ハロー、バーテンダー

惣山沙樹

01

 ショットバー「フラム」が今の俺の職場だ。入って半年になる。今夜も調子のいい常連客が訪れた。


「ハロー、バーテンダー!」

「いらっしゃいませ、桐島さん」

「えっ、えっ、伊織くん髪染めたんだ! 似合ってるよ!」


 俺は黒髪に紫のインナーカラーを入れた自分のウルフカットの毛先を触った。


「ありがとうございます」

「いいね、いいねぇ。伊織くんさ、本当に顔立ち整ってるから、そういう派手なの似合うよ」


 そう言いながら、桐島さんは真っ直ぐなカウンターの中央の席に座った。ボックス席もあるが、そちらは四人くらいの団体客用だ。

 桐島さんという男性の歳は知らない。四十代くらいだと俺は思っている。大抵スーツで、大きな黒いリュックを背負って来る。


「桐島さん、ビールですか?」

「うん。今日マスターは?」

「休みです。釣り行ってます」

「あの人も好きだねぇ」


 俺の雇い主は斎藤さんという五十代の男性だ。この店を開業して二十年だと聞いていた。俺のように若いアルバイトが何人もここを卒業していったらしいが、その中でも特に物覚えがいいよとは褒められていた。

 まずは桐島さんにおしぼりを渡し、灰皿を置いてから、ビールサーバーでビールをグラスに注いだ。

 桐島さんはタバコに火をつけて一息吸って吐いた後、俺に聞いてきた。


「伊織くんって何歳だっけ?」

「二十三歳ですよ。言いませんでしたっけ」

「聞いた気がしてきた。それにしては大人っぽく見えるよ」

「よく言われます」


 高校を卒業して五年。職を転々としてきた。水商売をしてみようかと思ったのはほんの思いつきだ。案外、自分に合っていた。酒は好きだし他人の話を聞くのも悪くはない。


「伊織くんも一杯飲みなよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 桐島さんにビールを差し出した後、俺の分のハイボールを作った。銘柄はいつもの。デュワーズだ。


「乾杯」


 客とグラスをぶつける時は必ず自分のは下にする。斎藤さんから教えられたことの一つだ。

 桐島さんが今日開店してから一人目の客だった。彼は割と早い時間に来店することが多い。変な挨拶の他は至って良心的な客で、無茶な飲み方はしないし、それなりに金を落としてくれていた。


「桐島さん、今日はチャーム要ります? ナッツですけど」

「貰おうかな」


 俺は缶に入ったミックスナッツをスプーンですくい、小皿に入れて出した。桐島さんはそれをつまんで食べながら言った。


「今日は暇かもね。表に全然人歩いてなかったよ」

「そうですか。確かに水曜日は暇ですよ。だから斎藤さんも俺に任せてるわけですけど」


 オープンの夜七時からラストの夜二時まで立ち続けるのは重労働だ。しかし、ここは空調の効いた地下一階。十一月下旬の冷え込みからは逃れることができる。交通整理のバイトも経験済みだが、あれに比べればかなり楽だ。


「今夜はオレが伊織くんを一人占めかな」

「ラストまでいてくれます?」

「さすがにそれはキツい」


 それから、桐島さんの仕事の話になった。彼は食品加工会社の営業をしていた。中間管理職だというから、やはり俺の読み通りの年齢ではないかと思っているが、別に確認はしない。

 その日桐島さんが注文したのは、ビールがもう一杯、ハーパーソーダ。他の客は来ない。もう打ち止めかと思いきや、彼は俺の後ろに並んでいるボトルを眺めだした。


「何か飲まれます?」

「そうだなぁ……伊織くんのオススメ」

「俺のですか?」


 困った。オススメはなくはないがそこそこアルコール度数が高い。


「強めでもいいですか?」

「いいよ。伊織くんも同じの飲みな」

「ありがとうございます」


 俺が作ったのはジンライムだった。シンプルなカクテルだ。思い出……というより曰く付き、のものである。俺にとっては。しかし、誰にもそのことを話すことはないだろう。


「ん……そっかぁ、伊織くんはこういうのが好きかぁ」

「桐島さんの口には合いませんでした?」

「いや、美味いよ。凄く美味い。ねぇ、今度さぁ、中華でも連れて行こうか」

「じゃぁ、そのうち」


 桐島さんからの食事の誘いは何回目だろう。のらりくらりとかわし続けている。別に行ってもいいのだが――個人的に、この男は好みではないのだ。

 自分の容姿が人並み以上であることはわかっている。俺は男しか興味がないが、男女問わず向けられる好意には敏感に気付くし手玉に取る。

 残念ながら俺にとっての桐島さんは弄ぶほどの関心を持てないタイプだ。もっとこう、物静かで落ち着いた男がいいから。


「伊織くん、チェック。やっぱりお客さん来なかったね」

「まあ、これから来られる方がいらっしゃるかもしれませんし。今夜もご馳走になりました」


 桐島さんを見送り、さっと片付けをしててから、タバコに火をつけた。俺を捨てた男と同じ銘柄を吸い続けているのは我ながら感傷的すぎるが、自分の中だけで完結しているのならそれでいいだろう。


 ――そろそろ、誰かとヤリてぇな。手ぇつけちまうか。


 俺は手に入れたばかりの第五世代のアイフォンをスラックスのポケットから取り出した。

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