外伝  神通力

 夕と千草が一本角の鬼たちと合流した翌日、千代婆は千草に神通力の修行をつけていた。千代婆が、疲れの見えてきた千草を見かねて口を開いた。


「少し休憩にしようかのぉ。ほれ。」

千代婆が水の入った竹筒を渡す。

「うん!ありがとう!」


千草は竹筒に入った水を飲み干すと、千代婆に問いかけた。

「おばあちゃんは、どうしてそんなに強いの?」


「…そうさなぁ、休憩がてら昔話でもするかのぉ。」

そう言って千代婆は語りだした。



 今から半世紀程前の桃源郷には、月に一度だけ外からやってくる男がいた。男の名は、晴彦はるひこ。彼は桃源郷から一番近い港にある小さな漁村に住んでいた。その村は唯一桃源郷と交流があった村であり、桃源郷のことは他言しないのが村のおきてだった。


 晴彦は、桃源郷に生活必需品や便利な道具をもってきたり、本土の情報を伝えたりする役目を任されていた。その代わりに桃源郷からは食べ物を持って帰ることを許されていた。桃源郷側も外の情報や生活必需品は自分たちが生きていくうえで必要だったのだ。その漁村と桃源郷は互いに助け合う友好的な関係だった。


 そんな中、千代は月に一度だけやってくる晴彦の話を聞くのが楽しみだった。外の世界の話は一度も桃源郷から出たことのない千代にとっては刺激的だったのだ。また、当時の千代は容姿端麗で聡明な女だった。晴彦も彼女に会えることを楽しみにしていた。


千代が晴彦に手作りの首飾りを渡す。首飾りには桃の装飾があしらわれていた。

「ふふ。これでお揃いね。」

そう言った千代の胸元には似た形の桃の首飾りが揺れていた。


二人はいつしか恋仲になっていた。


 二人が恋仲になってから、月に一度の逢瀬を繰り返して数年が経とうとしていた。しかしある時、晴彦は桃源郷に来なかった。待てども待てども来なかった。


 心配した千代は、桃源郷の皆が引き止めるのを振り払って一人で島を飛び出した。舟を漕いで海を渡り、港に到着する。村の方へと向かっていくと、信じがたい光景が千代の目に入った。二本角の鬼たちが闊歩しているのだ。小さな漁村は二本角の鬼達に滅ぼされていた。千代は慌てて木陰に身を隠した。


鬼たちが会話している。

「見ろよこれ、かっこいいだろ。」

「そうか?それ女もんじゃねえのか?」


鬼の手には、桃の装飾があしらわれた首飾りが握られていた。


千代は声を殺して涙を流した。


”ゆるさない。”

千代は復讐を誓うのだった。


”だが、今のままでは奴らには勝てない。”

そう千代の直感が告げていた。


千代は悔しい気持ちを押し殺しながら、なんとか桃源郷へと戻った。

事情を話すと、桃源郷の皆も同じように晴彦の死を嘆いた。千代は晴彦が死んだ事実をうけとめられず三日三晩枕を濡らしたのだった。


それからまもなくして、千代は子供を授かっていたことが分かった。

紛れもなく晴彦との子だった。生まれてきた子には千鶴ちづると名づけ、千代は代々伝わる桃の首飾りを我が子に託した。

「ごめんね。千鶴。お父さんのかたきを討ったら必ず戻るからね。」


身内の人間に千鶴を預け、千代は復讐の旅へ出るのだった。




 本土についた千代はもう一度漁村を見に行った。二本角の鬼たちは村を襲ったあとそのまま居座り、自分たちの集落としていた。それが分かれば今は十分だった。


 千代は拠点を構えるために場所を変えた。とある山麓にあった廃墟を拝借し、その周りに桃源郷の桃を植えて結界を張った。復讐を果たすためには、時間をかけて強くなる必要があったのだ。それから千代は死に物狂いで神通力の修行を重ねた。


 しかし、修行を続けていくと致命的なことに気がついた。そもそも神通力とは、その名の通り神の力を借りて自分の体を通して使う力である。桃源郷にいたころは、桃の大木を御神木として桃の木の神から力を借りていた。つまり、桃源郷以外の場所では思ったように力が使えず、威力が減衰してしまうのだ。修行をすれば使える術は増えるものの、元となる桃の神の力が足りないので威力が出せないのだった。


生まれた時から彼女の中の神力しんりきを通す回路は常軌を逸して太かったのだが、これでは宝の持ち腐れだった。そういうわけで、強くなるための修行は難航していた。



 そんな中、人里に降りて食料を確保していたときのことだった。千代は人々が食べ物を口にする際、「いただきます」と言っているのが気になった。桃源郷では見られないその文化に興味を持ったのだ。


千代は目の前にいたおむすびを食べる少年に話を聞いてみた。

「ねぇ。ご飯を食べる前に、『いただきます』と言うのはどういう意味があるの?」

「お姉ちゃんそんなこともわかんないの?」

少年がおむすびを口にほおばりながら答える。

「感謝するためだよ!お米一粒には八十八の神様が宿ってるんだ。」


千代はその言葉に驚いた。

”米一粒に八十八の神が宿る?”


「あとね、神様っていっぱいいるんだよ!」

少年は、神社に祀られる土地の神様や、風や雨などの天候を司る神、さらにはモノに宿るという付喪神など、その他にも沢山の神がいることを教えてくれた。この国では八百万の神を信仰する文化があったのだ。


千代の中で何かがはじけるような感覚がした。


「教えてくれてありがとう。」

千代は少年にお礼を言ってその場を後にした。




 それから彼女はありとあらゆるものへの感謝を欠かさなかった。もちろん食事をとるときの「いただきます」という言葉もだ。そして各地の神社へ趣き桃源郷の桃をそなえて参拝するようになった。祈りを捧げられた神々は大いに喜んでいた。人々の信仰心は神々の力を増幅させるのだ。神通力使いである千代の祈りは、神々にとっても格別のものだった。


『ありとあらゆるものへの圧倒的感謝』

いつしかそれが彼女の神通力の根幹になっていた。

千代にとって、彼女の周りにあるものすべてがだった。

つまり、彼女には力を借りることができる神が無数に存在することになる。



 

 そうして数年を費やして力をつけた千代は、晴彦のかたきを討つため、港の漁村を訪れた。鬼たちは千代を見つけると、すぐさま襲い掛かってきた。


「この女なんか変だぞ!取り囲んで殺せ!」

鬼たちは、彼女が持つ神通力を感じ取っていた。


しかし次の瞬間、鬼達が吹き飛び宙を舞う。

千代は桁違いの出力の神通力で、次々に襲い来る鬼たちを返り討ちにした。


「お前たちのおさを出せ。」

千代が怒りのこもった冷徹な声でそう言った。

少しすると、この群れの長だという鬼があらわれた。


「生意気な女だ、叩き潰してやる!」

体の大きなその鬼は金棒を振りかぶり千代に叩きつける。


────ピタリ。

千代の顔の前で金棒が止まる。

彼女は眉一つ動かさずに、大鬼を睨みつけた。


今度は千代が両手を前に出して上下に構え、指で牙を模したような形を作る。

そして向かい合った手のひらをゆっくりと閉じて組みあわせた。



千代は目を瞑り、両手首を勢いよくひねる。


──────神千切かみちぎり


目の前の大鬼の上半身が捻り切られ大量の血しぶきが飛び散った。鬼は声を上げるまもなく一瞬で無残な姿となった。

彼女は飛んできた血しぶきまでも、降り注ぐ前にピタリと止めた。


目の前の凄惨な状況を除けば、組んだ両手を胸の前に留めるその姿は祈りを捧げているようにも見えた。



「二度と人里を襲わないと誓え。」

千代が鬼たちを睨みつけそう一言告げると、長を失った鬼たちは散り散りになって逃げていった。


そうして復讐を果たした千代は桃源郷へと帰ったのだった。




話を終えた千代婆が立ち上がりながら再び千草に語りかける。

「じゃからな、おまえも感謝を忘れるでないぞ。」


「うん。…おじいちゃんのためにも、私頑張るね!」

千草はそう言って修行を再開するのだった。






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桃鬼伝 日ノ輪 @hinowa935

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