さよならピアス

七瀬モカᕱ⑅ᕱ

 ︎︎

「ねぇ、知ってる?」


「しらない」


 私が質問すると、こう即答すユミ。『そんなにバッサリきってしまうことはないでしょ』と、毎回思う。


「なんで知らないかって聞かれても、しらないものはしらないんだもん。ねぇ?ミキ」


「うん、ユキが何を言いたいか分からないうちはね。量子学的に」


 量子力ってなんだ?やっぱり、理系の考えることはよく分からない。


「理系はこれだから...情緒とか人情とかそういうのがねぇ。ユミもだけど、ミキも相当だよ?」


「ん、でもミキちゃん的には....【ユ】だけでどっちかわかるよん」


「自分のこと、名前で呼ぶなよこのエスパー。けど可愛いから許す」


「今令和なのに、エスパーとか言うの?はぁ、私はなんで この子達の面倒みてるんだろ?あたしゃ悲しいよ....」


 テンポよく会話が続く。ミキは一応、私たちのひとつ上。同じ学年とはいえ、お姉さんだ。年上に対して『可愛い』と口に出すのはどうなんだろう。そう考えている間も、テンポのいい会話は続いていた。


「はぁ、なんかおら、こんな女子寮出ていきたくなっちまっただよ....」


 ミキお姉様はそう言いながら、コーラの最後の一滴を飲み干す。


 前言撤回。ミキお姉様は、『可愛い』より『面白い』の方がしっくりくる。気がする。


 ゴミ箱の中身は少ない。だいたいの寮生が出払っているからだろうか。私達は、ここに来てまだ二ヶ月も経っていない。この三人は性格も学科も全く違うけれど、自然とつるむことがよくある。


 ふと時計を見ると、時刻は午後二時をさしている。リビングでは、昔のテレビドラマが消音の状態で流れている。三人はというと、テレビドラマよりもスマホの画面に集中している。

 ここの情報は古い。もしここに、工業高校の人間を連れてきたなら『脆弱性が〜....』とか、そのほか諸々難しいことを言われるのは何となく想像がつく。


 とんっ。とスマホをテーブルにおいてテレビを置いて、テレビを眺める。

 確かに安室奈美恵さんや深田恭子さんが、今から巻き返せるとは思っていない。でもテレビドラマの中の彼女が美人なのは変わらない。目の保養にもなる。ただ...


「暇だ....」


 世間は連休で、旅行だのなんだのと騒がしいけれど、なんの予定もない私たちはこうしてダラダラと時が過ぎるのを待つしかないのだ。


「なんで【百合寮】なんかね?」


 ミキお姉様の声でまた会話が始まる。


「だってあれでしょ?『百合族』ってやつの公開が六十年代だか七十年代だかで、寮が立ったのはもっと前だし.....情報古かったし、うちらに関係ないし」


「まぁ私はいいんだけどさ、人それぞれで」


 ド正論、ごもっともだ。この謎が解決したところで、自分たちには何の得もない。でも会話のキャッチボールが上手いというか、どんな会話も拾いにいくユミが好きだったりする。それと同時に、ミキお姉様は少し意地悪なんじゃないか?とも思う。いや、天然なミキお姉様はもう、この話題に飽きたのか?それとも、正論をかまされたことに拗ねてしまったのか。


 全員がスマホをテーブルに放る。暇すぎて課題も手につかない。恋人が生えてくる種とか、ホームセンターに売ってないかな。いっそ、ジャックと豆の木に出てくるそれでもいいから。


 そんなことをぼんやり考えていると、話題が別のものに移る。


「ねぇ、ミキのそれって....人工ダイヤ?」


「ん?ピアス?それとも...この瞳?」


 ユミの言葉にお姉様は、『おれが本気で振り向けばこんなにかわいいんだぜ?』と言わんばかりの笑顔を向ける。


 どうやって開けたのか、と興味津々のユミ。理系の人間は、気になることは自力で調べるイメージが強かったけれど、実はそうでも無いのかもしれない。いや、ユミが聞きたがりなだけなのかもしれない。


「キュービックジルコニアってやつか」


「ユキちゃんせーかーい!なんで知ってるの?」


「まぁ、これでも一応女子やってるんで」


「貰ったことあるんだ?ユキちゃん」


 それは爆弾発言と言うやつではないのか?いや、別に貰ったことなんてないから焦る必要もないんだけど。


「ないよ。知識として知ってるだけ」


「ふふっ、二人とも.....残念だったな」


 ミキお姉様にみんなが注目して、次の言葉を待つ。


「これね、イミテじゃないの。お母さんの形見なの。本物」


 お姉様の言葉に、フロアの中が一瞬しんとする。本人は、何も気にしていないように続ける。


「これね、お父さんからの銀婚式のプレゼントをリフォームしたやつ。二人とももう天国に行っちゃったけど、お母さんへの指輪を私がするのはおかしいなって。」


 お姉様は、小さく息を吐いて言葉を続ける。


「でも、ただ持ってるだけってのもいやだったから...ピアスにしたんだ。」


「じゃあっ、これ本物のダイヤ?」


「片方だけだけどね。今買えば、五万円超えるんじゃないかな?0.5カラットくらいかなぁ台もプラチナにしたし。開ける時、そんなに痛くなかった。初めてだったけど」


 そう話すミキお姉様は、どこかぼんやりとしながらモニターを眺めていた。


「ほわぁ、連休中シャワーだけなの聞いた?」


 あくびをしながら、誰に聞くでもなく口に出す。


「いつでも入れるのは嬉しいけど、湯船がないのは寂しいねぇ.....さて、私ちょっとシャワー浴びてくるわぁ〜。暇だし」


 そう言って私は席を立つ。今のこの空間の雰囲気に、潰されそうになる。その感覚に耐えながら、風呂場へと急いだ。

 どうするべきだったんだろう。お姉様も誘えば良かったのか、私には分からなかった。


 リビングから、必要なものを取りに部屋に戻る時も、テレビなのか窓の外なのか.....どこか分からない場所をミキお姉様は見つめていた。

 ユミは上手く立ち回れる子だから、私はそれもあって、シャワーを浴びることに集中できた。


 でもなんだかんだいって、あの場で一番うまく対応できたのがお姉様だというのは、分かっている。

 場の流れとはいえ、一番知られたくない部分を見せてしまったのだから。


 一年半ほどして、私はファーストピアスを開けた。痛みはそうでもなかったけれど、金属アレルギーは嫌だった。穴を開けたあと、専用のものを付けてしばらく過ごし、四月生まれだから

 キュービックジルコニアのピアスを買った。両耳に付けた。


 ✱✱✱


 三回生に進級する頃から、私たちは少しずつ距離が開いていった。ユミは理化学実験棟にこもっていることが多くなり、わたしもゼミで刑事訴訟法なんかに関する知識を深めた。お姉様も、演習や大学病院での実習が増えてリビングでつるむことも少なくなった。


 学生であれば当然で、気に病む必要もない。今の時期が落ち着けば、きっと一緒にお酒を飲めるのだ。


 そうだ。きっと...そうなのだ。

 だからこのピアスも、あの日から感じている。お姉様との溝もきっともう気にしなくてよくなるはずだ。


 ✱✱✱


 三回生の秋、専門書を買いに繁華街までバスで移動した。大学の近くにも、専門書を扱っている書店はある。けれど、買い物のついでに映画でも見て、気分転換をしたかったのだ。この橋を渡ると、県庁所在地のある中央区だ。橋に近づく。そう意識するだけで、息がしずらい。胸がぎゅっとなるような、そんな感覚。気がつくと、私はバスのボタンを押していた。


「すみません.....」


 運転手にそう言いながら、ICカードを押し当て、できるだけ急いでバスを降りる。息がしずらい。それはもううんざりする程に。

 歩きながら、ピアスを外そうとする。手が震えて、上手くできない。


 なんとか橋のふもとまでたどり着いて立ち止まり、もういっそ引きちぎってやろうかと思いつつもピアスを外す。

 交通量も少なくないはずのこの場所から聞こえる音も、今日は何となく遠く感じた。


 外したピアスを右手に握りしめ息苦しさが落ち着くのを待つ、息苦しさだけではなく吐き気まで現れはじめた。イライラする。


 左手で橋の欄干を掴んで、後ろに反動を付けて、ピアスを宙になげた。

 落ちたかどうかすらも、分からなかったけれどあれはもう私の手の中には無いのだ。


「私はぁっ...!」


 私はあの子の持つピアスが羨ましかった。作りものだとか、本物だとか。そんなのは関係ない。ただ、とても綺麗だった。私はあの子のことが好きなのだ。






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さよならピアス 七瀬モカᕱ⑅ᕱ @CloveR072

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