ぷーっぱちん

尾八原ジュージ

ぷーっぱちん

 枯れた井戸をほったらかしておくと、そのうち蛙の幽霊がどこからかいっぱい出てきてギャアギャア鳴く。とてもうるさい。

 母さんはそういう場所に行っては、でっかい頭陀袋いっぱいに蛙の幽霊を引き取ってくる。要するにそういう幽霊の不法投棄に手を貸してるんだけど、おれも妹もその金で食ってかなきゃならないんだからたちが悪い。

 だから母さんが「どーにかしな」って蛙どもの頭陀袋を子ども部屋に放り込んでくると、おれと妹はしかたなく、どーにかする作業に没頭することになる。具体的にはまず蛙の幽霊を捕まえ、肛門からぷーっと息を入れてやる。そうするとそいつは風船みたくぷーっとふくらんで、ぱちんと破裂し、消えてなくなってしまう。

 幽霊だからケツに口つけてもあんまり汚い感じはしないけど、ぷーっ、ぱちんとやるたびに自分の中のプライドとか尊厳とかそういうたぐいのものが、ちょっとずつ減ってくような気がする。だから妹にはあんまりやらせたくなくて、妹が一匹ぱちんとやる間に、おれは三匹とか四匹とかぱちんぱちんぱちんぱちんとやる。おかげで蛙の幽霊を捕まえるのと、肛門に口つけてぷーっとやるのだけはけっこう上手くなってしまう。

 蛙の幽霊を破裂させるのは単純作業だ。だから何にも考えないでどんどんやる。酸欠になっても続けてると、頭がぽーっとしてくる。おれはこの状態が結構好きだ。あとで妹に聞いたら「なんかしあわせそうな顔してた」って言われてちょっと恥ずかしい思いはしたけれど、でも実際幸福な感じがしたのは否めない。

 ところで最近は井戸自体がどんどん少なくなってて、つまり枯れ井戸もそこに湧く蛙の幽霊もどんどん減っている。蛙の幽霊を処分するのもあんまり金にならなくなって、母さんは一時期勤めてたスナックとかにまた雇ってもらうけど、見た目はともかく性格が終わってるのでひと月くらいでクビになり、家でひたすらゴロゴロしてるようになった。こうなると、おれたちの給食費とかも払えなくなるので本当困ってしまう。おれなんかまだ図太いからいいけど、妹はおれの妹にしては上品なので、払うべき金がないってなると恥ずかしくて相当辛いと思う。

 でもおれはまだ子供だし、どうやって金をかせごうかって困ってたら、また母さんが出かけるようになって、今度はニワトリの幽霊をいっぱい持ち帰ってきた。廃業になった養鶏所がそこらへんにあって、そういうところをほっとくとニワトリの幽霊がいっぱい出てきてコケコケ鳴く。蛙の幽霊くらいうるさい。

 この幽霊を捕まえてどうするかっていうとやっぱり卵をとるとかじゃなくて、もちろん不法投棄の手伝いをする。つまり、こいつらも捕まえて膨らませてパチンとやる。蛙よりも大きい分、ちょっとむずかしい。妹は肺活量が足りなくて破裂させることができないので、部屋中を走り回ってるニワトリの幽霊をつかまえる係をやってくれる。

 ぷーっとやってぱちん。おれはひたすらそれをやるので、酸欠になる回数も増える。酸欠になってる間は幸福だ。ただしけっこうやばい顔になってるらしくて妹には心配される。あんまり体にはよくないのかもしれない。でもなってしまう。

 幽霊が大きくなるともらえる金も増える。ニワトリの幽霊のおかげで、うちはちょっと豊かになる。でもやっぱ潰れた養鶏場って無限にあるわけじゃないし、母さんはクズなので、金なんかどんどんなくなってしまう。

 そういうわけで、母さんは今度は犬の幽霊を何頭も持ち帰ってくる。ブリーダーをやっていた人が死んで、廃墟になった家に犬の幽霊が溜まり、ワンワンワンワンうるさいらしい。で、母さんが拾ってきた犬の幽霊を、おれはぷーっとやってぱちん、ぷーっとやってぱちん、安定の流れ作業をまたやることになる。

 犬の幽霊はいろんな犬種がいる。元々ブリーダーのとこで増やしてたらしいチワワもいれば、雑種っぽいちょっとでかい犬もいる。妹は、いくら幽霊でも犬を捕まえるのがつらいと言って泣く。だからもう、捕まえるとこからおれが全部やることにする。そうして酸欠で倒れて、なにかでっかいものにつかまって肛門から息を入れられて破裂する夢を見て、わって叫びながら目を覚ましたりする。で、おれがひっくり返っている間に、妹が毛布をかけてくれたことに気づいたりする。

「わたし全然できなくてごめんね」

 妹が泣くのを、おれは抱っこしたり頭をなでたりして慰めてやる。

 そもそも母さんがよくないと思う。幽霊の不法投棄の手伝いなんかやめて、もっとまともな方法で生活費をかせいでくれるとかすればいいのに、それをやらないからおれたちはいつまでだってこうだ。おれは大人になった自分を想像する。おっさんになったおれは、ばあさんになった母さんが持ってくる何かの幽霊をぷーっぱちん、相変わらずの流れ作業をやっている。そんなんやって一生終えるのはいやだな、とさすがのおれも考える。

 ブリーダーの家からは犬の幽霊がいなくなる。ちょっとの間は増えていた家の金も、どんどんなくなる。今度は牛の幽霊とか連れてきたらどうしよう、ぷーってやってなんとかなるかなと身構えていたら、そんな話もないらしい。金がないので、母さんはイライラすることが増えた。金がないのにどこかから酒なんか買ってきて、よっぱらっておれを殴ったり蹴ったりして、それだけならいいけど妹のことも殴ろうとするので、おれはとっさに母さんを力いっぱい押し倒す。そしたら母さんはシンクの角に頭をぶつけて、ゴリッていやな音がして、倒れたまま動かなくなる。つまり死んでしまった。

 おれみたいなバカの子どもが警察から逃げ切れるとも思えないから、おとなしく自首することにした。でもなんか別に罪とかに問われなくって、ちょっと警察のなんとかいう施設で生活したりしたあと、おれはふつうに、ふつうの生活に戻る。ふつうの生活っていうか、離婚してた父さんに引き取られて、世間一般的にはふつうの、でもおれと妹にとってはふつうじゃない生活をすることになる。つまり三食飯を食って、学校に通って、毎日風呂に入って、夜はだれにもたたき起こされないみたいな、そういう生活だ。

 妹は喜んでいる。髪も肌もつやつやになって、笑顔が増えてかわいくなって、おれはよかったなと思うけど、落ち着かない。ぷーっぱちんをやるたびに、プライドとか尊厳とかそういうものがちょっとずつ減ってくような気がしてたのは、もしかしたら気のせいじゃなかったのかもしれない。それがほんとにプライドや尊厳だったのかわからないけど、とにかく何か大事なものを、ぷーっぱちんのたびになくしていったような気がする。

 毎日落ち着かない。不安になって、学校になんか通ってられなくなる。父さんも妹も心配してくれて、世間一般の普通ができない自分が悔しい。でも、自分ではどうしようもない。せめて酸欠だけはやってみようと思うけれど、いつもは幽霊を破裂させていたのに、今は幽霊がいないもんだから、どうやったら酸欠になれるのかわからない。ふつうに息を止めたり、風船をたくさんふくらませてみたり、色々やったけど上手くいかない。

 あるとき、おれは子供部屋のドアノブに紐をかけて、首を吊ってみる。ぎゅーっとしまって、頭がふわーっとなって、ひさしぶりの幸福感が押し寄せてくる。これでまた幸せになれるのかって安心するような気持ちと、こんなことしなきゃ幸せになれないのかって気持ちが半々になって、ぽーっとなった頭に流れ込んでくる。

 気がつくとおれは死んで、幽霊になってふわふわ浮いている。どうやら何年も経っちゃったみたいで、家はもうぼろぼろだし、妹も父さんもいない。

 どうしようか。とりあえずおれは部屋の隅に行って、すみっこで膝をかかえて座る。その姿勢のまま、ずーっと動かない。

 廃墟になった家はいつのまにか心霊スポットとして有名になって、時々イキったやつが勝手に入り込んでくる。そういうやつらのなかにはおれの姿が見えるやつもいる。部屋の隅で体育座りしてる子供がいる、どうしてあんなところにいるんだろうって、そういうことを無駄に考察するやつらもいる。あそこに何か大事なものがあるんじゃないか? いやいや、子供の霊だから大人を怖がって隠れているつもりなんじゃないか? 家に入ってくる連中のそういう話を聞きながら、おれはばかだなぁ、と思う。おれはただ、肛門から息を吹き込まれるのが怖いから、尻を壁と床で守ってるってだけなんだよな。

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