月は無慈悲な死神の鎌

色街アゲハ

月は無慈悲な死神の鎌

 荒野に降り立つ夜の闇は、まるで悪意を持つかの様に、逃げようとする者の後を何処迄も追い掛け、離れようとしないのだった。吹き付ける風は冷たく乾き、歩む者の足を痺れさせ、闇がその機を逃すまいと腕を伸ばす。

 

 そんな中を足早に歩く旅人の姿を想像してみて欲しい。その旅人とは他ならぬ語り手である私の事で、この状況から逃れようと、一晩の宿を探し歩き廻っていた。

 

 今更ながら考えてみると、こんな事態に陥る羽目になったのは、何らかの、人知の及ばぬ悪意に依る物に相違なかった。道を尋ねた見知らぬ老人の指し示す先、分かれ道に立つ壊れて最早何処を指しているのか判断の付かない標識、果ては吹き付ける風、夜空の輝く星々までもが全て、此の場所に私を追い込もうとしていた、そう思われてならなかった。

 

 そうでなければ、疾うに私は自分の帰るべき場所に辿り着いていた筈であった。時折、視界に入る枯れ草が絡み合って出来た球が転がって行く様を見掛ける度に、その懸念はより一層確信めいた物になって行くのだった。

 

 伝え聞く処に依れば、此の転がり草の出来るには所以が有って、其れは、その中に人の魂が絡み取られているのだ、と。そもそも、と、私に此の話を聞かせた、とある人物の語るには、其の様な物が自然に出来る訳が無い、と。出来るからには、其処に何かしら核となる物が有るのだ、とそう言うのだ。

 其れが人の魂であって、彼等は最早自由に身動きが取れない囚われの身である事を嘆き、苦悶の叫びを上げる。其の声は、どんなに離れようとも、道行く旅人の耳に届く。目を凝らせば見る事が出来るだろう。彼等の苦痛に満ちた相貌や、骨の浮き出た手足が出口を求めて空しく空を切る様を。

 彼等にとって苦痛は其れだけに留まらない。空を見上げれば、死神の鎌を思わせる冷たく鋭く尖った三日月が、囚われの魂を少しずつ削り取って行く。其れから逃れる術は無く、枯れ草の檻に囚われた彼等には、何れ己が魂を全て刈り取られる迄風の向くままに転がされ、徒に弄ばれる事に耐え続けるしか他に出来る事は無いのだ。


 こんな考えに捉われていた私は、何だか自分までが、未だ生きている身でありながら、同じ運命に捉われている様な、そんな暗い情念が心を支配して行くのを感じていた。殊に、今に至る迄本来の目的地に着く事も儘ならない挙句、此の様な場所を彷徨う羽目になっている状況では猶更、そんな自分の力ではどうにもならない不運の力と云う物を信じる気になって仕舞うのも無理からぬ話ではないか。


 それだけに、道の向こうに小さな明かりを見付けた時の安堵感と云ったらなかった。足早に其方を目指して行くと、更に御誂え向きな事に、其処は小さな宿であった。

 入ると、中は食事処と酒場を兼ねていて、休む前に一息吐くにも丁度良い案配だった。

 手頃な席に着き、改めて周囲を見回してみると、意外と人が多く、地元の人々だろうか、各々がそれぞれの過ごし方をしていた。

 酒を飲み、話に花を咲かせる者達、黙って飲み続ける者達、中でも目を引いたのが、テーブルを囲んでカード遊びに興じる者達で、其れと云うのも、彼等はこの様な寛いだ雰囲気の店内にそぐわない、異質な雰囲気を纏っていたからだった。

 どうやら其の内の一人は、私と同じく余所者らしく、其の表情は、見る者が驚いて目を瞠らずにいられない程に緊張した物だった。

 察するに、何か大切な物を掛けさせられたのだろう、彼の手は離れた処から見ても分かる程に震えていた。一方、其れを囲む地元民達は、今更隠す必要も無い、と云った態度で互いに目配せをし、哀れ、此の余所者から賭けの対象を巻き上げようと、あの手この手を使って追い詰めようとしていた。

 どう唆されたか知らないが、彼があの席に座った時には既に、追い込まれ、不運を引く事になるのは決まっていたのだ。

 台本に記された科白を一つ一つ読み上げる様に、手の一つ一つが筋書きに従って確実に終りへと進めて行く。

 終わりだ! チェックメイトだ。遂に予め予定されていた手札が余所者の手に渡る。自らの手に渡った手札が自分の破滅の徴である事も知らずに、彼は震える手で手札をひっくり返す。

 

 突然、周りの音が消え、光も彼等の周囲を除いて引いて行った。其処で起こった出来事は、まるで下手な書割でも見ている様だった。彼の余所者の最後に引いた手札、其の絵柄は何故だか離れて見ている私にもはっきり見て取れた。

 しかし、私にはその絵の詳細を述べる事が出来ないのである。いや、先にも述べた様に、絵柄自体ははっきり見て取れた。其れは、此の手の絵札には有りがちの、小鬼が笑い舞う姿が描かれていたのであったが、しかし、そんな凡百の絵とは明らかに違う、敢えて言うなら、其れは不運其の物、其れを引いたが最後、全てが御破算にになって仕舞う類の、見る者の心を魂ごと引き裂く物であったのだ。

 そして、私は見た。余所者の顔が握り潰した紙の様にくしゃくしゃに歪み縮んで行く様を。其の様を手札の小鬼はケラケラと耳障りな甲高い声で嗤い、其れに合わせ、地元民を装っていた小鬼の眷属達が、今や隠す必要の無くなった落ち窪んだ眼窩を剝き出しにし、上顎と下顎が離れんばかりの勢いでカタカタと歯を打ち鳴らすのだった。

 壁に小鬼の影が映し出されたとみると、揺らめく燈に合わせ大きくなって行き、其処から伸びた手が余所者の顔を鷲掴みにした。そして苦悶に満ちた顔ごと其の魂を引き摺り出し、戸口からそのまま外の荒野へと吸い込まれる様に消えて行った。

 其の先は言う迄も無い。囚われた彼の魂は永久に逃れる事の叶わない魂の煉獄に閉じ込められた。身を切る様な冷たい風の吹き荒ぶ荒野に響く、絶望の叫び。微かに、しかし其の声は、確かに私の耳にまで届くのだった。


 直ぐ様私は自分の取るべき行動に出た。此の場所から飛び出し、一刻も早く遠くへ逃げるべく駆け出したのだ。私の居るべき処へと。

 其処には、私を待つ人が、新緑の淡く柔らかな草叢の生い茂る庭園で、変わらぬ笑みで私を待っている事だろう。私達は其の約束された場所で、再び他愛の無い遊戯に耽るのだ。他愛の無い、しかし其れは私達にとっては他の何物にも代えがたい貴重な刻なのである。

 陽は傾き、辺りが薄暗くなる時刻になっても草叢の緑は尚衰える事を知らず、寧ろ其れ等は薄暗がりの中でいや増しに増し、そしてあの人の浮かべる浮かべる微笑みも又。

 私はもうあの人の傍を決して離れまい。。其の身体を抱き寄せ、腕の中に感じるこの小さな幸せを感じるのだ………………………。



 


 全ては偽りだったのだ。不意に訪れる、魂を刈り取られる度に覚える、耐え難い此の感覚。私の記憶は、此処で現実に引き戻される。不運な旅人とは、他ならぬ私自身の事であり、あの懐かしい庭園は二度と手の届かない夢と化してしまった。せめて、残っている此の魂だけでもと願うも、此の枯れ枝の牢獄に囚われた身にあっては、其れすら叶わない! 

 此の不毛な荒野に身を切る様な風が吹き荒れる度に、故郷は遠く離れて行き、替わって此の寒々しい不毛の地の奥へと追い遣られるのだ。

 最早希望は失われた。枯れ枝の隙間より覗く、氷の様に冷たく鋭利な月の刃が何処迄も追い掛けて来る。此の地を、自らの意志すらも奪われて、当て所無く転がり続ける魂を刈り取る機会を絶えず窺いながら。

 其れが何より怖ろしい。此の身に振るわれる鎌であると共に、其れは空に穿たれた、悪意の籠った嗤いを象った鋭い切れ込み。

 あろう事か、此の身には其の嗤いが、何よりも愛おしく全ての拠り所だったあの人の物である様に思われてならないのだ。何と云う酷い裏切り。此度の結末は不運などではなかった。彼の人の裡に潜む、身も凍る様な嗤いこそが、此の身を此処へと追い遣った全ての原因であった。

 空に大きく振り被った死の鎌の冷たい光。其れは薄く開かれた嗤いの形に開いた口より漏れる嘲笑と共に振り下ろされ、今度こそ其の一閃が此の見捨てられた魂を、跡形も無く断つ事になる。

 斯くて荒野には今夜も又、救いの無い絶望の叫びが響き渡るのだ。

 

 

 

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