ゆめうつつ
目が覚めると、胸の上で蓬がにゃあと一声鳴いた。そりゃ、目が覚めたわけだ。
「蓬、重いよ。」
声をかければ、蓬はもう一度鳴いた後にぴょんとベッドからおりた。時刻は七時過ぎ。休日にしては早く起きてしまった。
「ヤァ、おはよう。君も起きていたネ。」
ドアから顔を出した谷澤が、私と蓬に声をかけた後クシャミをした。猫アレルギーの彼は、うちにいる時は大抵マスクをしている。ただそうしていてもやはりアレルギー反応は出るのだろう。
「おはよ。今日の朝は私が作るよ。」
「そう?じゃあ蓬と遊んでいるネ。」
「程々にな。」
蓬を抱き上げ、谷澤に渡す。蓬の耳がぴこぴこと動くのが可愛らしい。
「今日、公園行ってもいいカイ?最近めっきり動いてなくてサ。」
「あぁいいね。休日だし、子ども達がいるんじゃないか?一緒に遊びなよ。」
残っていたフランスパンを切りながら、近所の子ども達の顔を思い返す。
「ウェ、それは流石に体力がキツイと思うナァ。」
「そう?」
四切れにバターを塗って、ガーリックソルトとバジルをかける。グリルに放り込んでから、ボウルを出して卵を溶いた。
「谷澤なら行けるかと思った。」
「無理無理、もう歳だよネ。」
「二十代でしょ。何言ってんだよ。」
「アハハ。」
蓬の鳴き声。見えなくても猫じゃらしで遊ぶ様子が手に取るように分かった。溶いた卵に牛乳と砂糖を入れ、よく混ぜてから残りのフランスパンを突っ込む。クルクルと裏返していると、谷澤がキッチンにやってきた。
「フレンチトースト?甘いカイ?」
「うん、甘いよ。」
「じゃ、コーヒー入れるヨ。」
「あぁうん。いいね。」
棚から豆と器具を取り出してリビングへ戻っていく。そのうちにガリガリと豆を砕く音が聞こえてきた。
「コーヒー、アイス?」
「ホット。もうそんなに暑くないしな。」
「そうだネェ。」
温めたフライパンにバターを落とし、ぐるりと全体にまわす。ボウルからパンを取り出して並べれば、油がはねる音とバターの香りが広がった。
「あ、思い出したヨ。暑かった時にサ、肝試しに行ったの、覚えているカイ?」
「地蔵?」
「そう。あの時のお守りまだ持っているんだケド、お焚き上げ?とかしたほうがいいのカナ。」
「それは、」
壊れたから、あの後すぐにお焚き上げしに持っていったよな?
喉元まで出てきた言葉は、結局口には出せなかった。違う。壊れてなんかないし、谷澤はそれをそのまま引き出しに放り込んでいた。壊れたのはなんだったっけ。それとも、何も壊れていない?
「……そうだな。明日も休みだし、谷澤が良ければ明日神社に行こうか。」
「ウン、分かったヨ。」
グリルのタイマーが鳴る。グリルからガーリックトーストを皿に移して、焼きあがったフレンチトーストもフライパンから大皿に移した。谷澤が豆を挽き終わったらしく、ペーパーとネルのどちらがいいか聞いてくる。朝から油分はちょっと、とペーパードリップを所望してから皿をリビングに持っていけば、キッチンの空いたスペースでコーヒーの準備が進んでゆく。
皿とフォークを並べ終わり、冷蔵庫からメープルシロップを出して机に置いた。ソファで丸まっていた蓬の為に、棚からキャットフードを下ろした時に軽い違和感を覚える。
「ハイ、餌皿。」
「あ、うん。ありがとう。」
谷澤から受け取った餌皿にフードと水を入れて、いつもの場所に置いた。直ぐに蓬が飛んできて、フードに顔を突っ込む。
「コーヒー出来たヨ。」
立ち上がってソファに座ったものの、ジワジワとした違和感が目の前にちらつき続けていた。食事の為にマスクを取った谷澤が、呑気にいただきますと声を上げてガーリックトーストに齧り付く。
「なんか、変じゃないか?」
たまりかねて呟けば、もぐもぐと口を動かしながら彼が首を傾げる。
「いつもと、違う気がして。」
「そうカナ?」
トーストを飲み込んだ谷澤は、冷めちゃうヨ、と私に皿を押し付ける。皿から一枚トーストを持ち上げると、彼は満足そうに皿をテーブルの上に戻した。作ったのは私なのだけれど。
「確かに何だかふわふわした感じはするよネ。でもいいじゃナイ、君はいるし。」
「口説いてんの?」
「まさかァ。」
ケラケラ笑う谷澤を小突いて、私もガーリックトーストを齧った。食べ終わったらしい蓬が膝に飛び乗ってくる。
「いっ、爪立てたな蓬!」
「にゃあ!」
持ち上げて叱るもどこ吹く風。まぁ、軽く引っかかれた程度だからいい事としてソファから下ろす。まだこっちはご飯中だ。
***
十時頃に公園に来てからもう一時間近く経っている。もうそれほど暑くないとはいえ、いい天気の中走り回れば汗だくだった。
「ずるいよナ、大人の方が、影が大きいジャナイ。ネェ?」
「私達の方が足は長いでしょ、大人だから。」
「それを言っちゃァダメだヨ。」
子ども達に捕まって影踏みに付き合わされたおかげで、かなり疲れた。昼近くなり影が短くなってきたおかげで、やっと解放されたのだ。
「いい天気で良かったよネ。気持ちいいヤ。」
「そーだな。」
立ち上がって自販機に近寄り、ペットボトルを二本買う。一本は谷澤に投げ、もう一本を開けて傾ければ、一気に半分ほどになった。思ったより喉が渇いていたらしい。
「お昼ご飯、どこかで食べていくカイ?」
「いや、ホットケーキミックスが半分残っていたからあれを食べちゃった方がいい。」
「分かった、じゃあそろそろ戻ろうネ。」
立ち上がってさっさと歩き出す谷澤を慌てて追いかける。白線だけ踏んで歩く子どもじみた動きは、見慣れたものだ。
「ネェ、やっぱりなんか変な感じがするネ。」
「え?」
「でも普通なんだよネ。おかしなことは何も起きてないヨ。」
谷澤の言葉に、今日の出来事を思い返す。うちの猫の蓬に起こされて、朝食をつくり、明日の予定を立てて、ダラダラしたあと子どもと影踏みをする。確かに何ら変わったことはなかった。
「変なことが起きるほうが、夢かナァ。」
かもね。そう返事をしようとした瞬間、体がガクンと下に落ちた。
***
慌てて起き上がれば、いつもの寝室であった。蓬はいない。ぷぅぷぅと鳴く毛玉は、満腹を訴えてどこかへ消えたから。
「おはよ。ネェ、これはどっちカナ?」
開いたドアから顔を出した谷澤を黙って見返す。しばしの沈黙の後、私は軽く頭を振って立ち上がった。
「どっちでもいいんじゃない、谷澤はいるんだから。」
「口説いてんノ?」
「まさか。」
蝶となって飛んだ訳じゃない。私も、谷澤も、とかく両の足で隣り合って立っている。
それ以上に、何を。
次の更新予定
毎週 金曜日 16:00 予定は変更される可能性があります
ズレてるふたり 黒い白クマ @Ot115Bpb
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ズレてるふたりの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます