最終話:茜色の空の下で
『総合探偵社アガサ』。
この街では唯一、『異能』を取り扱える能力を持った探偵社だ。
所属しているのは所長の
8年前に東京都内で発生した『連続異能猟奇殺人事件』を解決してから、ここは警察の……ええっと、異能担当の七課さんと繋がりが深くなったそうで、よく警察と協力して事件の解決に勤しんでる。
まぁ、でも東京都内限定だけどね。
街の外でも『異能』事件は起きてるらしいけど、それは警察が頑張ってるとか……そんな感じ。
そんな探偵社に、私は所属している。
「おはようございます!所長!あと先輩も!」
私は事務所のドアを開けて、元気に挨拶をした。
持っていた高校の学生バッグをソファに投げ、ハンガーに制服のブレザーを掛ける。
「もう夕方だぞ、折村」
「嫌だなぁ、所長。こういうのは出勤タイミングなら絶対、おはようございます!なんですよ?知ってましたか?」
「お前、また変な漫画に影響されたのか」
椅子に座った結衣所長が、苦笑しながら珈琲を啜った。
薬指の指輪がマグカップに当たり、カチンと音がした。
「先輩もおはようございます!」
「ん?あぁ、おはよう……おはようか?まぁ、おはよう。折村さん」
同じく自席に座った和希先輩に挨拶をする。
和希先輩は私の8つ歳上で……24歳だったかな?
大人のお兄さんって感じで、パリッとした服装をしている。
「……ふふん」
和希先輩は、私の命の恩人だ。
二年前、私が『異能』絡みのストーカーに殺されそうになった時、助けてくれたから。
和希先輩に恩を返したくて、この探偵事務所でアルバイトを始めたけれど……どちらかというと、今も助けて貰ってばかりな気がするけどね。
「……折村さん、何か面白い事でもあったかな?」
「え?いえいえ?」
私は先輩に憧れている。
底抜けに優しくて、献身的で……。
漫画に出てくるキャラクターみたいに運動神経が抜群だ。
そして、時折見せる影のある笑みに……私は惹かれてる。
歳の差もあるから、憧れるだけだけど……ううん、私は先輩のことが好きだった。
そんな先輩が時計を見て、立ち上がった。
「結衣さん、時間なので……」
「ん?あぁ、もうそんな時間か」
背もたれのコートを手に取り、腕を通す。
「え!?先輩、お出かけですか?」
「いや、早帰りだよ。お先に失礼します、ってこと」
ほら、また影のある笑みを浮かべた。
だけど、あれ?
いつもより、どこか嬉しそうな笑みだ。
「じゃあ先輩、私も行くので何か晩御飯でも──
「折村、お前来たばかりだろうが」
私の言葉を、所長が遮った。
「えー、だって……」
「今日は止めておけ」
「……はーい」
いつもなら、暇な時は許してくれるのに。
所長の少し真剣な顔に、私は頷いた。
そんな私と所長の様子を見て、先輩が笑った。
「では、お先に失礼しますね。結衣さん」
「あぁ、行ってこい」
そうして、コートを羽織った先輩は探偵事務所から出て行ってしまった。
もっと話をしたかったのに。
先輩が事務所から離れたのを確認して、私は先輩の席に座った。
「しょちょー、何で止めたんですか?」
「折村、今日はダメだ。アイツにとって大事な日だからな」
「……大事な日、ですか?」
回転する椅子の上で、ぐるりと一周する。
そして、腕を組み……目を見開く。
「も……もしかして、女の人ですか!?」
「……まぁ、そうだな」
「え!?嘘っ、先輩、彼女居たんですか!?」
「お前から聞いて来たんだろうが。何故、ショックを受けているんだ」
適当に言ったのに、当たってしまった。
ショックのあまり頭を抱える。
「先輩、女の人の影、なかったのに!狙ってたんですよ、私!」
「……お前な。はぁ……和希がお前ぐらいの歳頃の時はもっと聞き分けが良かったぞ」
「うぅ、既婚者の所長には分かりませんよ!この気持ちは!」
がたがたと椅子を鳴らすと、所長はまたため息を吐いた。
「気になるなら、また事務所に集まった時に聞け。答えてくれるかは保証しないが」
「うぅ、そうします……あ、所長は先輩の彼女さんと面識あるんですか?」
「あるにはあるが……」
私の言葉に所長は少し苦笑した。
どういう感情なのだろうか?
私は椅子から立ち上がった。
「どんな人ですか?」
「……責任感と思い込みの強い、普通の女の子だったよ」
「……だった?」
所長がどこか遠い場所を見ていた。
……む、何か隠し事をしてるな?
なんて思うも、聞き出せない。
だって所長、怒ると怖いし。
今度、先輩に聞こう。
そう思い、自席に着席した。
◇◆◇
木々の葉は少しずつ色付き始めて、街に彩りを与えている。
太陽も傾き、水面には茜色の空が映る。
風が吹いて、ベージュ色のコートをはためかせる。
8年前から色々と変わったけれど、この街の本質は変わっていないのだろう。
僕はそのまま足を進めて、駅前に到着した。
目的の人を探そうと周りを見て……居た。
「希美」
「ん?あっ、お兄ちゃん!」
私服姿の妹が居た。
髪を長く伸ばして、薄く化粧している。
希美は高校を卒業後、美容系の学校に行き今は美容師をやっている。
そういう事が好きだったって、知っているから納得だ。
発現した『異能』に関しては、あれから一度も使用していない。
僕は彼女を巻き込みたくなかったんだ。
だから、『能力者』ではなく普通の女の子としてこれまで生きてきた。
これからも、そうだ。
対して、僕は高校を卒業後、そのまま『総合探偵社アガサ』に就職した。
普段は逃げたペットの捜索やら、不倫の証拠集めなんかをしている。
……偶に起きる『異能』関連の事件を対処したりもするけど。
「じゃあ、行こ!お兄ちゃん」
「あぁ、待たせたら悪いからな」
希美と並んで、街を歩く。
昔からそのままの店、閉店して新しく変わった店……変わらないもの、変わっていくもの。
過ぎ去った時間は、記憶を風化させる。
だけど、変わらない思いがある。
いいや、変えたくない思いがある。
楠木 稚影。
僕の恋人は……逮捕された後、司法取引によって減刑が決まったらしい。
守秘義務だとかで、僕には詳しく教えてくれなかったけど……七課で『異能』関連の事件を解決する度に刑期が短くなるのだとか。
最初に示された刑期が幾らかは知らないし、どれだけ減刑されるかも知らない。
だけど、彼女が生きているだけで僕は嬉しかった。
会う事も出来ず、言葉を交わす事も出来ず、手紙を交わす事も出来ずに……時だけが過ぎていった。
風化しそうになる記憶を必死に縫い留めて、変わらない想いのまま僕は生きて来た。
「……お兄ちゃん、心の準備はできてる?」
「希美の方こそ」
あれから、沢山の事があった。
沢山の人と出会って、沢山の人と争った。
何度も打ちのめされそうになった。
それでも、僕は抗い続けた。
この手から溢れてしまった命だってある。
だけど、それでも……僕は抗った。
彼女が残してくれた傷が、僕に力を与えてくれたから。
だから、感謝している。
今も変わらず僕は彼女を愛している。
僕と希美は、もう卒業した学校の前を横ぎる。
「変わらないね、ここ」
「あぁ、そうだな」
少し寂れた気はする。
学校名を掘った金属板が、少し錆びている。
稚影と過ごした、決して短くない記憶が蘇る。
毎朝、三人で学校に通った事を思い出す。
今はもう遠い記憶だけど。
茜色に染まる坂道を、登っていく。
「……希美、大丈夫か?」
「え、えへ……えへへ?う、運動不足が祟ったかも……」
呼吸を荒くする妹を見て、僕は足を進める速度を落とした。
落ちた秋色の葉っぱが風で舞う。
目で追って、街を見下ろした。
見慣れた景色も、角度を変えれば感情を動かす時もある。
それを教えてくれたのは稚影だった。
そして、僕と希美は坂道を登る。
太陽はすっかり傾いていたが、僕達は高台に到着した。
希美は緊張したような顔をしている。
……仕方ないか。
僕も顔には出していないけれど、緊張している。
高台にはベンチが一つしか置かれていない。
寂れた場所だ。
そんな場所で……石で組まれた柵に手を置く、カーキ色のワンピースを着た女性が居た。
その後ろ姿に、駆け出しそうになる気持ちを抑える。
「…………」
石畳を踏んで、音が鳴った。
僕が出した音か、希美が出した音か。
その音に反応して、女性が振り返った。
深い紫色の髪、憂いを帯びた目……色白の肌。
「……あ」
その女性は僕を見て、少し細めて、嬉しそうにして……少し怯えて、目を逸らした。
息を呑んだ。
すぐ隣にいる希美は、僕の言葉を待っているようだ。
だから、最初は僕が口を開かなければならない。
「……おかえり、稚影」
僕の言葉に、女性は……大人になった稚影は、僕へと視線を戻す。
ぎこちない笑みを浮かべて、涙を堪えていた。
「ただいま……二人とも」
稚影が釈放されると、啓二さんから聞いたのは半年前だ。
稚影は数多くの事件を解決し、刑期を8年にまで縮めたらしい。
だからこうして、待ち合わせして……迎えに来たんだ。
「……稚影ちゃん!」
希美が稚影に抱きついた。
それを稚影は抱き返した。
「希美ちゃん……綺麗になったね」
「稚影ちゃんこそ……」
僕はただ、その様子を眺めていた。
そんな僕へ、希美を抱きしめたまま、稚影が視線を向けてきた。
「和希は……大人になったね」
「それは稚影もだろ」
「あはは……まぁね」
希美が稚影から離れた。
少し惜しそうにしているけど、僕と稚影に邪魔をしないようにと距離を取っていた。
……そんな気を遣わなくて良いのに。
「和希はさ。いい
「僕が浮気したって疑ってるの?」
「……あれ?私、まだ恋人なの?」
稚影の言葉に、僕は顔を窄めた。
希美も聞こえるように「あちゃ〜っ」って言ってる。
「……いや、稚影が嫌なら……そうじゃなくてもいいけど」
「え?あ、ごめんね……私も嫌じゃ、ないけど……でも、もう長い間会ってないし、話してないから……忘れられちゃったかも、って」
何でこんなに自己評価が低いんだ。
……いや、罪の意識からか。
どこかで、自分が幸せになってはならないと思っているのだろう。
「忘れる訳ないだろ。まったく……」
「……ごめんね?」
「いい、気にしてないから」
自分が普段より饒舌になっている事に気付く。
浮かれているのか、僕は。
でも、仕方ないだろう。
稚影と会えたのだから。
稚影が数歩、僕へ近づいた。
そして僅かに手を伸ばして……戻した。
彷徨った指先は、彼女自身の胸元に戻った。
……遠慮なんてしなくて良いのに。
距離を測り損ねているのだろう。
僕からも近付いて──
「……稚影。本当に、おかえり」
稚影を抱きしめた。
僕が背中に手を回せば……稚影は少し躊躇うような素振りを見せてから、抱きしめ返してきた。
「……うん、ただいま……」
彼女の体温、柔らかさ。
そんなものがどうでも良くなるぐらいの、喜び。
「……でも、本当に良いのかな」
「……良いんだよ。これで」
罪を償えば、許されるのか。
それは分からない。
死んでいった人達の感情に折り合いを付ける事は出来ない。
法が許しても、死した人達の思いを蔑ろにはできない。
「…………ごめんね」
「もう謝らなくていい……少なくとも、僕や希美には」
「……じゃあ、ありがとう?」
「うん、それでいい」
僕だって……今も、彼女がした事は許せていない。
それでも、僕は彼女を愛している。
だから、少しでも幸せになってほしい。
矛盾はしていない。
だけど、相反する感情。
「……それじゃ、帰ろうか」
「うん、ありがと……和希」
これからも、納得する事は出来ないだろう。
それでも、僕は……彼女と共に生きたい。
「ふふふ。今日、鍋の用意してるからね、稚影ちゃん」
「……それは楽しみかも」
三人、並んで帰路につく。
「へぇ……希美ちゃん、美容師になったんだ」
「見習いだけどね!今度、髪切ってあげようか?」
「うん、お願いしようかな……」
8年という月日を埋めるように、言葉を交わしていく。
「え……?和希、探偵になったの?」
「まぁね。結衣さんの下で扱き使われてるよ」
「へー……大変だねぇ」
「そうでもないさ」
変わってしまった物も、変わらない物も。
許せない事も、許したい事も。
愛しいという想いだけは、ただ一つで。
「稚影ちゃん、手、繋ごうよ!」
「え?……いいけど、どうして?」
「どうしても良いでしょ?ほら、お兄ちゃんも」
「僕も?」
「当然でしょ?」
それでも、彼女の贖罪は終わっていないのだろう。
これからもずっと、一生をかけて贖罪していく気だ。
その道を、少しでも僕も歩みたい。
この茜色に染まる空の先に、きっと。
僕が進むべき道があるのだろう。
長く伸びた三人の影帽子を見て、僕は……前へと歩き出した。
腐血のサルヴァトーレ:TS悪役外道転生 Whatsoon @R_Key
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