深夜違和感

もちもち

深夜違和感

 深夜の時間帯に見るものでは無かったかもしれない。

 いつもと変わらない真夜中のレジを挟み、俺と守山は一つのスマホ画面を見入っていた。

 駅の通路が舞台の脱出ゲームだ。同じ通路を何度も通るのだが、通路の途中で異変を覚えたら引き返さなくてはいけない。

 その異変というものが様々で、壁やポスターがおかしくなっていたり、いつも通路をすれ違う男性に表れたりする。

 ホラージャンルではないとは思うが、そこはかとなく緊張感のあるゲームだ。帰り道にこんな異変に出くわしたら泣きそうである。


 と言いつつ、別に俺たちはゲームをしているわけではない。

 ゲーム実況の動画を見ているのだ。


「これってさ」


 先ほどから何かあると、「わ」とか「え」とか小さな反応をする守山が、意味を成すフレーズを発した。


「進行方向から何か迫って来るやつは、異変とかどうとか以前に、反射で逃げるよな」


 それはそうかもしれない。

 実際こちらに向かって走ってこられたら、何も分からずとも反転して逃げるだろう。

 ふと、俺は考えた。


「知り合いだったら、留まれるかも」

「俺が走ってきても?」

「それはたぶん待つ」


 何かあったのかと身構えはするだろうけど、守山が走ってきても、逃げる理由がない。

 なるほど、と守山は頷いて、


「俺も松島が走ってきたら、スマホを取り出すくらいかも」

「なんで?」


 通報でもされるのか。

 自分はそんなに不審者然としていたと不安になったが、守山の回答は斜め上を行っていた。


「松島が走ってるイメージが無いから、画像に収めておかないとみたいな」

「俺だって何かあったら走る」

「いつもレジにいる姿しか見ないからさ」


 いつもレジにいるからって、常時ここにいるわけではない。ちゃんと自宅から通勤をしているのだ。

 客が遠くから呼べば駆け足くらいもする。


「じゃあ、何が来たら、松島は逃げ出す?

 明らかに怪しい人物じゃなくて、なんていうか、逃げる基準になるか」


 なるほど、面白い質問だなと思った。

 刃物を持った人間が向こうから歩いてきたら逃げるが、鞄を持っている人間がこちらに歩いてきても通り過ぎるだけだろう。

 その境界はどこからか。

 知り合いの範疇ならば、絶対逃げないだろうか。……いや。


「顔を知っていても、死んだじいちゃんとか」

「いきなりホラーだ。それは明らかに怪しい人物にならないかな」

「じいちゃんになんてこと言うんだ」


 反論してみたが、まあ守山の言ってることも分かる。

 死んだ人間とすれ違うわけがないからな。

 明らかな不審も脅威もない、違和感、とは。


「自分、とか」

「なるほどね、確かに。

 そっくりさんの可能性もある」

「自分×2」

「絶妙に避けたくなりそう」


 守山は笑って納得してくれた。

 そっくりさんが2人とも考えられそうだが、だとしてもちょっと道を変えたくなりそうではある。

 ゲーム中でも見知らぬ双子が仁王立ち(?)している異変がある。

 洋ホラーの金字塔に、廊下に双子の少女が立っているシーンがあるので、そのイメージが強いのもあるかもしれない。


「そもそも、この人気のない地下鉄の通路というのが異様ではあるよな。

 普段の通路だったとしても、誰もいない空間で相手と一対一だったら身構えないか」


 そう言うと、守山はびっくりしたように目を瞬かせた。


「松島は、なにか、後ろ暗いことをしてるのかい。

 まるで見知らぬ相手から襲われることが前提みたいな話をする」

「うーーん」


 これは、俺の感覚が細かすぎるのか、守山の思考が平和過ぎるのか、どっちなのだろう。

 心配そうな守山を見つめ、ふと思いつく。

 彼は学生だ。いつか学校の名前を聞いたところ、国立の学校であることを聞いた。

 普段の彼がどんな生活をしているのかは知らないが、彼の身なりはいつも清潔だ。会うたびに違う服を着ているということはないが、少なくとも、頭や肩にフケが降ってる姿を見たことがない。

 話し方もせかせかとせず、ゆっくりと穏やかだ。

 つまり、彼はなんというか、『足りている』のだ。

 それは、まさか自分が理由もなく誰かに害されるなんて発想が無いことの理由であるような気がした。

 例えば、後ろ暗いことをしているのかと、そのまま本人に聞いてしまえるくらいに。

 翻って俺は。


 ─── 俺と守山では、根本的に前提となる常識が違うのだ。


「…… ゲーム実況の見過ぎかも」


 トントンと持っていたスマホの画面を叩く。

 ああ、と守山の表情が和らいだので、今の嘘は上手くいったようだ。良かった。


 こういう人の言葉を素直に受け取るところとか。

 あるいはここまで土台が異なるのに、俺と守山の間ではほとんど認識の齟齬が無い。これまで話してきた哲学にしろ思想にしろ、俺の知らないことを彼が知っていた差こそあれ、俺が完全に「何言ってんだこいつ」で終ったことは、少ないように思う。

 守山の話し方が上手かったのはあるだろう。

 だが、今のように「相手の感覚」が思いつかないこともなかった。

 この深夜のコンビニという狭く限られた場の中では、俺と彼の間にある前提の差など、ほとんど引っかかってはこないのかもしれない。


「俺はあんまり、怖いのは見ないからなあ」


 なんて守山は笑う。前に彼が持ってきた動画は花火だったか。

 確かに守山がホラーゲームの実況を見ているところは想像し難い。


「もし、守山が特になんの変哲もない空間で、違和感を覚えるとしたら、どういう状況なんだ」


 そういえば、守山のケースを聞いてなかったなと思ったのが一つ。

 もう一つは、俺と彼の間の前提が引っかかって来るのだろうと、境界が気になった。

 守山は「そうだなあ」と腕を組んで天井を見上げ、それから視線を入口の方…… 深夜の真っ暗な空間へ向ける。


「無音とか。

 案外、完全な無音て、人工で意図して作らないと、できない」


 静かに返って来た守山の答えに、今度は俺が天井を仰いだ。そうきたか。

 逆に聞きたいが、お前は正常の範囲なのか?

 境界を探るどころか、予想だにしない方向へ駆け抜けていった感。


 そうだ。

 大前提がどうとかなんとか、彼が足りてるとか俺がアレだとか、そういうみみっちい差などではない。

 この目の前の男が、いつも宇宙規模で明後日な面を持ってるのだ。

 逆にこのコンビニの中で話が通じることが、一種奇跡のような気がしてきた。



(深夜違和感 了)

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