回転球は心を表す
龍田乃々介
回転球は心を表す
「うわ、ありゃ厄介だね」
田口部長の感想は私と同じだった。
「ほりゃ、あんたもよく見ねい」
「えぇ~。いいよ別に~」
部長に脇を抱えて持ち上げられた
「一回見れば取れるよ~」
「まだ一回も見てないだろ。今のうちに見れ見れ」
「あひゃんっ」
くすぐられた弥生が声を上げると同時に、牧柴みどりがファーストサーブを打った。
中空をゆったり飛んだボールはサービスコートに着地すると、燕のような俊敏さで地面スレスレの高さを疾駆する。
レシーバーはボールの後ろを追うことしかできなかった。
「はぇ~。跳ねないねぇ~」
「それに速い。えぐい回転量だ。あれ取れる?」
「まあ~。…………にょーんって構えてすゅっと動けば?」
「ああ、訊いたあたしが馬鹿だったね。で、どう?
田口部長はいつも私のことを名字で呼ぶ。他の子はなるべく距離を縮めようと下の名前で呼ぶのに。
「もうちょっと見てみないとどうにも」
「そ。あ、そろそろ他の子の試合かも。あたし行くけど、弥生、ちゃんと偵察するんだぞ」
「あ~」
「吾妻ちゃんはほどほどにね」
「はい。頑張ります」
部長は短く手を振ると、振り返ることなく私たちのところを去った。
「よ~し、じゃあわたしも行くね~」
「コンビニ?遠いよ」
「お腹空いちゃって。持ってきたの食べちゃったし~」
「じゃあ、はい千円」
「あ~~……からあげ?」
「食べられればなんでも。残りは自分のにしていいよ」
「からあげね~。からあげ~かっらっあげ~」
歌いつ跳ねつ弥生はコンビニへと向かった。
私は観戦を続ける。
手元には、二台のスマートフォン。
◇
「あんた、やっぱちょっとおかしいよ」
「え?」
「そこまで見ないよ、ふつう。……気持ち悪い」
◇
しばらく見ていてわかったこと。
まず一つ目。牧柴・露熊ペアの戦い方は、牧柴のサーブ主軸のスタイル。
彼女はファーストサーブからカットで打つ。ラケットの持ち方はやや長め、包丁持ち、先を地面に擦っているように見えるほどの距離で回転を掛ける。ここまで七回打って六回サービスエースだ。今の対戦相手は三ゲーム目にして少し慣れてきたようで、辛くも一度返球に成功した。
しかしその甘いボールは露熊に容赦なく叩かれ得点となる。
二つ目、牧柴に気を取られがちだが、露熊の恵まれた体格と反応速度も脅威。
レシーバーとなる二ゲーム目を牧柴・露熊ペアが取れたのは露熊の存在感の大きさが影響している。相手ペアは彼女のスマッシュを警戒して大きく持ち上げたロブを多用していたが、華奢で小さい牧柴との視差で距離感を誤り強打を決められるパターンに陥った。そうでなくても、ロブで余裕を与えてしまうと牧柴はお得意の強回転でカットやドライブを打ってくるから良くない。
……が。
「露熊はフィジカルが強いだけだ。パワープレイなら弥生がなんとかする」
なので別に対策は要らない。やっぱり一番の課題は彼女。
牧柴みどりのカットサーブ。
彼女はボールを指の上で回してから流れるように打つ。ルーティーンに見えるけど、視線は相手の顔を見ていたから多分サーブを選ぶタイミングなのだろう。
三つ目。サーブはおそらく三種類以上。足元から持ち上げてほぼ跳ねないボールを作る最下段アンダーカットサーブと、腿の辺りで切って打ちにくい端に落とすコントロール重視アンダーカットは見た。
「でも、もう一つはあるはず」
サーブ前のまばたきの数を数えた。三回まばたきをしたときは最下段、一回だけのときはコントロールサーブを打っている。これがルーティーンなら、まばたき二回の時に打つサーブがあるはず。相手の顔を見たあとの体運びにわずかな間があったから、おそらく。
「バックカットサーブ」
フォアとは反対のバックハンドで逆回転のカットを掛ける。カット警戒で前に出ているなら、普通頭上から強く打ちおろすフラットサーブかスライスサーブで強襲する方が効果的に思えるけど、牧柴の体格で出せる威力では不意打ちでも対応されかねない。少なくとも弥生ならリターンエースを取るし、勝ち上がってくる強豪選手には通用しない。
だから彼女はカットサーブを極める方を選んでいるはず。バックカットサーブだ。
「………………」
……本当に?
本当に牧柴みどりは、カットサーブに拘っているの?
その証拠になるものは、あるの?
◇
「あれ?さっちゃんまだ起きてたの?」
「うん。明日試合だから」
「じゃあ寝るでしょ普通は。電気も点けないでスマホなんか見て、何やってたの?」
◇
「三石坂高校二年……ってことは三十三回生……33rd……33th……」
SNSで検索すると、公開アカウントがいくつかヒットする。プロフィールに33thと書いてあるものをいくつか見ていくと、クラスの友人たちと映った華々しい写真に満ちるメディア欄が私を迎える。私が探していたのは、文化祭などでクラス全員が写っているもの。
「……あった」
牧柴みどりと露熊亜莉紗は同じクラス。だが撮影時の距離は離れている。ほぼ中央で明るい笑顔を弾けさせる牧柴と後方端で真顔をしている露熊とでは、まるで別世界に生きる人間に見えた。
「二人は不仲?部活中だけのビジネスライクな関係?」
顔を上げる。試合は第三ゲームが終わりサイドを交換するところだった。牧柴みどりと露熊亜莉紗は肩が触れそうな距離感で、小走りにコートの反対側へ向かう。顔はお互いを向き、何かを話しているようだ。
「…………ない、……いた。………………から、……てない…………」
今日スピン弱くない?お昼抜いた? 抜いてないけど、ダイエット中だからサンドイッチしか食べてない。 馬鹿じゃないの。これ終わったらお弁当買いに行こ。 わかった、おごりね。 自分で買え。
唇を読んだ限りでは、仲は良さそうだ。
手元のスマートフォンへ戻る。人気者さんのフォロワーを漁って「みどり」とそれに類する名前を探して、見つける。鍵は掛かっていない。そしてそのフォロワーをさらに漁り、「ありさ」を探す。
「……あった」
アカウント名は「ツユクマ」だった。鍵は掛かっていない。
左手のスマートフォンにみどりを表示し、右手のもう一台にツユクマを表示。両方を同時にスワイプして流し見る。片方の投稿は練習風景や遊びに行ったときの記念写真を始め、勉強や練習、人間関係にまつわることなど様々。
「自分が写ってない写真は上げてない。文章は短い。絵文字が多い。でも漢字の変換はサボってない」
対してツユクマは投稿頻度が低く、内容も明確さを欠いたものが多い。
「綺麗な夕日、夜の町、風景の写真。答えの出ていない悩みや社交上の悩みの話」
左のスマートフォンで地図アプリを開く。写真の景色からツユクマの生活圏を絞って、周辺の中学校や駅の配置を見る。投稿が集中している時間と照らし合わせて、どのあたりに住んでいるかまで絞る。そうすると、新しくわかることがある。
「みどりは遊びに行く頻度からして比較的裕福な家の子。この住宅地には住んでない。二人は高校で出会った」
左のスマートフォンをみどりのアカウントに戻して投稿をもう一度、今度はしっかりと見る。……返信欄にも内容にもツユクマは現れない。ペアなのだから言及してもいいだろうに。意図して隠しているようだ。つながりがあるとクラスには知られたくないのか……。
はっと気づいたことがあって、みどりのフォロワーを見直す。
そこには何人もの女子の名前があるが、コートの向こう側で応援している他の部員の名前は見当たらない。
「練習に関する投稿にも部員のリプライがない。このアカウントはクラスメイトに見せる専用で、フォローを認められている部員はツユクマだけ……」
核心。そこへ至る小さな道を見つけた。
◇
「あがつまさん、だっけ~?ソフトテニス一緒にやらない~?わたし、興味あってさ~」
「……誰?何?なぜ?」
「気になってるんだよね~、わたし~~。……あがつまさんが、どんなテニスするのかさ~」
◇
牧柴みどりはかわいい女の子だ。低身長でふわふわの髪をうなじが覆われるあたりまで伸ばしている。仕草や表情にも少女の幼さを感じさせるものが多い。
だがそれは、完璧な擬態なのだろう。
このゲーム最後となるカットサーブを彼女が打って、そう確信する。
ふわふわとかわいらしく宙を舞うボールはサービスコートに舞い降りた瞬間、豹変し、レシーバーの足元を小賢しい小動物のように駆け抜けた。
それを見届けた牧柴みどりの表情。
「…………満面の笑み」
ただし、その目は欠け切る前の月のような弧を描き、薄く開いている。
それから、何事もなかったかのように、踊るような足取りで露熊亜莉紗の元へハイタッチに行く。心底楽しいらしい。だがそれもそうだろう。
彼女は、自分のカットサーブに翻弄される人間を見るのが大好きなのだ。
真っ赤に熱された鉄球が足元に降ってきたかのように慌てる様、力いっぱい振りぬきたいラケットの面を上に向けねばならないレシーバーの悔しそうな顔、そして、走り抜けたボールを追う無力と屈辱の象徴たる後ろ姿。
回転サーブが試合に引き起こす作用そのすべてが、彼女にとって愉悦に違いない。
相手を掻き廻し、無様に踊らせる。自分より大きい女も自分よりカッコイイ女も、このサーブの前ではピエロになる。
あのカットサーブには、彼女の秘めたる捻くれた性格がこの上なく現れている。
「だから、分けてるんだ」
クラスのマスコットのような、ただかわいいだけの自分。そしてその扱いで溜まる鬱憤鬱屈ストレス怒りの何もかもを他者にぶつける、ソフトテニスプレイヤーとしての自分を。
その二面性を把握しているのはただ一人、ペアの露熊亜莉紗だけ。知っていて、認めていて、肯定して、信頼し合っているのは。……彼女だけ。
「…………わかったよ、その気持ち」
露熊亜莉紗が、牧柴みどりにとってどれほど大切な存在か。どれほど眩しく、どれほど愛おしく、どれほど大きいか。理解できた。
牧柴みどりは捻くれた回転球を打つことだけではなく、それを愛してくれる露熊亜莉紗にもこだわっている。
「もう隠し玉なんてどうでもいいな……」
スマートフォンを切ると、真っ黒な液晶に気持ちの悪い私の顔が映った。
◇
「あ~、さっちんどうだった?」
「大体わかった。試合前にできれば言ってほしいことがあるんだけど、いい?」
「いつもの~~」
◇
準々決勝。苫山高校、春夏秋冬森弥生・
「あの、名前すごいですねっ。なんて読むのかな~ってずっと話してて!」
「あ~~。わたし、しきもりやよいっていいます~」
「へえ~っ!しきもりさん!すごーい!あとで連絡先交換しません?レア名字のお友達ほし~っ!」
「ちょっとみどり」
「いいですよ~。みどりちゃん、マスコットみたいにかわいいし~」
「あははー。やったーっ!」
「そっちの~……つゆ……でっかい人もどうですか~?」
「……結構です」
「……行こっ、亜莉紗」
コートに入って一分間のラリー練習の後、トスを行い、試合開始。
サービス、牧柴みどり。レシーブ、春夏秋冬森弥生。
牧柴のまばたきは三回。私は後ろ手で指を三本立てる。
ラケットが振られ、着火音にも錯覚しそうなボシュッという音が鳴ると、欠け切る寸前の月のような弧を描いてボールがやってくる。今日一番の回転量。
着地、
「よっ」
ラケットを持ち替えた弥生のフォアハンドでストレート、露熊亜莉紗がいたはずの方向へあっけなく返される。
そこには誰もいない。クロスへの甘い返球を予想した露熊は中央へ出ていた。
一点。
次は私のレシーブ。
牧柴のまばたきは三回。すぐさまサーブ。
その呼吸はさっきより半分速い。
今日一番高く跳ねたその回転球を、私はバックハンドでクロス側へ短く打ち返す。
露熊が中央にいたら通らなかった球だ。
「ちょっと、亜莉紗……」
露熊はストレートで構えていた。愚直に、私までストレートで返してくると思っていたから。顔から血の気が引いたその色を私は見た。
「露熊さんって、」
「っ!」
下を向いて消えそうな独り言を呟く。卑怯な手だ。私は心の中でスポーツマンシップを考えた人に謝った。
「牧柴さんほどじゃないんだ」
試合は、四ゲームすべて
回転球は心を表す 龍田乃々介 @Nonosuke_Tatsuta
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