13話:さよなら、またね
深い微睡の中に、僕は漂っていた。
穏やかな気持ちで、何の恐怖もない。
そんな泥のような中で、ゆらゆらと揺れている。
ふと、記憶に蘇ったのは、ここに来る前の記憶だ。
愛する人と殺し合った記憶。
僕を裏切って、人を殺して、妹も殺した……そんな外道のような少女。
間違いなく、僕は彼女を愛していた。
たとえ、どんな事があっても愛していた。
自分の命より、相手を優先してしまうぐらいには……愛していたんだ。
僕の手の上で、『剣』という戦う意志が砕けた。
『剣』は心の内面を出力したものだ。
だから、僕の『剣』は砕けてしまったんだ。
その結果、僕は稚影の『剣』に貫かれた。
壊れてはならない場所が壊れて、確実に死ぬのだと自覚した。
戦いに負けた。
稚影を殺す事は、僕には出来なかった。
好意が殺意を上回ってしまったから。
地面に転がった僕を、稚影は見下す事もなく……どこか、慌てた様子で抱き留めた。
そして、泣いていた。
僕のことを殺したかったんじゃなかったのか。
そう思いながらも、涙を流す稚影を見て……僕は安堵した。
やっぱり、稚影は稚影だった。
血も涙もない連続殺人鬼だったかも知れないけど、それでも稚影だった。
泣いている彼女を見て、そう思った。
それだけで、僕は満足だった。
深い微睡の中に、僕は漂っている。
穏やかな気持ちで、何の恐怖もない。
優しい温もりを感じながら、僕は二度と覚めない眠りに堕ちようとしている。
だけど。
声が聞こえた。
言葉じゃない、声だ。
何を言っているかは分からない。
だけど、何かを伝えたい気持ちは分かった。
手が僕へと伸びる。
上も下も分からない僕は、その手を眺めていた。
──お兄ちゃん!
その声に覚えはあった。
聞こえる筈のない言葉に、僕は手を伸ばして……握りしめ──
「っ、はぁ!はぁ!」
僕は目覚めた。
大量の汗を掻いて、喉が渇いている。
身体に痛みはない。
周りを見渡せば……見覚えのある病室。
稚影や結衣さんも入院していた、統合病院だ。
直後、自分の服装が私服ではなく病衣である事に気付いた。
「これは……」
刺された傷はない。
時計を見れば、21時を指し示している。
卓上カレンダーは、稚影と争った日の翌日を示していた。
あの出来事は夢じゃなかった……か。
「……稚影は、どう……なったんだ」
息を整えながら、ベッドから立とうとして──
ガラリ、とドアが開いた。
「……結衣さん?」
「目が覚めたか、和希」
結衣さんが立っていた。
しかし、そんな筈がない。
稚影に攻撃され、意識も失っていた筈だ。
こんな健康そのものなんて、変だ。
「何で、怪我が……」
「お前の妹のお陰だな」
結衣さんはそう言いながら、パイプ椅子を引っ張って来た。
そして、ベッドの横で座った。
「希美が……どういう意味ですか?」
「……知らなかったか。お前の妹は……お前と同じ『能力者』だった」
「えっ!?」
「正確には『能力者』として目覚めた、か」
結衣さんの表情は暗い。
普段の笑みは浮かんでおらず、悲痛な顔をしている。
そんな顔のまま、僕へと目線を向けた。
「『物の状態を数時間前に巻き戻す能力』だ。それで私や、お前を助けた」
「僕も……?」
「お前、楠木 稚影に刺されただろう」
その言葉で、僕は我に返った。
「っ、稚影はどうなったんですか!?」
「……あまり大声を出すな。聞こえている」
「あ、す、すみません……で、でもっ」
「気持ちは分かる。だが、急かさないでくれ」
結衣さんはため息を一つ吐いて、僕へ目線を戻した。
「私が彼女と顔を合わせた時、既に戦意を喪失していたよ。死にそうな顔でずっとお前に謝っていた」
「……稚影」
「今は、七課に拘束されている……この病院の一室でな。護送の準備が出来たら、すぐにでも連れて行かれるだろう」
「っ、そ……そう、か。そうですね」
稚影は人を殺した。
殺し過ぎた。
逮捕されて当然だし、実刑は免れないだろう。
だから、こうして扱われるのも普通の事だ。
自業自得、だろう。
「……希美はどうなったんですか?」
「休ませているよ。精神的なショックも大きかったからな……気を失って病室で寝ている」
「そう、ですか……」
僕はそこまで聞いて、ベッドから立ちあがろうとした。
だが、結衣さんが僕の肩を掴んだ。
「どこに行くつもりだ」
「……稚影と、話をしないと」
「面会はできない。警視庁七課の奴らが取り仕切っている」
「七課が……?」
「あぁ。残念だろうが……お前がもう彼女と会う事はできない」
「……っ!」
結衣さんの言葉に、僕は顔を顰めた。
理屈は分かっている。
稚影は連続殺人鬼だ。
しかも『異能』持ちの犯罪者。
管理は厳重となるだろう。
そして殺した数を考えれば……死刑か、無期懲役か……二度と刑務所の外に出る事はないだろう。
「……楠木 稚影も、お前と合わせる顔がないと言っていた」
「……結衣さんは会ったんですか?」
「あぁ、お前への伝言も受け取っている」
結衣さんはため息を一つ吐いた。
呆れた訳ではなく……ただ、この不条理に対しての諦めに見えた。
「何て言ってましたか……?」
「『ごめんなさい』だ。それだけが彼女からの伝言だ」
ただ一つの謝罪だった。
だけどきっと、その一つの謝罪にあらゆる罪の意識が含まれているのだろう。
「…………」
僕は唇を噛んだ。
そして、結衣さんに視線を戻した。
「やっぱり僕、稚影に会いたいです。いや……会わなきゃいけないと思うんです」
「……賛成はしない。私は楠木 稚影のことをよく知らないからな……柄でもないが、お前の方を心配している」
結衣さんの言葉の意味も分かる。
既に僕の心は稚影によって抉られている。
そんな僕の心を抉った相手に、再び合わせるのは危険だと心配してくれているんだ。
だけど──
「それでも、僕は……彼女と会わなければ、後悔する」
「…………」
「会って話さなきゃならないんです」
「……和希」
「だから……どうか、お願いします」
僕が頭を下げると、結衣さんは目を細め……そして、息を深く吐いた。
「はぁ……厄介な女に惚れたな、和希」
そう言って、結衣さんが椅子から立ち上がった。
「結衣さん……」
「何を呆けてるんだ。行くんだろう?」
「っ、はい……!」
僕はベッドから立ち上がり、病衣のまま部屋を出た。
廊下をそれなりに歩いて、階段も登って……病院の隅は、物々しい雰囲気になっていた。
灰色のスーツを着た男が部屋の前で、ベンチに座っていた。
「あの人は……」
「七課の奴だな。行くぞ」
結衣さんが病室の前にあるベンチを通り過ぎようとして……そのスーツ姿の男が立ち上がった。
「何してんすか。阿笠さん、ここ立ち入り禁止っすよ」
想像より若い男だった。
二十代前半ぐらいだろうか……短髪で、疲れたような笑みを浮かべていた。
「楠木 稚影に用がある。通せ」
「……へ?いやいや、ダメっすよ!何言ってんすか!?」
男は慌てたように首を横に振った。
そんな男に結衣さんは少しも折れる様子を見せなかった。
「こいつが和希だ……楠木を連行する前に話させたい」
「ははぁ……この少年が……って、事件の被害者じゃないすか!何で連続殺人鬼を刺激するような事しようとしてんすか!」
男の言葉に、思わず腹が立った。
直後、僕の肩に結衣さんが手を置いた。
落ち着け、という事だろう。
「落ち着け。楠木を刺激するつもりはない……いや、多少は取り乱すかも知れないが」
「阿笠さん、何言ってるか自分で分かってます?ここにいるのは特級の『能力者』なんすよ?その気になったら、俺や阿笠さん、そこの少年……病院の職員、患者、全員が危険に晒されるんですよ」
男は目を細めて、結衣さんを見た。
そこには確固たる信念があった。
「上が言ってるから会わせないってのもありますが、俺個人としても刺激はしたくないっすよ。暴れられたら止めれる自信がないんで──
「稚影はっ……そんなこと、しませんよ……!」
思わず、口を出してしまった。
結衣さんが渋い顔をしているのを見て、失言だったと気付いた。
男が僕へ目を向けた。
「刺されたヤツが何を言ってんすか?自分がまた刺されるのは自業自得だけど、他人が巻き込まれたら責任取れるんすか?」
「……それは……」
正論だった。
稚影を知らない人からすれば、彼女は危険な『異能』を持った連続殺人鬼だ。
今、暴れていないのを偶然だと思い、刺激しないように振る舞うのは当然だ。
だけど、それでも……僕は諦めたくなかった。
どうにか、どうにかして説得を──
「それなら俺が責任を取ろう」
声の聞こえた方へ振り向いた。
そこには頭を包帯で巻いて、松葉杖までついている啓二さんの姿があった。
「げっ、啓二先輩」
「舞上、和希くんを通してやってくれないか」
「そんなの、俺に言われても困りますよ!課長の指示なんですから!」
力関係は啓二さんの方が上のようだ。
「お前が黙っていたら良いだけだ。違うか?」
「見逃せって言うんすか?」
「そうだ」
七課の刑事同士、視線がぶつかる。
片方は重傷だけど……。
「何でそこまで肩持つんですか?」
「大人だからだ。子供には、後悔させたくない……舞上、お前もそうだろう?」
啓二さんの言葉に男……舞上さんが顔を顰めて、腕を組んだ。
少し悩む素振りをして、深く息を吐いた。
「……はぁ、分かりました。けど、課長に黙ってるだけですからね。もし聞かれたら答えますし、何も手伝いませんから」
「構わない。無茶を言ってすまないな、舞上」
「貸し一つっす」
その言葉に、僕は頭を下げた。
「すみません、啓二さん……それと、舞上さん。僕が無茶を言って」
「ホント無茶苦茶っ──
「舞上、お前は話さないでくれ。ややこしくなる」
啓二さんが呆れた顔をしながら、僕へ顔を向けた。
「普段はもう少しまともなんだが。寝不足で疲れてる、許してやってくれないか」
「い、いえ……言ってる事はごもっとも、なので」
「そうか」
そうして……僕は頭を下げて、彼らの前を通り過ぎた。
「……結衣さんも、ありがとうございます」
「私が何かした覚えはないが。まぁ、感謝は受け取っておこう」
扉の前で、結衣さんが足を止めて僕を見た。
「後悔だけは、ないようにな」
結衣さんや啓二さんに見送られ……僕は廊下の奥へと進み、扉を開いた。
白い部屋の中で、ベッドに腰を下ろした少女が座っていた。
僕の方へ顔を向けず、ただ何もない壁を見ていた。
僕は息を呑んで……そして、口を開く。
「稚影……」
名前を呼んだ。
だけど、彼女は振り返らなかった。
「……和希、どうして来たの?」
顔も見せずに、声だけ掛けられた。
僕は拳を握って、口を開く。
「……稚影が心配で……いや、違う……ただ、僕が話したかったんだ」
「……そっか」
僕は稚影の横に座った。
彼女はそれでも、僕に目を向けなかった。
「ごめんね、和希」
だけど、ただ一つの謝罪を吐いた。
それは何の謝罪だったのか。
僕を騙していた事に対してか。
僕を刺した事に対してか。
それとも、全部なのか。
「……いいよ。僕は気にしてないから」
本心ではない。
本当は気にしている。
騙された事も、傷付けられた事も、僕は気にしている。
間違いなく、僕の心は傷付いた。
だけど、彼女を許したい。
僕は気にしていない素振りをした。
「……和希は優しいね」
「そうでもないよ。ただ……稚影だから、そう思っただけだよ」
「……そっか」
静かな部屋で、換気扇の音だけが響いている。
僕は膝の上で落ち着きもなく、指を組んだ。
「稚影は……その……何で、あんな事をしたんだ?」
僕はどうしても気になっていた事を口にした。
彼女が抱えていた罪……その理由。
どうしても知りたかった。
「……信じてくれないと思うけどね。私、未来が分かってたんだ」
「未来が……?」
「そう。だからね──
稚影がポツリ、ポツリと漏らした言葉は……確かに信じ難い物だった。
僕が『異能』に目覚める事を知っていたとか、クソ親父が希美を死なせるとか、未来で僕が悪い『能力者』と戦うとか。
そんな……信じられない事ばかり。
「……信じるよ」
だけど、僕は頷いた。
『異能』という超常現象があるから、なんてのは納得の要因の一割に満たない。
稚影の言葉だから、僕は信じた。
そんな僕の言葉に、稚影は僕へと目線すら向けず……深く、俯いた。
「私、馬鹿だよね。勝手に分かった気になって、いっぱい人を傷付けて……自分の思い通りに出来るって自惚れてた」
「稚影……」
「沢山の人を殺した。取り返しの付かない事をした……その成果が……結果が……和希を、殺しかけただけだった」
ボロボロと稚影が涙を流し始めた。
感情と共に止めどなく溢れて、溢れていく。
「私って本当に馬鹿だ……兄さんが死んだ意味も無意味にして……」
「…………」
「兄さんじゃなくて、私が……死んでおくべきだったんだ……」
布の擦れる音。
彼女の嗚咽。
電灯が点滅する。
ガラスに反射する光。
僕は……口を開いた。
「そうだよ。稚影は馬鹿だ」
「……うん」
「もっと早くに打ち明けてくれたら、違う道に行けた筈だったのに」
「……そうだよね」
稚影が服の袖を強く掴んだ。
「……でも、僕はもっと馬鹿だった」
「……え?」
「ずっと側に居たのに……稚影が苦しんでいるのに、気付かなかったから」
僕の言葉に、稚影は首を横に振った。
「違う……!私が隠してたから……!黙ってたから……!和希は……っ、悪くない……」
「そんな事ない」
「あるよっ……だって、だって……」
「稚影」
涙を流して取り乱す、稚影を見た。
そして、彼女の手を握った。
「一人で抱え込まないでくれ。君だけが悪いんじゃない」
「……和希」
「だから、自分が死ねば良かった、だなんて言わないでくれ……僕だって悪いんだから」
罪の意識と、後悔。
それが彼女を苛んでいる。
それは僕に取り除く事は出来ない。
いや、取り除いてはいけない。
彼女は『悪い事』をした。
それは事実だ。
死んでいった人達が蘇る事はない。
彼女の罪が消える事はない。
罪はなくならない。
「僕に、稚影の罪を、少しでも……背負わせて欲しい」
なら、その罪を少しでも分けて欲しい。
その感じている重さを、少しでも……僕が背負いたい。
夕焼けの中、彼女の持つ手荷物を僕は持った。
あの時のように、少しでも。
「和希……」
稚影が顔を上げた。
僕と目が合う。
「………」
泣き腫らした目が、僕を見ている。
「和希……でも、和希は……何も悪い事、してないのに……」
「僕が頼りなかったのが悪いんだ。その所為で、稚影に悪い事をさせてしまったから」
稚影が震えた。
まるで雨の中、捨てられた子犬のようだ。
「そんなの……変だよ。だって、和希……私に沢山、酷いことされたのにっ……どうして、そんなに私を──
僕は稚影を抱きしめた。
優しく、守るように抱きしめた。
「僕が稚影を好きだからだよ」
「……どう、して?」
稚影の手は僕の背に触れそうになり……止まった。
抱き返す資格がないのだと、そう考えているようだ。
「理由ならいっぱいある。一緒に居て楽しかったから……辛い時に助けてもらったから。ずっと一緒に居たいと思えたんだ」
「……和希」
「前に言ったじゃないか。稚影がどれだけ悪い事をしても、僕は嫌いになんかならないって」
「…………」
僕の背中に手が触れた。
強く、抱き締められる。
「……和希……ごめんね」
僕の胸元に顔を埋めて、稚影は謝罪の言葉を漏らした。
「ごめんなさい……ごめん……ごめんね」
何度も、何度も、何度でも。
それで少しでも気が晴れるなら、と。
守りたい……いや、守れなかった少女を。
僕はただ、抱きしめ続けていた。
「……ありがとう、和希」
稚影が涙を拭って、僕の胸元から離れた。
抱きしめていた手も離れて、少し距離を置かれた。
それに少し喪失感を感じながら、僕は彼女に目を向けた。
「いいよ。稚影にはずっと助けられて来たから。少しでもお返し出来たなら、よかった」
そんな僕の言葉に稚影は少し気まずそうな顔をして、目を逸らした。
「これから私、法の裁きを受けて……きっと、もう、和希とは会えなくなると思う」
「…………」
否定は出来なかった。
彼女のして来た事を考えれば、当然の報いだ。
「だから、忘れて。私の事は……この部屋を出たら、忘れて。私、和希の人生の……足だけは引っ張りたくないから」
僕は目を見開いて……首を横に振った。
「忘れる訳ないだろ」
「……忘れて欲しいのに」
「嫌だ」
「……こういう時、頑固だよね。和希って」
稚影が力なく笑った。
諦めの中に、ほんの少しの喜びが見えた。
部屋をノックする音が聞こえた。
アレは……もう時間がないという合図か。
僕の表情で、稚影も気付いたのか……顔を曇らせた。
「お別れの時間、かな」
「そうだな……」
後ろ髪を引かれるような、そんな思い。
稚影が僕へ目を向けた。
「今までありがとう、和希。希美ちゃんにも……ごめんって言っておいて」
「あぁ、言っておく」
「あ、あと……私の部屋にあるもの、好きに使って良いって言っておいて。使いたくなかったら、捨ててもいいけど……」
「捨てる訳ないだろ……まったく」
僕は笑みを浮かべた。
ぎこちなく、無理矢理な笑みを。
「えっと……あと、あとは……困ったな。急にいっぱい、話したくなっちゃった」
「……僕もそうだ。まだ沢山、話したい事がある」
僕は俯いた。
静寂の中、僕と彼女の吐息だけを耳にする。
そんな静寂を、ノックの音が引き裂いた。
扉が少し開いて、結衣さんが顔を見せる。
「和希。時間だ……啓二の奴が時間を稼いではくれるだろうが、あと数分が限界だ」
「……分かりました」
僕はベッドから立ち上がり、稚影の前に立った。
何を言うべきか、悩む。
最後に何を言えば良いのか、分からない。
そんな僕に稚影は微かな笑みを浮かべた。
「今までありがとう……さよなら、和希」
別れの言葉だった。
僕も口を開いて、その別れの言葉を返そうと……そう、思って……口を閉じた。
さようなら、なんて悲しい事を口には出来ない。
二度と会えないんだって、思いたくない。
だから、そう──
「……またな、稚影」
「……ううん、さようならだよ」
そう言い咎められた。
僕は口を噤んで、結衣さんの待つ部屋の外へと向かった。
何度も振り返りそうになりながら、それでも僕は足を進めた。
◇◆◇
手錠を掛けられた私は、パトカーに乗せられた。
『異能』という公には出来ない力を持つ犯罪者だから、扱いが難しいのだろう。
パトカーを運転しているのは神永 啓二だった。
怪我をしているのに、護送を買って出たらしい。
周りには何台かパトカーが並んでいる。
私が暴れたら即座に対処するつもりなのだろう。
「……少し、話しても良いか」
運転席の啓二が、振り返る事なく私に声を掛けてきた。
「……はい、大丈夫です」
私が頷くと、啓二はバックミラー越しに少し顔を強張らせていた。
「ここで今から話す事は秘密にして貰いたい。構わないな?」
「……いいですけど」
何を話すつもりだろうか。
この人は悪い人ではないだろうから、不安はないが。
「君は未成年で『能力者』の犯罪者だ。だから、法で裁く事は難しい。分かるか?」
「……はい」
「『異能』を使った犯罪は立件できない。だから、裁判は通されない……超法規的措置が取られるんだ」
薄々は勘付いていた事だ。
『異能』や『能力者』は公に出来ないのだから。
なら、禁固刑は難しいか。
……こっそりと死刑が、妥当かな。
そんな私に、啓二さんが口を開いた。
「……警視庁七課は人手不足だ」
「……そう、なんですか?」
脈絡のない言葉に、私は目を瞬いた。
「『能力者』関係の犯罪者相手に、殉職する奴も多い。だからな──
窓の外は太陽が少しずつ登り始めている。
「七課は君の力を借りたがっている。強力な『異能』を持つ『能力者』がいれば未解決事件も解決できると信じている」
「…………」
目を瞬く。
「無論、君の体の治療が優先されるだろうが……ここから連れて行かれる先で、偉いさんから減刑を対価に取引に持ち掛けられるだろう」
「……別に減刑なんかしなくても、私は協力しますよ」
「いや、それは素直に受け取った方がいい。司法取引がなければ、きっと無期懲役だからな」
ミラー越しに見える啓二の顔を見た。
何故、そんな事を言うのか。
「……いっぱい人を殺したのに、自由なんて望んでません」
「君が望んでいなくても、君を望んでいる人がいる」
啓二の言葉に、私は脳裏に……和希と希美が映った。
しかし、下唇を噛んで首を振った。
「だとしても……ダメです。私は私を許せないから」
パトカーの中で、私は背もたれに倒れ込んだ。
手に感じる熱、目に見える希望。
だけど、それを手にする資格は私にはない。
「……なら、和希くんの為だと考えたらどうかな」
「……和希の?」
「君が帰って来ないと、きっと腐ってしまうよ。彼は」
手錠の鎖が擦れて、音が鳴った。
「……大丈夫ですよ。きっと、数年もすれば私を忘れてくれるので」
「いいや、俺はそう思わない。君から見て和希くんは、好きな相手を忘れられるような男かな?」
「…………」
「彼はそんなに薄情じゃない。そうだろ?」
私は目を瞑った。
和希は優しいから。
和希はきっと忘れない。
私の事を忘れてくれない。
ずっと引き摺って生きていく。
私の影が彼を不幸にする。
それを阻止したいなら、どうすればいいのか。
私は──
「…………」
答えは出ない。
分かっているけど、分かりたくない。
安易な道に逃げたくない。
だけど……。
「……まぁ、今、答えを出さなくていい。だけど、どうせなら減刑を素直に受け取った方がいい」
バックミラー越しに、啓二へ目を向けた。
「出られるけど出ないのと、出られないから出ないのとでは違うからな」
その言葉に、私は頷いた。
頭の中で何度も、和希との別れを思い出していた。
「……いっそ、嫌ってくれたら楽だったのに」
耳に『またね』という言葉が聞こえた気がした。
私は俯いて、自分の手を見た。
……ぽつり、ぽつりと水滴が落ちていた。
人並みの幸せを享受する権利なんて、私にはない。
だけど、和希には人並みの幸せを享受して欲しい。
「私って……本当に……」
ただ、それだけの話なのに。
それだけの、話なのに。
「それでも会いたいなんて……そんな資格、ないのに……」
どうしてこうも、私は。
胸元を押さえて、私は。
私は……。
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