佐橋竜之追悼特集・田子雅史『わたしが愚かになってから』(雑誌『映画人』2018年4月号より)
散歩中、ふと入った公園のベンチに、スポーツ紙が置き去られていました。その紙面にでかでかとうるさい書体で載った『佐橋』という文字の一部を見たとき、そのときが、わたしにとっては一番くるしく、悲しい瞬間でした。竜之がいなくなった五日後のことです。
この頃どうも天気のいい日が続いているような気がします。類稀なる雨男だった竜之のことですから、あの世へ雨雲を連れていったのかもしれません。思えば彼との記憶は常に雨音と共にあります。出会った日からそうだったのですから筋金入りです。もう四十年以上前になるでしょうか、当時、竜之はまだデビューしたてで、与えられる役は名もないものばかりでした。しかし、業界の中でも時代の移り変わりに敏感な一部からはかなりの有望株と噂されていて、下品な言い方をするなら誰が最初に彼に唾をつけるかという睨み合いがすでに始まっている状態でした。
時期はずれの台風が東京を襲った日でした。共通の知り合いだった脚本家の紹介で、わたしと竜之は初めて顔を合わせたのです。わたしの前に現れた竜之は名乗るより先に、ボクのせいで申し訳ない、と笑いました。ボクが出かけると絶対に雨を降らしてしまうんです、と。ずいぶん使いにくい役者だ、とわたしは冗談半分に言いました。すると彼は、それをどうにかして使うのが監督の仕事でしょう、と返してきたのでした。生意気なやつだと腹を立てることは簡単にできたはずです。それでもわたしがそうしなかったのは、そんな生意気も気にならないほどに彼が美しい人間だったからでした。これからどれほど歳をとっても、死ぬまで覚えていると思います。忘れられないと思います。あれこそが間違いなく、わたしが愚かになった日、その日でした。自分の撮る映画には何がなんでも彼を使いたいと思いました。彼の一挙手一投足を余さずわたしの統べる画面に収めたく思いました。竜之は、男も女も含めたすべての役者、いいえ、すべての人間の中で、確かに一番美しかったのです。
それからは皆様もご存知のとおりです。わたしたちは良き盟友として歩み、たくさんの作品を世に送り出してきました。自画自賛と笑われるでしょうが、わたしは、田子雅史こそが佐橋竜之をもっとも美しく撮ることができる人間だと自負しています。それは他の映画監督のみならず、たとえば彼の両親や妻や子よりもそうです。
竜之がいなくなってしまう一ヶ月ほど前、わたしは彼の見舞いに行きました。某病院の八〇七号室。個室にしてはやたらに広い部屋だったせいか、それとも内装がまぶしいほど白一色だったせいか、そのときの竜之はとても小さく、頼りなく見えました。彼はわたしを見るとゆっくりと体を起こし、格好つかないな、とつぶやいて、ほんのわずかに笑いました。痩せおとろえた皮膚の下に骨と血管の形が際立って見えました。肺だかを少し病んでしまったと聞いていただけだったのですが、もうどれだけ悪いのかすぐに知れました。そして彼は、とても、とても長い時間をかけて、田子さんの前ではいつも美しい佐橋竜之でいたかった、と、そんなことを言ったのでした。きみは今もこれからも美しい、とわたしは応えました。とっさに出た言葉でしたが、けして嘘ではありませんでした。頰はこけて色もなく、口を動かす仕草にさえうっすらと苦痛をにじませていたその姿は、しかし今までわたしが撮ってきたどんな彼よりも美しかったのです。それはわたしにはたまらなく喜ばしいことでした。彼の美しさはどうあっても失われるものではないとわかったからです。
彼の死が知れ渡って以来、彼を愛した多くの人の嘆きを耳にしてきました。報せを聞いた日からずっと夢を見ているようで実感を得られないと言う人もいましたが、違うのです。わたしたちは六十六年にわたって続いてきた佐橋竜之という夢からようやく覚めたのです。我々は素晴らしい夢を見ていた。そう、きっと、そういうことなのです。
いつか——おそらく、そう遠くない未来に——わたしは再び彼と会えるでしょう。あの世というのがどんなに素敵な場所か知りませんが、そこにはきっと、大雨が降っているはずです。
わたしが愚かになってから クニシマ @yt66
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