「ふあ」

「なんだレイ、ねみいの?」

「眠い」

「楽しみで寝れなかったんだろー」

「いつもより一時間半も早く起きたんだぞ」

 ムッとして言い返す。

 私の前を勇んで歩く面々が笑った。

「オレも楽しみで全然起きてたわ!」

「つか、おれ逆に忘れもんしてそうで怖いんだけど」

「おやつと弁当あれば大丈夫っしょ…あれ俺しおりどこやったっけ」

「ポケットじゃね?」

「それはもう見た。見てこれ、ひとくちチョコ」

「そんなとこ入れてたら溶けるって!」

「なあ、ちょっとおれのリュックからティッシュ取ってくんね?」

「どこ? いつものランドセルじゃねーから分かんねーわ。てかお前のリュックかっけー」

「だろお。先週買ってもらった。あっちのショッピングセンター」

「マジかよいいなあ」

 早朝の街は、いつもの登校時間よりもずっと静かだ。先ほど通り過ぎたリサイクル屋にも人の気配がさらさらなかった。

 交差点は赤信号。皆で止まって、塀に寄る。

「……あ、や、やあ」

「ん?」

 足音に振り返ると、視線を泳がせる、スーツ姿の男性が立っていた。

 彼は気まずそうにこちらに礼をする。

「誰、この人」

「なんか用?」

「どちら様ですか」

 私の周りにいた彼らが、少し鋭い口調になった。

「レイの知り合い?」

「あ、ま、まあ、なんというか。わたしは以前、彼女に助けてもらったんだ。ずっとお礼が言いたかったんだよ」

「おっ、そーなの?」

「さっすがレイ」

 男性が深々と頭を下げた。

「本当に、ありがとう」

 瞬きをして、頭を擡げる。

 男性の顔は穏やかだった。だから、私の知っている彼の顔と一致させるのに、少々時間がかかってしまった。

 ようやく気がついて、キューで道を小突く。ちょうど、白線の位置だった。

「あの日の。自転車はどうしたんだ?」

「いやあ、その節はどうも。新しいのはちゃんと受け取ったよ」

 老人だとばかり思っていたが、彼は皺や表情でそう見えていただけだったのかもしれない。

「あれ以来、徒歩で通勤するようにしてね」

 晴れやかな面持ちで彼は言うと、

「青だよ、諸君」

 横断歩道をさっさと渡って行ってしまった。

「なにあれ?」

「さあ?」

「良かったのか、レイ?」

「多分」

「えっ良いのあれ?」

「不審者?」

「おれらも渡ろうぜー」

「だな」

 白く塗られた部分だけを選んで飛び跳ねる。

「そーいえばさあ、図工の陶芸のやつ、今日俺らがいない間に焼くんだって、ズルくね?」

「えっ。なんだっけそれ」

「夏休み前に図工でやったやつだよ、最後に変な匂いの薬に浸けたじゃん」

「鼻にズギャーってきたやつな!」

 全員が交差点を通過すると、計ったかのように信号が赤に変わる。

 ガードレールの内側で、二列になって歩いた。

「あーはいはい、あれね。ついに焼くんだ。うわーそれ見たかったな」

「だよなあ」

「見るったってみんなで窯の周りに突っ立ってるだけだろ」

「そうなの?」

「多分」

「ふーん、じゃあいいか」

「ま確かに、子供がちょこまかしてる時より安全だもんな」

「今日焼くってことは来週渡されんのかな」

「やべーメッチャ楽しみなんだけど」

「いや待って、俺何作ったか忘れたわ」

 一行が笑いに包まれる。

 行く手に大型バスが停まっているのが見えてきた。

 校門に立っていた先生がこちらに気づき、両手を大きく振ってくる。

 なんとなくお辞儀と声が揃って、全員で言うことになった。

「おはようございます」

「はい、おはようございます。みんな、忘れ物は無いよね?」

 彼がこちらをぐるりと見渡して、私の手にするキューに気がついた。

「……それはバスの中に置いておくこと」

 唇を尖らせる彼に、すいませーんとヘラヘラ返す。

「一回、教室に集まっておいて。時間になったら先生行くから」

「ウィース」

「おっけー」

「っしゃいちばーん!」

「あっ待てコラ!」

「俺も俺もー!」

「ヒューっ!」

 一斉に校舎へ駆け出していく。私もまた、彼らの後に続く。

 背後でバスのドアがプシュっと開いて、ラジオの音声が耳に届いた。

「グッモーニング、あるいはボンジョルノ。本日もおはようございます、タンティ・アウグーリの皆さん!」

 バスの運転手が聴いているのだろうか。

「今日も皆さんのアンセムが、我らがファミリア・ファミリに届きますよう!」

 キューを握り締めた。

 校庭の砂地を走っていると、なんだかウキウキしてくるのだ。

「レイ、緊急事態!」

「昇降口が開いてねー!」

「正門側からじゃないと入れないぞ!」

 中庭の向こうまで行ってしまった彼らにそう呼びかけ、急旋回する。

「お先!」

「あっ、ずりーぞアイツ! さては分かってたな!」

「一番は俺だって! 俺以外無効の紋章が正門に刻まれてっから!」

「まあハンデってことで! オレと、この新品の相棒の待望のタッグで世界新を叩き出してやるぜ!」

「おれらを疲れさそうったってそうはいかねえ! おれはこの水筒に汲んだポーションでスタミナを回復!」

「俺はチョコレートをポケットから召喚!」

「今食うなよ⁉︎」

「うえっ、デロデロ!」

「やば、溶けてんじゃん!」

 彼らの笑い声を背に聞きつつ、息を切らして必死に駆ける。いつもと違う中身だからか、鞄ががちゃがちゃいっていた。

 上下に揺れる視界に、鰯雲が映り込んだ。

 秋晴れ。良い日だ。

「……ああ、ははっ」

 目を伏せると、自然と笑みがこぼれる。

 今日が始まる。

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ラシャの上の街 山城渉 @yamagiwa_taru

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