終章 2
「ママー、おかしたべたい」
「そうだね。じゃあ、あのバス停のベンチで食べよっか」
娘の手を引いて、境内の清々しい空気を感じていると、鳥居の前に立った娘が急に後ろを振り返った。
「あっ! きれいなひとー!」
「えっ……?」と、私も娘の言葉によって、すぐに後方へ首を回す。
しかし、その言葉の存在を確認することはできなかった。
できなかったけれど……。
私には振り返る直前に確かに聞こえた。
木々の織りなす音に重ねた、優しくて、温かくて、懐かしい声。
『いつも、ありがとう。明夏ちゃん』
「あれー、いなくなちゃったー!」
「――ママ、どうしたの?」
「ママ……? だいじょうぶ?」
「ママ……ないてる……なみだでてる。いたいの? どこが……いたいの?」
「ううん、違うよ……人って、痛いとか哀しいだけじゃなくても……泣くんだよ。嬉しくても……泣くんだよ」
屈んで肩を震わせる私の頭に、娘のまだ小さくて頼りない手が優しく撫でてくれる。
それは、いつか感じた優しくて温かい手と似ていた。
私は大丈夫。
この子に、たくさんの愛を注いでいく。
そして、この子もたくさんの愛を人に贈ってくれる。
天音さんが私にしてくれたように、この子に想いを繋いでいく。
そうして、この子が次の世代へと『命』と『想い』を繋いでいってくれる。
だから……大丈夫。
生きとし生ける物は、何かに……誰かに見守られている。
この子に……子供が生まれて、次の子供が生まれて。
遥か昔から繋がれてきた、この国に住まう人々の意志。
生きづらい世の中になっても、生きやすい世の中になっても、本質は変わらない。
どんなに困難が嘲笑してきたとしても、跳ね除けてくれるような国と人になる。
私は、そう信じている。
天音さんが私を信じてくれたように。
私は……まだ見ぬ未来の子達を信じて歩んでいこう。
『想い』を誰かに繋げていく。
それが、生きていくということ。
天音さんは、それを教えてくれた。
私が利用していた時より、バス停の傷みは時の流れに侵食されているけれど、とても懐かしい気持ちになる。
退色した青いベンチは相変わらずで、そこに二人で腰を下ろして、筍を模したチョコレート菓子を娘に渡した。
「このお菓子好き?」
「うん、すきだよー。ママもすきだよね」
「うん」
ベンチの左端に座る私。隣には娘がいる。
当時、右端には天音さんが座っていた。
そちらに視線を送ると、二人で心を通わせた思い出が蘇る。
辛かった。苦しかった。哀しかった。寂しかった。
それでも……今、私がいるバス停。
この場所は、梅雨の寂しさを奪うように、とても温かった。
天音さんと過ごしたバス停は、あの時代の何よりも大切な陽だまりだった。
『大丈夫だよ』
立ち止まって泣いたこと、遠回りしたこともあるけれど、その言葉で何度も歩みを進めてきた。
この先も一緒だと思う。
梅雨があれば、快晴もある。
怖さもあるけど、怖くない。
いつでも、見守ってくれる人がいるから。
私は娘の小さな光と温かい光を持った手を優しく握りしめて、快晴の下をゆっくりと歩き始める。
どこまでも続く快晴が青さを振り落としている中で、太陽に照らされた娘の笑顔に言った。
「行こう、あまね」
雨女と陽だまりのバス停
雨女と陽だまりのバス停 陽野 幸人 @yukito-hino
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