第5話 汝は人間なりや

 キンキンという金属が叩く音が、ここ数ヶ月の私の目覚ましだった。

「おはよ、」

「おう、おはよう」

 あくびを噛み殺しながら鍛冶場を覗くと、人間が暑苦しそうな服を着こんで朝からまっかな金属を叩いていた。

「ごはん炊く。」

「あぁ・・・ちょっといいか」

 人間にとっては穀物も立派な食べ物だ。だから彼と住んでいる時にだけ使う言葉を残して台所に行こうとすると、男が声を掛けてきた。

「どうしたの?」

「今日の夜。ちょっと部屋に来てほしい。」

 振り返って応えれば、こっちに背を向けたまま男が話す。

「・・・分かった。」

「ありがとう。」

 少しの時間のあとに返せば、男がお礼を返してくる。

 話が終わったのを見計らって、台所へ踵を返す。

「あと、服を着てから来てくれ、外套だけでいいから。」

 そんな言葉は、形を戻した真っ赤なナイフを水に入れた音で掻き消えた。


 私の頬に残る熱も


 掻き消えたったら、掻き消えた。



「・・・ん?」

 そろそろ蓄えの時期だとまとめ役に言われて、いつもの採集ルートより少し踏み込んで木の実を探していたところ、嗅ぎなれない臭いがした。

「・・・誰だ?」

 臭いを辿れば、そこには枝や草を踏んでかき分けたような跡があった。

 間違いなく獣道、誰かが足しげく通ってる証だ。

「道幅は私のそれと変わらない。ってことは体格も変わらない。・・・近くに住み着いた?」

 呟きながら、その道を辿ってみる。嗅ぎなれないーーーつまり、村の者ではないーーー臭いに周囲の警戒が薄れない。

「・・・いったい何が、ってこれは・・・?」

 獣道の先にあったのは、一面紫の花畑だった。

 キレイ、と中に入りそうになって、すぐにその正体に感づいた。

「これ、毒草じゃん」

 細長い帽子のような花、私たち人狼でさえ、口にすればただでは済まないほどの毒を含んだ毒草だった。

「あっぶな、此処ほとんど毒沼みたいなもんだ。」

 言いながらそそくさと踵を返す。下手に近づいて足を引っ掻かいたら冗談じゃない。

 その場所を覚えておきながら、そこを避けるように木の実や果実を採集する。

 その毒沼に導かれた理由が、誰かの通った跡であったことは、私の頭から抜けていた。





 夜、私は彼の部屋に行く。

 この数か月間で彼は、何時からか私の監視もいらないくらいみんなの信頼を得ていた。

 この部屋もそうだ、私と同じ部屋は恥ずかしいと、別の部屋を使っている。

 背丈に合わないドアを優しくノックする。

 どうぞ、という声を待ってから、潜り抜けるように頭を下げて部屋に入る。

 窓の戸が閉ざされ、ランプの光だけが、私たちを照らしている。

 中には、この村では異質な、人の姿を残した彼がベッドに座っていた。

「来たよ、」

「あぁ・・・」

 彼はうつむいたまま私を出迎えた。そのまま無言な彼を待つように近くにあった椅子を座る。

 ギシリ音を鳴らして椅子に座ると。男は少し顔を上げて、しかし無言をつらぬいた。

「・・・何かあったの?」

 男の様子を訝しんで、声を掛ければ。



「好きだ」

 男はそんな告白をした。



「・・・は?」

「始めは、ほとんど憎悪だった。人狼に対する、俺の憎悪の対象だった。」

 急な告白に声を止めれば、彼はそう話し始めた。

「だけど、村を回っているうちに、お前の顔を無意識に追っていたんだ。あの肉に変なモノでも入ってたのか?ってくらい、目がお前を追っていく。」

 男は続けた、上目でこちらを見ながら、何かを隠すように顔を背けながら。

「あの鍬だってそうだ、なんでか、アレを直してやろうって思ってた。人狼の、昨日まで敵だった奴らの物なのに。」

 男が顔を振った、何かを振り払うように。

「今ならわかる。



・・・あれは、お前に良いところを見せたかったんだ。俺は、お前に惚れていたんだ。」



 男は顔を上げた。

 朱に染めた頬をランプで照らしながら、男は言い切った。

「俺はお前が好きだ、この世界で誰よりも。

 ・・・お前はどうなんだ。」

 男は告白した。


 私の答えは、始めて会った日から、変わっていなかった。


「私の答えは一つだよ。始めて会った日から、君のことが好きだった。一目ぼれだった。

 そのまま一緒になりたいと思ったから、私は仕留めずに連れ帰ったんだ。

 長が許してくれなかったら、いのいちばんに噛みついて、私の血肉にしようとしてた。」

 私は彼の下に行って、その手を取った

「それくらいには、一目見た時から好きだったよ。君のこと。」


 それが、私の答えだった。


「ありがとう・・・でも、」

 男の話は、それで終わらなかった。

「でも、駄目なんだよ」

 彼は、私の鼻先に袋を叩きつけた

「っ!!」

「どれだけ好きになっても、どれだけ愛し合えるようになっても・・・



お前は・・・お前らは、私の憎い怨敵だ!!」



 叩きつけられた袋の中身は、何かの粉末だった。思わず思いっきり吸い込んで、のけぞって椅子に倒れこんだ私の前で、男は憎悪に顔を歪ませている。

「お前らの中じゃ終わったことだろうな!人の村に入り込んで、騙して、食らって、食らいつくした!そうやって手に入れた土地に仲間を呼び込んだ!


 その村から町に出稼ぎに出ていた男の事など、気にも止めなかっただろうな!」


 そういって男は腰から何かを抜き放つ。

 ランプに照らされて煌々と輝く、銀色、太い針だった。

「それって・・・」

「お前が捨てた銀弾を加工して作ったものだよ。探すのに随分時間がかかった。」

 その針を右手に握ったまま、私の鼻にぶちまけた物を同じような袋を取り出す。

 左手に吊るされた袋は鈴なりに、その手に一つに纏められていた。

「そんな針一本で、殺せるとでも」

「殺せなくてもいい、もう限界だ」

 立ち上がって嘲るように言う私に彼は構える。

「お前たちが憎い俺にも、お前が好きな俺も、もう限界なんだ・・・


 その椅子は、俺のお母さんの物だ!」



「あぁ、分かったよ。・・・君はどこまでも人間だったんだ」

「そうだ・・・そしてお前は、人狼だ!」


 怨嗟の声と共に叩き込まれた袋を爪で引き裂いた。まき散らされる煙幕で目をやられるが、もとより人狼にはそれほど意味がない。

 ぶちまけられた刺激臭の先で、男の臭いに狙いを定めて爪を振り下ろす。

 男の臭いが、嗅ぎなれた鮮血の臭いに置き換わった。



 塗れた右手を舐めとる。

 いつも通りの鉄さびの臭いの中に、愛しい彼の臭いがある。

「だいすきだったよ。私はもう、恋なんてしないかもね。」

 思わず口をついた、それくらい、私の中で大きな存在だった。

 私は彼の下に歩く。

 他の誰にも渡しはしない。

 愛する彼の身体は、その血肉の一片まで、全部私のものだ。


 そう思って、彼の肢体に口づけをしようとしたときに、それに気づいた。


(口が、上手く、動かない)

 そう思ったらもう遅かった


 感覚がなくなっていく。震える四肢に力が入らずに倒れ込む。

 吐き気がするのに、夜に食べた肉が出てこない、出せない。

 出せないのに、腹が痛い。

 心臓がどんっどんどんと、不規則に鳴ってうるさい。

(もしかして、さっきの袋


 ・・・毒、だった。)


 銀のピックは囮。

 あの袋の中身が、あの花畑の、トリカブトの粉が、本命だった。

(あの花畑の獣道、彼のだったんだ。草で汚れた彼の臭いは、嗅いだことなかったな。)

 理解してももう遅い。

 息が出来なくなった。

 このまま意識を手放せば、私はもう起きれないだろう。

(それも、いいかもね。

 ・・・彼が最後にくれたものだ。)

 動かないからだで、覆いかぶさった彼の身体を、心だけでも抱きしめる気分で、私は意識を手放した。



 その後、村はどうなったのだろう。

  朝になっても起きてこない二人を訝しみ、誰かが死体を見つけるかもしれない。

   そうしてみんなを呼んで、部屋に積もったトリカブトの毒煙にまみれてみんな死ぬのかもしれない。

    もしくは気付いて、万全の準備で除去するかもしれない。



 でもまあ、どうでもいい。

  彼と逝けたなら、どうでもいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

汝は人間なりや? るうど @kinkabyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ