第1章 呪われた仮面公爵に嫁ぐ④



 長く伸びた黒髪の下には、白い布地に金の装飾の施された目元を覆う仮面がある。

 顔の右半分から首筋、右手にまで広がっているのを見る限り、おそらく白いシャツで隠れた右腕も呪いの影響を受けているのだろう。

 オルフェンは荒い呼吸を繰り返し、汗ばんだ黒い髪が皮膚に張り付いている。

 仮面のない前頭部にそっと手を当てると、驚くほど熱かった。

(酷い熱だわ……)

 タオルを桶の水に浸し固く絞って、顔や首元の汗を拭う。襟元まできっちり締められたシャツの紐を緩めて風通しをよくしてあげたら、オルフェンの荒い呼吸は少し落ち着いたように見える。

(仮面が邪魔ね。でも寝る時までおつけになっているということは、人に見られたくないということよね)

 許可なく触れるのは憚られ、熱を持つ首元に水で濡らしたタオルを載せる。

 するとオルフェンの固く閉じていた目がパチッと開いた。

(綺麗な紫色の瞳……)

 仮面の奥で、オルフェンの紫水晶のように澄んだ瞳が動揺しているのがわかった。

「は、初めまして、公爵様! リフィア・エヴァンと申します。あの、お加減はいかがでしょうか?」

「君が、看病してくれていたのか……?」

「はい、そうです! 決して怪しい者ではありませんのでご安心ください! イレーネ様に案内していただきました」

 驚くオルフェンに、自分が不審人物ではないと訴えるのに必死だった。

「母上が……そうか、君が新たな妻なのか?」

 新たな妻という言葉に引っ掛かりを覚えながらも、「はい」と頷き頭を下げた。

「至らない点も多々あるとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」

「災難であったな。手切れ金を払うから、出ていくといい。母上には僕から言っておく」

 突然かけられた思いもよらない言葉に戸惑い、リフィアは顔を上げる。彼はこちらから視線を逸らし、淡々とした口調でさらに言葉を続けた。

「どんな事情があったかは知らないが、こんな呪われた化物の子を生むのは君だって本意ではないだろう?」

 最初から質問の答えは求めていないと言わんばかりのオルフェンの態度は取り付く島もなく、リフィアはその場で愕然とし固まった。しかし目の前で寝台から無理をして起き上がろうとしたオルフェンが、顔を苦痛に歪めている姿を見て、ハッと我に返る。

「大丈夫ですか!?」と声をかけたリフィアは、慌てて彼に寄り添い支えようと手を伸ばす。

 けれどそうして伸ばした手は、「僕に触れるな!」とオルフェンに左手で思い切り振り払われ、その拍子にバランスを崩し床に倒れこんでしまった。

「……っ、すまない」

 オルフェンは左手を額に当てながら、歯痒そうに唇をきつく噛んでいる。

(私が不躾に驚かせてしまったのが悪いのに……やはり公爵様は、お優しい方だわ)

「あの、どうかおそばに置いていただけませんか? 私は貴方にお礼がしたいんです」

 仮面の奥で大きく目を見開き、ゆっくりとこちらに視線を向けたオルフェンは、「僕に、お礼……?」と戸惑った様子で呟いた。

「三年前、エヴァン伯爵家の舞踏会で、寒さに震える私に公爵様はコートをかけてくださいましたよね?」

 リフィアの質問に身体を硬直させたオルフェンは、一息ついて答えてくれた。

「……確かに、そんなこともあったかもしれない」

「かけてもらったコートがとても暖かくて、誰かにそうして気にかけてもらえたのは、初めてだったんです。だからとても嬉しくて! もしまたその方にお会いすることができたら、お礼をしたいとずっと思っていました。公爵様の具合がよくなるまででも構いません。どうか私をおそばに置いていただけないでしょうか?」

 緊張しながら返事を待つと、ばつが悪そうにオルフェンは視線を逸らした。彼の左手は右頬の硬鱗化を隠すように、黒い髪に触れている。

「君は僕が怖くないのか? 呪われていて、気持ち悪いのに……」

「貴方の優しさが、ずっと心の支えでした。見た目なんて関係ありません」

 魔力を持たない白い髪を見て、蔑視されるのは日常茶飯事だった。だから余計にその悲しさを、態度を変えられてしまう寂しさを知っている。

(あのつらい日々の中で、私が唯一救われたのは……)

 無垢な眼差しをこちらに向けて、手を差し出してくれた幼きセピアの姿を思い出しながら、リフィアはそっとオルフェンの硬い鱗で覆われた右手に自身の手を重ねた。

「ほら、何ともないでしょう?」

 優しく手を握って微笑みかけると、「君は…………っ」とくぐもった声を漏らしたオルフェンの仮面の下から、つーっと涙が滴り落ちる。

「ごめんなさい、急に触れたりして! 驚かせてしまって申し訳ありません!」

 自分のはしたない行為でオルフェンを泣かせてしまったと、リフィアは慌てていた。

 寝台脇のテーブルから新しいタオルを掴む。すかさずそれで彼の涙を拭おうとすると、タオルを奪われてしまった。

「だ、大丈夫だ! 自分でできるから!」

 タオルで顔を覆ったオルフェンの耳は真っ赤に染まっていた。

(泣く姿を見られるのは、抵抗があるわよね。部屋を一時的に退出する口実を……)

「公爵様、お腹空いていませんか?」

 病気を治すにはしっかり食べないといけないという本で読んだ知識を思い出し、リフィアは問いかけた。

「あまり食欲はない」

「よかったら少しでも召し上がってください。何か作ってもらうよう頼んできます!」

「ま、待って……」

 少し強引すぎただろうか? 部屋を出ていこうとするとオルフェンに呼び止められ、驚きでびくんと大きく肩が跳ねる。

「そばに、いてくれるんじゃ……なかったのか?」

 振り返ると、まるで今生の別れと錯覚してしまいそうになるほど、仮面の奥でオルフェンの紫色の瞳が不安そうに揺れていた。すがりつくような彼の視線が、ここにいてほしいと言っているように見えて、胸がざわめく。

「ご安心ください、頼んだらすぐに戻ってきます!」

「そ、そうか……」

「はい、少しだけお待ちくださいね!」

 ゆっくりとドアを閉めた後、落ち着かない胸に手を当て、呼吸を整えた。

(体調が悪い時は、心細くなるせいよね! きっと、そう……)

 辺りを見渡し使用人を探すも、広い公爵邸は閑散としていて人の気配がまるでない。

「あの、どなたかいらっしゃいませんか?」

 呼び掛けながら廊下を歩いていると、運良く部屋から出てくるジョセフの姿を見つけた。

「ジョセフさん! 公爵様がお目覚めになったので、何か消化のいい食べ物をお願いしたいのですが……」

「旦那様がお目覚めに! わかりました、すぐに手配いたします! それとリフィア様、私に敬称は必要ありません。どうかジョセフと呼び捨てください」

 使用人に敬称をつけて呼ばない。それは小さい頃に習ったマナーではある。

 しかし別邸に隔離され人との接触を極端に絶たれていたリフィアは、自分より一回り以上は年上の男性を呼び捨てにするのに抵抗があった。

 そのため敬称をつけて呼んでいたが、頼まれてしまってはそうせざるを得ない。

「わかりました、ジョセフ。あの、イレーネ様は大丈夫でしょうか?」

「はい、今は眠っておられますのでご安心ください」

 その時、リフィアの腹部からきゅーっと音が鳴る。咄嗟に両手で押さえたものの、こちらを見て柔らかな笑みを浮かべているジョセフを前に、無意味な行動だったと悟る。

「リフィア様の分も一緒にお作りするよう手配しておきます。よかったら、旦那様と一緒に召し上がってください」

(まるで自分のご飯を催促しに行ったみたいになっちゃった。恥ずかしい!)

「あ、ありがとう、ございます! それでは、公爵様のところへ戻ります!」

 部屋に戻りノックをしても反応がないため、ゆっくりとドアを開けて中に入る。オルフェンは再び眠りについたようで、固く瞼は閉じられていた。

(さっきよりは苦しくなさそうね)

 静かな寝息を立てるオルフェンの様子を見て、リフィアはほっと胸を撫で下ろす。

 桶の水を新しく入れ替えて、オルフェンの首元に固く絞ったタオルを載せる。ぬるくなったら再び水に浸してそれを繰り返していたら、ジョセフが食事を運んできてくれた。

「旦那様、また眠られたのですね」

「はい。せっかく用意していただいたのに申し訳ありません」

「いえいえ、よかったらリフィア様だけでもお召し上がりください」

 テーブルに豪華な食事を並べた後、ジョセフは温かい紅茶まで淹れてくれた。

「公爵様がお目覚めになったら、一緒にいただきます!」

「旦那様はいつお目覚めになるかわかりませんし、ご遠慮なさらずに……」

 ジョセフはそう言って椅子を引いてくれるも、お礼を言ってリフィアは返事を濁した。

「それでは、何かありましたらお申し付けください」

 ジョセフが退室した後、リフィアは食事に手をつけずにオルフェンに寄り添った。

 容態を確認しつつ、首元のタオルがぬるくなったら取り替え、汗が滲んできたら拭いとそばで看病をしていた。

(どうか、公爵様の具合が良くなりますように……)

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