第2話  三島由紀夫著「豊饒の海」 

 「豊饒ほうじょうの海」第4編「天人五衰てんにんごすい」は三島最後の作品となった。この書の巻末に記載された脱稿の日付、1970年11月25日は三島率いる「たての会」が自衛隊市ヶ谷駐屯地に侵入し、立て籠もった三島他一人の隊員が自刃した、正にその日付である。

 僕はその「天人五衰」の単行本初版を所蔵している。自決する僅か一週間前、池袋東武百貨店で開かれた三島の展覧会を訪れ、彼の作品(「午後の曳航えいこう」)を買って読み始めたばかりの中学生には、彼の行動は余りに衝撃的で、その死の理由を最後の作品となったこの書に求めたのだ。

 もっともこの小説は「豊饒の海」の掉尾とうびを飾る小説であるから、やはりその前にある3編を読了してから読み始めないと、意味が剥落はくらくするに違いあるまい。そう思い、1巻ずつ買い求めて全編購入後に読み始めることが出来たのは「天人五衰」を買ってから暫く経ってからであった。

 しかし・・・全てを読み終えても尚、三島が自決した理由は当時の僕には理解できなかった。「奔馬ほんば」に描かれた神風連しんぷうれんの面々、そしてそれを真似て革命を目指した主人公の姿と、市ヶ谷に三島と共に基地へと乗り込んだ男たちの姿は確かに重なったが、それ以上のものではなかったし、主人公である勲の姿は「輪廻転生りんねてんしょう」を構成する「死」によって断絶するとは言え、前段の「春の雪」にも後段の「暁の寺」のジン・ジャンにも有機的に繋がることはなかった。

 有機的、というのは小説の構造としてという意味でもあり、輪廻転生をした主人公の人格、という意味でもある。


 三島が自決した一年ちょっとのち「あさま山荘事件」という、今度は新左翼による事件が起きた。内部抗争で殺人を犯した若者たちが山荘に管理人の妻を人質に立て籠もり奪った銃で警察と銃撃戦を行ったその事件を覚えている方も多いだろう。山荘を吊した鉄球で叩き潰すという、映画でも見たこともないような情景がテレビに連日映され、後の「オウム真理教によるサリン事件、上一色村のサティアン捜索」、「9.11でのアメリカ建造物への旅客機突入」と並んで茶の間に直接犯罪風景を暴露し、ドラマを遙かに超える現実を見せつけることになった事案である。

 立場の右左を問わずいわゆる政治思想による社会への問いかけやら挑戦は、まだ中学生の子供心を激しく揺さぶった。都内の学習塾に通う時、歩道の敷石しきいしがされたのは学生運動の投石を防ぐため、と聞いてその余りに原始的な行動に恐れをいだいたこともある。だが、彼ら新左翼の行動も、それが実現しようとしている未来も、その活動や事件の顛末てんまつを鑑みてなお、やはり理解に苦しむものであった。どちらの事件も理解できはしなかったが、それでもどちらもが「何らかの理想を持って社会を変えようとしていた」のだろう。その点だけは、今の社会が余りに同調的で保守的であることと、鋭く対照している。


 ちなみに、三島の割腹事件のあった1970年というのは大阪万博があった年で、日本中が「浮かれ始めた」年でもある。「天人五衰」の初版本は僅か580円であったが、その後物価はどんどん上がって行き、最後に買った「暁の寺」は1250円になっていた。日本という国が万博という御旗みはたもと「太陽の塔」やら「月の石」とともに「浮かれポンチ」のように変容する狭間に三島の命も、闘争に明け暮れた左翼の若者の人生も吸い込まれていった。

 「天人五衰」とは六道りくどうの頂点である天道にいる天人が最期さいごを迎える兆しのことである。五衰とはそれ迎えた天人の頭は禿げ、体から臭いがし、衣服が汚れ、脇汗がでるようになり、自らの人生が楽しくなくなる、そんな様子を指す言葉である。六道の頂点を極めたその命も終わりとなればまるで、ルンペンのような状態になり、その苦しみは地獄に落ちた者より深いともいう。ならば、天人であろうと、残り五道を彷徨さまよう愚者であろうと、帳尻は同じという事であろうか?

 若くして死を選んだ三島は、そんな帳尻を拒否したのだろうか?

 日本が浮かれつつあったこの時代に「天人五衰」というタイトルの小説を書いて自決した、というところに、やはり三島と日本社会の蹉跌さてつを僕は痛烈に感じてしまうのだ。

 あれから50余年、そして日本はまさに「五衰」の中にいる。


 まず.、この小説の概要は以下の通りである。この小説の全編を通して登場する本多繁邦の学習院の友人、松枝清顕が自らが惹起ひきおこした「複雑な恋愛」の中で病死する話から始まる(「春の雪」)。

 本多が裁判官を自ら免じ弁護士になったのは松枝を救えなかった後悔を断ち切るために、その生まれ変わりであると自らが信じた飯沼勲を救うことが義務と考えたからであるのだが、それは彼の自死(その前に彼が国賊と断じた蔵原を殺害する)によって再び失敗に終わる(「奔馬」)。

 それでも尚、友人の「魂」は大和精神に殉死する青年(「奔馬」)を経て、異国(タイ/シャム)の王女ジン・ジャン(「暁の寺」)、と僅か二十年の命を経つつ現実世界に都度つど転生てんしょうしていく。少なくとも本多はそう信じる。

 それを救い続けるのが自分に課せられた役目であると信じ、最後には己に危害を与える事になる安永透(「天人五衰」)を養子に取り彼に迫害されることがあっても尚、それを貫徹していこうと試みる。

 その貫徹の先には、しかし、もはや「救う」という信念は失せている。「あと半年の辛抱。もしあいるが本物なら・・・」その呟きには半年が経てば養子が死ぬに違いないという望みが宿っている。その時、本多には既に「救う」という概念はなく、「もし透が贋物だったとしたなら」という輪廻転生に対しての反転した恐怖さえあるのだ。(<天>265ページ)

 その輪廻転生の根拠といえば4人(松枝、飯沼、ジン・ジャン、安永)の脇腹に共通して表れる「三つの黒子」で、この「甚だ曖昧で弱い根拠」がストーリーのしんを形成していることがこの小説の妙味となっている。

 理知の権化であるべき法学者は、そのどう考えても薄弱な類似に基づく転生という突飛な考えと、その大本になる世界観を生み出したインドの仏教及びその流れを汲む法相宗ほっそうしゅうと対峙し、その「作られた精緻」さに魅了される。

 しかし法学者はさすがにそうした「作られた世界」の怪しさにやすやすと引き込まれることはない。

 「『莫迦げたことだ』と本多は目がさめたように感じた。『実に莫迦げたことだ。三十八歳の裁判官が考えるべきことではない』」(<奔>ページ258)

 それでありながら、歳を取る毎に展開されていく身近な中での「転生」の可能性に抗しきれないままやがてその世界にどっぷりと引き摺りこまれていく。その転換の刹那は飯沼勲が囚われ、その報に接した本多が「清顕の夢を見て、あくる朝のことであった」(<奔>368ページ)そうならざるを得なかった原因は単に黒子のみならず、松枝清顕や(後に)飯沼勲の語った「夢」が介在しているからに他ならない。意志を秘めながらもその事象に流されやがて耄碌もうろくしていく、そんな人間の一生がそこに展開されていく。

 この小説は三島が自刃する直前に最後の「天人五衰」が脱稿されたこともあり、その解釈を「もはや三島自身が語ることがない」故に逆に様々な憶測や見方が無責任に蔓延まんえんした嫌いがある。しかし「本多」という法学に対峙たいじする人間が仏教の展開する輪廻転生が顕わす「世界」との境界で葛藤する物語という形で読んでみれば、その「長編」が一定のシナリオ、或いは余り安易に使うべき言葉ではないが、「世界観」から構成されているのだと考えることが出来る。

 この小説全体を今読み返してみると、実は「その世界観は法相宗とか阿頼耶識あらやしきとか、三島が本多に託した世界観」というのは実は小説の本質を目眩めくらませるペダンティックであって、三島は実は別の所に視点を置いているのではないか、と感じさせられる。


 三島由紀夫は第1編の「春の雪」の末尾に

「『豊饒の海』は『濱松中納言物語』を典據てんきょとした夢と轉生てんしょうの物語であり、因みにその題名は、月の海の一つのラテン名なる Mare Foecunditatisの邦譯ほうやくである」

 と注をつけている。その「濱松中納言物語」の佚亡*していた始末二巻を発見した松尾聰氏が旧制学習院高等科の教授であること、及んで松尾氏が三島の師であり、岩波書店の発行した「日本古典文學大系」の「濱松中納言物語」の巻(月報)に三島自身が松尾との思い出を寄せていることを知る人はあまり居ないであろう。(*佚亡は「イツボウ」と読み、散逸し失われた、という意味なのだろうが、松尾聰氏が濱松中納言物語の解説で使用しているこの単語は僕の所有する僅かな辞典には採用されていない)・・・。

 と、書き始めたら文庫本で「奔馬」の解説をしている村松剛氏が、この事を記しているのに気づいてしまった。三島由紀夫と親交のあった村松氏ならば、その程度のことはご存じらしい。意馬心猿、得意気に書き始めたことが恥ずかしくなる。

 ただ、ここにも引用されている三島の書いた「夢が現実に先行するものならば」という言葉の意味について村松氏は、わずかに「考え方への夢のがわからの挑戦」としか説明しておらず、わかりにくいので書き足していこう。まずは月報にある三島の文章を少し引用したい。そこにはこのような文章が記されている。


 「『濱松中納言物語』は・・・もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののはうが、不確定であり、恒久不変の現実といふものが存在しないならば、転生のはうが自然である、と云った考へ方で貫ぬかれてゐる。それほど作者の目には、現実が稀薄に見えてゐたにちがひない。そして現実が稀薄に見え出すといふ体験は、いはば実存的な体験であつて、われわれが一見荒唐無稽なこの物語に共感を抱くとすれば、正に、われわれも亦、確乎不動の現実に自足することのできない時代に生きてゐることを、自ら発見してゐるのである」(一部旧仮名遣いはそのまま、原文にルビは振っていないのでここにも振らない:当該書物の発刊は昭和39年5月6日が第一刷であり、三島の文章はそれ以前に書かれた物であろう、ちなみに「春の雪」の連載が始まったのは昭和40年6月である)


 この「濱松中納言物語」は以前、「竹の下の皇」という小説を書いた際に参考にした「篁物語」と一緒に所収されていたので、ついでといってはなんだが徒然のままに「豊饒の海」と並行して僕も(現在も尚)読み続けている。

 この人口に膾炙かいしゃしているとは言い難い古典は、肝心の第一部が散逸しているので、最初の設定が判然としないのだが、主人公の「中納言」は父である「式部卿」が亡くなる際に、唐の皇帝の息子に生まれ変わるのだと知って、許嫁を日本に残して唐へと渡るのである。つまり生まれ変わりの「予知」こそがこの物語の主要な構造なのだ。

 「豊饒の海」の設定も実は「輪廻転生」と共に「予知(夢)」という設定が不可欠であり、それこそが「濱松中納言物語」との共通点である。三島が提示したいみじくも「もし夢が現実に先行するものならば」という「何気ない条件」に僕らはもう少し注意を払うべきである。なぜなら「輪廻転生」も「法相宗」も、そして一般的な常識もそんな「条件」を前提になどしていないから。

 そしてこの小説は実は「予知」を通して主人公たちを結びつけているという仕組みがあり、その仕組みから行くと「予知されていない点で」輪廻転生における「虚」ないしは「嘘」の人物が最後の主人公(安永透)だということになる「筈」のだ。だが、事はそれほど単純ではない。

 この長編小説を理解するためには、まずそれらを繋ぐ輪廻転生と予知の構造を理解し、各々の編の役割(その変遷を含めて)を考察した上で、各編を吟味理解するという、「失われた時を求めて」よりも若干複雑なプロセスが必要となる。

 「失われた時を求めて」は一人の目によって過去に遡り、そこから「現在」へと引きつけて、もう一度読者を過去へと放り投げる、という構成を持っているとしたならば、この「豊饒の海」は複数の視点が存在し、時を経過しながら、度々過去に遡り、時にはそこから「現在」という未来へと飛び越えるという更に複雑な構成を有しているからだ。


 そこで先ず、この小説の根幹を成す「予知」の部分を明確にしていきたい。とりわけ最初の2巻にはふんだんに「予知」の部分が仕込まれており、それが主人公の転生を予感させる仕組みになっている。特に第1巻の主人公は夢日記という形でそれを残している。


 それを文庫本のページをreferしながら、辿っていこう。*は予知が語られる場所、→はそれに対応する場所という意味を持っている。


*「春の雪」(以降、<春>と略す)22ページ

 ここに「彼(松枝)は夢の中で自分の白木の柩を見た」という記述があり、その柩に縋り付いて歔欷きょきしている女がいる。その女の正体は明確でないが「細いなよやかな肩で、白い富士額、熟れきった果実のような西洋の香水」というヒントが提示されている。

「女の顔を見たいは思うけれど(略)<見えずに>柩の中に自分の亡骸が横たわっていることを確信している。確信しているけれど、(略)釘附けられた柩の中を窺うことはできない」

 ここでは白木の柩に入っている人間が彼その人なのかも、泣いている女が誰なのかも明確ではない。このシーンをなぞらえるとしたら、その死体は松枝自身というのは考えにくい。なぜなら、彼は死の時点で「柩に取り縋って泣く女(聡子)」を欠いているからだ。その点、飯沼勲には死の時点で「槙子」という(非常に若くはないが)女がおり、槙子は「汗とめの香水」(「奔馬」以下、<奔>と記す。246ページ)をしている。白木の柩はタイにはほぼない(あってもタイのものは装飾が強く、その記述がない以上タイのものとは思えない)し、彼女の死を泣く女も想定されていないのでジン・ジャンという可能性はほぼなく、安永透はそもそも死が描かれていない。

 このシーンは確定的に転生を伴っていないので、誰の死を夢見たのか、或いは無関係なのかは判然としないが、考え得るのは飯沼勲であろう。ここは対応する場所は示さず、後に「奔馬」においてその理由と関連する箇所について触れ、その根拠を示したい。

*<春>105ページ

「清顕の夢日記。(略)それも自分がシャムに行っている夢である。・・・・自分は部屋の中央の立派な椅子に、身動きもできず掛けたままである。(略)濃緑のエメラルドの中に(略)小さな愛らしい女の顔が泛んでいる(略)それを誰とも確かめることができなかった言おうようのない痛恨と悲しみのうちに、自分は目をさました。・・・・」

 訪れたことのない土地であっても、清顕はこの時既に「シャムの王子たち」と会っているので、その土地についてのイメージを抱き夢に見ることはあるだろう。ただ濃緑のエメラルドは王子の一人が恋人の(最初の)ジン ジャンから貰い受けた指輪の色であり、そこにはやがて、第2の転生の対象となる「王子の娘」のジン ジャンが予感されている。そしてその女が「愛らしい」と表記している以上、それは清顕の目に「思いのほか平凡な少女」(<春>63ページ)と映った最初のジン ジャンではなく、本多の目にではあるが「実に愛らしい聡明なお顔立ち」と映った「王子の娘」のジン ジャンに違いあるまい。

→「暁の寺」(以降<暁>と略す。48ページ「第一の老婦人は姫を擁して中央の支那椅子に掛け、(略)小さな姫は、かしずかれているというより囚われ人のように見えた」の部分であり、夢の「身動きもできず」と姫の「囚われ人」という外観までが対応している。即ち、心情までが夢を通して同等性を保っている。またこれは<暁>35ページにおいて本多が松枝清顕の夢日記を読む記述に置いて言及されているのでその文章を挙げておこう。「そうだ。本多の記憶どおり、清顕は、シャムの王子たちを邸に迎えてしばらく後、シャムの色鮮やかな夢を見て、これを記録している。(略)。それで見ると、夢に、清顕はシャムの王族になっているのである」

*<春>286ページ

「清顕はどうしたわけか、ふだん着たことのない白木棉の着物に白木棉の袴という姿で、猟銃を携えて、野中の道に立っている。多少起伏のある野原はそれほどの広野ではなく、彼方には家並の屋根々々も見え、(略)」

→<奔>293ページ

「そのとき道の果てに経つ白衣の人(勲)を見て、若者の一人が叫んだ。(略)これから半時間ほど前、勲は村田銃を片手に、血走った目で、このあたりを徘徊していた。」

 この夢の相関は<奔>300ページにおける「本多のなかではじめて記憶が、容赦のない明確な形をとった。今疑いもなく目の前で実現されたのは、大正二年の夏の或る晩、松枝清顕が見た夢の情景だったのだ」という文章で裏書きされる。

*<春>467ページ

「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」

 1編の末尾、聡子に会いに行った清顕が望みを叶えることなく病を得て京都から東京へ戻る汽車の車中で、本多に向かって言ったとき、本多はその「滝」は松枝侯爵宅の滝(冒頭で犬の死骸が見つかった滝である)の事を言っているのだと考えていた。しかし「奔馬」において、大阪控訴院の判事になった本多は院長の代理として出かけた奈良桜井の大神神社で、飯沼(「春の海」で松枝の世話を託された書生で、奸計にかかって情を通じた女中と共に追放される)の息子、勲と出会う。

→その勲が滝で水浴びをしている時、その左の脇腹に「集まっている三つの黒子をはっきりと見た」(<奔>48ページ)

 これが松枝清顕の言葉と照合するものだとすると、遡ってこの言葉は予知であり、それも「自らの死を予言した上」での二重構造の予知である、という事が分かる仕掛けになっている。


 ついで「奔馬」に移る。松枝清顕の転生した姿は奔馬においては、「春の雪」で松枝清顕の面倒を見ていた書生の飯沼にできた息子の勲に託されている。その飯沼勲は「健康な少年の、朝になればたちまち忘れ去られる夢」ばかりをみていたのだが、叛乱を企図しそれが暴露され牢に繋がれるようになって後、夢を見るようになる。その夢は

*<奔>405ページ

「その一つに蛇の夢を見た。(略)蛇は勲の踝を狙って、巻きついて来ると思われたときに、すでに噛んでいた」

→<暁>424ページ「二十歳になった春に、ジン・ジャンは突然死んだ。侍女の話では、ジン・ジャンは一人で庭に出ていた。(但し、異なる点はジン・ジャンは踝でなく腿を噛まれて死んだということになっている。この点に関し、後に引用する村松・佐伯対談の中で村松氏は「『暁の寺」でジン・ジャンは蛇に腿を噛まれて死ぬわけだけど、孔雀明王経ではあれは指を噛まれるんだよ。腿にしたのは官能性をあらわそうとしたのだろう」と指摘している。勲の夢では「小さな緑の蛇」なのでグリーン・スネークのように思えるが、ジン・ジャンを噛んだのはコブラということになっている)

*<奔>408ページ

「その夢はいかにも奇異で不快なので、追い払っても払っても、心の片隅に残っている。それは勲が女に変身した夢である。(略)

 耳にきこえるのは、密林の鳥の声、雨のような落ち葉のぞめきである」

 ところが、この場面に置いては自分の変身した女はいつしか身を離れ、その女を勲は「見る」ことになる。この転換の場面は詳細に語られていないので、どこで視点が転換したのかは詳らかではないが、往々にして夢というのは他者と自己が意味なく転換するものである事を踏まえて、夢の原型をそのまま文章に起こしたのであろう。そしてこんな風につづいていく。

*<奔>411ページ

「この眠る女の姿をはっきりと見たとき、顔は眠りの霧に包まれて定かではないが、槙子に違いないと勲は思った。すると槙子が別れのときにつけていた香水がきつく匂った。勲は射精して目をさました。」

 「春の雪」22ページの際に触れた松枝が柩に入るシーンとの対応が、ここにあると僕は読んでいる。どちらも「相手」の顔は見えず、男は死んで、女は眠って「横たわり」「香水」が繋いでいる。女は縋り付き歔欷し、男は射精する。その対応が一つの景色を作っている。

*<奔>491ページ

 最後は免訴された勲が家に戻り、自分を官憲に売ったのが父親であると聞かされ、なおかつ父親が勲たちが売国奴と断じ、誅殺する積もりであった新河男爵から資金を提供されていた事を知る。しかしその告白に動じぬ様子で酒を飲んだ勲が

「大声で、しかし不明瞭に言う寝言を本多は聞いた。

『ずっと南だ。ずっと暑い。・・・・・南の国の薔薇の光の中で。・・・・・』」

 と言う場面である。

 「笹百合を山と積み、七五三縄しめなわでそれを縛した車」を押した青年は、その笹百合を牢に送った鬼頭槙子の父親への密告が己の計画をふいにしたことを既に悟っている。

そして父の取り巻きの一人で、自分の計画にも加担していた佐和から彼女の電話の話を聞いて確信するのだ。その時、既に「笹百合」は「薔薇」へと置き換わっていることが作者によって読者へと告げられた。

 「笹百合」は彼を陥れた全ての人と共に放たれ、父親と槙子の企みと罠は敢然と否定される。それが蔵原の殺害と自刃へと一直線に向かって行くことになる。

→<暁>46ページ「柱廊のコリント様式の柱々は青地に塗られ、縦の溝々は金泥を充たし。柱頭飾は近東風の金の薔薇がアカンサスの代りをしていた。殿中いたるところに薔薇紋様は執拗に繰り返されていた」これは本多が勲の転生であるジン・ジャンに出会う直前の記述である。この薔薇こそ勲が夢見た薔薇であろう。

*<奔>505ページ

「(勲が)正に刀を腹を突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った」

→<暁>90ページ「突然、本多には思い当たった。勲がたえず自刃の幻のかなたに思い描いていた太陽こそ、正にこの太陽だったのだ、と」

 有名な「奔馬」の最後の一節(勲が自刃したときは夜であり、『日の出には遠い。それまで待つことはできない。昇る日輪はなく、けだかい松の樹蔭もなく、かがやく膿もない』と勲自身が直前に感想を述べているので、実際には「日輪」は幻である)に対応するのだが、実は本多が「なぜ勲がそれを思い描いていたのかを」知っているのか、直接の言及は(僕が見落としをしているのかもしれないけど)ない。

 神風連の最期を描いた「神風連史話」の中にもそれらしい風景は出てくるが日輪と自刃は必ずしも結びつけられていない。唯一、<奔>222ページ「そのときはじめて、罪と死、切腹と光栄が、松風のさやぐ断崖、のぼる朝日の中で結合するのだ」という記述、これは勲が洞院宮を訪れたときの心象を描いた部分なのだが、そこにそれらしい記述があるのだけど、その心象は本多に伝わっていない。牢にいれられた勲の接見は長く弁護士にも閉ざされていたので、そういう会話がなされたのかも説明がない。その意味ではやや、不思議な対応ではあるが、此処に挙げておくこととする。


 しかし、予知の構造はここで途切れる。

 その理由は非常に単純で、「奔馬」までの2編と、「暁の寺」以降の2編の構造は根本的に異なり、「暁の寺」以降は全て作者は本多の視点からものごとを書き綴ることになるからだ。ここで、この小説の主人公は然り気無く切り替わっているのだとみることも出来る。

 後半の2編の内「天人五衰」(以降<天>と略す)では最初の部分で透の目を通した景色も語られるが「暁の寺」ではジン・ジャン自身の心象風景は殆ど語られることはない。それどころか、「暁の寺」では終末に、「ジン・ジャンの双生児ふたご」の姉が突如登場することによって、読者は混乱させられるのだ。もしかして・・・ジン・ジャンは死んでさえいないのではないか、という疑いを抱かせる。もし、ジン・ジャンが死んでいないとしたら、物語はそこで終わるはずである。輪廻転生が途切れたならば・・・。では「天人五衰」の主人公は・・・やはり「虚」なのだろうか?

 いや、もし死んでいないならば「ジン・ジャンも」と疑わざるを得ない。果たして双子という話は本当なのであろうか

 もしかすると「暁の寺」において夢は一度の逆回転をして時計は止まってしまったのではないか。逆転のその情景はタイでのジン・ジャン姫との最初の出会いの時に現出する。

*<暁>50ページ

「本多先生!本多先生!何というお懐かしい!私はあんなにお世話になりながら、黙って死んだお詫びを申し上げたいと、足かけ八年というもの、今日の再会を待ちこがれててきました。こんな姫の姿をしているけれども、実は私は日本人だ。前世は日本ですごしたから、日本こそ私の故郷だ。どうか本多先生、私を日本へ連れて帰ってください」

 僅か7歳の娘としては余りに明瞭で論理的な言い方である。予知の夢が漠然とした景色でしか未来と連関しないのに、過去の事実はこれほど明瞭な言語に展開されるのは当り前と言えば当り前なのだが、驚きでもある。なぜなら「これほど明瞭な記憶」がある以上、誰がどう理解しても、この発言は飯沼勲のものであり、「過去の記憶」は最も緊密に転生の事実を証し、このジン・ジャンと飯沼勲という二人を結びつける事になるからだ。

 だが、転生の話は突如ここで途切れるのだ。確定した「転生」によって逆に「転生」は第3編第1部で終わることになる構造なのだろうか?精密な輪廻転生はここで機械が壊れてしまったのであろうか?

 或いはこの転生の終結は本多がそののちインドへと赴いた事によるのかもしれない。その件については別途「暁の寺」について触れるときに簡潔に記すこととしたい。


 ところで「春の雪」と「奔馬」においては輪廻転生のストーリーは単に主人公たちの夢の中だけではなく、周りの人間によっても紡がれていっている。それが描かれる場所はこの小説それじたいを生み出す「きっかけ」の舞台においてである。その場所と風景も参考のために挙げてみたい。

*<春>ページ222において

「六本木界隈は一変して賑やかな兵隊の街になり、(略)この坂も下りた、と思うところで、蓼科はくるまを止めた。門も玄関もない、そのくせかなりな広さの庭に板塀をめぐらした坂下の家の、母屋の総二階」と描かれた景色は

*<奔>ページ142では次のように描かれる。

「三人の少年は、六本木で電車を下りて、(略)下りていく坂道を辿り・・・(略)。よく震災で保ったものだと思われるほどの、古ぼけた総二階の家である。庭はかなりの広さに見えるが、これを囲む板塀がただちに玄関につづいて、門はない」

 この家は蓼科の知り合いの北崎という人の家(<春>366ページ)であって、松枝と聡子が秘密の情事を行った場所である。「奔馬」においては勲はこの家に寄宿している堀中尉とクーデターの話をする。(<春>の方ではこの家は「玄関もない」と書かれている一方で<奔>においては「ただちに玄関」という表現になっている。しかし家に玄関がない、というのは考えにくい。「玄関」と貴族が認識できるような入り口ではない、という趣旨であろう。因みに<春>367ページには綾倉伯爵の目に映った北崎の家が描写されており、そこでもやはり「門も玄関もない」と表現されている)

 だからこそ、この北崎という宿主は勲の裁判に証人として呼ばれたときに、「以前、家の離れ座敷に女連れで来た若い人(松枝)」と「一番左におります若い人(飯沼勲)」を取り違え失笑を買うのだ。しかし、それは記憶違いではなく、松枝が飯沼勲に生まれ変わったことを暗示している。(<奔>448ページ、449ページ。)また勲自身も「勲の心には一瞬不思議な印象がよぎった。何だかこの家を見るのははじめてではないという感じである」(<奔>142ページ、143ページ。)という表現でそれを裏付けている。

 ちなみに綾倉伯爵の心象を背景に、読者は登場人物たちより、更におぞましい事実を知ることができるのだ。なんとなればこの場所は、更に遡れば聡子の父親である綾倉伯爵と、聡子付きの女中であり、清顕と聡子の仲を取り持つ蓼科が情交を交わした場所なのだ。そこが清顕と聡子の情事の場となったことは作者と読者そして、蓼科だけが知る秘密となっている。だが、そこが後に飯沼勲が堀中尉に裏切られのっぴきならない事態へと追い詰められる場所となることは蓼科も知る由はない。全ての秘密は作者と読み手だけに共有される。すなわちこの場所こそは綾倉伯爵と蓼科の間で「悪の種子」の蒔かれた庭であり、小説全体において重要な地点となっているということを。

 「悪の種子」とは綾倉伯爵が情交を持った蓼科に「聡子が(松枝侯爵のいいなりになって世話をされ)結婚する前に、竹篦返しっぺがえしの為に娘が気に入った男と添い臥しさせて欲しい」と頼んだことである。そして娘による「気に入った男」、それは松枝清顕であり、その二人の情交が行われたのは正に綾倉伯爵がそれを頼んだ場所である。

 竹篦返しのためにとった行動が逆に娘の反逆という竹篦返しとして跳ね返ってきた事に綾倉伯爵は気づいているが、まさか娘が同じ場所で抱かれたとまでは思っていない。(その全体を俯瞰できるのは作者と読み手だけである)

 小説は無気力で、怠惰という貴族の生き方を象徴しているこの男こそが、この悲劇全ての元凶であることが示唆されている。そしてそれを忠実に行った蓼科という女中・・・、そのどこかなまめいた様子は「暁の寺」で戦災で焼けた松枝家の跡地に佇んだ95歳に至るまで綿々と描写され、恰も物語を聞かされている日本家屋の襖の隅に描かれた妖怪のように語られるのである(<暁>172ページ)竹篦返しは手を付けたまま8年放っておかれたこの女中によって綾倉伯爵になされたのだが、もはやそれに抗することはできないし、この綾倉伯爵は、そんな気さえさらさら持ち合わせていない。


 さて、もう一度小説の本体の構造に立ち戻ってみよう。何故、予知夢という形でこの物語は進んでいくのだろうか?それは本多を通して描かれた、当時の三島の歴史観に由来するのではないだろうか、と僕は考える。

 「春の雪」に於いて本多は歴史の「必然性」というものを強く意識している。これは、突き詰めれば人間というのは定められた「劇」の中で「決められた役割を」行っているということになり「偶然性は排除される」。ならば、その行き先は「既に既定」であるが故に「先行するもの」は見える、つまり「予知が可能」という設定になる。この設定はもしかしたら三島そのものが信じ、或いは経験し、そしてその死を乗り越えていく意志の何らかの根拠にさえなったのではないか、と僕には思えてくる。それが、まさに三島が「濱松中納言物語」を引用したときの趣旨である。もう一度その文章を引いてみよう。

「もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののはうが、不確定であり、恒久不変の現実といふものが存在しないならば、転生のはうが自然である、と云った考へ方で貫ぬかれてゐる。」

つまり、

現実---独自で切り開いていると信じているが実は確定しているのに、我々自身がそれと認識できないふわふわとしたもの

夢---確定した「現象」を「現実に先行して」意識に投影する予告編


 ならば三島の言う「確乎不動の現実」とは何なのか?確乎とした現実というのは、演じる役者、すなわち人生を生きる個々の人々が抱く「現実の世界」であって、もちろん殆どの人はそれは自らが切り開きよりよいものに変えていくと考えて生きている。それが個々人にとっての「確乎とした現実」であるとしたなら、三島はそれは幻想であると言っているのだ。

 その途端、突然現実は覆せない所与のものとなり、そこで生きるということは「その事実を認める」ということに他ならない。

「偶然は死んだ。偶然というものはないのだ。意志よ、これからお前は永久に自己弁護を失うだろう」(<春>129ページ)

 という本多の世界観が実はこの小説の大きなフレームを構成しているのであり、実はこの小説の主人公は転生を重ねる人ではなく本多その人なのだともいえる。

 だから「現実が確乎たる外見を失って」という言葉は本多に使われる(<奔>317ページ)のではいだろうか?

 このトーンは正に「天人五衰」にまで貫かれていて、そのほぼ最後、本多が月修寺の門跡となった綾倉聡子を訪れる場面の一節に、

劫初ごうしょから、今日このとき、私はこの一樹の蔭に憩うことに決まっていたのだ』(<天>327ページ)という表現に繋がっている。

 三島が決定論に傾倒していたという話はあまり聞かないが、この小説の全体は決定論を基に構成されているとみるべきではないか、と僕は思っている。三島は自らを松枝や飯沼勲やジン・ジャン(これは微妙な問題を含んでいるが)或いは安永透に反映させているようでいて、実は本多繁邦こそが自分の「呪わしい姿」として意識しているのである。そこから脱したい、と願うのはむしろそれを「宿命」として見ているからに違いない。


 この小説の基本的な構成を「輪廻転生」を重ねる姿の観察と、そこに生じる「虚偽」(虚偽自体は虚偽を行う人間は意識してさえいない)とみるのか、或いは本多という人間が「輪廻転生」という一つの世界観を持ちつつ、それを支えきれずに膝を屈する姿を描いた物とみるか、或いは更にそのハイブリッドとして「輪廻転生」という舞台劇の中に混入する「影の役者」たちを描いて重層的な構造を狙った小説とみるべきか、作者が逝って仕舞った以上、本当のところは分からない。

 ただ、単行本の「天人五衰」に附属した佐伯彰一氏と村松剛氏の対談を読むと、そもそも三島自身はこの4編の小説のプロットを持っていた物の、取り分け安保闘争の状況に左右されつつ、プロット自体が、取り分け後の2編において随分と変化したのだということを明らかにしている。その情報はこの小説を読み解くには極めて重要なものであろう。

 先ほども触れたとおり、この書の最初の2編がどちらかといえば、松枝清顕、飯沼勲を主人公としてその視点からの視界が見えるのに反し、後者2編は主に本多の視点が読者の視点となっていく。その意味でこの小説は屈折した構造を持ち、それは他ならぬプロットの変化に応じての構想変化であったのであろうと推察される。

 因みにこの二人の対談では幾つかの視点が提示されているので、それを列挙しておきたい。(「認識と行動と文学」 対談 佐伯彰一 村松 剛 「天人五衰」附属リーフレット ないし 新潮社「波」20号)

1)濱松中納言物語と「春の雪」の構成類似(村松氏の指摘)

2)70年安保の下火化による(安全保障条約そのものが改訂されず継続になったため、学生運動が盛り上がらなかったという歴史による)構成の変更という示唆

3)「天人五衰」における文体の衰退の指摘(佐伯氏「やせた文章になってね」)

4)「暁の寺」の姉妹問題(これは先ほど触れた)

 他にもポイントはあるのだが、取りあえず上記4点に関して、この後に各編での章の中で触れることにしたい。


 それでは各編毎にその中身をひもといてみよう。


*「春の雪」

 この4編の中でもっとも絢爛けんらんの趣を持つのは「春の雪」である。描いている対象が、明治維新で爵位を得た薩摩の元軍人を祖とする新興の松枝家、藤家蹴鞠とうけけまりの祖を継ぐ、皇族の結婚相手となり得る由緒正しい綾倉家という、この時代のエリートだからであろう。一方で維新によって力を付けた松枝家には昇り竜のような勢いがあり、一方の綾倉家は由緒はあるが衰微しつつある公家である、という構図はこの小説において重要なファクターである。

 この書の主人公である松枝清顕は、薩摩の軍人の家系らしくどこか粗雑で俗物趣のある父と、意志薄弱な母との間に生まれたが、父の考えで綾倉家で華族に相応しい教育を受ける。一緒に育った聡子との間には互いに「感情」が生まれるのだが、余りに近しい距離であったせいか、松枝清顕はその感情を抑え込み、聡子は逆にその感情を弄ぶかのように(これは聡子の意図ではなく、松枝の自作自演による感受なのだが)松枝清顕を翻弄する。この設定もまた重要なファクターの一つである。

 またもう、一つ聡子も清顕も全くと言ってその両親と似付かない性格であることに着目すべきであろう。作者にとって、reincarnationする魂は両親からの遺伝などものともしない、強いものなのだという主張であろうか。清顕は、産まれた地点において既に輪廻する魂である。明治維新という時代の変換点でこそ、それまで一定の枠の中に収まっていた流れが突如かき乱された如く、親子の間には乱れが生じ、輪廻転生はその隙を狙ったが如く差し込んだのかも知れない。


 「春の雪」という書名の由来はこの巻の終末、清顕が聡子を求めて彼女の落飾した寺、月修寺を訪れた時の風景、大和平野に降る風花から摂られている。本多が彼を救いにその寺までやってきて、聡子の祖母である門跡に頼み込んで彼に聡子を会わせたいと頼み込んだが、門跡はそれを許さない。

 その時、門跡は本多に法相宗の不思議な教えを諭す。それは物事の根本である阿頼耶識あらやしき染汚法ぜんまほうの織りなす世界の綾の構造であり、所詮人間のもつ識はその奥底にある第七識である末那識であれ、世界の根本を構成するものではなく、それを感じとるだけのものであり、また個々の人間という物はそうした存在であり、それは世界の根本に従って生きていなければいけないものである。だからこそ、一度決められた因果は破ることは出来ない。それは世界の論理に反する事なのだとそっと諭されるのだ。

 その中で「阿頼耶識と染汚法」は同時に存在し、同時に消失することで「時間」を刻むものである、という事が述べられていて、これが法相宗の真の教えかはしらないが、三島がそう解釈しているのはとても興味がある。「時間」というものが絶対的で、それは人間の存在どころか全てを超越する「クロノス」の世界観に反し、阿頼耶識と染汚法の衝突というエネルギーが「時間」を作り出していくという概念は新鮮である。要はもし、地球が滅び、あらゆる概念が消滅したとして「時間」というものが存在すると考えるのか、そうした世界には「時間」はないと考えるのか、そうした議論が成立しうると三島は考えたのであり、それこそが「世界」のありようだと定義しているのだ。 

 願いが受け入れられなかった松枝清顕は病を得、死ぬ。若干、二十歳で早逝するその短い一生が、本多の前で4度繰り返される「筈」の輪廻転生のおける最初の「生と死」となる。しかし松枝清顕の死は「覚悟」こそできていたが(『お上をお裏切り申し上げたのだ。死なねばならぬ。』<春>436ページ)実際には、自死をするわけでもなく病で死ぬのである。

 この二十歳で早逝する「筈」のそれぞれの主人公の死の態様はやはり注目に値するべきであろう。(かつ、その二十歳で早逝するというフレームワークは構想の当初には存在していなかったらしきことは後に触れる)またそれぞれの編における死に関しても個々の編において触れることとするが、いかにも相応しい死を三島は登場人物に与える。そして実際の「肉体の死」ではない、最後の人間の「精神の死」を最も詳細に描くのは、「死」によって閉じられる幕がおろそかにも閉じきれないその様子を描くから、であろう。

 「春の雪」に限っては、最後に三島らしい細かな描写はこの絢爛たる小説に趣を添えていることを指摘しておきたい。松枝家の庭の様子やその庭の滝に迷い込んで死んだ犬の描写、或いは本多が最初に訪れた裁判所で裁かれる女の姿、大筋には余り関係ないが、こうした細かな螺鈿細工らでんざいくを読者は楽しむ事が出来るに違いない。

 また、三島の小説のバックグラウンドにある博学にも着目すべきである。例えば、156ページ、洞院宮妃殿下の黒いお靴のさきが「莫告藻なのりその実」が隠見いんけんするように、と書いた直後に洞院宮が聡子を見て「こんな別嬪べっぴんのお姫さんを私の目から隠していたとはね」と苦情を言う場面がある。その時、清顕が「聡子が (略)、一個の花やかなまりのように高く蹴上げられる心地がし」軽い戦慄を覚えると続くのだが、この「莫告藻」は明らかに「あさりすと磯にわか見しなのりそをいづれの島の海人あまか刈りけむ」(私がみつけた磯にあるホンダワラをいったいどこの島の海人が奪っていったのであろう:この「なのりそ」即ちホンダワラは若い女子を意味している)を踏まえていて、既にこの時彼女が奪われていく筋は「莫告藻」に託されているのだ。こうした本歌取りのような手法は古典に精通している三島だからこそ可能な芸当でこうした古典に対する見識を武器にしたテクニックを使える小説家は残念ながらもう見当たらない。

 その上、三島は本多が初めて松枝清顕の脇腹に三つの黒子があることに気づいた海岸での情景に、然り気無く神馬藻ほんだわらを登場させている。(<春>ページ274)ここまで来ると果たして意図された物か、という疑いはあるが、偶然にしても美しい響き合いである。

 そして・・・、

「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」

 主人公の「予知」と共にこの一編は終わる。


 なお、佐伯・村松両氏による対談の1)項に関しては「春の雪」に関する物なので、ここで触れておくことにする。「第一巻の構成は『浜松中納言物語』によく似ている」という村松氏の指摘であるが、「濱松中納言物語」を実際に読む限りにおいては残念ながら「構成が似ている」とまでは思えない。「濱松中納言物語」は基本的には「源氏物語」を当時の先進国であった唐まで舞台を広げ(ちなみに唐の皇后(そもそもは日本人だが)が「藤壺」に近い役を負わされている)た物語であるが、前にも触れたとおり「予知夢」が物語の重要な前提になっている。その意味で、この小説に三島がヒントを得たことは否定しないが、「構成」が似ているとまでは思えない。また三島自身がこの物語をもって、「恒久不変の現実といふものが存在しないならば、転生のはうが自然である、と云った考へ方で貫ぬかれてゐる」と述べるに至っているが、原作者(一応、菅原孝標女が作者に擬されている。というのはこの小説に出てくり幾つかの和歌が和歌集において彼女の作とされているところに依るのが大きいし、「更級日記」に表現されている彼女の「源氏物語」への強い傾倒がこの作品を書く動機になったと言うのは説得力があるからであろう)がそこまで透徹した前提でこの小説を記しているとも思えない、というのが正直な感想である。

 ただ、「春の雪」を手に取った読者が「濱松中納言物語」に手を伸す、そんなきっかけにはなって欲しいとは思う。この小説は日本の古典にしては、「予知夢」や「中国への舞台の展開」といった構想をもったなかなか野心的な小説なのである。一巻を欠いているのは非常なディスアドバンテージではあるが、「源氏物語」の番外編のように読めば十分楽しめる古典である。


*「奔馬」

 松枝清顕の予言から十八年が経ち、本多繁邦は大阪控訴院(高裁)の裁判官となっている。その本多が偶然、控訴院の院長の代理として奈良大神神社の剣道の大会に出掛けることで長く停まっていた小説の歯車は動き始める。

 剣道大会の出場者にはかつて書生として松枝清顕の面倒を見ていた飯沼の息子が出場している。飯沼は松枝家を、女中と情を通じたかどで追い出され、国士めいた人物と化しているが、その息子には松枝清顕と同じく、脇腹に三つの黒子がある。三光の滝で水浴びをしている飯沼勲のその黒子に気づき「戦慄して、笑っている水の中の少年の凜々しい顔を眺めた」本多は

「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」

という松枝清顕の最期の言葉を卒然と思い起こす。ここから第二編はゆっくりと走り出すのだ。

 この巻には「神風連史話」という小編が作中作という形で登場する。その作品が飯沼勲にとっての生き方のバイブルという形になっており、ある意味極めて率直であり、別の言い方をすれば単純な生き方がそこに記されている。これは「春の雪」や「暁の寺」で語られる仏教と鋭く対比する「生き方」であることを僕らはもう少しちゃんと読み取らねばならない。神風連の乱は実際に熊本で起きた明治政府に対する叛乱であり、その史実は殆ど事実であろうが、ここで彼らは「能動的」に生きることを規制された存在として描かれていることに着目したい。まず、彼らの行動は「宇気比うけい」という神事によって規制されている。

 日本書紀や古事記などを読んだことのある人は知っているだろうが、そもそも日本の帝とは、天と地を結びつける存在であり、宇気比というのは天意を示すための占いである。従ってそうした行為を行う存在は本来限定的なものであり、またその行為を濫りにかつ何度も行うようなことは本質的には許されざる行為の筈であるのだ。宇気比を実施するのは神官であるが、それをイニシエートするのは天と地を結ぶ存在でなければならない。

 しかし、神風連のおおもとを作った林桜園(実在する人物である)は「神意」はある条件を備えれば祠官しかん(この場合、大田黒伴男)が行えるという形になっている。つまり「イニシエートする存在」と「作業を行う存在」は分離し、「作業を行える存在」が自ずと、「ある条件を満たせば(斎戒など)」自由に行える形になっている。本質的な事を言えば、その段階で「失敗するのが当り前」の賭であることは明白なのである。

 とはいえ、これこそが「神風連の本質」であり、「奔馬」の飯沼勲の本質であり、もっといえば「楯の会事件」の本質なのではないか?つまり、本来はその「資格のない」ものが「已むに已まれぬ憂情」をもって諫止することの「一種の美学」こそ、三島の「述べたかったことであり、かつ行動によって示したかったこと」なのではないか、と僕は思っている。

 僕自身はこの「考え方」に決して同調するものではないけれど、「思考の流れ」としては「理解」することができるような気がしている。少なくとも、一部の似非右翼のような「きゃんきゃんと吠えるだけの惨めな老犬」のような姿とは異なる毅然としたものが感じられるのである。

 そして、それが次作の「暁の寺」における風景、取り分けインドにおける、猥雑で豊饒で壮麗で病的で、悲愴と喜悦が同時進行するような「生の世界」と鋭く対立する存在であることもまた認めなければならない。この二つの世界の存在のはアンビバレントでありながら、三島の中に強い印象を与えるものでったに違いなく、結局三島は前者の生き方に身を投じたのだろうけど、その救いは後者の中に求めたのかも知れないと思う。

 飯沼勲もまた、揺らぐ世界観の中で「筋を通す」ことを選んだ。もし、彼は死なねば、父親と同じようなexcusesだらけの人生を送ることになったのであろうけど。そして、世の多くの人間は結局、飯沼勲のような選択をせずに「生きることを優先する魂」なのだということを痛感させられるのである。


*「暁の寺」

 日本が第二次世界大戦を引き起こす直前、南方に進出していく1939年のバンコックがこの小説の舞台となる。

 実は舞台はともかく、この編の主人公は当初のシナリオと全く異なったものであるということらしい。村松・佐伯両氏の対談によれば、本来この小説は「生き残った」奔馬の主人公(オリジナルの構想では北一輝の息子)がシンガポールでタイの王女と出会うというシナリオだったということである。

 ということであれば、必然的に「奔馬」の主人公は飯沼の息子ではなく、既にその時点で構想は変化しているということである。即ち、安保闘争の変質から来るシナリオの変化かといえば、全然そんなことはなく、そもそも「暁の寺」は1968年から書き始められ1970年に脱稿されているので、1970年の安保闘争の成り行きなどまだ分かるタイミングではなかったのだ。安保条約の自動更新という形はその前から決まっていたので予測がつかないこともあったのだろうが、それとは根本的に異なる要因があったのだろう。

 「(もし当初の構想通りならば)生き残った奔馬の主人公」は既に二十歳を越えるわけで、二十歳で死に「王女」に転生するなどという筋はあり得ない。とすると、構想の変化は更に早い時点で行われていたわけである。「二十歳で転生していく」という小説の骨格の部分もある意味「後付け」となる。

 村松・佐伯氏による2)の指摘は三島が「これでは構想を変えなきゃならない」と言っていたとしても、それは第四巻の部分であって、それ以前に別の要因があったと考えるのが自然である。その一つが1967年のインド・ペナレスの訪問であったことを村松氏は示唆している。

 そしてもう一つはやはり1967年に構想し、1968年に第一期生を集め血盟状を認めた「祖国防衛隊」(後に「楯の会」に改編する)が結成されたことであろう。「楯の会」はある意味、「奔馬」において飯沼勲が作った「明治史研究会」と相似し、三島自身は恐らくこの章を書いたときに自らの辿るべき運命をそこに見たに違いあるまい。彼が自分の書いた小説の中に自分の生きる道を探り出したとき、恐らく小説の世界はある意味「過去」の殻と化し、そこから自身を脱皮させる必要が生じたのだ。

「暁の寺」を書き終えた三島が「実に実に実に不快だった」と「実に」を三度繰り返した感情表現は、従来そんな大仰な表現をもっとも嫌うはずの三島が「実に」不快だったことを如実にょじつに表した物だ。

 そして「それまで浮遊していた二種の現実は確定せられ、一つの作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になったのである。私は本当のところ、それを紙屑にしたくなかった。それは私にとっての貴重な現実であり人生であった筈だ」という発言をしたのは「暁の寺」を脱稿した直後で、次の「天人五衰」を書き終えた後は、その「作品世界」の中へと吸収されていったのだ。

 その前提でこの書を読むと、では本多という人物はそこでどのような役割を背負って前面に押し出されてきたのか、という意味が次第に了解されてくることになる。


 さて、小説そのものに戻ろう。先に書いたとおり、この小説で輪廻転生は反転し、ジン・ジャン、月光姫は彼女が飯沼勲の生まれ変わりである事を彼女自身の口から述べ、そしてその事実を記憶によって証明する。それなのに・・・バンパイン離宮へとドライブに誘われてそこで本多は「その左の脇腹に、あるべき筈の三つの黒子はなかった」(<暁>ページ65)のを知る。

 ここで困惑させられるのは一人本多だけではない。意外な展開に三島以外の全ての人間は困惑させられるのだ。

 彼女は飯沼勲が輪廻転生で生まれ変わった人間ではなかったのか?それとも「脇腹の三つの黒子」が輪廻転生の証ではないのか?いや、この書の最後で明かされるジンジャンには「双生児」が存在した、ということがこの秘密に関わっているのか?

 まてよ、本当に双生児がいるならば、なぜ、そのことを菱川(本多の顧客である五井物産のつけた通訳)は本多にそれを知らせなかったのか、本当に双生児が存在したのか?

 様々な疑問が湧き上がり、繰り返される。

 無礼極まりないことであるが、謎を解くためにその「アメリカの文化センターの長をしていたという米人」の「三十を過ぎた夫人」の脇腹を確かめずにはいられない心持ちになるのである。なぜなら、ジン・ジャンは本多の隣人である慶子と性行為をしている最中に本多とその妻に覗かれていた時には「夕映えの残光を含んで暮れかかる空のような褐色の肌に、昴を思わせる三つの極めて小さな黒子を歴々と」(<暁>410ページ)有していたからで、いったいこの不分明な設定が何を示しているのか当惑せざるを得ない。もし、その夫人に黒子がなければ、その夫人がバンパイン離宮でジン・ジャンに成り代わっていた偽物であり、ジン・ジャンは慶子の相手であり、確かに蛇に噛まれて二十歳で死んだことになる。だが、もしも彼女に黒子があれば・・・。

 輪廻転生の二十歳の枠は取り払われ、次の編は最初から「不成立」であるべき虚の物語なのである。いや、それ以前にこの「暁の寺」自体、輪廻転生の話としては「虚」に終わっているということになるはずだ。

 村松・佐伯氏の対談の4)の問題でも両氏共に困惑の状態のままで語られ、「これはわざと、少しわかりにくいようにしたのだろうけど・・・」あるいは「ぼかす形にだんだんなっていって」という呟きと共に「大真面目に転生の主題をぐうっと押していきことに対する一種のためらいや疑い」がでてきたのではないか、と語られている。だとしたら、いったいなぜ「そもそも転生の物語」を書き始めた作者がためらいをかんじるようになったのか、を解き明かさないとならないはずなのだが、結局それに対する結論は出ていない。

 もしかすると・・・。「奔馬」の飯沼勲にもし、三島が自分の最期を重ね合わせたとするなら、と仮定してみよう。その輪廻の先は「タイの王女」と「親を失い、本多に拾われ、その本多を同質の人間として苛む安永透」へと転生していくことになる。屡々触れている佐伯・村松氏の対談によれば、オリジナルの筋では転生の先は北一輝の息子であり、彼は生き延びて「タイの王女」と出会うことになっているために、転生先はそもそも「タイの王女」ではありえない。オリジナルにおいて松枝、北の息子と転生した先が誰になったのか、それは不明なのだが、「七十年安保」の変質以前においては「七十年の安保で『おれ』は斬り死にするんだ」と言っていたという(村松氏談、『おれ』の二重カギ括弧は西尾による)

 この『おれ』という表現に三島が自らを「転生の主人公」と重ね合わせていたと考えるなら、ある時点で三島は「自らの転生」に興味を失ってしまったのではないか、と捉えることは出来ないか?

 僕にはこの「暁の寺」を書き始めた段階で、三島は自らの転生という夢を放棄したのではないかと思えるのだ。本多がこの小説の担い手になる、そのことも夢の放棄の依って必然的に発生し、三島は逆にそれによって、「紙屑となった現実」と共に「転生のない斬り死」へとダイブしていく。そこに残されたのは転生を信じ、それを確認し続けた本多という男の無残な姿であり、彼の信念が崩壊し現実へと膝を屈する姿。そうした生き方を絶対に拒否「せざるを得ない」三島の葛藤を僕らは見るべきではないのか?

 先の村松・佐伯両氏の対談に

村松「第一巻、第二巻と読んでくると、これは安定した二つの小説だと思う。ところが『暁の寺』から急速に変るでしょう」

佐伯「それが非常に問題だ。あそこへ来ると俄然本多という人物が正面に押し出されてくる」

 という部分があるが、三島の小説の主題や主人公が「暁の寺」を書き始めた時点で屈折したと考えれば腑に落ちるのである。即ち、「奔馬」で最初の構想は閉じ、「暁の寺」以降は、友人の輪廻転生という「構想」に囚われた男の妄想と転落の物語に転じ、そこに己の未来を観じた三島の生への執着を断ち切る遺言のような物語に変じていくと考えるべきなのだろう。だが、三島自身はそれを書きつつも、それを強く拒絶したからこそ、「紙屑にしたくなかった」というような悲鳴のような言葉が発せられたのではないか。それでも、三島は書き続けなければならなかった。


*「天人五衰」


 そして最後の巻「天人五衰」となる。僕にとって、この章を読んだ最初の感想は一種の「既知感デジャブ」であった。その予感は「暁の寺」に既にあった。

 「書斎の書棚から洋書を抜き出す時、本多は年齢をこえて少年に似た動悸を胸に感じ」(<暁>231ページ)という場面を覚えている方も多いだろう。

 そして、その先にある「本を取り去ったつき当りの壁には、小さな穴が穿たれている。」(<暁>232ページ)でその予感は確信に変わる。

 本多は隣室で今西という男と椿原夫人が情交をしているのを覗いている。いや、それだけではなくそこでは「奔馬」で飯沼勲を愛した女、鬼頭槙子が座ってその二人の情交を「みつめて」いるのだ。


 この情景を読めば、三島の読者ならば、何かを想起するのではないだろうか。

 そう・・・。

 「これ(穴)を発見してから、登は母ががみがみ言ったりした晩は殊に、部屋に閉じ込められるや否や、音一つ立てずに抽斗ひきだしを抜き、就寝前の母の姿を飽かず眺めた」(『午後の曳航』)

 という情景である。

 この1963年に上梓された小説と「天人五衰」の共通点は「海、貨物船、そこに開けた世界への扉の情景」という広角と「裸、情交、覗き見」という狭角の二つの視点である。

 「午後の曳航」といえば、その後の青少年による殺人事件、例えば神戸の酒鬼薔薇事件などを想起させる犯罪を予言したような小説で、子供たちが「猫」を殺す場面など、実際にそうした殺生がエスカレートする過程を曝くようなシーンが印象的だが、こうした性向を持つ子供たちは昔からいたに違いない。昔はそういう事件は何らかの形で隠匿いんとくされていたのだろう。

 三島自身がそうしたものを持っていたかは定かではないが、そういう心理描写を催す存在は近くにあったに違いなく、「午後の曳航」の主人公である黒田登と「天人五衰」の安永透、そして本多は一つのカテゴリーとして三島の中に存在している。彼らは己の性向を愛し、憎み、そうした性向を共有する相手をやはり憎む。「天人五衰」の中で三島は再び、「午後の曳航」で描いたのと同じ水平線を見ているのだ。

 「沖の霞が遠い船の姿を幽玄に見せる」(<天>5ページ)世界ならば、慎ましやかに生きていける筈の人間が、養父を「火掻き棒で額」を割り(<天>250ページ)遂には二十歳で死ぬために「自分の部屋で服毒」(<天>302ページ)し、狂女と共に「垢とあぶらと、それに若い男の夏の暗いどぶのような匂い」を纏いながら黒いレンズの向こうに何かを見ている、その姿こそが恰も五衰の果てのような景色であり、本多自身も『傷害犯人とまちがえられた元裁判官覗き屋氏の御難』などと週刊誌に書き立てられていくのだ。

 本多が「骨を蝕む白蟻の歯音を聞き分けられるよう」になり、「時が酩酊を含む」ことを学んだ頃には「酩酊に足るほどの酒は失われている」人生(<天>147ページ)は終結に向かっているにも拘わらず、なお狂女と透の間には子が宿り、この物語は三島が死んでも続くのだ。そのことにさえ、「自分の末裔が理性の澄明を失うことのほぼ確実な予測」を見て取り、目を輝かす男は自分と同じ性格をもつ養子をどれほど憎んでいたのだろうか。その老いさらばえた目には養子はかつての友人である松枝清顕の転生した男なのか、或いは自分のコピーであるのかさえ見当が混乱しているのだ。

 佐伯氏による「天人五衰」における文体の衰退の指摘(「やせた文章になってね」)は確かに的を射ているのだが、僕はこの小説は結局「こうした終わり方をせざるを得ない」必然性を秘めたものだったと思う。

 翻ってみると、この「天人五衰」に出てくる安永透という青年が最初の婚約者である百子に対して行ったことは、まさに「春の雪」の松枝清顕の行いと相似しているのだ。どちらも、自らを求める女を「愛しているのに」故意に傷つけ、自らをのっぴきならぬ事態に追い込み、滅びていく。その航跡は松枝が聡子を追い詰めていく時は遙かに絢爛で、情が濃く、美しくもあるが、 百子を追い詰めるの透はもっと即物的で、冷ややかで、ありきたりである。松枝は実際には他の女を抱くこともせず、虚勢を張っただけだが、 透は実際に女を抱き、あまつさえその女を百子に見せつける。時代と階級の消滅が生まれ変わった魂を「衰え」させているように見えるのは過ちだろうか?

 或いはどの時代でも、青年は同じように女を傷つけるものなのだろうか?輪廻転生に興味を失ったように見える三島は結局、その落とし前をどうつけようとしていたのか、その結論が「虚」なのかどうなのかも曖昧なままとなって小説は終末を迎える。その終末は更に意外にも本多が見てきた「全て」を松枝清顕の女であった筈の聡子が否定するというものである。

 「暁の寺」から「天人五衰」の終末にかけては三島が自決するのに合わせて、どんどんとその展開も、本来の校了する時間も変化しているため、実は三島にしては粗雑な部分が多いと感じる人は多いし、そもそももし三島が自決をしなかったならば、「恐らくこういう結末にはならなかったのではないか」と思っている人も少なからず居るだろう。もちろん三島があのような死を遂げることを望まない読者にとって「天人五衰」(或いはその前段階である「暁の寺」も)忌まわしいものなのかもしれないが、否定する事は結局三島自身を否定するという危険を孕んでいるのだ。

 僕は、「豊饒の海」に向かって三島が打ち上げた宇宙船は「豊饒の海」には到達しなかったかもしれないが、月には到達したのだと思うようにしている。それが到着した地点は「静かの海」か「氷の海」なのか知れないが。


 最後に三島がなぜ「覗き」という古来より侮蔑の対象(英米ではpeeping Tom、日本では出歯亀と呼ばれる)である行為を何度となく小説に登場させるのかについて触れておく。

 「見る」という行為が書き手としての行為である、という考えには余り共感できない。ただ三島がそういう行為に対してかなり執着しているのは間違えあるまい。それも部屋の壁を隔てて覗き穴から「見る」という形まで相似しているとなると、同じような行為を三島自身が行っており、その時のスリリングな感情がよほどなものだったのではないか、と勘ぐりたくもなる。本多自身は、その行為だけではなく、「暁の寺」の中で「金のかからぬ快楽にこそ、身の毛もよだつような歓びがひそむのを」(<暁>265ページ)を知っているのだ。五月、匂い立つ若葉の中での若者たちの性行為を覗くという行為を。それだけではない。妻を失った後に、ヴェニスへと慶子と出掛けた時に慶子が連れ込んだシシリアの美しい少女と性行為を行ったとき、「途中耐えかねて起き出して、少女の足に触っていた」(<天>54ページ)ことさえあるのだ。だが性交という行為自体を「本多の行為」として描かないことは即ち、三島自体は実際の行為より視姦に興味があったのではないか、と思わせる根拠になるであろう。

 そうした情景をその頃にはすでに死を決意していた筈の三島がどのような心で描いていたのか、その後の彼の行動との連関性を考えてもなかなか分からない部分も多いが、「暁の寺」のヘテロの情交、それを「眼下の川へ瞳を凝らしているとしか思えない」槙子の視線(<暁>234ページ)、あるいはホモセクシュアルの女性たちの「仄明かりの下にははなはだ複雑に組み合わされた肢体が、すぐ目の前のベッドにうごめいていた」(<暁>407ページ)という情景の続きとして慣性のまま描いていたのかも知れない。

 いや・・・寧ろ本多が透と絹江という名の狂女の間を覗き見しないことの方が不可解なのかもしれないとさえ思うのは言い過ぎだろうか?


 ため息をつきつつ、僕は「天人五衰」の初版本を閉じる。黒い筺の表紙には象やら蛇の、裏側には龍を象った細工の絵が描かれ、その中にある本のカバーは安永透が見ていたような海の景色が描かれている。それを見ながらもう一つためいきをつく。

 三島は様々な業を背負ったまま死んでいったのかも知れぬ。彼の政治的、或いは倫理的思想は自衛隊の幹部にも隊員にも恐らく理解されなかったであろう。突き詰めた行動の先には理解者はいなかった。鍛えた肉体はひ弱さへのコンプレックスの裏返しであると指摘され、性的にはアクティブではなく、二人の評論家に「谷崎さんは目をつぶせば官能の世界が開ける・・・三島さんでは絶対そうならないね」と指摘される通りであったに相違ない。


 僕はそういう業を背負った人間として、彼の政治的信条は否定しつつなおかつ、三島を肯定している。その右翼的な思想には一切共感はしないが、すくなくとも彼は醜い男である事を敢然と拒否したのだ。

  因みに村松氏によれば、三島は「天人五衰」の最終章は1970年の8月に既に書き上げ(おそらくはその時に脱稿の日付までを記し)その日を最期と決めてから、元に戻り最終章までを書き上げたと言うことらしい。そんな律儀さも三島らしさが溢れているような気がしている。



<単行本>

豊饒ほうぜいの海 一 春の雪

豊饒ほうぜいの海 二 奔馬

豊饒ほうぜいの海 三 暁の寺

豊饒ほうぜいの海 四 天人五衰

  新潮社 


<文庫本>

豊饒ほうじょうの海 一 春の雪     ISBN978-4-105049-2

豊饒ほうじょうの海 二 奔馬      ISBN978-4-105022-5

豊饒ほうじょうの海 三 暁の寺     ISBN978-4-105023-2

豊饒ほうじょうの海 四 天人五衰    ISBN978-4-105024-9

  新潮文庫(いずれも平成十四年から十五年に行われた改版によりページ数を記載している)



「日本古典文學大系」77---「濱松中納言物語」(「篁物語」「平中物語」も併収)

  岩波書店

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My Bests(僕の好きな長編小説) 西尾 諒 @RNishio

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