第94話:何を言いたかったんだろう

 ロランスとの対峙から数日後に見たこの夢をきっかけに、アンジェは度々悪夢にうなされるようになった。


 ある時は王城の廊下で。


『なぁ、聞いたか? ついに帝国がこっちに攻め込んでくるらしいぞ』


『らしいな。あの聖女様を取り戻そうってんだろ? おかげでこっちは大忙しだ』


『力も使えないのにこっちに居座るなんて、ずいぶん虫のいい話だよな。そのせいで戦争だなんて割に合わねぇよ』


『帝国からは偽聖女って追放されたらしいけどさ、俺たちにとっても偽聖女だよなぁ』


『はははっ、違いねぇ。つーか帝国も力が使えないあの方なんていらねぇだろうよ。……あれ、それ向こうに教えりゃ全部解決じゃね?』


『あれだ、そんなことしたらどこにも居場所がなくなっちまうだろ? だからわざと伏せたんだよ、きっと』


『はぁ? それわざと戦争起こそうとしてるようなもんじゃねぇか。さっさと王国からも追放しねぇとヤバイだろ』


 ――嫌、いやっ……! やめて、そんなこと言わないでよぉっ……!


 声も出せず、体も動かせないままに衛兵たちの悪意のある噂話を延々と聞かされては静かに涙を流し。


 また、ある時は帝国の神殿で。


『……なんだ? 早く力を発動しろ。そのために数々の犠牲を払って貴様を取り戻したのだぞ』


『何? 力が使えない? ふざけるな! 貴様の存在価値は聖女の力だけなのだぞ!? 今更何を隠し立てしている、早く発動するのだ!』


『……もう良い。衛兵、コイツを牢へと連れていけ。一度ならず二度までもこの俺を謀った女だ、最早尊厳などないと思え』


 ――ま、待って! 違う、違うんです! 私、そんなつもりじゃ……!


 神官たちに周りを囲まれる中ロランスに罵倒された挙句、衛兵に引きずられ。


 また、ある時は生まれ育った帝国辺境の村で。


『受け入れる? アンタを? 冗談はよしてくれよ』


『力も使えなくなってんだろ? じゃあアンタ、村で働いていけんのか? その体で?』


『生憎、ロクに働けない穀潰しを置いておけるほどウチの村は栄えてないんでねぇ』


『全く、せっかく聖女になって厄介払いできたと思ってたのになんで戻ってくるんだよ。ほら、さっさと行った行った』


 ――な、なんで……? あの頃はみんな、優しくしてくれたのに、なんでそんなひどいこと言うの……!?


 かつてアンジェを育ててくれた村の人々から拒絶され、背を向けられ、呆然と立ち尽くした。


 そんな悪夢は数日おきにアンジェを襲い、無意識に悪夢を恐れているのか近頃はどうにも寝つきが悪い。


 ――なんなんだろう。


 アンジェは心の中で呟く。


 悪い夢の一つや二つなら、アンジェも見たことはある。だがこれほどまでに断続的に見ることなどこれまでにはなかった。


 何より、アンジェの心に引っかかっているのは。


 ――なんでいっつも、あの子がいるんだろう。


 衛兵たちが噂話を展開する、廊下の向こうの曲がり角。


 ロランスとともに、引きずられていく自分を冷ややかな目で見送っている神官たちの輪の中。


 自分に背を向けて作業に戻っていく村人たち、その背後の小屋の影。


 これまでに見てきた悪夢には必ず、最初に見た夢の中で出会った、幼いころの自分にそっくりな少女が現れるのだ。


 少女は何も言わない。直接アンジェにかかわってくることもない。ただただあの時と同じ悲しそうな瞳で、アンジェを見つめてくる。


 だが時には、物陰から踏み出そうとしては足を止めたり、何かを言いたげに口を開いては閉じたりといった動きを見せることもあって。


 ――何を言いたかったんだろう。何をすれば、良かったんだろう。


 そんな言葉が延々と回り続け、悪夢を見た翌日のアンジェは必ずと言っていいほど寝不足で過ごすことになるのだ。


 この夢は、あの少女に起因している。あの子の望みをかなえてあげる必要がある。本来なら荒唐無稽な話だろうが、全ての悪夢に共通しているのが彼女の存在なのだから、そう考えるよりほかはない。


 だが、夢の中の存在に対して何をすれば良いというのか。罵倒され、さげすまれている自分をただ見ているだけの少女に何ができるというのか。何の答えも出ないまま、アンジェの悩みは深まるばかりだ。


「……アンジェ様? 苦手なものでもございまして?」


 不意に声を掛けられて、アンジェはハッとして顔を上げる。見ればテーブル越しに座るシャルロットが心配そうにアンジェを見つめている。そこでやっと、アンジェは今がシャルロットと夕食をともにしているところだったことを思い出した。


「あ、い、いえ何でも! このお肉、すごく美味しいです!」


 慌てて両手に持ったナイフとフォークで切り分けた鶏肉のソテーのひとかけらを口に運ぶ。もぐもぐと口を動かしながら微笑んで見せるのだが、シャルロットの表情は晴れない。


「……近頃ぼんやりされていることが多いですわね。何かお悩みでしたら、わたくしにもお話しいただけませんこと?」


 控えめに、しかし真摯な瞳で案じてくれるシャルロットの気づかいは泣きそうなくらいに嬉しい。しかしこんな話をしたところで解決のしようがないし、そもそもアンジェ自身、どう伝えて良いかわからなかった。


「……今は、大丈夫です。必要になったら相談しますから」


 曖昧に笑って見せたアンジェにシャルロットは何か言いたげに口を開くが、結局何も発さずに言葉を呑みこむ。


 やがて、自分の目の前の皿に向き直ったかと思うと。


「……かしこまりましたわ。無理はなさらないでくださいまし」


 その一言を残して、食事に戻った。


 いろいろと言いたいことはあっただろう。それでもシャルロットは、最後にはアンジェの意思を尊重してくれる。そのことが嬉しくて、申し訳ない。


 ――早く、何とかしないと。でも、どうやって……?


 大好きな人への罪悪感とどうしようもない現状への焦燥感。それらが混ざり合って、アンジェはまた思考の渦の中へと沈んでいくのだった。


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偽聖女と断罪されて婚約破棄の上国外追放された私は、何故か隣国の王女様に溺愛されています。 ひっちゃん @hichan0714

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