ダリア

鳥尾巻

どこかにあったかもしれない物語

 ある森に、ヤンという男が住んでいました。男は気難しい職人で、どの職工組合ギルドにも入らず、独り森の奥の工房に引きこもってガラスを作っていました。

 ヤンは毎朝、陽も昇りきらぬうちに起き出して、黙々と薪を割ります。彼の大きな体は岩のような筋肉に覆われ、ひとたび斧を振るえばあっという間に薪の山が出来るほどです。釜には絶えず火が入り、煙突からはいつも煙が上っています。ヤンの顔はドワーフのように髭もじゃで、高温で熱せられたガラスを細工するその皮膚は熱に焙られ、いつも赤く染まっていました。

 しかしそんな荒削りな風貌とは裏腹に、彼の作り出すガラス細工は繊細で美しく、王様や貴族の間で大人気でした。気に入らない相手とは頑として取引しないので、ヤンの細工物は幻の逸品と言われていました。


 ある夜のこと、工房の近くにある彼の小屋の扉が叩かれました。寝支度をしていたヤンが訝りながら扉を開けると、小屋の周りには豪奢なお仕着せを着たお城の召使と、立派な軍服を着たたくさんの兵隊がいました。


「夜分に失礼いたします。貴殿がヤン殿でしょうか?」


 召使のうち、白い髭を生やした男が一歩進み出て、慇懃な態度で恭しく尋ねました。


「ああ」


 誰が相手でもヤンはぶっきらぼうに答えます。白髭は一瞬だけ眉を顰めましたが、すぐに無表情を取り繕って言いました。


「ダリア姫がドレスにつけるガラスのボタンをご所望です」

「だからどうした。欲しけりゃ自分で頼みに来いと言っとけ」


 ヤンはそれだけ言うと白髭の目の前で扉を閉めました。ダリア姫というのはこの国の王様の娘です。しかし、たとえ首を刎ねられようが王様の軍隊が押し寄せてこようが、ヤンは気に入らない相手とは絶対に取引しないのです。彼はそのままベッドに潜り込んで眠ってしまいました。

 次の日、ヤンが細工物の意匠デザインの為に花や動物たちの絵を描いていると、そこに10歳くらいの女の子が現れました。お日さまのような金の髪に森の葉にも似た緑の瞳、金糸や銀糸をあしらった青い豪華なドレスを着て、後ろには昨日の召使や兵隊を従えています。彼女はヤンを見るなり、驚いたような声を上げました。


「あなたがヤンね。もっと綺麗な方を想像していたわ。あんなに美しいガラス細工を作る人が、こんなドワーフみたいな男だなんて!」

「顔で作る訳じゃねえからな。騒がしいチビめ、何しに来た」 

「この無礼者! この方はダリア姫様ご本人であらせられますぞ」


 姫の後ろで白髭が慌てています。でもヤンは誰が相手でも同じ態度なのです。獣でも追い払うようにシッシと手を振り、横柄に言い放ちます。


「人の顔見ていきなり失礼なこと言う奴が姫様な訳ねえだろ。礼儀を学び直してこい。帰れ帰れ」


 ヤンは自分の礼儀は棚に上げて、言いたい放題です。描いていた絵を抱え、後ろも見ずに工房の中に入ってしまいました。

 その次の日、ヤンが工房の作業台で鋳型を彫っていると、また扉が叩かれました。やって来たのは数人のお供を連れた小さなお姫様です。彼女は膨れ面をしながらも、丁寧にお辞儀カーテシーをして言いました。


「こんにちは。あなたにお願いがあって参りました」

「嫌だ」

「まだ何も言ってないわ」

「おおかた誰かが持っている俺の細工物を見てほしくなったと言うんだろう。それは本当に姫の欲しいものなのか? 見栄を満たす為の道具なら俺は絶対に作らん」


 ヤンは髭もじゃの顔を歪めて嫌そうに言いました。いくらヤンが森に引きこもっていると言っても、噂は聞こえてきます。近頃は金に飽かせて競うように贅沢品を買い漁る王侯貴族が増えているのです。重税に喘ぐ民の声は無視され続けていました。

 ヤンは身に着けていた革の前掛けを外し、姫の返事を待たず小さな小屋に戻ってしまいました。

 それからというもの、姫は躍起になったようにヤンの元を訪れました。華美を抑えた服を着て、今日は苦手なお勉強を頑張ったとか、嫌いな食べ物も残さず食べるようにしたとか、教会で慈善活動をしたとか、民の為に努力しているお利口な自分をアピールします。そのたびに鼻で嗤うヤンに痺れを切らし、癇癪を起こして泣き喚くこともありました。もちろんヤンには通用しません。

 しばらくして、姫の足は森から遠のいて行きました。遠い外国から革命の噂が聞こえてきます。一介のガラス職人に拘っている場合ではありません。この国の特権階級も身の危険を感じて諸外国へ亡命する者が増えてきました。

 しかしヤンには関係のないことです。朝起きて薪を割り、炉の火を絶やさぬようにするのが彼の務めです。自然の営みを観察し、魂の震えるような美しさと儚さを少しでも写し取ることだけが彼の望みでした。


 ある日、ヤンは山に登り、川の源流の近くで塗料にする岩を削っていました。遠くに臨む城郭から火の手が上がっています。この国でも革命が始まったのです。だからと言って今までもこれからも自給自足をするヤンの生活にはなんの支障もありません。

 彼が削り終えた顔料を持って山を下りると、森の工房の近くに誰かが倒れているのを見つけました。あの我儘なお姫様でした。彼女のドレスはあちこちが破れ、お日さまみたいな金の髪も、小さな白い顔も煤に塗れています。

 暴動を起こした民たちは、ヤンの平和な森の中にまで入り込み、自分たちを苦しめた貴族の生き残りを血眼になって探しています。ヤンは小屋の中に姫を隠し、その綺麗な髪を切って、破れた服と一緒に炉にべました。目を覚ました姫はしばらく泣いていましたが、もう我儘を言うことはありませんでした。

 ダリエと名前を変えた姫は、ただのダリエとしてヤンと一緒に暮らすことを望みました。森には革命で家族を亡くした子供がたくさんやってきます。ヤンは彼らの為に家を建て、日々を生きていく術を教えます。ダリエも幼い子供たちの面倒をよく見る優しいお姉さんになりました。ヤンは細工物に支払われた財を「どうせ使う当てもない」と皮肉に笑いながらすべて注ぎ込みました。

 弟子など面倒だと言うヤンでしたが、素質のありそうな子供には自分の技術を惜しまず伝えました。いつしか大きくなった工房は、たくさんの職人を抱え、新しく生まれ変わった国に貢献しました。


 美しく成長したダリエは、ヤンの工房に出入りする縫製師の若者と恋に落ちました。貧しい恋人たちの為に職人たちは自分の技術を持ち寄って、手作りの結婚式を挙げることになりました。

 ヤンは仕事を終えると遅くまで工房にこもってガラスを溶かします。顔料を混ぜ真っ赤に焼けた珪砂を、特別に作った鋳型の中に流しました。出来上がったたくさんのボタンやビーズの形を丁寧に整え、金の塗料で煌びやかな線を描きます。

 そうしてダリエの恋人に託されたその細工は、初めて彼女に出会った日に着ていたドレスよりもはるかに美しい花嫁衣裳を飾るものとなりました。胸元に煌めくボタンは青く透き通るガラスに金の線を描いたダリアの意匠。

 ヤンは満足気に頷きながら父親の席に座り、幸せそうに見つめ合う2人をいつまでも眺めていました。


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ダリア 鳥尾巻 @toriokan

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