたとき、後ろから強く抱きしめられた。


「エル、俺も言葉がほしい。想いだけではなく、好きだと、愛していると。俺だけのために愛を囁いてほしいと願うのは、我儘か?」


 絞り出したかのような声に、胸が締め付けられる。

 ユリウスは、言葉にしてくれている。エルも、好きだと言えたらどれだけいいか。


「……す……」


 ──どうしても言えない。恥ずかしさが邪魔をする。

 そのとき、顎を掴まれ後ろを振り向かされた。ユリウスと目が合った瞬間「しまった」と思ったが、止められない。本日何度目かのキスが降ってくる。


「──っ、ユリウスなんて知りません!」

「ま、待て。先程の言葉は嘘ではないぞ。本当に俺はエルから好きだと」

「知りません!」


 調子に乗っていた、浮かれてしまっていた、すまないと謝り続けるが、許さない。

 エルはユリウスがどれだけ話しかけてこようがすべて無視を決め込んだ。

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