薬食い

陽子

薬食い

 あんた、これはもう治らないぞ。こんな掃き溜めにいるヤブ医者なんかに治せる病じゃない。金があるんなら普通の病院へ行ってみろ。たぶん治せないって言われるだろうがな。


 は?――ロクウリ? ロクウリなら治せるはずだって?

 あんたそれ、どこで聞いたんだよ。くだらねえな。まだ噂してる莫迦がいるのか。


 でも、まあ、確かにな。ロクウリなら、あいつなら治せたかもしれない。どんな病でも治せるんだって吹いてたからな。

 ただ残念だったな、あいつはもういない。とうに灰になって無縁塚の下で眠ってるよ。

 大体、どんな病でも治せるってのは、そんな夢のあるもんじゃなかった。





 鹿を売る、って書く。それで鹿売ロクウリ。絶対本名じゃないよな。名前どころか、そもそも俺は、あの男の素顔も年齢も何も知らなかった。


 鹿売は白い頭巾を被って経帷子みたいな白衣を着ていた。頭巾の下から伸び放題の髪が溢れていて、いつも生薬に似た独特の匂いがした。東洋医学を修めた名医だとか言ってたが、本当に名医ならこんな掃き溜めには来ないだろ。ヤブしかいないんだぞ。

 鹿売はとにかく変な奴で、口も悪けりゃ手癖も悪い、他のヤブ医者を莫迦にする、それで盛大に嫌われていた。俺は同じくらい性悪だから平気だったが、こういう掃き溜めでも一応コミュニティがある。そこから弾かれたらろくな仕事にはありつけないんだ。


 だからちょっとは遠慮しろと忠告してみたが、鹿売はまったく聞く耳持たなかった。

「腕が良ければ仕事は来る。どこでもそんなもんだろ」

 あいつは金属が擦れ合うような耳障りな声でそう言った。こいつは本物の莫迦だと思ったが、実際鹿売は腕が良かったよ。


 あいつはよく漢方を煎じて薬を作っていた。一口飲んだことがあるが、クソ不味かった。何を入れてるんだか、苦すぎて涙が出るほどだ。でも、良薬は口に苦しって言うだろ。だからか、あいつの薬はよく効いた。

 それが少しずつ評判になったのか、鹿売の患者は増えていった。金持ちから貧乏人まで、どうやっても治らなかった連中が最後に縋る藁が鹿売だ。鹿売に慈善の精神なんて無かったから、金持ちからも貧乏人からも平等に薬代をがめつく取り立てて、あいつのせいで破産した奴もいたよ。莫迦だよな。

 俺はそんな鹿売を治していた。



 どういう意味かって? そのまんまだよ。鹿売はいつも怪我ばかりしてた。あいつを嫌ってる奴とかあいつのせいで破産した奴にやられたり、あと単純に頭巾で視界が塞がってるからな、よく転ぶんだろ。

 莫迦だなあと思ったけど、俺はあいつを見かけるたびに手当てしてやった。腹を殴られてることが多かったな。だから遠慮しろって言ってるのに、鹿売は頑なに態度を変えなかった。

「鹿売はあんたらみたいな庸医ヤブとは違うんだよ」

 俺に手当てされてるくせに、あいつはそんなことをほざいた。頭巾のせいで顔は見えなかったが、声だけで十分不貞腐れてるのは伝わった。

「うるせえな、どうせ無免許仲間だろ」

 俺が肩を小突くと、あいつは錆びた声で少し笑った。



 ただ時折、鹿売は奇妙な傷を拵えていた。

 一番気になったのは、指の爪だ。爪がよく剥がれていて、しかも血が乾くまで放置していることが多かった。

 腕の内側、柔らかい肉の部分が削がれていることもあった。踵の肉が削られている時もあって、あの時は血の海でへたり込んでるあいつを見つけて腰を抜かしそうになったな。


 陰険な仕返しだと思った。拷問じみてるだろ。めんどくさい奴に恨まれたなと言ったが、あいつは誰にやられたのか絶対に言おうとしなかった。いつもなら悪口言われるだけで何倍も言い返す上に手も出るくせに。

 まあ、でも、心配してやる義理は無い。俺がとりあえず止血する間、あいつは礼も言わずに蹲っていた。顔が見えないと、他人の考えていることなんか少しも分からないんだな、と思った。


 鹿売は俺に対しても横暴だったから、診察料も薬代も払わなかった。俺は特に文句は言わなかった。別に慈善活動をしてるわけじゃない。あいつに掛かった医療費は全部帳簿につけていたから、後でまとめて請求してやろうと思っていただけだ。

 請求額はどんどん増えていった。




 でもある日、鹿売の元にヤバそうな客がやって来た。

 いや、いつもどん詰まってる客しか来ねえけど、ただ、目つきが違ったんだ。真っ黒で、腐ってるような色だった。いつか医療ミスで患者を殺した医者がここに流れてきたが、そいつの目とどこか似ていたと思う。人殺しの目だ。


 その男は患者自身ではなかった。そいつの親分が死にかけているらしい。なぜか前から鹿売を知っていたようで、「先生にぜひ親父を治してほしい」と慇懃に頭を下げていた。鹿売を「先生」と呼ぶ奴は初めてだったよ。

 金払いも良さそうだし、目つきがヤバいとはいえ表面上は腰が低かった。だけど、あれはヤクザだろ。俺は鹿売に断れと言った。断れるもんなのか知らなかったが、引き受けるよりマシだと思ったんだ。


 でも鹿売は莫迦だから、引き受けた。乗り気には見えなかったが、よく考えてみると、鹿売は自分の元に来る患者を一人も断ったことが無かったな。

 ヤクザの男は鹿売に前払いで金を払った。金額を聞いて絶句したよ。それだけあれば一生遊んで暮らせると思った。でも鹿売は「違う」と言った。

「あいつはこれで鹿売をんだよ」

 その時は意味が分からなかった。俺はただ、溜まった請求書を鹿売に突きつけようかどうか迷っていた。


「なあこれ、失敗したらどうなるんだ?」

 金を返せと言われるぐらいならまだ良い。失敗すれば殺されるんじゃないかと思った。たぶん俺は、鹿売のことを少し心配していた。

 なのにあいつは、いつものように傲然と言った。

「鹿売はどんな病でも治せるから大丈夫だ」

 白い頭巾の面が俺の方を向いた。顔の凹凸が影になっていて、それが笑みの形に歪んでいた。


 莫迦かよ、と思った。聞くかぎり、その親分はもう治せない。病が末期まで進行して、外科手術ではどうにもできなくなっていた。その状態から完治したら奇跡だと、いくらヤブでも分かるはずだ。

「漢方じゃ治せないぞ」

 俺はそう言ったが、あいつは聞く耳持たなかった。



 鹿売はしばらく、その死にかけの親分の元へ通った。俺はもう何も言わなかった。聞く耳持たない奴に忠告したって虚しいだけだ。

 それに、治せずヤクザに袋叩きにされれば鹿売も懲りるかもしれないだろ。袋叩き程度で済めば、俺が治せるしな。


 でも予想に反して、鹿売の治療は順調だった。臥せったままだった親分が少しずつ起き上がれるようになったと、人殺しの目をした男は喜んでいた。鹿売は追加で報酬を貰っていた。


「どんな魔法使ったんだよ」

 俺はいつものように鹿売の手当てをしながら訊いた。誰にやられたのか、二の腕の皮膚がベロベロに剥がされていて、消毒すると頭巾の奥からくぐもった呻き声が聞こえた。経帷子みたいな白衣に血膿が染み込んで、ヒガンバナみたいな模様になった。

「……魔法じゃない。治療だ」

 鹿売はゆらゆら頭巾を揺らして呟いた。頭巾の下から溢れていた髪は、なぜか短くなっていた。切り方が下手くそだと思った。


 たぶん気まぐれだ。俺はあの時、髪をちゃんと切ってやるよ、と言った。鹿売は珍しく素直に言うことを聞いて、俺が鋏を持って後ろに回ると頭巾を外した。

 せっかくなら、顔を見とけば良かったな。でも俺は後頭部だけ見て、乱れた毛先を切り揃えた。鋏が首筋に当たるたび、鹿売は小さく肩を縮めていた。


「……あんたには教えてやるよ」

 ふと、鹿売はそう言った。頭巾に遮られていないとこんな声なのかと思った。

「教える? 何をだ」

「鹿売はどんな病も治せる、そういう薬を煎じることができる」

 反応に迷って、へえ、とだけ言った。こいつが思ったより頭がおかしいのか、俺の常識がおかしいのか、どっちか分からなくなっていた。

「だから死にかけの老人だって治せる」

 名医だからな、と言う声に少し自嘲するような響きが混じった。俺はそれに狼狽えて、手を止めた。鹿売がどんな顔で言っているのか確かめたくなったが、なぜか顔を見るのが怖かった。


「……そんな薬があるなら、医者は商売あがったりだろ」

 迷った末にそう言うと、「安心しろよ」と鹿売は言った。

「どんな病も治す薬は、一生に一度しか煎じることができないんだ」

「一度きりなのか」

「そうだよ」

 鹿売はそれ以上何も説明しなかった。俺ももう訊こうとは思わなかった。


 ただ、そんな貴重なものを、鹿売は死にかけの老人に使おうとしているのか、と思った。俺は顔も知らない、ヤクザの爺さんに。

 そう思うと、腹の底に何か嫌なものが凝った気がした。





 鹿売はそれからもヤクザの元に通い続けた。

 結末は、最初に言った通りだ。鹿売は死んだ。死んで無縁塚の下で眠ってる。


 ――は? 鹿売は結局ヤクザに殺されたのかって?

 違うよ。あいつはちゃんと、仕事は成功させたんだ。


 そうだ。ヤクザの親分は本当に完治したんだよ。どんな本物の名医も治せなかったものを、こんな掃き溜めにいる得体の知れない奴が治した。莫迦みたいな話だろ。


 でも鹿売は帰ってこなかった。あいつは自分で自分の腹を刺して死んだと、あとで人殺しの目をした男から聞いた。

 俺が何でだと訊いたら、あの男は意外そうな顔をした。お前、鹿売ロクウリの意味を知らないのかって。

 そう言われて、俺が今まで治してきたあいつの妙な傷のことを思い出した。


 爪が剥がれていたのも肉が削げていたのも、たぶん髪が短くなったのも。

 ――あいつは全部自分でやってたんだ。



 違う、自傷癖じゃない。それがあいつの仕事のやり方だったんだよ。

 なあ、知ってるか? 人の身体は全部が薬になるそうだ。爪も皮膚も肉も髪も全て。

 人骨は梅毒に効く。踵の肉は興奮剤。乾燥した人肉は肺病の薬。

 中でも最上の薬になるのは人の肝なんだと。


 鹿売は医者なんかじゃなかった。あいつは薬そのものだった。だからヤクザは鹿売をんだ。

 死んだ鹿売の身体には臓器が一つ足りなかったらしい。噂だけどな。



 鹿売がいなくなってからしばらく経って、俺はヤクザから金を貰った。俺が鹿売の手当てに使った金額がぴったり揃っていた。それで誰の差し金が分かったが、分からないふりをして金は突き返した。ヤクザから金は受け取れないって言ってな。


 だから俺の手元には、あいつに渡しそびれた請求書がまだ溜まってる。それを眺めてぼんやりしている間に鹿売は灰になって無縁塚に葬られた。

 いや、どうだろうな。葬られたと聞いたけど、灰もどこかの病人に渡ってるのかもしれない。

 鹿売は死んでからも病人を治している。それを想像すると、また腹の底に嫌なものが溜まっていくような気がした。



 俺も、あいつの髪なら持ってる。そうだよ、あの時俺が切った髪だ。

 これを煎じて飲んだら、俺の腹の底に溜まった嫌なものも全部消えてくれるかもしれないと時々考える。全部消えて、俺のこの最悪な気分も治るかもしれない。死にかけのヤクザが完治したみたいにな。


 莫迦だと思うか? でも、なあ、そんなわけないって笑うなよ。


 だってあいつは、どんな病でも治せる鹿売だからな。

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薬食い 陽子 @1110

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