02
夜の一時になって、仮屋さんが来店した。
「来たよ」
「いらっしゃいませ。嬉しいです」
「まあ、僕も暇してたしね」
Tシャツにデニムというラフなスタイルで、肩におろした長い黒髪を耳にかけた仮屋さんは、カウンターの一番端に座った。
仮屋さんは三十歳。美容師。二重まぶたの大きな目と形のいい唇が色っぽい、俺の好みど真ん中の男性だった。
「伊織くんさぁ、営業がストレートなんだよ。だから可愛くて来ちゃうわけ」
「誰にでもあんなお願いはしないですよ。仮屋さんだからですってば」
俺は仮屋さんに「今日の売上がヤバいので来てください」と送っていた。実際、そうだし。この人ならそれで釣れると思ったし。そして、そろそろ頃合いかと感じていたわけだ。
「仮屋さん、何飲まれます?」
「マッカラン。伊織くんも飲んでいいよ」
「ありがとうございます」
飲み方は指定されていないが、仮屋さんはいつもロックだ。俺は自分のはソーダで割って乾杯した。
「伊織くんのバースデー、凄かったよね。あの反動で今日は暇なんじゃないの?」
「ああ、それはあるかもしれませんね……」
十一月二十二日が俺の誕生日だ。常連客たちがこぞってシャンパンを開けてくれた。女性客から下着をプレゼントされた時は反応に困ったが……物自体は良かったので使っていた。仮屋さんが続けた。
「特に桐島さん。あの人いくら使ったの?」
「斎藤さんが会計したので……覚えてないですけど、かなりは」
加えて、桐島さんからはネックレスを貰ってしまったが、箱にしまって部屋の片隅に放置したままだ。つけることは一生ないだろう。折を見てネットオークション行きだ。
「仮屋さんもあの日は本当にありがとうございました」
「少ししかいなかったけどね。楽しかったよ」
そう言って、ウイスキーグラスに口をつける仮屋さんは、やはりいい男だ。そそる。
「伊織くん、どうせ僕が最後の客でしょ。気にせずタバコ吸ってもいいよ」
「じゃあ……甘えます」
俺はタバコを取り出した。仮屋さんはチェイサーもなしに淡々と飲んだ。いいペースだ。
仮屋さんは自分の話をすることが少ない。年齢も職業も俺がわざわざ尋ねて知った。しかし、得るのはそれくらいの情報だけでいい。肝心なのはこれからだ。
「ねえ、仮屋さん。売上もそうですけど……来て欲しかったのは単純に仮屋さんの顔が見たかっただけなんですよ。優しいし、落ち着くし」
「やけに褒めてくれるね。マッカラン以上の酒は頼まないよ」
「まあ、うち、そんなに高いウイスキーは置いてませんしね」
俺は自身の境遇すら道具にした。
「俺……父親に捨てられてるんですよ。よそに子供作って出ていきました。だからでしょうね。年上の男性に惹かれるんですよ」
「ふぅん……伊織くんも苦労してたんだ」
仮屋さんは結果的に三杯、ロックで飲んだ。斎藤さんに教えられた量より多めに注いでいたのでそろそろ回ってくる頃だ。
「ん……伊織くん、今何時?」
「二時過ぎました。表の電気消してきます」
俺は一旦地上に上がり、看板を照らしていたライトを消して戻ってきた。そして、扉の鍵を内側からかけた。仮屋さんがあくびをしてから言った。
「僕もそろそろチェックしないとね……」
「いいですよ、別に。もう少しいてくれても。というか、いてほしいです。その、寂しくて」
「ははっ、本当にどうしたのさ、伊織くん」
仮屋さんは頬杖をついて俺を見上げてきた。長いまつ毛の先を見つめた俺はたたみたけた。
「今夜の仮屋さんの時間、貰ってもいいですか……? 俺、尽くしますよ」
「本気にするよ……?」
「してください」
ふうっ、と仮屋さんがため息をついた。
「で……どこ行くの。この辺何もないからタクシー?」
「ここでいいですよ。ほら」
俺はボックス席を指さした。
「マジで言ってる? 斎藤さんに怒られるよ?」
「バレなきゃいいんですよ。もう何回かしてますし」
「伊織くんって、悪い子だね」
仮屋さんはいびつに口角を上げた。
「構ってあげる。その代わり、年上の言うことはきちんと聞いてもらおうか……」
激しいセックスだった。合皮のシートはローションが垂れてグシャグシャになり、掃除をするのは大変だったが、慣れたものである。
仮屋さんが帰った後、俺はボックス席に横になり、ブランケットをかぶった。
――そうだよ。俺は悪い子だよ。
一時的には満たされた。客に手をつけて。職場でやって。けれど、じきにまた、同じことを繰り返す。初めての男と別れてから、ずっとこの調子だ。
そして、父のことを思い出す。俺の弟だか妹だかは小学生になっているはずだ。新しい家庭はさぞかし温かいのだろう。父が俺に連絡をよこしてきたことは一度もなかった。
――もう寝よう。仮屋さんの感触が残っているうちに。
仮屋さんはSっ気があったのか、多少乱暴に扱われたが、それが心地よかった。されたことを一つ一つ思い返しながら、ゆっくりと意識を手放した。
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