虚姫
三茶吾郎
虚姫
「おーい、誰かおらぬか。拙者、雷電五左衛門と申す者だ。見ればわかる通り浪人だ。一泊だけでいい、泊めてはもらえないかー」
しかし誰も現れない。それにやけに静かだ。もしや山賊に襲われたのかという不安をはらんでいると、一人青年が五左衛門の前を歩いてきた。それをつかまえて、何があったのか問いただすが、なにも答えず足早に去っていく。困ったなと腕を組んで眉間に皺を寄せていると、今度は中年が五左衛門の方に駆け寄り、額を地面に擦り付けながら、「どうかあやつを。あやつを倒してくれりゃせんか」と頼み込んできた。
「あやつ、とはどの者のことか」
「蚕女のことでございまする…」
五左衛門は目を丸くする。
「蚕女というと、繭でも出して襲ってくるのか?」
「はい、その通り。グルグル巻きにされ、それも凄く頑丈で容易には破ることは出来ません。繭の中は溶解液のようなもので満たされていて、それで人間の肉体をぐちゃぐちゃに溶かし、その溶けたものをあやつは摂取するのです」
「なんと…」五左衛門は言葉にできない不快感を露わにしていた。
「それでもう四人もあやつに殺されております。どうか、この村を助けて頂けないでしょうか…」
「まあとりあえず立たんか」
中年はそう言われて、打ち上がった魚のように立ち上がる。だが腰は低い。
「助けるのは良いが、その前にひとつ聞きたいことがある」
「は、はい。なんでしょうか」
「そもそも、その蚕女がなぜにこのような辺鄙な村におるのだ?」
辺鄙、という言い回しにムッとながらも中年は語り始める。
「話せば長くなるのですが。それは四日前のことでした。村の東にある、入り江の方で歪な小舟が浮かんでおりました」
「歪とな?」
「そうでありまする、とても歪で。強いて言うならお椀のような形をしておりまして、丸っこい小窓があって、そこからチラッと美しい淑女が覗いてくる。急いで私は他の浦人も呼んで引き上げると、パカッと蓋が開いて、さっきの淑女が出てきやした。あの子窓からでは分かりゃあせんでしたが、これまた異様な風俗を。鱗文様の小袖に深靴、髪は白粉を塗っているのか真っ白で、これは噂に聞いていた露西亜人じゃないかって」
「異国人を入国させたというのか!」五左衛門は猛烈な勢いで顔を近づけた。それに押され、中年は思わず三歩ほど退る。面を伏せて、バツの悪そうに口を動かす。
「いや私だって宜しくないとは思いやしたが、長老がきっと容姿からみて高貴な生まれの方に違いない。一夜だけ泊めてあげなさい。それで明日の早朝にまた沖に流せばいいというもんで…それで先月亡くなった勘蔵爺さんが住んでいた古屋を、今は誰も住んでおりませんでしたのでその女に貸したのですが…」とそこで一度息を飲む。ふと顔を上げると五左衛門と目が合い、早く話さんか!と言わんばかりの強い視線を送られる。それに屈して再び口を開いた。
「そしてその日の夜、源蔵のところの一人娘が古屋に食事を携えて行ったのですが…何時間経っても帰ってこない。村人総出で探しても見つからず、気づけば朝。もう村中を調べ尽くしたと思ったのですが、まだあの古屋だけは調べていない。そもそもあそこに向かって居なくなったのだから怪しい。そう思って足を運びました。ガタンッと扉を開け、中を覗くとあちらこちら繭だらけ。血の匂いもする。そしてあの女が背を向けて犬のように何かを貪り食っていて、ふと私に気づいて振り向くと、口の周りドロドロとした何かがまとわりついていて、手にもそれがべっとりと…恐ろしくなって私はバタバタとそこから走り逃げて、村の連中にさっき見たものをありのままに話したのですが…誰も信じてはくれりゃせん。それで今度は次の日の朝。未亡人のお菊さんとその赤ん坊、その二人の屍と見られるもの…と言っても残滓でございまする。繭の玉、その中心に裂け目があって、そこから肉片がこぼれ落ちておりました。これが見つかって村中騒然で、次は自分じゃないかってみんな怯えて外にも出れない。しかし三郎だけは漁に出ると言って、夜中に──」
「夜中に漁へと出たのか?」と五左衛門は話を遮って、率直な疑問を呈した。
「うちの村は夜焚きが盛んでありまして。まあそれで三郎のかみさんは必死に止めたようですが、しかし、あやつは村内きっての頑固者でして。ちっとも聞かず、ササッと行ってしまったらしいのですが…今朝、浜の方でまた繭の玉が見つかり、その近くには三郎の物とみられる破けたどんざが…」
「もう良い。拙者はその蚕女を退治することを改めて決心した。聞いたところによると蚕女は夜にしか人を襲わないようだ。それまで待つことにしよう」
蚕女が現れるまで中年の家で待ち伏せることにしたが、その前に乗ってきた舟を吟味したいと、海辺へと案内をさせた。その道中で中年は自分は浦人であると、名は久蔵であると申した。
ザーザーッという波音がだんだん近くなる。気づけば藍色の広々とした海景が広がり、潮風が耳をかすめた。白々とした砂浜に藻がチラホラ覆いかぶさっていて、至って平凡な海辺という感じだが、ひとつだけこの光景に似合わぬ、異質なものが目に入る。それは浜辺にポツンとある円盤状の舟。舷には見たことない文字のようなものが刻まれていて、異国の舟であることはひと目でわかる。
子供が一人、きゃっきゃっと騒ぎならやってきて、あの舟の舷にベタベタと触れ始めていた。後を追ってきた母親と見られる若い女が「おやめなさい」と叱りつけ、引っ張り出していく。五左衛門はそれをひどく険しい表情で見届けていた。
「あれが例の舟か?」
「そうでございまする」
ザクザクと砂浜を歩いて、その舟へと近づく。
「見たことのない文字が刻まれているな」
「文字、文字ですか。てっきり私は何かの模様かと…」
五左衛門はぐるぐると舟の辺りを一周し始める。立ち止まったかと思うと、うーんと唸り声を上げて、「さっぱり分からぬ。このような奇怪なもの一度も目にしたことはない」と言った。
「左様でございますか。やはり異国からの舟でしょうかね…」
次は浜の右端へと歩を進める。こちらにもこれまた異質な物体が存在した。白い大きな玉。目の前まで近づいて、やっとそれが繭でできているということに気づく。中心に裂け目があり、そこからドロドロとした液状の
異臭に悶えながら繭の中を覗いたりしてみるも、これといって何も得られず、気づけば空が橙色に染まりあがっていたので、久蔵の家へと向かうことにした。その道すがらで五左衛門はとある古屋が目に入り、ピタリと立ち止まる。その古屋は海と浜見下ろすようにそびえる丘にポツン建っている。あまりに他の家々と隔離されすぎているため、牢屋かなにかにも思える。
「もしやあの古屋に蚕女がいるのか?」
「はい、その通り。よく分かりましたね」
「少し気なるものを感じてな。妖気やもしれん」
久蔵の家はひどくボロかった。屋根の瓦は少し崩れ気味で、土壁は所々剥がれ落ちている。家内へと入ると枯れ草のような匂いが漂っていた。久蔵は藁草履を放り脱ぎ、上り框を踏む。
「どうぞどうぞ。少々窮屈でしょうが」
では、と妙に堅苦しい様子で上がり、そして畳へと座り込む。畳はあちこちボロボロと剥がれ落ちていて、五左衛門は足袋や袴にそれが引っ付くのが気になってしょうがなかった。気晴らしに辺りを見渡す。独り身の家にしてはやけ広いが、簡素で何もない。ほぼがらんどうに近かった。ふと五左衛門は天井を見上げた。波のような木目の中にひとつ歪な模様が浮き出ている。女の顔。助けを乞うような、悲劇的な表情しているように見えた。
そうこうしているうちに久蔵が台所から盆を携えて戻ってきた。
「飯を持ってきやした。漁に出られてないんでこんなもんしか出せやせんが」
盆を五左衛門の前に置く。漬物に味噌汁と白米というこれまた質素な飯であったが、丸一日食事ありつけなかった者の腹を満たすには十分であった。手のひらを合わせて、「いただきます」と声を張り上げる。茶碗を手に持ち、漬物を箸で取って、歯でボリボリと噛み砕き、そこにふっくら炊きたての米をはふはふと放り込んだ。最初は熱さで味を感じないが、徐々に甘みがやってきた。今度は味噌汁の入ったお椀を鼻の近くまで持ち上げる。湯気と共に漂ってくる味噌の匂いを十分に堪能し、あちっと声を上げながらすすった。少々薄味だが美味い。次にぷかぷかと味噌汁の上を浮かんでいる豆腐を箸でつまむ。柔らかく、少しでも指に力を入れたらホロホロと崩れてしまいそうだ。なんとか口へと運ぶ。淡白な大豆の風味が広がる。これまた美味であった。あっという間に全て平らげて、久蔵と食後の談笑を交わっている時に、五左衛門はさりげなく訊いた。
「そういえば、貴公は妻はおらんのか」
「ええと実は妻も娘もおったのですが……」
「賭博か?」
「はい…その通りでございまする。今はもうめっきりなんですが、一時期明け暮れてまして、その時に逃げられてしまいましてな」
久蔵を恥ずかしそうに頭をかいた。
「宜しくないな」
「そういう五左衛門殿はなぜ浪人なぞに?」
「恥ずかしい話だが。拙者が生来の正直者で、それが災いして主家に爪弾きにされた」
それを聞いて、久蔵はハハッと笑い転げる。
「何がおかしい!!」
五左衛門は激烈な勢いでと立ち上がる。
「いやだって、フハハ」久蔵は畳をバンバンと叩きつける。その様子をみて眉をひそめていると、キャーと女の甲高い悲鳴が聞こえてきた。五左衛門は咄嗟に外へ飛び出て、右手へと俊敏に駆け出す。軒先で地に尻をつけて倒れ込む女を見つけて立ち止まり、「何があった?」と訊いた。
女は口を開くがあっあっと声にならない声を上げるばかりであった。今度は強い口調で「何があったのだ!」と問いただした。女はブルブルと震わせながら目先を指差す。その方向には開いた戸があり、その先は暗闇が黒々と広がっている。その中で白い光、いや白く長い髪、その艶が眩く輝いていて、その美しさに見入ってしまいそうになるが、禍々しい妖気も放たれていて、それどころではない。例の蚕女か!と五左衛門は心中で呟いた。蚕女は背を向けていて、五左衛門には気づいていないようだ。これは好機だとみて、すっーと鞘から太刀を抜き出し、脇構えをしてみせる。そのままそろりそろりと蚕女の方へ歩み寄っていくが、突然進みづらくなる。それで脚元に目をやると、さっきの女が袴の裾をがっしり掴んでいた。
「何だ?」と小声で訊ねる。
「あの繭の中に、私の旦那が…」
その時に初めて、五左衛門は部屋の中心に大きな繭の玉があることに気づく。日中に海辺で見たものと全く同じ形状であった。
「分かっておる」
五左衛門のその言葉を聞いて、女は安堵したのかするりと手を裾から離す。五左衛門は再び歩き出し、戸をくぐる。草履の裏を土間に擦らないよう慎重に進み、上り框を土足のまま踏むが、ギシギシと軋む音が鳴ってしまった。その音を聞いて、蚕女は後ろを振り向く。二人は対面し、両者眼光をぶつけ合う。蚕女は妖魔らしく、鋭くも可憐でなまめきたる眼差しで、五左衛門は武士らしく、逡巡のない真っ直ぐな目つきで。
先手を打ったのは蚕女であった。両手を突き出し、手のひらにある大きな穴から、シューと糸を発射。その放たれた糸が四方八方五左衛門を覆うが、ええいとそれを全て巧みな剣技で軽々と斬り裂いてしまう。今度は太刀を頭上に構えて、そのまま一気に走り込む。その鋭気に圧倒されて、蚕女は反撃するどころか後ずさりしている。五左衛門は勢いよく太刀を縦に振りかざし、スパッと左腕を斬り落とす。間髪入れずにもう一撃入れようとするが、蚕女が苦し紛れに放った繭の糸に左足を絡め取られて転倒。そのうちに蚕女は逃げ去る。
「待ってぇい!」と声を荒げて、素早く足に絡まった繭を斬る。そして後を追いかけようとするも繭の玉に人がいることを思い出す。それで玉の前に立ち、魚の腹を割くようにスッーと一線に切れ目を入れる。すると中からズルっとヌメヌメとした液体と共に男が裸体のまま出てきた。さっきの女がその男の方へと駆け寄る。女は男を抱き抱えながら五左衛門にお礼の言葉を伝えようとするが、彼はすでにそこにいなかった。
五左衛門は蚕女が垂らしていった血の跡を追い、そして辿り着いたのはやはりあの古屋であった。戸は開きっぱなしで、太刀を構えながら恐る恐るそこをくぐる。暗黒の中、チラホラ何かが輝いている。繭だ。繭だと五左衛門は勘づく。そして目を凝らして室内を隅々まで見渡すも蚕女らしき者は見つからない。血糊は土間で途絶えており、あのおぞましい妖気さえも感じない。五左衛門は逃がしてしまったのではないかと焦り始めた、その時であった。ポタポタと、液体らしきものが足元に垂れてきたのだ。まさかと真上を見上げる。奴は天井に張り付いていた。そして五左衛門に向かって、飛びかかってきたのだ。
しかし五左衛門の方が素早い。構えてた太刀を蚕女の左肩から右肩骨向かって斜めに斬りつける。まさに稲妻のような反撃であった。蚕女はおびただしいほどの黒血を吹き出して、バタッと倒れ込む。しかしまだ息があるようで、喉にまで血が込み上がり、それにむせかえりながらもなにかゴニョゴニョと発しているが全く聞き取れない。蚕女の顔どんどん蒼白になっていき、グハグハと吐血もしている。やがて糸の切れた操り人形のようにピッタリと固まった。
ついに仕留めたのだ、蚕女を…達成感と共に大きな倦怠感が五左衛門を襲う。おもむろに懐紙を取り出し、刀身にべっとりついた血を拭っていると、ドタドタと久蔵が走り込んできた。
「蚕女は…?」
「そこだ」
久蔵は畳に転がっている蚕女の骸を見つけると、うわーっと声をあげる。
「大丈夫だ、もう死んでおる」
五左衛門は太刀をガチャリと鞘に収め、「死体は海にでも放り投げとけ」と命じた。
「へ、へい。分かりやした」
五左衛門はのそのそと覚束無い足取りで古屋を去っていった。
一夜明けて、五左衛門と久蔵は清々しい朝の光に当たりながら村はずれの枯れた草原を歩いていた。ではここらでと久蔵は足を止める。
「そうか、もう別れか」
「本当にありがとうございました。本当は村の連中総出でお見送りしたかったんですが…どうも皆昨夜は怯えて寝れなかったようで、誰一人起きて来なくて」
「まあ良い。またいつかこの村に寄ることはあるだろうしな」心にもないことを口にした。
「左様でございますか。その時は目一杯おもてなしさせていただきやす」
「ではまたな」
五左衛門は背を向けて歩き始める。時々後ろを振り返り、こちらに手を振る久蔵の姿を視認していたが、どこまで離れてもその姿が目に入る。やがて五左衛門は振り返るのをやめた。
虚姫 三茶吾郎 @dazai1207
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