03
ボックス席で寝て起きて、一度自宅に帰ってシャワーを浴びた。カップ麺をすすり、ベッドでもう一眠り。
夕方になって出勤し、斎藤さんと開店準備をした。
「斎藤さん、釣れました?」
「ダメだね。場所取りはできたんだけど全くダメ」
俺は釣りに詳しくないから説明してもらったのだが、ルアーを使ってアジを狙っていたらしい。
「で、伊織くん、昨日は桐島さんと仮屋さんだけ?」
「そうなんですよ。済みません」
「まあ、あまり気にしないで」
開店直後、ずかずかと現れたのは桐島さんだった。いつもの妙な挨拶なしに、カウンターに手をついて前のめりになり、俺に怒鳴ってきた。
「伊織くん! 酷いよ! どういうことだよ! オレが……オレが一番伊織くんに良くしてあげてたよね!」
斎藤さんが俺を守るように前に出た。
「どうされたんですか。伊織くんが何かしましたか」
「昨日! 仮屋さんとここでセックスしてたよね!」
「えっ……」
ぞくり、と背筋が凍った。扉の鍵は確かにかけていたはずだった。桐島さんはまくしたてた。
「カウンターの下に盗聴器つけてた。オレがいない間、伊織くんが何話してるのか、気になって……気になって……そしたらさ、昨日さぁ……何だよあれ!」
斎藤さんがちらりと俺を振り返った。
「伊織くん……本当なの?」
「は……はい……」
後から振り返ると、言い逃れができたのかもしれないが、その時の俺は桐島さんの剣幕に押されて正直に認めてしまった。
「好きだったのに! 好きだったのに! そんなビッチだと思わなかった! 今までつぎこんだ金返せよ、なぁ!」
「落ち着いてください、桐島さん。伊織くん、君はもう帰って。店閉めますから、話しましょう、桐島さん」
俺は逃げるように店を後にした。自宅に帰り、桐島さんに貰ったネックレスの箱を掴んで外に出て、コンビニのゴミ箱にそれを突っ込んだ。それからは、ベッドに横になりガタガタと震えていた。
――何だよ、何なんだよ盗聴器って。斎藤さんにもバレたし最悪だ、クソっ!
三時間後、斎藤さんから電話がきた。
「伊織くん……もう一度聞くけど、お客さんとその……店でしちゃダメなことしてた?」
「はい……してました……申し訳ありません……」
「悪いけど、クビだよ。君には期待してたんだけど。いつでもいいから服返しに来て。その時に残りのお給料と明細渡すから」
「わかりました……」
こういう時は酒しかない。冷蔵庫は空だったので、コンビニへ行き持てるだけのビールを買ってきて、つまみもなしにひたすら飲んだ。
――ハロー、バーテンダー。
あの男の決まり文句が頭の中にこだまする。
「もう……二度とするかよ、バーテンダーなんかよ」
ベランダに出てタバコを吸った。新しいバイト先を探さねばならない。いっそこの街も出てしまうか。金なら祖母に泣きつけばなんとかなる。
「ああ……クソっ……」
俺はこの先も、ずっとこうなのだろうか。三十歳になっても四十歳になっても。いや、そこまで生きていないかもしれないな。
ふと浮かんだのが、俺にいるはずの弟か妹のことだった。俺と違って父に愛されているのだろう。それを思うと憎くて仕方がなかった。
――いっそ、そいつをメチャクチャにしてやろうか。産まれたことを後悔させてやるくらいに。
それから、弟……瞬に辿り着いたのは、また別の話だ。
ハロー、バーテンダー 惣山沙樹 @saki-souyama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
同じコレクションの次の小説
関連小説
惣山日記/惣山沙樹
★51 エッセイ・ノンフィクション 連載中 167話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます