【オオカミ対クマ】川越巨獣伝

さいとうばん

【オオカミ対クマ】川越巨獣伝①

 三宮山にある三宮神社を訪れたのは、大学三年の夏休みのことだ。

 電車とバスを乗り継いで数時間。東京を離れるにつれ、緑濃くなる景色に期待がふくらむ。

 そこには鬱蒼とした森にかこまれた、誰も知らない秘境の神社があり、年老いた神主が語る伝説があるはずだった。

 バスを降りた僕を待っていたのは、近代的なビジター・センターを備え、大勢の参拝客でにぎわう神社だった。もはや日本に秘境など存在しないのだということを知った。

 多少肩すかしを食いはしたが、大鳥居の前に祀られている石像を見て、僕の心は再び高鳴る。

 普通なら狛犬が祀られているはずだが、この神社は違う。

 ここに祀られているそれは──狼なのだ。


 話は夏休み前にさかのぼる。

 大学の文学部のゼミで、卒論についてのディスカッションをしているうちに、民話についての話になった。

「海外では『赤ずきん』が有名だけどね。日本でも狼がからむ話は多数残されている」教授が言う。

「『鍛冶ヶ婆』、あるいは『千疋狼』と呼ばれているものが有名だね──旅人が狼の群れに襲われて、高い木の上に逃げた。狼は肩車をして旅人に迫るが、どうしても届かない。そこに巨大な狼が現われて……」

「僕が聞いたことがあるのは、狼が美女とお婆さんに化けて……っていう話ですが」

 僕が言うと教授は続けた。

「茨城の『狼ばしご』だね。同じような話が新潟や静岡、高知にもある。これだけ広範囲で似たような話があるということは、かつてそれに近い事実があって、それが全国に広まったとも考えられる」

「巨大な狼がいたっていうんですか?」ゼミの佐藤があきれた顔をする。

 佐藤はルポライター志望で、ファンタジーや民話の類をあまり好まない。

「狼は群れで行動するからね。暗い山の中では巨大な影に見えたのかもしれない」

「でも、それほど狼がいたのなら、どうして絶滅したんでしょう」

「そりゃあ人を襲うからだろ。駆除されて当然さ」

 佐藤の言葉に、釈然としないものを感じて僕は言った。

「だったら、熊はどうなんだ? いまだに襲われる人がいるのに、絶滅させようなんて話は出ないだろ」

「熊は簡単に駆除できないからなあ」

「何か不公平だなあ」

「西洋で狼が嫌われるのは、人よりも家畜を襲うからだ」やり取りを聞いていた教授が口をはさむ。

「しかし畜産文化がなかった、かつての日本ではそこまで嫌うほどの存在でもなかった。むしろ農作物を荒らす害獣を駆除してくれるので、埼玉には狼を祀った神社もあるくらいだ」

「それなのに、狼に襲われたという話が多く残っているのは不思議ですね」

「変なことを気にするんだな」

 佐藤は言ったが、僕の卒論のテーマはそのとき決まった。


「『日本人と狼の民話』、という内容にするつもりなんだ」大学のカフェで、経営学部の美奈に言った。

「もともと神様として崇められていた狼が、どうして昔話では悪役にされてしまったのか──僕は『赤ずきん』のような童話が西洋から入ってきて、それが日本の民話を変質させてしまったと思うんだ。教授が言っていた埼玉の神社にも行ってみようと思うんだけど……美奈も行かないか?」

「そんなところまで行って、どうするの?」

 気だるい表情でドリンクをかき回しながら、美奈は言った。

 美奈と出会ったのは、新入生の歓迎会でのことだ。そのころの彼女は地方から出てきたばかりで、僕と同じく賑やかな場所は苦手だった。お互い会場の隅で居心地悪くしていたところ、何となく関係を深めていったのだ。

 三年たった今、美奈はすっかり垢抜けて、社交的になった。デートに誘っても三回に一回くらいしか予定が合わない。美人で成績優秀──一緒にいると釣り合わなく感じるときさえある。

「イメージをつかみたいんだ。人間と狼が共存していた時代のさ」

「文学部はのんきね。こっちは就活で毎日くたくたなのに」

「僕も就活はしてるよ。だけど、たまには息抜きを……」

「息抜きならもっと近場でよくない? 同じ埼玉でも川越とかさ。そんな山奥に行かなくても……」

 そう言われると返す言葉もない。美奈がすまなそうな顔で言った。

「ごめん。あなたのそういう夢を追うところ、嫌いじゃないよ。だけど今、私たち大事な時期じゃん? 大昔にいなくなった狼のことなんか……」

「わかった。気にしないで」

「今度、動物園にでもいこ?」

 おどけたように手を合わせる彼女は最高に可愛くて、それ以上は何も言えなかった。


 そんなわけで気ままな一人旅になったものだから、つい神社に長居をしてしまった。

 神社を参詣してから、併設されている資料館を見てまわり、バス停に着いたのが午後五時だった。

「ちょっと早かったか。最終バスは五時半だから……?」

 時刻表を見て、僕は言葉を失った。

 最終バスは四時半だった。次のバスは明日の朝十時までない。

「嘘だろ……」

 しばし呆然としたが、考えていても始まらない。僕は道路沿いに駅に向かって歩き始めた。

 三十分ほど歩いたところに民家があった。人のよさそうな老夫婦が庭いじりをしているところに声をかけてみる。

「すみません。ここから駅までどのくらいですか?」

「あれまあ、歩いていくのかい?」奥さんが驚いたようにご主人を振り返った。

「なああんた、こっから駅までどんぐらいだかねえ」

「歩きだと……三時間ぐらいあんじゃねえか?」

「三時間……」

 さすがに愕然としたが、どうにか電車があるうちには駅に着けそうだ。

「あと小一時間も待ってくれたら、車出してもいいけどな」

「いえいえ! それは悪いですよ」

 ご主人の言葉をさえぎって、僕は空を見上げた。

「まだ陽も明るいし、どうせ一本道でしょう。歩いていきますよ」


 今にして思えば、僕は待つべきだったのだ──一時間後、僕は暗い山林の中にいたのだから。

 おかしい。迷うような道ではなかったはずだ。しかし現実として僕は右も左もわからない場所にいた。

「車に乗せてもらえばよかった……」

 後悔しても遅い。引き返そうにも、今来た道さえわからない。スマホも見事に圏外だ。

 ここは本当に現代の日本なのか?

 とりあえず落ち着くため、腰を下ろしてリュックからペットボトルのお茶を出した。

 ひと息ついて、周囲の音に耳を傾ける。人の声はしないか、車の音は聞こえないか……。

 どちらも聞こえなかった。聞こえたのはうるさいほどの蝉の声と──前方の藪がガサリと揺れる音。

「……!」

 嫌な予感がして、僕は息を飲んだ。その予感は当たっていた。

 ──猪!

 藪から現れた黒い影は、ゆうに二メートル近くある。ぎらつく視線が僕を見据えている。

 初めて野生の猪を見た、などと感慨にふける余裕はない。刺激しないように、僕はゆっくり立ち上がると、そろそろと後ずさりを始めた。

 あと少しで視界から消えようとしたとき、鈍い足音とともに猪が突進してきた。

「うわあああっ!」

 夢中で逃げた。木の根につまずき、小枝に腕を引っかかれながら必死に走ったが、猪はどんどん距離を詰めてくる。あと数メートルというところにまで迫ってきたとき、前方の木陰に人影が現われた。

 目を疑った。それはおよそ、こんな場所には似合わない少女だったからだ。

「危ない!」

 僕は少女をかばうようにして、近くの藪に飛びこんだ。とにかく彼女を守らなければということしか頭の中にはなかった。

 不思議なことに、猪はそれ以上追ってこなかった。藪の手前で立ち止まり、フガフガと鼻を鳴らす。

 そして方向を変えると、まるで逃げるように走り去った。

 全身から力が抜けた。ようやく落ち着いた僕は少女に聞いた。

「大丈夫?」

「──邪魔」

 僕はあわてて飛びのいた。彼女は顔色ひとつ変えずに立ち上がると、服に着いた葉っぱを払う。

 中学生くらいだろうか。豊かな褐色の髪に、濃い眉をした、目つきの鋭い少女だった。

 荷物もなく、ナイロンのヤッケを着ている以外は山奥とは思えないほどの軽装で、足も素足だ。

「キミのせいで、獲物に逃げられた」少女が不満そうに僕を睨む。

「獲物……今の猪のこと? まさか君、猟師なのか?」

 僕がそう言うと、少女はポケットからナイフを抜いた。刃渡りは三十センチほどもある。

 ナイフで仕留められるような獲物ではないだろう──と思っているうちに、少女が歩き出したので、僕はあわてて呼び止めた。この近くに住んでいるのなら、軽装なのも道理だからだ。

「ちょ、ちょっと待って! 君はこのへんの子かい? 道に迷ってしまったんだ。近くに人家はないかな?」

「……」

 少女はしばらく僕を見ていたが、「こっち」とだけ言った。


 少女のあとに続いて、山道を三十分ほども登った。

 膝が震え、呼吸が苦しい。だが、彼女は汗ひとつかいた様子もない。自分が情けなくなってくる。

 やがて一件の小屋が見えてきた。手作りらしく簡素なつくりで、窓とドアの他には何もない。

 小屋の中は暗かった。電気は通っていないらしく、電灯もない。かわりにテーブルの上に電池式のランタンが置いてある。ランタンをつけると、政治関係の本が何冊も積まれているのがわかった。

「ここに住んでるの?」

「そんなとこ」

「君の名前は?」

「好きに呼んで」

 そっけない答えが返ってきたあとは、まるで口を開こうとしない。

 少女は部屋の隅に敷かれたマットレスに座った。僕も荷物を置いて椅子に腰かける。

 沈黙に耐えられなくなった僕は聞いた。

「ねえ君……ここから街まで行くには、どう行けばいい?」

「ちょっと歩いたところに、川がある。川沿いに歩けば出られる」

「いつも学校にはそうやって行ってるの?」

「学校? 行ってない」

 ちょっとショックを受けた。今の日本にこんな子がいるのか──それとも登校拒否児だろうか。

 とはいえ難しそうな本が置いてあるし、受け答えも年齢以上に大人びている。これ以上は余計な詮索だろう。腕時計を見るともう八時だ。外もすっかり暗くなっていた。

「君、悪いんだけど、よかったら今晩泊めてくれないかな。もちろんご両親には僕から……」

「おっとうはもういないわ。おっかあは気にしないと思う」

 おっとう、おっかあとはまた古風な呼びかただ。まるで昔話に出てくる子供じゃないか。

 それにしても悪いことを聞いてしまった。

「ごめん……」

「何で謝るの?」

「いや、お父さんがいないのを知らなくて……」

「寿命だもん。しかたないわ」

 ずいぶん達観していると思う。とにかく、これ以上は家族の話はしないほうがいい。

 リュックに残っているお茶に口をつけたとき、少女がじっと僕を見ていることに気づいた。警戒されているというのが正しいだろう。知らない男性と二人きりなのだから無理もない。

 早く彼女の母親が帰ってこないかとやきもきしていると、少女が突然言った。

「──キミは何をしにここに来たの?」

「ああ……近くに三宮神社ってあるだろう?」話題ができたので、僕はここぞとばかりに喋った。

「そこにお参りに行ったんだ。だけど帰りのバスの時間を間違えて……歩いて帰ろうとしたら道に迷って……」

「あの神社に?」

「ああ。あそこは狼を祀っているだろう? 大学の卒論を、狼と人間の関係をテーマにしようと思って」

「狼と、人間……」

「何ていうか……ロマンがあるじゃないか。かつてこの山に君臨し、今は絶滅してしまった狼。その伝承があそこの神社に残っているんだ。ひょっとして、今もどこかにひっそりと生きているのかも……なんてね」

「……」

 少女は黙ってしまった。調子に乗って喋りすぎたかと思っていると、彼女が口を開いた。

「キミ、面白いね。おっかあに気に入られると思うよ」

 少女が初めて微笑んだ。口調もどこか打ち解けてくれたように感じられる。

「ひとつ教えておいてあげる。狼は絶滅していないわ」

「えっ?」思わず僕は身を乗り出した。「見たのかい、狼を? どこで?」

「……」

 少女が再び口を閉ざしたとき、小屋の外でドスンと、何か重いものが落ちる音がした。

「おっかあ!」彼女は立ち上がった。

「……お母さん?」

 小屋を飛び出す少女に続いて、ランタンを手に外に出た僕は、思わず声を上げた。

「うわっ!」

 小屋の外に倒れていたのは、一頭の猪だった。大きさから見て、僕を追いかけてきたやつのようだ。

 声を上げた理由はそれだけではない。その腹は大きく抉られて、内蔵が完全に無くなっている。

「これは……君のお母さんが?」

「まあね」

「お母さんも、猟師なの?」

 少女は答えなかった。母親の姿を探したが、どこにも見当たらない。挨拶をしたかったのだが……。

 その間に少女はナイフを抜いて、猪の後脚に突き立てた。ぐるりと一周させて肉を切ると、刃でこじ開けるようにして股関節を外す。

「慣れてるんだね」

「あたしはまだ子供だから、道具がないと……」

 妙なことを言う。その意味を考える間もなく、少女は猪の前脚をつかんで言った。

「手伝って」

「どうするの?」

「どうせ食べきれないし、明日には腐る。だったら、誰かに食べてもらったほうがいい」

「誰かって?」

「誰かは、誰かよ」


 猪を引きずって、少女と暗い山道を歩いた。

 とんでもない重さだった。大型バイクぐらいの重さがある。しかも、ほとんど少女が運んでいるようなもので、僕は手を添えているだけのことだった。

 しばらく歩くと、森が開けて小川に出た。

「……」

 思わず言葉を失った。月明りに照らされた渓谷は、青と黒のコントラストを描き、川面は銀色に月明りを反射している。絵画のように幻想的な光景だった。

 少女は川岸に猪を横たえた。内蔵と両脚を失ったそれに、残酷なものは感じられない。永遠に生と死を繰り返す自然のあるがままを現しているかのようだ。

「ここを下りていけば、街に出られるわ」

 少女はそう言うと、ヤッケ姿のまま川に跳びこんだ。服についた血を洗い流し、野生の動物のように、ブルブル首を振って水しぶきを飛ばす。

「下りるっていっても……」道らしきものは見当たらない。

「ちょっと無理かな。朝になったら、君のお母さんに道を教えてもらうよ」

 僕がそう言うと、少女は振り向いて微笑んだ。

 月明りを浴びたその笑顔に、得も言われぬ野生的な魅力を感じた。


 小屋に戻ると、少女は慣れた手つきで猪の脚から皮を剥いだ。腿の肉を切り落とし、僕の目の前に差し出す。

「食べて」

「あ……ありがとう」

 肉からは嗅いだこともないほどの獣臭がした。とはいえ、昼から何も食べていないので猛烈に腹が減っている。せっかくの好意を無駄にするわけにもいかない。

「これ、どうやって食べるの?」

「あたしは普通に食べるけど、キミは煮るなり焼くなり、好きにすればいい」

「普通にって……」言いかけて、僕は目を疑った。

 少女は信じられないことに、骨がついたままの生肉にかぶりついていた。

「……」

 僕も真似して、ひと口齧ってみた──途端に、吐き出した。血の味しかしない!

 キッチンの下を覗いてみると、鍋やフライパン、カセット式のコンロがあった。米や調味料、飲料水も備蓄してある。親子二人で暮らしているなら多過ぎるほどの量だ。

 他に何かないか、脇のロッカーを開けた僕は、思わず手を止めた。

「……!」

 ──銃だ。ライフルと散弾銃が三挺ずつ。猟師の家ならあって当然とはいえ、初めて見る銃は僕の鼓動を早めた。無意識に銃を手にしようとした僕を、彼女の言葉が止める。

「それ、嫌い。しまって」

「ああ……ごめん」

 僕はあわててロッカーを閉めた。それにしても不用心だ。鍵もかけていないなんて……。

 気を取り直して猪肉に向かう。肉を切ると、血が溢れ出してきた。備蓄の水で肉を洗い、フライパンで焼く。塩、コショウ、醤油を適当に振りかけると、どうにか食べられそうな匂いがしてきた。

「器用ね」

 いつの間にか、鼻をヒクヒクさせた少女が隣にいる。

「僕は母さんがいないから……まあ、これくらいのことは」

「そう、おっかあが……」

 彼女が気まずそうな顔をしたので、僕は焼けた肉をひと切れ、箸でつまみ上げた。

「食べる?」

 小さな糸切歯を覗かせて、肉を口にした彼女は、味わうように噛みしめてから微笑んだ。

「この食べかたも、悪くないわ」


 猪肉は脂のない豚肉といった味がした。

 問題は、肉しかないことだ。備蓄の米はあったが、炊飯器がない。飯ごうはあったが使い方がわからない。わかったとしても、断りもせず他人の家の米に手は出せない。

「せめて野菜があればなあ……」

「野菜? あんなもの!」

 少女は焼いた肉を頬ばりながら、眉をしかめる。

 僕が食べきれなかった肉までたいらげてしまうと、ヤッケ姿のままマットレスに寝転んだ。

「お腹いっぱいになったし、寝るわ。朝になったら街まで案内してあげる」

「あの渓谷を歩くのは無理だよ……」

「別の道があるわ。ちょっと遠回りするから、キミもしっかり寝ておいて」

「ありがとう、助かるよ……じゃあ、寝かせてもらうよ。おやすみ」

 ランタンを消すと、小屋の中は真っ暗だ。床に毛布を敷き、もう一枚の毛布にくるまって横になる。

 八月とはいえ山の空気は冷たく、底冷えがした。上着を持ってきていないことを後悔した。

「キミ、寒そうだね」暗闇の中から声がした。

 なぜわかった? 鼻をつままれてもわからない暗さなのに。

「おっかあ、寒いって」

 少女がそう言った途端、小屋の壁がミシリと音を立て、少しずつ空気が温かくなった。

 小屋にはエアコンなどついていなかったはずだが、微かに振動が伝わってくる。

 それは機械音というより、むしろ──心臓の鼓動に似ていた。

 母は僕が幼いころに亡くなった。ほとんど記憶は残っていない。

 ただ、僕を抱きしめてくれたときの感覚を、心臓の音を、おぼろげに覚えている。

 なぜ、今さらこんなことを思い出すのか……。


 ──肩に痛みを感じて目を覚ました。

 窓から朝日が差しこんでいる。もう朝かと思う間もなく、再び肩に激痛が走る。

「おい、起きろ!」

「……ん?」

 聞きなれない声に寝ぼけた顔を上げると、目の前に散弾銃の銃口があった。

「……!」

「貴様は誰だ! なぜここにいる!」

 短い髪の、冷たい目をした女が僕を見下ろしている。

 あわてて起き上がった僕のまわりには、六人の男女がいた。

 銃を突きつけている女が一人、他はすべて男だ。薄汚れたヤッケを着て、銃を手にしている。

「あ……あの子のお母さんですか? 僕はその……道に迷って、あの子に助けてもらって……」

 僕がたずねると、女は怒りに顔をゆがめた。

「あの子だと? ここはわれわれのベースだ。他に誰もいない!」

 どうやら少女の母親ではないようだ。彼女を探したが、どこにも姿は見えない。

「……まさかあの子、この家の子じゃないのか?」

 僕がそう言った途端、坊主頭の男に銃床で殴られた。口の中に血の味が広がってくる。

「わけのわかんねえこと言うんじゃねえ! 貴重な水も勝手に使いやがって!」

「公安のスパイかもしれねえな」と髭面の男が言う。

「スパイならこんな間抜けな捕まりかたはしない。見ろよ、こいつ大学生だ」

 長髪に眼鏡の男は、僕のリュックから財布を抜き出すと、女に放り投げた。

「ふん。どうやら本当に道に迷ったらしい」女が学生証を見て鼻を鳴らす。

「いずれにせよ、ここを知られたからには、殺すしかないな……」

 坊主頭がライフルの銃口を僕に向ける。僕はなりふり構わず叫んだ。

「ま、待ってください! 確かに勝手に使った僕が悪いです。だからって……!」

「待て。われわれは人殺し集団じゃない。銃を下ろせ」意外にも女が助けてくれた。

「元はと言えば、われわれも学生だ……彼がわれわれの同志になるというのなら、喜んで迎えようじゃないか」

「異議なし!」

「異議なし!」

 男たちの野太い声が飛ぶ。僕は恐るおそる女に聞いた。

「あの……同志っていうと……?」

「われわれ革命武装戦線──〈狼〉の同志だ!」


 ──聞いたことがある。

 僕が生まれるずっと前、社会の変革を求めて学生たちが立ち上がった。その一部が過激化し、武装して山奥に立てこもり、各地でテロ活動を行うようになった。しかし、そのほとんどが仲間うちで殺し合い、世間の支持も失って沈静化していった……。

 あの子が言っていた〈狼〉とは、こんな時代錯誤の暴力集団のことだったのか?


「どうする? 革命か死か、選べ!」

 女が散弾銃を突きつけてくる。もちろん死を選ぶつもりはない。

「な、なります! 同志になります! 革命万歳!」

 そう言った途端、髭面に横から殴られた。

「軽々しく革命などと言うな!」

「やはり駄目だ。こいつを殺そう」

 坊主頭が殺気立った目で僕を睨む。それを制して、女が言った。

「……おい貴様。今の日本をどう思う?」

「に、日本を? えーっと……」

 突然そんなことを聞かれても、すぐに答えられない。

「何も考えていないのか!」

 銃床で腹を殴られた。とにかく何か言わなければ、このままでは殴り殺されてしまう。

「そ、そんなことないです。物価は高くなるし、政府はアレだし、えーっと、税金とか……」

「だったら、なぜ行動に移さない!」

 頬を殴られた。何を言っても殴られるじゃないか!

「──総括させてみたらどうだ?」

 眼鏡の男がサディスティックな笑いを浮かべて言う。

「そ、総括って?」

「それを考えるのが、総括だッ!」

 女の拳が襲ってくる。感覚が麻痺して、頭の中が真っ白になってきた……。

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