12話:この残酷な世界で

僕と彼女が出会ったのは10年近く前……小学生の頃だった。

あの頃、僕は……母がまだ生きていたけれど、父は家に帰ってくる頻度が減っていた。

幼いながらにも、自分の家庭状況が良くない事は悟っていた。

幼い妹の手を引きながら、僕は『不幸』だと感じていた。



楠木 稚影、彼女を見つけたのは偶然だった。


いつの間にかクラスに居た。

顔も覚えてなかったけれど、確かに……そういえば、同級生だった。


話した事もなく、関わった事もない。

僕からすれば、その他大勢の人の一人だった。


だけど、その目を初めて観た時……僕は怯えた。

彼女の目は薄暗い、暗闇のような深さを秘めていた。


僕は、自分のことを『不幸』だと思っていた。

だけど、もっと『不幸』な人がいるなんて思ってもいなかったんだ。

そんな思い込み。

今考えれば、なんて自惚れていたんだと恥ずかしくなるほど幼稚な考え。


そんな、自分の中にある『不幸』であるという自己同一性が揺れる。


……最初は、そんな目をして欲しくなかったからだ。

僕の『不幸』を貶めないで欲しいと。

彼女よりも僕の方が『不幸』なのだと思いたかった。


だから、彼女の手を引いた。

幸せにしてやろうと、そう思った。

自惚れた。


だけど、触れても、関わっても、話しても……彼女は『不幸』なままだった。


それが変わったのは、いつだったか。

誰も気付いていなかったけれど、目が変わったのを僕は感じていた。


彼女の兄が助けてくれたのだと、僕は知った。



僕は恥じた。

自身の浅はかさを疎んだ。

自身の『不幸』を誇ろうとする自分が嫌になった。



僕は……僕も、誰かを助けられたら良いと思った。

せめて、身近な人間の『不幸』を取り除きたかった。



……彼女は僕の事を『優しい』と言ってくれた。

違う、違うんだ。


僕はただ……君を助けられるような人になりたかった。

出会った事もない、君のお兄さんのようになりたかったんだ。




……そんな、彼女の兄が死んだ。


今度こそ、僕は稚影を守ると決めた。

彼女の兄の代わりに、僕は……手の届く範囲から大切なものを取りこぼさないように、僕は──





そして。






今。




「…………」



大きな廃倉庫の中。

老朽化してパネルの割れた天井から、夜空が見えている。

月の光が、僕の足元を照らしている。


金属を叩く足音が聞こえた。


僕はそちらへ視線を向けた。



「……稚影」



ゆっくりと、階段から降りてくる稚影の姿があった。


先程と格好は一緒……だけど、服の袖には真っ赤な血が付いていた。


誰の、血だろうか。

言葉に出来ない不安に、心臓が跳ねた。



「こんばんは、和希。月が綺麗だね」



そう口にしながら、笑みを崩さず……僕と同じコンクリートで舗装された地面に立った。


稚影と向き合う。

月の光が僕達を照らしている。


彼女は普段通りの仕草で、普段通りの笑みで……だけど、場所も格好も普段通りなんかじゃない。


僕は眉を顰めて、口を開いた。



「希美は……どこに、居るんだ?」


「そんなに焦らなくても良いじゃん。少し、お話しようよ」



稚影の発した言葉、それは提案だった。

だけど、有無を言わなさない強要でもある。

彼女の機嫌を損ねれば、希美は傷付けられるかも知れない。


今、僕は彼女の精神状態が分からない。

ずっと友人……いいや、家族だと思っていた彼女が、何故、こんな事をしているのか分からない。

何を考えてるのかも……分からない。


壊れてしまいそうな僕の心を、辛うじて繋ぎ止めているのは……妹を助けなければならないという信念だ。



「私ね、和希」



毎朝、学校に向かいながら話す雑談のように、稚影は口を開いた。



「今までずっとね、羨ましかった」


「……羨ましい?」



思わず、訊き直した。



「うん。希美ちゃんとね、和希の事が羨ましかった」


「…………」



会話しながらも、彼女の隙を探る。


『剣』は握っていない。

僕も、稚影も。


僕は稚影を刺激しない為に。

稚影は……いや、何故だろうか?

争う意志はないのだろうか。



「私、兄さんが死んで……とても悲しかったんだ」


「……稚影」



やっぱり、彼女が『異能』に目覚めたのは……あの事故がキッカケなのだろう。



「だけどね、希美ちゃんや和希が優しくしてくれて、私──



あの時から……彼女は──



「嫉妬しちゃった」



おかしく、なってしまったのか。



「私の兄さんは居なくなったのに、どうして二人は欠けずに楽しく生きてるんだろう」


「それは……そんなの……」


「似たもの兄妹だったのにね。おかしいよね?二人に優しくされる度に……どうして、兄さんが死ななければならなかったのか、私は狂いそうだったよ」


「稚影……僕は、僕達は、そんなつもりで……」


「知ってるよ。和希も希美も凄く優しいから」



まるで欠けた月のように、稚影が頬を吊り上げた。



「だからね、これは私の問題。私が悪い。私がおかしいの」



自虐する彼女に、僕は……拳を握った。

気付かなかった自分を恥じて、そして決意をする。



「稚影、今なら間に合う」


「間に合う?」


「あぁ、そうだ。僕と希美と稚影の……三人で家に帰ろう」



僕は提案する。

潤む視界を耐えて、怯える心を奮い立たせる。


稚影は……僕にとっての家族だ。

希美だって、きっと分かってくれる。



「気付かなかったのは……ごめん、謝るから……頼む。僕は君を傷付けたくない」


「……へぇ、そっか。それは──



稚影が──



「残念だなぁ……」



呆れたような、悲しむような目で僕を見た。

笑みは崩れて、蔑むような表情をしている。


……僕は、息を呑んだ。



「稚影、嘘じゃない……!僕はっ──


「希美ちゃんも和希も、バカだよね」



言葉を、遮られた。



「自分達がどんな状況なのか分かってないよ。私がどれだけ悪い人間なのか分かってない」


「稚影……」


「そうやって私の善性に縋って、本当は善人なんじゃないかと期待してる」



稚影が指で、上を指した。

視線を……そちらに向ける。


ビニール製のゴミ袋が、錆び付いたクレーンに引っかかっている。

それは……赤く、濁っていた。



「ずっと、騙してきたんだよ?今更……何を期待してるんだろうね。そんなのだから──



稚影が右手に『剣』を出した。

僕は、それを眺めている事しか出来なかった。


赤く、黒く濁っているゴミ袋。

あれは……何だ?

どうして、赤いんだ?



「こうやって、バカみたいな死に方をするんだよ」



稚影が『剣』を振り上げた。

触手が彼女の影から飛び出して……僕は慌てて飛び退こうとして──


触手の伸びる先が、僕ではなく頭上のゴミ袋なのだと気付いた。


そして、触手は……ゴミ袋を引き裂いた。


僕と彼女が挟む場所に、中身が零れ落ちる。



「っ、あ……」



溢れ出る腐臭。

そして、血の臭い。


誰かの死体だと、気付いた。

ドロドロに崩れた血肉に、幾つか、人の破片が落ちている。


思わず、手で口を覆った。


視線は……そのゴミ袋に入っている死体から離れない。



「ねぇ……これ、誰だと思う?」



稚影が『剣』を消して、無造作に死体に近寄る。

そして、手や服が汚れるのも気にせず……まだ人の形を保っている何かを、持ち上げた。


それは、人の手だ。


……切断面から血が、ぽたり、ぽたりと溢れている。



「う、ぁ……」



地面に落ちた衝撃か、それとも切断される前からか……その肌は擦り傷まみれになっている。


誰の手か。



「あ、あぁ……」



僕は……ここに来る前から、最悪の想定をしていた。

だけど、そんな事はない筈だと心の奥底で信じていた。


稚影が、そんな事をする筈がないと。



「な、なんで……そんな……ぁ」



だけど、その手を見た時、分かってしまった。

もう原型を留めていない程に傷まみれになっていても。



「希美……」



そのマニキュアに、覚えがあった。



「そう、正解。大当たりだよ」



希美の誕生日に、稚影がプレゼントしたマニキュアだからだ。

大切に使っていて、僕に自慢してきたのを……覚えてる。



「希美ちゃんもバカだよね。殺される直前まで、ずーっと私の事……信用してたんだよ?おかしくて笑っちゃった」



そう言って、稚影は……まるでゴミを捨てるかにように、希美だったものから手を離した。

小さな音を立てて、コンクリートの地面に捨てられてしまった……希美の手。



それを、見て……僕は──


……僕の心は──


軋む心は──



「う、あ……な、んで……」



希美を守るという意志で、何とか持ち堪えていた、心が──


音を立てて、崩れ落ちる。



「なんで……」



膝が震えて、僕は蹲る。

もう、立てない。


立ち上がれない。

立ち上がりたくない。



「なんで……こんな事をしたんだ、稚影……」



家族だと思っていた。

いいや、今も……家族だと思っている。


悔しくて、悲しくて目を瞑れば……楽しそうに笑う希美の顔……それを微笑ましそうに見ている稚影の顔。


僕の記憶。


守りたいもの。



「和希に苦しんで欲しいから……かな?」



それが、血で汚れていく。

もう、顔も見えない。

二人の笑顔が……赤く、濁っていく。


稚影が……足元の、希美の手を蹴った。

転がって、僕の側に来る。


まるで、ゴミのように扱う……その仕草に──



「あ、ぁ……」



僕は呆然とした。

希美と稚影は親友だと、姉妹のようだと思っていた。

そう、信じていた。


それなのに、嘘だった。

偽りだった。



「……僕と、稚影は……僕は、想っていたのに……」



僕は稚影が好きだった。

それは、掛け値なしに本当だ。



「へー、嬉しいなぁ」



興味もないように、稚影が嘲笑った。


本当に、好きだった。

好きだったのに。



「希美だって、稚影のことを親友だって、家族だって……なのに!」



僕は顔を上げる。

稚影は僕を見下して、笑っていた。


僕が睨むと……少し、表情が歪んだ気がした。

それはきっと、僕の願望で……彼女は、本当は何でもないように思っているのだろう。


僕も、希美も。


彼女にとっては、大切な存在ではなかったんだ。



「ねぇ、和希」



気楽そうに、声を掛けられる。



「……稚影」



稚影は場違いな程、朗らかに笑っている。


 

「今、どんな気持ち?」



どんな、気持ちか……だって?

そんなの、分かりきってるじゃないか。


好きだった女の子に裏切られて、大切な家族をゴミみたいに投げ捨てられて。


僕は、僕の気持ちは。



「大切なものを自らの力不足で失う気持ち……信じていた人に裏切られる気持ち。私に、教えてくれないかな」



彼女にとって希美の死はどうでも良い事なのだ。

殺したのも僕を苦しめたいから……それだけ。


そうだ。

いつもそうだった。


僕は『肉』の『能力者』に苦しめられてばかりだった。

ずっと、そうだった。


彼女の目的は僕を苦しめる事だった。


稚影は……僕の事も、希美の事も……好きなんかじゃなかった。

全ては、この時のために……僕を苦しめるためだけに。

ずっと……騙してきたんだ。



……僕に残っていた彼女を信じる気持ち。

助けたいという願い。


全てが、血で汚れて、壊れていく。


壊したのは……彼女自身だ。


心を占めるのは怒り。

憎しみ。


引き裂かれた僕の心。

その隙間に、負の感情が入り込む。



「稚影……お前だけは、僕が……」



右手に『剣』が現れる。

僕の鼓動に応じて、『剣』に走る血管のような脈が……強く、脈打つ。


この力は大切な物を守るために手に入れた力だ。

だけど、もう僕には……大切な物なんてない。


全て、壊されてしまった。

守りたかった妹も。

愛していた少女も。


すべて、彼女が踏み躙った。


……稚影が手を宙に翳す。

その手には『剣』が握られていた。



「そうこなくちゃ……」



心底、嬉しそうに笑いながら……『剣』を構えた。


大切な妹の死体を挟んで、大切だった想い人と向き合う。

凶器と殺意を向け合って……視線を交える。



裏切られても良い。

傷付けられても良い。

弄ばれたって、嘘を吐かれたって……許せた。


だけど……希美を殺した事だけは、許せなかった。


稚影が目を細めて、笑った。



「さぁ、どこからでも掛かってきなよ」



これから行われるのは──



「僕が……殺して、やる……」



殺し合いだ。


もう、これ以上……僕の記憶を汚されたくなかった。

大切だった少女は、もう何処にもいない。


それならせめて……これ以上、誰かに『不幸』を振りまく前に、僕が止める。


愛おしい思い出を血で汚したのは彼女だ。

だから、僕は彼女を……殺す。


涙が溢れた。

だけど、もうこれ以上は溢れない。


守りたかった。

助けたかった。

だけど、今は。


もう……。


僕には。






どうして、こんな事になってしまったのだろうか。


その疑問には誰も答えてくれなかった。









◇◆◇









私は手に持った『剣』を振りかぶる。

『異能』を行使して、『剣』身に血を纏わせる。



「……さぁ、頑張って避けてね」



そのまま、薙ぎ払う。


『剣』に付着していた血が撒き散らされる。

操られた血が宙を舞って、小さな三つの刃を作り出す。


それらを『異能』で弾き飛ばし、和希へと飛ばす。


私の得意とする『血の斬撃』だ。

目的は切断じゃなくて、付着した血による身体操作だけどね。


素肌で接触すれば、体の自由を奪える。

必ず殺す技……文字通り、必殺技だ。



和希はそれを──



『剣』を薙ぎ払い、二つ叩き落とした。

血は一定量で固まっていないとコントロールが難しくなる。

ああやって破壊されれば、制御を失う。


和希はそれを知ってか……いや、知らないだろうな。

きっと、偶々だ。



さて、飛ばした血の攻撃は三つだった。


残り一つをどうやって避けるのか?

傍観していると──


『剣』を盾にして、突っ切ってきた。



「へぇ……?」



思わず驚いて、声が漏れた。



和希の『剣』はそれほど大きくない。

細く、長い『剣』なのに……的確に、血の斬撃を防いだ。


しかも、そのまま接近まで──



和希の『剣』が脈打っている。

和希の『異能』……なるほど、かなり強まっているようだ。


私は『剣』を肉付けして『大剣』へと形を変える。


和希に私の心を覗かれるのは拙い。

だから、『剣』同士の接触は避けなければならない。


『剣』は『能力者』の心の発露だ。

体の外に出て外界へと干渉するようになった『心』そのものだ。


だから、触れ合えば互いの感情が逆流する。


……もしも、この心を曝け出してしまば、私の願いは叶わなくなるだろう。


だから、私は『剣』を肉で補強した。

これは私の心を守る肉壁だ。



それを……薙ぎ払う。

私の身長よりも巨大な『大剣』が、空を裂いた。


和希は……数歩引いて、それを回避した。



「あれ?よく避けたね」



……やっぱり、『異能』の出力が上がっている。

私に裏切られた事か……それとも、希美の死体を見たからか……どちらが原因だろうか。


まぁ、どちらでもいい。

重要なのは結果で、過程に意味などない。



和希が私を見る。

私も和希を見た。



……今まで、私に向けた事のないような目。

いいや、それどころか誰にも向けた事のないような視線。



思惑通りだ。

想定通りだ。


なのに、何故?


どうして、こんなにも……苦しいのだろう。



じくり、じくりと胸が痛む。



だけど、涙は出ない。

涙腺はとっくに壊れている。



「次、行くよ?」



私は自分の心を誤魔化すように、『大剣』を振り上げ、地面を叩いた。






◇◆◇






稚影が、地面を叩いた。


砕けた石片に血肉が付着して……生き物を形作る。


さっきの血の攻撃とは違う……質量を伴う攻撃をする気だ。


石を取り込みながら、血肉は……四つの足が生えた獣になった。

頭が生えて、二つの耳が立つ。


……血と臓物で出来た犬だ。



「可愛いでしょ?」



犬が首を上げて、僕を見た。

充血した目は人の目のようで、剥き出しになった歯は……肋骨のような物で出来ていた。



……可愛い訳なんか、あるものか。



そう心の中で吐き捨てて、『剣』を構える。


血と臓物で出来た犬が、僕に向かって走り出した。

かなり速い。


人間なんかとは比べ物にならない速度だ。


だけど──



『剣』が脈打つ。



そのまま、『剣』を振るう。


偶然、振るった先に犬が入り込み──



「このっ!」



頭を叩き潰された犬が、そのまま弾き飛ばされた。



「あーあ、酷いことするなぁ、もう」



頭が砕けた犬は、再度立ち上がり……また、僕へ駆け寄ってくる。


分かってる。

あれは『異能』で作られて、操られている血肉の集合体だ。


頭を砕いた所で意味はない。



また、『剣』が脈打つ。

僕の『異能』が何なのかは分からない。


だけど、今はこの力を信じるしかない。



顔のあった部分から骨を剥き出しにして、犬が迫り来る。


僕は腰を深く落として。


『剣』を振り上げる。



今度は偶然、接近してくる犬の身体に命中して……真っ二つになった。

運良く、返り血も浴びていない。



「……はぁ、くっ、そ」



しかし、息が切れる。


さっきの戦いでも身体を動かしていた。

この工場までも急いで走ってきた。


休む暇なく、今、戦っている。


僕の身体は正直限界だ。


この身一つと、『剣』が一本。

僕はそれだけで戦っている。


しかし、稚影は身体も殆ど動かさずに『異能』で攻撃してくる。


長期戦になれば、先に音を上げるは僕だろう。



「凄いね、和希。今のも対処できるんだ」



それはきっと、稚影も分かっている。


決着は早急につけなければならない。

……そうしなければ、負ける。


だけど、この戦いの決着とは……つまり──





僕が、稚影を殺す、という事だ。





膝が、震える。



「く、うっ……!」



怯えるな、竦むな、逃げるな。

僕はもう決意した筈なのに、それでも。


それでも、彼女を殺したくないと思ってしまう自分がいる。


息を深く吐いて、落ち着かせる。


彼女は僕達を裏切った!

希美を殺したんだぞ!

それなのに、何を躊躇う必要があるんだ!


心の中で叫ぶ。

怒りを再実感して、憎しみを形にしようとする。


なのに、どうして。



「うん?どうしたの?攻めて来ないと、勝てないよ?」



どうして。



「分かってるよ……そんな事!」



どうして。



「言動と行動がバラバラだね。まだ躊躇ってるんだ」



どうして。



「……く、そっ!くそ!くそっ!」



どうして、こんなにも……。



彼女に死んで欲しくないと、考えてしまうのだろう。



『剣』を強く握りしめて、意図的に彼女を睨みつけて、歯を食いしばって……。


そうやって、戦おうと己を鼓舞しなければ、彼女に向き合えない。

そんな自分の弱さを、今……自覚してしまった。


そして、その姿は……稚影に見透かされているのだろう。


呆れたように、ため息を吐いた。



「和希って……本当にバカだね」



稚影が『大剣』を構えて、僕に一歩、近付いた。






◇◆◇






和希の『異能』。

その性質上、彼の心が……願いが重要になる。


彼自身は運が良くなる『異能』だと、勘違いをしている。


確かに、その一面はある。

だけど、その本質は……。



不確定な『可能性』の中から、自分の望んだ『結果』を引き寄せる能力。



似てるようで、少し違う。


助けたいと思った相手を助けて、殺したいと思った相手を殺せる……その『可能性』さえあれば。


相手の攻撃を避けれる『可能性』があれば、回避出来る。

相手に攻撃を当てられる『可能性』があれば、必中だ。


それが、彼の『異能』の本質。

私の知る限り、最強の『異能』だ。


そして、その望む『結果』を引き寄せる力の強さ、それが彼の『異能』の出力に大きく紐付いている。


小さな『可能性』を引き寄せるには、それ相応の強い『心』の力が必要になる。


だから、私は彼を育てる必要があった。


強くて、邪悪な……途方もない敵達に打ち勝つには、強い『心』が必要だから。



そして、その『異能』。

望んだ『結果』を引き寄せるという事は……私を助けたいと思ってしまえば、助けてしまう『可能性』を引き寄せてしまう。


それでは、ダメだ。

和希の心を成長させられない。


私の望む未来のために……和希には──



「和希って……本当に優しいバカだね」



ここまでしても、私を心の底から憎めないなんて。


私は『大剣』を床に突き刺す。

地面に血が走り……散らばっていた死体に繋がる。



「……や、やめろ!稚影!」



和希も私が何をしようとしているのか、気付いたようで怒鳴り声を出した。


死体の血肉を集めて、人の形を作り出す。


と言っても、皮膚も存在しないグロテスクな肉人形だけどね。


死体を弄ぶ凶行に、和希が私を睨んだ。



「稚影、お前……!」



分かる、分かるよ、和希。

和希は優しいから、こういう事が許せないんだよね。


だから、私はやるね。

和希が私を許せなくなるように、私も努力するよ。



「さぁ、行って。和希を殺して?希美ちゃん」



死体が組み上がり、人の形になったソレが……和希には向かって襲い掛かった。






◇◆◇





「う、あぁ、ああぁ!」



叫びながら、『剣』を構える。

目の前に迫る、皮膚を引き剥がして臓物を剥き出しにした人形に『剣』を向ける。


希美。


希美、希美、希美。


希美が、希美だったモノが……稚影に弄ばれて、バケモノになって僕へ襲い掛かる。


その肉人形は手から骨を剥き出しにして、僕へ突き立てようとする。

逃げ出したい感情が溢れる、もう何もかもが嫌になる。



それでも『剣』が、脈打つ。



その骨を『剣』で受け止める。



「う、あぁ、くそ、くそ!何で、何でこんなっ──



骨を弾き、死体を蹴飛ばした。

さっきの犬型よりも動きが遅い。

なのに、僕は苦戦している。



「何で、こんな事が出来るんだよ!稚影!」



強く、強く、心の底から怒りを込めて稚影を睨んだ。



「ほらほら、和希。こっちを見てる場合じゃないよ?」



命を嘲笑い、友情を嘲笑い、僕を嘲笑う。


稚影は……もう、僕の知っている稚影じゃない。


分かっている。

分かっていたのに、今更……。


彼女に情を湧かせていた自分が嫌になる。

バカみたいじゃないか、僕は。



「さぁ、希美ちゃん。和希も同じ姿にしてあげてね?」



稚影の言葉と共に、希美……いいや、肉人形が襲いかかってくる。


気分は最悪だ。

吐き気がする。


だけど、ここで……。



ここで、僕は……。



死ねない。



「こ、のぉっ!」



『剣』を振りかぶり──



『もう、お兄ちゃんったら……女の子のこと、全然分かってないんだから』

『プリン買ってきてよ、お兄ちゃん!』

『お誕生日、おめでとう!これ、稚影ちゃんと一緒に選んだんだよ?』

『稚影ちゃんと恋人に……?それってホント?』

『私、稚影ちゃんを慰める……ううん、違う。立ち直れるキッカケになりたいの』



希美だったモノを、切り裂いた。

骨が砕けて、臓物が引き裂かれて、血が吹き出す。



思わず、目を瞑ってしまいそうになるけど……それでも、目を逸らさず──



「希美……ごめん……」



その、死体が崩れていくのを……見ていた。



ごめん、希美。

ごめんな。


ごめん。

本当に……ごめん。


でも、僕は……やらなきゃならない事があるんだ。


だから、ごめん。



「……あーあ、壊しちゃった」



吐き気を堪えて、震える両手で『剣』を握り直して──



「稚影……!」



殺すべき『外道』を睨みつけた。



「ふふ、少しは良い顔をするようになったね」


「黙れ……」


「それでこそ、殺し甲斐があるってもんだよ。ホントにね」


「黙ってくれ……!」


「さぁ、私と──


「もう、喋らないでくれ!」



これ以上、好きだった少女の姿を汚さないでくれ。

思い出を穢さないでくれ。


もう、その言葉を耳に入れたくもない。

黙らせてやる。



「……いいね」



僕の様子に、稚影は笑って……『大剣』を向けた。

その『大剣』をコーティングしていた血肉が溶けて、崩れ落ちる。


彼女の『剣』が剥き出しになる。



「ここから先は、小手先だけの技は要らない。本気で……殺し合おっか」



その意図は掴めない。

だけど、彼女の意図が掴めないのは今に始まった事じゃない。


彼女の裏切りを知った時から、ずっと分からなかった。


だから、今更だ。



「…………」



僕が無言で『剣』を構える。


稚影が油断しているのは分かった。

『異能』を使わないと言うのなら、それは好都合だった。


彼女を……殺すんだ。

僕の手で、決着をつけるんだ。



「さぁ、行くよ」



稚影が『剣』を構えて、僕に向かって……走り出した。

僕はそれを迎え撃つ。


僕の持つ『剣』が脈打つ。

脈打つ、脈打つ、脈打つ。

何度も、脈打つ。


迷っていた心を振り払い、僕は『剣』を……迫る彼女に叩きつけようとして──








『愛してるよ……和希』








僕の手にある『剣』が、砕けた。

僕の戦意と共に、心の刃は砕け散った。




「……え?」




声をあげたのは僕か、稚影か。

それとも、両方なのか。


ぶつかる筈だった彼女の『剣』は、僕の前を素通りした。

受け止めるための武器は、ここにはない。


だから、稚影の持つ『剣』は……そのまま──





僕の身体を、貫いた。









◇◆◇







手に残る、肉を割き、骨を断った感覚。

その感覚に呆然としながら、私は目を見開いた。



「なんで……どう、して……?」



理解できない。

理解できない。

目の前にある景色が理解できない。


どうして、和希が私の『剣』で貫かれているんだ?



「あ……」



『剣』が抜けて、和希が地面に転がった。

コンクリートの床に打ち付けられた和希から、血が……生命が漏れていく。



「和希……っ!」



慌てて、私は和希の腕を掴んだ。

脈はまだある。

死んではいない。


だけど……このままでは死ぬ。


和希が死ぬ。


死んでしまう。



「あ、ぁ、あ……」



私は『剣』を和希に押し当てる。



「……稚、影?」



和希の声が聞こえる。

覇気のない声に、堪えていた涙がボロボロと溢れていく。



「い、いま、治すから……待って、お願い……」



『剣』が脈打つ。

傷口を縫って、血を増幅させ、結合する。

それでも、間に合わない。



「なんでっ、治してる筈なのに……なんで!?」



慌てている私を見て、和希が僅かに笑った。



「……稚影、は……そうか……よかっ、た」



何が『よかった』のか。

私には何も分からない。

どうして殺し合っている相手を思いやれるのか、分からない。



「か、勝手に死なないでよ!待ってよ!和希!」



必死に傷口を塞ぎながら、私は涙を流していた。

嗚咽を漏らし、鼻水まで出ている。



この結果は私が招いた結末だ。



「お願い……お願い、だからぁ……!」



結局は、私に兄の代わりは務まらなかった。

愛する人を強くするためと言い、大勢を殺して……その末路が、愛する人を手に掛ける事だった。


そんなの、少しも笑えない。

私が傷付くだけならば良かったのに。



「死なないでよ……和希……」



あぁ、そうか。

この残酷な世界のルールに、抗おうとしなかった私が……悪かったのだ。



「お願い……だから、死なないで……」



『剣』を手にした時点で、和希と共に戦えば良かった。

横に並んで、苦難を共に乗り越えようとすれば良かった。



「あ、ぁ……」



私は逃げたんだ。

苦難から逃げて、目に見える安易なハッピーエンドを目指して……人を傷付けた。


これはその報いだ。



「なんで……こんなの、変だよ……」



だけど、報いだと言うのならば、和希ではなく私に降り注ぐべきだ。



「和希……私……は……こんな、筈じゃなかったのに……」



和希を抱き留めて、必死に『剣』の力を行使する。

それでも、少しずつ抜けていく生気を留める事は出来ない。



「……ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい」



こんな結末なんて、私は──



「稚影ちゃ……お、お兄ちゃん!?」



声がした方向へ目を向ける。

そこには……血塗れになっている希美の姿があった。



「希美ちゃん……なんで、ここ、に?」



確かに、離れた場所で監禁していた。

拘束もしていた筈だ。

なのに……何故、ここに?



そこで、私は気付いた。

彼女の手に握られている物。

それは……『剣』だった。

薄い紅色の硝子でできた『剣』が、その手に握られていた。



「希美ちゃん……?」


「……お、お兄ちゃん!なんで……稚影ちゃん、どうなってるの!?」



現実を咀嚼出来ずにいる私に、希美が駆け寄った。



「か、和希は……私が、刺し、ちゃった……」



傷は『異能』で塞いだ。

だが、中の血管はズタズタだ。

自分の体の中ならばもっと正確に操作できるが、他人の身体は難しい。

私には、和希を救えない。



「……っ」



希美は息を詰まらせながら、和希へと目を向けた。

流血や、内臓の損傷で顔色が悪くなっている。


口の中が乾く。

和希が長くは保たないのだと、理解できる。

できてしまう。

人を多く殺してきたからこそ、分かってしまう。


もう助からないという事を──



「……私が、なんとかするよ」



希美がそう口にした。



「希美ちゃん……?」



縋るような視線を、彼女に向けてしまう。

どうにもならない現実を、どうにかしてくれるのではないかと期待してしまう。



「……私が、なんとかしないと」



希美は顔を顰めたまま……その手に持つ『剣』を和希に向けた。

ドクン、ドクンと『剣』は脈打っている。


私の知らない力が働いているのだと理解出来た。


そして、そうして──

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