第1章 呪われた仮面公爵に嫁ぐ③



 約二週間かけて、王都の北東にあるエヴァン伯爵邸から東方にあるクロノス公爵領の立派なお屋敷に着いた。

 途中で大雨に見舞われて足止めを食らったり、その間宿を取って休んでいる村に魔物が襲来したりと、なかなか大変な旅路だった。

(領地の外があんなに危険だったなんて、知らなかった)

 比較的多くの人が住む栄えた都会の領地では、魔物や悪魔の侵入を拒む結界がしっかりと施されている。しかし移動途中にある小さな農村にはそのようなものがない。世界樹の防衛機能だけが頼りのようで、常に危険と隣り合わせの生活をしていると知った。

 たまたま宿に休暇中の魔法騎士が泊まっていたからよかったものの、そうじゃなければ命を落としていたかもしれない。別邸に隔離されていたとはいえ、魔物や悪魔の襲来に怯えたことなど一度もない。自分はあの屋敷で守られていたのだと、リフィアは改めて実感していた。

(誠心誠意、クロノス公爵様のお役に立てるように、尽力しよう)

 大きな黒鉄の門扉を抜けた先にある三階建ての美しい洋館を眺めながら、リフィアは改めて気合を入れなおす。

「足元にお気をつけください」

 御者が馬車を停め、扉を開けてくれた。

 転ばないよう手を貸してくれて、慣れないエスコートを受けながら馬車を降りる。

「ようこそお越しくださいました」

 燕尾服を身に纏い、暗緑色の髪を後ろで一つに結んだ眼鏡の男性を筆頭に、使用人たちが出迎えてくれた。誰一人、自分のように白い髪を持つ者はいない。

(やはり皆、魔力を持っているのね。家格の高い公爵家だもの、当然よね……)

「クロノス公爵邸で執事長を任されておりますジョセフ・ヴェガと申します」

 流れるような所作で胸に手を当てたジョセフが腰を曲げると、控えていた使用人たちも挨拶をしてくれた。

「初めまして。リフィア・エヴァンと申します。今日から、よろしくお願いいたします」

 緊張から思わず声が震える。リフィアは身構えながら恐る恐る挨拶をした。

「リフィア様、長旅でお疲れでしょう。道中大変だったとお聞きしました。どうぞ中へご案内いたします。お荷物は先に部屋へお運びしますので、お任せください」

 どんな罵声を浴びせられるのか構えていたリフィアにかけられたのは、心配を含んだ優しいジョセフの声だった。自分がこのように丁重な扱いを受けてもよいのだろうかと戸惑いながら、「ありがとうございます」とリフィアはお礼の言葉を口にした。

 さすがは格式高い公爵家。使用人の教育にも余念がないようで、ジョセフが目配せすると、控えていた使用人たちがてきぱきと馬車から荷物を運び始める。

 美しい薔薇が咲き誇る庭園を眺めながら、ジョセフに案内されて屋敷の中へ入った。

(とても大きなお屋敷ね。エヴァン伯爵邸の二倍はありそうだわ)

 豪華なエントランスを抜けて、長い廊下を緊張した足取りで進んでいく。

 立派な扉の前で立ち止まったジョセフは、ノックをして中に声をかけた。

「イレーネ様、リフィア様をお連れしました」

 入室の許可をもらったジョセフに「どうぞお入りください」と笑顔で促されて応接間に入ると、美しい金髪を結い上げた綺麗な女性が迎えてくれた。

 輝く金色の髪は光属性魔法の使い手である証。王族と王家に連なる分家である聖職者の色だと本で読んだ。目の前の高貴な女性を前に、全身に緊張が走る。

「遠路はるばるよく来てくれたわ! 私はイレーネ・クロノス、貴女の夫となるオルフェンの母よ。これからよろしくお願いするわ」

(お義母様!? てっきり、公爵様のお姉様かと思ったわ……)

 昔習った淑女の礼を思い出しながら、さっとスカートを両手で摘まんで挨拶をする。

「初めまして、イレーネ様。リフィア・エヴァンと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします。あの、申し訳ありません。このような格好で……」

 自分の持つ洋服の中でも比較的マシなものを選んで着てきたものの、破れたら何度も繕ったボロ着は貴族らしからぬ装いなのは変わらない。

 それに隠しようもないこの魔力のない白髪。セピアは売られた結婚だと心配してくれたけれど、二つも家格が上の公爵家に嫁ぐのは、本来なら分不相応な婚約なのは間違いない。

「気にしなくていいのよ。ジョセフ、リフィアさんをお部屋へ案内してちょうだい。着替えはたくさん用意しているから、遠慮なく使ってね」

 リフィアの緊張を解くかのように、イレーネは優しく微笑んでくれた。

 先程の使用人といい、悪意や嫌悪のない柔らかな視線を向けられたのは、いつ以来だろう。その優しさが心に染みて、不覚にも泣きそうになるのを何とか堪えてお礼を言った。

「お心遣い感謝いたします」

 案内された部屋は、一人で使うにはあまりにも広くて驚くべき豪華さだった。

「リフィア様、こちらは専属侍女のミアです」

「初めまして、リフィア様。ミア・ポルトと申します。どうぞミアとお呼びください。これからよろしくお願いします!」

 エプロンドレスに身を包んだミアが、元気に挨拶をしてくれた。お辞儀をすると、肩の長さで切り揃えられたストレートの茶髪がサラサラとこぼれ落ちる。

「リフィア・エヴァンです。よろしくお願いします」

「さぁ、リフィア様! 湯浴みの準備も整っております。長旅でお疲れの身体をほぐしましょう!」

 早速バスルームへと案内された。

 白いバスタブからは湯気が立ちのぼり、中には温かなお湯が張ってある。

 身構えながら中に入ると、馬車の長旅で凝り固まった身体の緊張をほぐすような優しい温度に、思わずほうっと息をつく。

(お湯に浸かるとこんなに気持ちいいのね……)

「お背中をお流ししますね!」

 まるで壊れ物を扱うかのように、声をかけながら優しく丁寧にミアが頭や体を洗ってくれる。冷たい水で義務的にガシガシと洗われていたあの頃の湯浴みとは全然違う心地よさに、自分がこのような待遇を受けてもよいものかと胸の奥が苦しくなった。

「ま、前は自分でできるから大丈夫ですよ」

 母に足蹴にされた時の痣が腹部には残っており、それを見られたくなかった。

 ミアは「かしこまりました」と無理強いすることもなく、「じゃあその間に髪のケアをしますね!」となんの躊躇もなく白髪に触れ、手際よく香油を塗ってくれた。

 さらに乾燥しないようにと、湯上がりには念入りに肌のケアもされて、用意されていた美しい上品なドレスに袖を通すよう促される。

「こんなに素敵なドレスを、私が着てもいいのですか?」

「もちろんですよ。リフィア様のために用意されたものですから!」と、ミアがドレスを着せてくれた。

 白地に小花柄の刺繍が施されたシルクのドレスは肌触りが良く、とても着心地がよい。

 ベルスリーブからは三段のレースがのぞき、手を動かす度に優雅にひらひらと揺れる。

 ウエスト部分にある金縁で彩られた濃い青のリボンが、全体の可愛らしい印象を引き締め、上品な印象を与えている。

「とてもよくお似合いです! 今度はこちらへお願いします」

 化粧台へ移動するよう促されて座ると、ミアが髪を綺麗に梳かして風を放出する魔導具を使って乾かしてくれた。さらに慣れた手つきで綺麗なハーフアップに編み込んだミアは、仕上げに光沢のある青いリボンの髪飾りで結び、顔に化粧まで施してくれた。

「とてもお綺麗です!」

「ありがとうございます、ミア」

 鏡に映る自分の姿を見て、リフィアは思わず目を丸くする。

(これが本当に私? すごい技術だわ……!)

「リフィア様、ご持参になったお荷物の整理をしてもよろしいでしょうか?」

 衝撃を受けている間に、ミアはリフィアが持ってきた荷物の前へと移動していた。

「じ、自分でやるから大丈夫ですよ!」

 何でこんなぼろきれを持ってきたのだろう? と不審に思われたくなかったリフィアは、ささっと荷解きを終わらせた。数日分の着替えをクローゼットの奥底にしまった後、大事なコートを手にしてミアに尋ねる。

「ミア、このコートに見覚えはありませんか?」

「これは……昔旦那様がお召しになっていたものと似ていますね」

 コートの背中部分のタグを見て、ミアは確信したようだ。

「やはりそうです! 黒盾に金冠とグリフォンの紋章はクロノス公爵家のものなんです」

「実は三年前、舞踏会で薄着をしている私にかけてくださった方がいて、ずっとお礼がしたかったんです。あの方はやはり、クロノス公爵様だったのですね」

「旦那様が、そのようなことを!?」

 なぜか瞳を輝かせながら、期待に満ちた眼差しでミアが尋ねてくる。

「はい。名乗らずにすぐ立ち去ってしまわれたので、もう一度会えたらきちんとお礼がしたいと思っていて」

「旦那様のことはイレーネ様がご説明されますので、よければご案内しましょうか?」

「はい、お願いします」

 ミアに案内されて、再びイレーネのもとへ向かった。

 応接間の扉をノックし、「リフィア様をお連れしました」とミアが中に声をかける。

「どうぞ、入って」

 扉を開け中へ入ると、イレーネがこちらを見て嬉しそうに顔を綻ばせた。

「よく似合っているわ。サイズも問題なさそうでよかった!」

「はい、ありがとうございます」

「さぁさぁ、座ってちょうだい。ミア、お茶を淹れてもらえるかしら? 美味しいスイーツも一緒にお願いね」

「かしこまりました」と一礼して退室したミアが、ほどなくしてティーカートを押して戻ってきた。イレーネと向き合って座る丸テーブルには豪華なケーキスタンドが置かれ、初めて見るスイーツが綺麗に並べられている。目の前に置かれた美しい花柄のティーカップには、芳醇な香りを放つ紅茶が注がれていた。

「遠慮せずに召し上がってちょうだい」と笑顔のイレーネに促され、お礼を言って温かな紅茶に口をつける。少し甘味のある爽やかな味わいは飲みやすく、とても美味しかった。

「リフィアさん。オルフェンのもとに嫁いできてくれて、本当に感謝するわ。呪いのせいで息子には近付きたがらない人が多いから、貴女が来てくれて本当に嬉しいの」

「イレーネ様。もしよろしければ、公爵様のことをお聞かせ願えませんでしょうか? 何か力になれることがあればと思いまして」

 もちろんよと笑顔で快諾したイレーネは、それからオルフェンのことを話してくれた。

「息子は生まれた時から魔力が強くて、早くから王太子殿下の世話役になっていたの。魔術師としてもこの国一番と言われるほど優秀だったのよ」

 イレーネの話によると、王太子殿下は昔から魔導具の研究をするのが趣味のようで、よくオルフェンを連れまわしては研究に使う素材の採取をされていたらしい。

 自由に転移魔法が使える上に、全属性の魔法が扱えるオルフェンは護衛としても優秀で重宝されていたようだ。十二歳の頃には王国魔術師団の団長に任命されるほどで、悪魔や魔物の襲来から人々を守るため尽力してきたと。

(公爵様はとてもすごいお方なのね……)

「でも十五歳の時、公爵位を継いで間もない頃に狙われた王太子殿下を庇って、代わりに呪蛇族の悪魔バジリスクの呪いを受けてしまったの。身体が少しずつ硬い鱗に覆われて動けなくなり、それが全身に回っていずれ死に至る呪いなのよ。その場で悪魔は倒したそうだけど、呪詛のようにかけられた呪いは日を増すごとに強くなり、オルフェンの身体を蝕み続けているの」

 二年前までは何とか魔力で呪いが広がらないように封じ込めていたらしい。けれど度重なる悪魔や魔物の襲来で魔力を使いすぎ、呪いが一気に広がってしまった。それを契機に団長の職を辞して、クロノス公爵領で療養をしているとイレーネが教えてくれた。

 悲しそうに微笑むイレーネの姿を見て、リフィアは胸が痛んだ。

「イレーネ様、公爵様は今どちらに?」

「半年前から部屋に閉じ籠りがちで、自室で休んでいるわ。後で一緒にお見舞いに行ってくれるかしら?」

「もちろんです! 私、公爵様にずっとお礼がしたいと思っていて、とても感謝しているんです。三年前、寒さに震える私に優しく声をかけ、肩にコートをかけてくださったことがあって……」

 名乗らずに立ち去ってしまった男性の優しさに感銘を受けたこと、そしてそのコートをずっと心の支えにして勇気をもらっていたことをイレーネに話した。

「そんなことが……息子が外で女性に声をかけるなんて、初めてだわ!」

 まぁと大きく目を見開いたイレーネは、手を打って喜んでいる。

「イレーネ様。よかったら私に、公爵様の看病をさせていただけませんか? おつらい思いをされているのならせめて、そばでお仕えさせてほしいのです」

「ありがとうリフィアさん。そんなことを言ってくれるのは貴女が初めてよ。お願いしてもいいかしら?」

「はい、もちろんです!」

 イレーネに案内されて、リフィアはオルフェンの部屋へ向かった。

「オルフェン、少しいいかしら?」とイレーネがノックをして話しかけるも、返事がない。

 音を立てないよう部屋へ入ると、仮面をつけたまま眠るオルフェンの姿があった。

(手袋が落ちてるわ)

 寝台のそばに落ちている黒い革の手袋を拾っていると、イレーネが突然悲鳴を上げた。

「呪いがこんなに進行しているなんて……!」

 ショックのあまり傾いたイレーネの身体を、リフィアは咄嗟に支え声をかける。

「大丈夫ですか? イレーネ様」

「ごめんなさい、まさか手にまで呪いが広がっているなんて思いもしなかったの」

 リフィアの持つ革の手袋に視線を落とし、「きっと手袋をつけて、今まで誤魔化していたのね……」とイレーネが悲しそうに呟いた。

 顔面蒼白なイレーネは、立っているのもやっとのようだった。その震える身体を支えながら、「イレーネ様、後はどうか私にお任せください」とリフィアは真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ、返事を待った。

「ありがとう、リフィアさん」

 看病に必要な道具を運んでくれたジョセフにイレーネをお願いし、リフィアは改めてオルフェンと向き合った。

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