この捨てられた物語
京野 薫
第1話
ああ……なんて綺麗な青なんだろう。
抜けるような空の青と雲の白。
人がどんなに頑張って創作しても自然の美にはかなわない。
私はそんな事を考えながらベランダに立ち、プランターの花々に水をやりながら、どこまでも抜けるような青空を見上げる。
今日も世界は美しい。
「
背中から聞こえる声に、私は顔を向ける。
そこに居るのは私の愛する人。
1年前に結婚した愛しの主人、
そして、私のお腹には彼との子供がいる。
それを思うと自然と顔もほころんでしまう。
「ええ、好きよ。でもそれよりあなたがずっと好き」
「気があうね。僕もだよ」
彼の言葉に私は小さくフフッと笑う。
こういう些細なやり取りも胸が暖かくなる。
まるでパステル調の色彩で塗られた絵のように。
だけどそんな暖色の幸せも、テレビから流れたニュースによって塗りつぶされた。
「……飯尾容疑者の自宅からは、完結済みの長編小説2作と短編小説。制作途中の長編が1作押収されました。容疑者は『国選作家』の登録はしておらず、事実上未登録での違法な執筆活動をしていた模様……」
私と修司はニュースを呆然と見ていた。
また……
それからニュースはスタジオに切り替わり、コメンテーターが憤懣やるかたないと言った様子でしゃべっていた。
「大体、国があれだけ『小説は危険思想を育てる』って言ってるのに、勝手に小説書くとかあり得ないですよ。しかも恋愛とかファンタジー? こんな奴がいると我々は団結できない」
その言葉に合わせて、他のコメンテーターやタレントも「ああいうヤツは二度と外に出しちゃダメですよ」と好き勝手なことを言いだした。
「もう……消すね」
私はいたたまれなくなってテレビを消した。
「有り難う……凄いよな。死刑にでもしかねない勢いだ。家族も大変だ。密告したのが家族だったら保護されるけど、そんな事はないだろうし」
修司は苦笑いを浮かべながら吐き捨てるように言った。
私も胃の奥から苦い物がせり上がってくるような気がして、冷蔵庫からオレンジジュースを出す。
今から10年前。
1つの隕石が地球に落下し、そこから出てきた見たことの無い生物によって、地球の人口は3分の1を失う大惨事となった。
「名無し」と名付けられた生物に対応するべく、世界各国は友好的な兵器を作りそれを使いこなし、前線で名無しと戦う兵士の育成に躍起になった。
あらゆる人たちが未知の名無しの存在に恐怖を覚え、集団ヒステリーのようになった。
そういう時、人は何かの生け贄を求める。
共通の敵を作り団結する。
それは……小説を初めとする物語だった。
当時、プロアマ問わず様々な書き手が現状に疑問を呈した。
戦いが全てじゃ無い。
戦争の知識や技術しか知らない子供ばかりになったら世界は滅ぶ。
今の世界は古代のスパルタと同じだ。
優しさや美しさを取り戻そう。
そう言った内容をテーマにした小説やマンガ、映画が次々と発表され、それらは高い支持を集めた。
そんな現象から半年後……自由な物語の創作は悪となった。
「表現の自由」と言う物が七色の宝石のように美しく、また薄い紙のように脆弱な盾だった事を書き手達は失って初めて思い知らされた。
世界各国が足並み揃えて創作物の検閲を強化し、それに留まらず国の定めた「表現推進法」で定められたガイドラインに沿わない創作物を作成した人物は重犯罪者として、療養病棟送りとなった。
歪んだ思想を生む原因となった精神状態の治療が終わったら社会復帰する、と言うが出てきた人を誰も知らない。
それに代わり、国が決めるガイドラインを忠実になぞって書くことの出来る「国選作家」のみ、それに沿った小説やマンガ、映画等を作ることを許されるようになった。
未知の敵に対して、国を愛する人たちが一致団結して戦い、最後に人類が勝つ。
または、世界を脅かす敵に対して自らの命を投げ打ち、その貴い犠牲によって一矢報いる。 吐き気を催すような外見の「名無し」に対して、眉目秀麗で正義感とカリスマ性溢れる男女で構成された人類。
決してくじけない、諦めない。
ネガティブな気持ちは悪。弱さは悪。
そのような物語が溢れ……いや、それ一色となった。
世界はそれ以外を物語として認めなくなった。
国選作家になるためには、家族構成や本人、家族、親族の思想を徹底的に調査され、国の定めるガイドライン「国を守るための戦いや犠牲の尊さ」を高い品質で書くための試験を受け、それをパスした書き手のみが創作を許されるようになった。
そのため、プロアマ問わず国選作家になるための試験を受ける者で溢れるようになった。
どんなに縛られていようとも、自分の裁量が極端に少なくても、望むテーマで無くても。 少なくとも罰せられる事無く物語を作ることが出来る。
自分のイメージした場面を自分の文章で書ける。
大好きな小説やマンガ、映像作品を続けることが出来る。
今の世界で創作をするにはそれしか無かった。
自宅で密かに自由な物語を書く選択肢も浮かんだけど、一度でも過去に何らかの投稿サイトに登録したり公募に出した人は、その情報を元にランダムに抜き打ちで自宅の家宅捜索が行われる、と言うまことしやかな噂が流れ、それに対する恐怖も大きかった。
実際、そうとしか思えないほど創作での逮捕者は一時期多かったのだ。
その人達に対する世間の目・目・目……
それは中世の魔女狩りと言っても良いほどのヒステリックさを伴う物だった。
その書き手の学生時代の様子や、子供の頃のイタズラや恋愛、趣味。好きな本。
そういった全てが悪意を持ってねじ曲げられた情報となった。
そんな世界にあって、いびつであっても国選作家は創作に繋がれる一筋の蜘蛛の糸だった。
私も試験を何度も受けたけど、ダメだった。
プロのみならずそれまでアマチュアの投稿サイトでトップだった書き手たちも試験を受ける者が出るようになり、そうなると好きと言う気持ちだけの私の様な書き手は歯が立たない。
そして、私の世界から「創作」は消えた。
子供の頃から物語が大好きだった。
図書館司書の父の影響で、入り浸っていた図書館。
まだ、物語を取り巻く世界が自由だった頃。
恋愛や冒険、異世界、時には恐怖。
様々な世界を旅することの出来る物語の世界は、病弱で友達のいない私の救いだった。
特に文章を書くことが好きだった私は、自分でも小説を書くようになりすぐに夢中になった。
物書きになれるほどの才能は無かったけど、それも気にならなかった。
目の前に浮かんだ光景を文字にし始めた途端、自由になっていく心。
文章をつづるにつれて身体の細胞の一つ一つが目覚めていくあの感覚。
それに夢中になり、ネット上で何作も発表した。
切磋琢磨できる尊敬できる同好の士と共に。
そんな日々が消えて、ポッカリとした穴を抱えて銀行員の仕事をしていた時。
合コンである男性、加納修司と出会った。
特にイケメンでは無かったけど、その飾らない人柄に私は磁石のように惹かれた。
そして、その気持ちは付き合うようになり、彼の事を知るようになり最高潮になった。
彼は国選作家だったのだ。
しかも小説部門の。
私は信じられない幸運に震えた。
私自身は創作が出来なくなったけど、愛する恋人が小説を書いている。
小説を書く人の身近に居られる。
しかも国選作家は今や国威発揚のキーマンとなってるため、社会的地位も給与も極めて高水準だった、と言う卑しい気持ちもあった。
そうして私たちは1年の交際を経て結婚した。
その時、すでに私のお腹には彼との子供が居た。
そんなある日。
私は彼の部屋を掃除していると、本棚に並んだ本の奥にポッカリと空洞があるのが見えた。 横から見てもこんなに奥行きのある本棚じゃ無いはずなのに……
抑えきれない好奇心が出た私は、手前の本を降ろすと空洞に手を入れた。
すると、ノートに触れたのが分かった。
何冊もある。
試しに1冊引っ張り出して見るとそれは至って普通の大学ノート。
だが、私は背筋に冷たい物を感じた。
その中身が何であるか、直感的に察したのだ。
こんな手の込んだ隠し方をするノート……
勘違いであって欲しい。
そう思いながら中を見ると……そこには小説が書かれていた。
田舎町で暮らす幼なじみの少年少女が、山で出会った宇宙人と仲良くなり、ドジだけど憎めないその宇宙人と共に、時に悩んだり逃げたりしながらも日本中を巻き込む騒動に立ち向かう。
そんな内容だった。
私は足下がグラつくような気持ちと酷い吐き気を感じ、そのままトイレに駆け込んだ。
国選作家による反体制的な創作物の執筆。
過去に1人だけ居た。
美しい女性だったのでそのビジュアルもあり、国選作家の中ではトップクラスの人気だったけど、ある日自宅の臨時監査で異世界を舞台にしたファンタジー小説が発見された。
彼女は逮捕後、療養病棟では無く刑務所送りとなった。
それに留まらず、家族の自宅まで意図的に映し出され目を覆わんばかりの攻撃が続いた。 その書き手の妹は結婚も破談になり、弟も公務員だったため職場を追われたらしい。
国威発揚の旗振り役による裏切りは特に国民感情を逆なでするらしい。
そんな家族の姿と自分が重なり、吐き気が止まらなかった。
帰ってきた修司に対して、私は一方的に責め立てノートの焼却を頼んだ。
でも彼は拒否した。
そして……強い口調で言った。
自由に書きたい。
心のままに作品を書いてみたい。
自分は物書きなんだ。
「物語は書けるじゃ無い。今だって書いてるでしょ! お仕事で」
「あんなのは表現じゃ無い! 書いてても心が砂みたいに崩れてしまうんだ。もう耐えられない。限界だ!」
「限界……」
その言葉を聞き、私はお腹をそっと撫でた。
愛しい私の赤ちゃん。
「……分かった。もういいよ。大丈夫。あなたの自由でいいよ」
そう言った途端、修司は子供のように顔を輝かせた。
「書いても……いいのか」
「うん。大丈夫だよ」
「ありがとう……お前には絶対迷惑にならないようにする」
「うん」
私は修司に向かって精一杯の笑顔を作った。
その3日後。
修司は私の目の前で公安に連行された。
感情の消えた目で私を見る修司。
彼の姿をもう見ることは無い。
私はせめて最後の彼の姿を目に焼き付けようと思った。
修司が連行された後、公安の刑事さんの1人が私に向かって頭を下げた。
「奥様、ご協力感謝します。事前に反逆の目を摘むことが出来たのは、非常に大きな事です」
「有り難うございます。……あの……これで私と子供は」
「はい。事前に報告して頂いた身内に関しては国家への多大な貢献によって、国で配慮されます。奥様とお腹のお子さんの情報は徹底した保護がなされるのでご安心を」
「……有り難うございます」
頭を下げてお礼を言いながら、私の心に無数の細かいヒビが入るのを感じた。
それはまるで、乾燥した土の様に。
公安の刑事さん達が帰った後。
やけに広く、静かになった家をぼんやりと見回した。
そして、ベランダに出てプランターに水をやりながら、どこまでも抜けるような青空を見上げる。
人がどんなに頑張って創作しても自然の美にはかなわない。
今日も世界は美しい。
【完】
この捨てられた物語 京野 薫 @kkyono
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