付内さんは殺されたい

奈良ひさぎ

「付内」さんは「腐肉」から来ています

「ごめんね……こうするしか、ないんだ……」


 学校から歩いて十分くらいのところにある河川敷。草むらに倒れ、口端から血を滴らせる付内つきうちさんに、僕は鋭い包丁を見せていた。


「本当に……これしか方法が、ないの」

「うん……だから、殺して……おめでとう。君がうちの高校で初めて、私を殺した人になるんだよ」

「……」


 目元を潤ませながら、付内さんが僕に向かってゆっくりとうなずく。それを合図に、僕は精一杯腕に力を込めて、付内さんのお腹に包丁をぐっさりと刺した。ごぼっ、と血が噴き出すかと思いきや、案外穏やかに、漏れるような出血だった。それでもだんだん付内さんの体から力が抜けてゆき、死へ近づいているというのが分かった。


「ありがとう……」


 最期に付内さんはそうつぶやいて、そっと目を閉じた。この血生臭さはしばらく鼻の粘膜から取れないだろうなと思いつつ、息を吸って吐くと。


「……ふう、はあ」

「ねえ」

「うん?」

「突然目を開けるの、心臓に悪いからやめて」

「そう? 君ならもう慣れたと思ってたんだけど」

「慣れないよこんなの……」

「私、心臓ないしそういうの分からないかも」


 僕が今さっき殺したはずの付内さんは、もう目を開けていた。僕が包丁でざっくりと開けたお腹の穴もみるみるうちにふさがる。完全にふさがる直前に、ちょっと飛び出ていた臓器っぽいものをぎゅっと手で押し込みしまい込む付内さん。ついでにぽろっと取れた左目をそそくさと元に戻してみせる。僕にグロ耐性がなければ、今頃胃の中が空っぽになるまで吐いていたことだろう。


「いやあ……いつかは服をおじゃんにしないで復活したいとこなんだけどね。さすがに血が出ちゃうなあ」

「最初に制服のままやるって言った時はどうなるかと……」

「あの時はほら、家に着替え忘れちゃってたから。一応君は異性なんだし、ハダカになるわけにもいかないから」

「そりゃそうなんだけど……」


 そう。付内さんは生きているようで生きていない。何度死んでもよみがえる、ゾンビなのだ。



***



 最初に僕が付内さんのヤバさに気づかされたのは、特別でも何でもない、二か月前の木曜日。数学の授業中のことだった。僕と付内さんは同じクラスで、教室の隅っこに陣取る僕の前に彼女はいた。その日の授業の内容はもう予習済みで特に難しい話でもなかったから、僕は昼下がりのまどろみに身を任せて、ノートに最近話題のアニメの主人公を落書きしたり、カーテンのシミをぼうっと見つめたりして過ごしていた。そんな時。


ぽとっ


 床に何か落ちた音がした。ノートやシャーペンにしては音が小さい。消しゴムくらいの小さくて軽いものを落としたのだろう。そんな音がしたからといってすぐさま動くわけでもなく、誰も体を動かさないのが気になって僕はようやく音のした方を探した。

 いくらクラスに気になる女子なんていないと豪語する、ませているのか何なのか分からない僕でも、前の女子の落とした消しゴムを拾ってあげるなんてイベントがベタベタながら始まりを予感させるものだということは知っていた。そういえば付内さんとは何度か近い席になったことがあるものの、あまり話したことはないなと思いつつ、落ちたものを拾おうとしたのだが。


「……えっ」


 落ちていたのは指だった。どちらの手かまでは分からなかったが、人差し指だ。第二関節くらいでちぎれて落ちていて、血の一滴もなかったから、最初はおもちゃかと思った。おもちゃだったとしても、そんな趣味の悪いおもちゃをわざわざ学校に持ってくる意味が分からないのだが。僕はごくりと生唾を飲んで、それに手を伸ばす。やっぱり、本物だ。シリコンとかプラスチックの感触ではなかった。心なしか生温かい気さえした。


「こ、これ」


 なるべく消しゴムを拾っただけなんだと自分に言い聞かせて、付内さんにそれを手渡す。彼女は一瞬驚きで目を丸くしたが、すぐににこりと笑顔を張りつけた。指を受け取った付内さんの右手人差し指は、同じ箇所でちぎれていた。


『このまま 河川敷まで来て』


 それから放課後まで、僕は明らかに付内さんに避けられていた。当たり前だ。ちぎれた指を拾われるなんて、意味が分からないシチュエーションなのだから。けれどこれは僕が悪いのかと悶々としながら帰ろうとしたところ、靴箱にメモが入っていた。河川敷で、二人きり。恋が始まる――わけはなく、付内さんから告白ならぬカミングアウトをされた。


「私、実はゾンビなんだ」

「ゾンビ」

「明らかに腐敗臭がするとか、ボロボロ体が崩れるとか、そういうのじゃないんだけど」

「でも、今日指ちぎれてたよね」

「いつもはあんなミスしないんだけど」


 思い返してみれば、付内さんは授業中や休み時間に関係なくトイレに立つ回数がやたらと多かったし、高校生にしてはやたら上手くお化粧をしていた。普通の人ではないと見ていて何となく思っていたが、まさか人間ですらなかったとは。けれど人間ではないと言われればそれはそれで、そんなものかと思ってしまった。自分の適応力が恐ろしかった。


「ミスなの、それは」

「何から説明すればいいかな……えっと、一応犯罪は絡んでなくて」

「最初に弁明するのがそれ?」

「隠れて誰かを殺して肉を食べてるとか、そういうのはないよって言いたくて」

「それはまあ……付内さんに限って、そんなことしなさそうだし」

「よかった……よかった、のかな?」

「知らないよ……」


 いつもと変わらない感じで立つ付内さんだったが、ふとした瞬間にぼろっと右目がこぼれ落ちた。僕はぎょっとして一歩後ずさったが、その次の行動をとれなかった。ゾンビだと本人からカミングアウトされてなお、たちの悪いドッキリではないかと考える自分がいた。


「あぁ……ごめんね。私、人間と同じご飯を食べて栄養を摂ってるから……普通に生きてると、再生が追いつかなくて。時々こうやって、」


ぐさっ


 どこから出したのか、いつの間にか手に持っていた包丁を自分のお腹に突き刺した。訳が分からず僕は「あっ、……えっ」としか声を出せなかったが、ばたんと仰向けに倒れた付内さんは次の瞬間目を覚まし、ずぼっと包丁をお腹から引き抜いた。


「……体をリセットする必要があってね」

「……何から、ツッコめば?」

「人間とか動物とか植物とか、この世界に生きてるありとあらゆる生き物から、ほんのちょっとずつ生命力をおすそ分けしてもらってるんだけど。おすそ分けをし直してもらうために、古い体を一度殺さなくちゃいけないの」

「うーん……」

「ほら、触ってみて? ぴんぴんしてるでしょ、元気になっちゃったからね」


 付内さんの許可を得て、僕は彼女の膝や太もも、手のひらや頬を触ってみる。ゾンビとは思えないくらい温もりがあって、ぼろっと取れてしまいそうな感触もなくきれいで馴染んでいた。だから、僕は特に仲が良いわけでもない女の子の体にベタベタ触る変態に成り下がっていた。


「でも実は、自分がゾンビだってこと、他の人に打ち明けたのは初めてで」

「そりゃ……そうだよね」

「指、拾ってもらっちゃった時点でだいぶ覚悟はしたんだけど」

「別に付内さんがゾンビだからどうとか、誰かに言いふらすとか、そういうのはない。……つもりだけど」

「だけど?」

「再生が追いつかないから、ひっそり一人でお腹刺して……っていうのを、今までやってた。ってこと?」

「うん」


 そもそもなんでゾンビなのにそんなに血色がいいのかとか、ゾンビの家系ってなんなんだとか、知りたいことはいっぱいある。いかにも科学的に分かっていることのように、あらゆる生物から生命力をもらっているとか言っていたけど、それも実のところよく分からない。でもそれ以上に、自力で自分の体を維持しきれないからと言って、何度も自分のお腹を刺す行為に一人で向き合っていたのだと思うと、なんだかやりきれない気持ちになってしまった。


「……怖く、ないの」

「怖い……とかはないかな。自分がそういうゾンビなんだって理解するまでは確かに気持ち悪かったけど、目玉取れたりとか臓器飛び出たりとか簡単にするし、それにいちいち驚いてちゃキリないからさ」

「……すごいんだね、付内さんは」

「そうかな」


 たった一人で、その業のような何かと向き合っている付内さんの秘密を、僕は知ってしまった。このまま、へえそうなんだ、で終わりにしたくない気持ちが僕の中には芽生えていた。恋、なのかもしれない。なんだか体のあちこちがむずがゆい気はする。


「……殺してみる?」

「え……」

「次、また刺さなきゃいけない時が来るから。その時に、私のこと殺してくれる?」

「なんで、そんなことを」

「だって、君は優しそうだから」


 付内さんの提案は、まさに僕にとって救いだった。何かしてあげたいという気持ちだけがはやっていた僕にうってつけ。僕はすぐに提案を飲んだ。


「君とは、すごくいい友達になれそうだね」


 付内さんが僕を河川敷に呼び出すタイミングは、決まっている。ゾンビでお腹を刺すことに慣れているとはいえ、ちくっとはするらしい。だから付内さんを殺すための凶器にもこだわるようになった。僕たち二人だけが知っている場所に不法投棄されていた掃除用具箱には、いつの間にか刃物が充実し始めた。


 そうして、僕はまた付内さんに刃物を突き立てる。その時が来れば決まって殺されたがる、付内さんのために。

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付内さんは殺されたい 奈良ひさぎ @RyotoNara

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