檻の中の夏

宵宮祀花

空白の世代

「今年も花火大会は中止かぁ」


 然程残念でもなさそうに、夏穂かほがぼやいた。

 わたしはそれに「だろうね」とだけ返して、スマホの画面に指先を滑らせた。


 知ってた。わかってた。諦めてた。

 わたしたちはいつの間にか、期待をしなくなっていた。

 だってもう、仕方がないから。わたしたちの青春がいくら潰されようと、大人には何の関係もないのだから。思い出とは出来るのを待つものじゃなく自分で作りにいくものだって、いつだったかのテレビで、何事もなく学生時代を過ごした大人がしたり顔で語っていたっけ。


 わたしたちの三年間は、砂を噛むような時間だった。


「高校最後の夏休みとか言われても、だからなに? って感じだよね」

「言えてる。感慨とか何にもない。進学も就職もどっちも地獄だし。聞いた? 隣のクラスの成績一位さん、見学に向かう電車ん中で知らんおっさんに『女のくせに大学行きとか生意気、女は女子大にでも行ってろ』って言われたって」

「ウケる。もしかしてその電車、過去に行ける電車だったんじゃね。就職組もわりと似たような感じらしいけどね。わたしもそうだったし」


 人のこと笑ったけど、実際わたしもあんまり笑えた立場じゃない。

 わたしの父親も脳味噌を昭和に置いてきたクソジジイで、女に勉強は必要ないとか言っちゃうタイプの老害予備軍だから。


「青春って言葉はさ、それを経験した人が懐かしんで使う言葉だと思う。うちらには関係ない単語だよね、正直」

「それなー」

「うちのババアや七彩ななせの親父さんにも青春時代とかあったんかな?」

「うわ、想像つかない……生まれたときから老害だったんじゃないの、アイツ」


 いまこの場には、わたしがどんな暴言を吐いても「お父さんに対してなんてことを言うの」なんて、ウザ……お利口なことを言う人はいない。ていうか夏穂の母親も、なかなかにクレイジーサイコババアだから。

 娘が“女”になるのを嫌う母親って、明らかヤバいでしょ。

 メイク覚えたてのときに「色気づいちゃって」ってからかう親も気持ち悪いけど、夏穂の母親はその比じゃない。初めてプチプラコスメを買ったとき、あの人は夏穂の髪を掴んでバッサリ切った上で「水商売女にでもなるつもり!? そんなアバズレに育てた覚えなんてない!」って叫んだらしい。何度も謝れ、お母さんに謝れって泣き叫びながら鋏を振り回すから、夏穂も泣いて謝って二度としないって言わされたって聞いた。

 真冬なのにいきなりベリショにしてきたから、クラスメイトの視線が痛かったな。


「……人って、いつから変わっちゃうんだろう。うちらも年取ったら高校生とか見て子供のくせに色気づいてるみたいなん言うようになるのかな……嫌過ぎ」

「さすがにないでしょ。小学生向けの雑誌にもコスメ載ってる時代だよ? さすがに赤ちゃんが化粧してたらビビるかもだけど」

「赤ちゃんはヤバい。てかさあ、血縁って輸血したら治らないかなあ。親に似るって呪いでしかないし。あーあ、早く離れたい」

「もう少しの辛抱だよ」


 夏穂が机の上に突っ伏して溶けた。

 元号が変わっても、人の中身がスイッチ切り替えみたいに変わるわけじゃないのは当たり前だけど、あいだに平成挟んでるのに昭和脳なのはぶっちゃけヤバいと思う。しかも平成ってわりと長かったのに、そのあいだ昭和を懐かしむ以外のことを何にもしてこなかったのって感じ。

 女は男に尽くすとか。三歩後ろをついてくるとか。共働きでもいいけど家事の手を抜くのは許さないとか。夫より稼ぎのいい女はあり得ないとか。

 そういうことを、晩酌で酔っ払う度にネチネチグチグチぼやくのを躾だと言い張る頭のおかしい人から逃げるのは、悪いことじゃないはずでしょ。しかもあのキチガイジジイ、女は男のために存在してるんだよとかいいながら服脱がそうとしてくるし。

 酔うとほぼ毎晩セクハラ通り越した性犯罪やらかすから、最近はネカフェに泊まることも増えてきた。いなきゃいないで、部屋に入り込んで下着漁っていくからなんにしても最悪なんだけど。

 わたしの部屋は、年中無休で引っ越し前日かってくらいにものが少ない。いつでも逃げられるように、鞄一つに大事なものをまとめてあるから。


「夏休み、楽しみだね」

「がんばろうね。あとちょっとだよ」

「うん」


 手を握って、額を合わせて、わたしたちは微笑わらいあった。

 わたしと夏穂は夏休みのうちにたくさんバイトをしてお金を貯めて、卒業と同時に家を出る。お互い家にいたくないから、バイト漬けの日々は望むところだ。



 わたしたちは、親を捨てる。

 半生を踏み躙られた怨みも哀しみも全部置き去りにして。

 彼らの存在をなかったことにする。

 これがわたしたちなりの、育ててもらった恩返しだから。

 彼らを忘れて、見捨てて、生きていく。

 青春も思い出も、自分から掴みに行くものなんでしょう?

 だからわたしたちは、十八歳という転機の年に、親という名の毒沼から逃げる。

 感染症と両親ドブガチャにすり潰された時間を、取り戻すために。


 恨まないでね。男なんかに従って俯いて生きていくのも、女を捨てて惨めに生きていくのも、わたしたちは御免だから。


 さよなら。

 今度は自分に従順なお人形さんが手に入るといいね。


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檻の中の夏 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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