金言集め

入間しゅか

金言集め

これは存在しない記憶の話だ。場所は某プロ野球球団の優勝マジックが日本一早く点灯する街にあるマンションの一室。時は令和六年六月三日。きみは六○五号室のインターホンを押した。スチール製のドアがゆっくりと開く。現れたのは絶世の美女と自らを称するトランス女性のヤマモト。とその愛犬のココアちゃん。きみは確かこのマンションってペット禁止だったようなと一瞬考える。だが、その考えも一瞬で消える。なぜなら、自らを美女と称するだけあってヤマモトは確かに美しかったからだ。ただ玄関に並んだサンダルのサイズがきみの靴のサイズと同じくらいだということに気づいて、きみは不思議と安堵する。惚けているきみを他所に「まあ、入って。」とヤマモトが優しく手招き。おずおずと中に入れば、一人暮らしにしては広すぎる部屋を所狭しと服が埋めつくし、ハンガーラックに掛けられないものは床に脱皮のあとのように投げ出されていた。ヤマモトは「ちょっと汚いけどごめんなぁ。」と玄関でたじろぐきみに声をかける。ちょっとどころの話ではないときみは思ったが言わなかった。なんとかして一人分座れそうな場所を確保してきみはこじんまりと座る。すると、ヤマモトがきみの目の前で服を乱暴に蹴散らして、スペースを作ると折りたたみ式のテーブルを設置した。

テーブルを挟んできみの向かいに座るなり「買い物依存症やねん。」とヤマモトが言った。きみはここに来た目的を脳内で反芻する。第一座右の銘の買取。それがきみの役目。高騰を続ける座右の銘市場で第一座右の銘は特に高値のつく座右の銘だ。所謂金言だ。安くても軽く五、六十万いや、もっと高い値がついてもおかしくない。

「ぼくは、貴女を救いたい。」ときみは言う。

「ほんまに?」

「ええ。」ときみは頷く。

「ちゃうよ。ほんまに救いたいなんて言ってええの?って意味よ。」

「え?」きみは黙ってしまう。救いたいのだろうかと考えしまったからだ。

「ほらね。」とヤマモトが諦めとも呆れとも取れる声で言った。しまった!そうきみは思ったがもう遅かった。

「ええわ、もう帰り。」

愛犬のココアちゃんがヤマモトの手をぺろぺろと舐めていた。ヤマモトは優しい手つきでココアちゃんの頭を撫でてから、もう一度「はよ帰り。」と言った。その声には優しさが少しもなかった。ときみは思った。


そこで目を覚ました。また夢か。目を開けて、目を開けてと女の声が聞こえてまだ目を閉じていることに気づいた。ゆっくりと目を開く。天井。白い天井。

ここは?ああ、ぼくの家か。女の声は聞こえなくなっていた。まだ夢の続きだったのかもしれない。しかし、しくじった。いい座右の銘だったのに。

座右の銘にはランクがある。第一から第三まで。第一座右の銘は金言と呼ばれ、それを持っているだけで基本的に人生勝ち組と言ってもいい。金言を持つ人はそれだけの資質を備えた人物であるとされ、大学の推薦や就活では負け知らずだ。だが、金言を持つが故に重圧に耐えきれずドロップアウトする人もいる。

ヤマモトがそうだった。彼女は名門大学を出たまではよかったが、金言を持っていることへの周囲の羨望と期待に耐えきれず、大卒で入った会社を三ヶ月で退職。そして、心の性に従い女になることを選んだ。その点で生きやすくなったと彼女は言うが、同時に買い物依存症にもなった。買い物衝動が抑えきれず、借金を作ってしまった。そこで彼女を金言を売ることにした。ぼくは彼女の金言を買い取り行ったのだが、しくじった。

しくじった日はいつもそのことを夢に見る。しかし、さっきの女の声は誰だったのか。目を開けてとはっきり聞こえた。ふと、最近ぼくのような金言買取人を狙った窃盗や強盗が増えていることを思い出した。まさか、と思い部屋を見回す。誰も隠れていなかった。一応、買い取った金言を集めた隠し金庫の確認もしたが異常なし。


座右の銘を売ったものは人としての指針を失うので、廃人と化す。だが、金になる。金言なら尚更だ。ぼくは今までたくさんの廃人を生み出した。買い取った座右の銘を廃人たちに倍の値段で売りつける。救ってやるという口実で。「あなたを救いたい」それがぼくの決まり文句。

「ほんまに?」ヤマモトの声が甦ってきた。そうだよ、本気だよと独りごちた。ぼくはなんであの時たじろいだのか。つきなれた嘘のはずなのに。ぼくだって金に困ってるんだ。嘘のひとつくらいつくさと開き直ることに慣れていた。

五歳の時、母が死んだ翌日だった。父がぼくの金言を売った。父はそのまま消えた。ぼくは両親と人間性を失った。父には多額の借金があった。ぼくは借金取りに引き取られた。借金取りに第二座右の銘を与えられ、再び人間に戻ったぼくに待っていたのは、借金返済のためのドサ回りだった。こうして、座右の銘買取人になった。どうせ一度は人として終わったから嘘くらいいくらでもつく。そう思っていた。

「ほんまに?」ヤマモトの声がまた脳内に響く。その時、インターホンが鳴った。


これは存在しない記憶だ。きみは今、我々のラボにいる。金言集めご苦労だった。ヤマモトの家を後にしたきみは再び人間性を失った。座右の銘を失ったからではなく、単純に心が死んだのだ。心が死んだきみはそのままマンションから飛び降りた。幸い生きていたが、脳の損傷がはげしくてね。だから、新しい記憶を植え付けてやろうと思うのだ。きみのこれまでの人生をベースにしたものだから安心したまえ。きみにはまだ働いてもらわないと困るよ。きみは我々の希望だ。そういうことにしたらきみも頑張れるだろう?


そこで目を覚ました。また夢を見ていた。目を開けて、目を開けてと女の声が聞こてまだ目を閉じていることに気づいた。ゆっくりと目を開く。天井。白い天井。

ここは?ああ、僕の家か。ぼくは泣いていたのか。何かとてつもない落し物をした気がする。さっきの声は以前も聞いた気がする。見渡したが誰もいなかった。そうか、ぼくは独りだ。

インターホンがなった。僕はおもむろに扉を開けると、ヤマモトが立っていた。そして、彼女は握りしめた鉄パイプを思い切り振り下ろした。

薄れゆく意識のなか目を開けて、目を開けてと女の声がぼくの耳元で響いていた。

任務完了の合図だった。

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