第1章 呪われた仮面公爵に嫁ぐ①



 別邸に隔離されて十年。十八歳になったリフィアはこの日、初めて父であるセルジオス・エヴァン伯爵の執務室に呼び出されていた。

 執務室にはセルジオスの他に、優雅にティーカップを傾ける母アマリアと二歳下の妹セピアの姿がある。夕焼けを溶かしたような赤い髪を持つ父と妹、華やかな桃色の髪を持つ母を前に、リフィアはあまりの場違い感に緊張で表情を強張らせていた。

 守護女神ヘスティアの加護を受け、由緒正しき火属性魔法の使い手であるエヴァン伯爵家の中で、リフィアは魔力を持たない証であり、平民の色とも蔑まれる白い髪を持って生まれてきた。母や妹の隣に座ることも憚られたリフィアは、立ったまま用件を切り出した。

「私にお話とは、どのようなご用件でしょうか?」

 冷たいセルジオスの青い双眼に睨まれ、固唾を呑んで返事を待つ。

「リフィア、お前にはオルフェン・クロノス公爵のもとへ嫁いでもらう」

 そこにリフィアの意思は関係ない。

 決定事項を淡々と述べるセルジオスには、有無を言わせぬ厳格さがあった。

(お父様が、初めて私の名前を……!?)

 話の内容よりも、生まれて初めてセルジオスに名前を呼ばれたことに、リフィアは驚きを隠せない。嬉しさで思わず、口元が緩む。

「お前とは対照的な黒髪を持つ、王国一の魔術師として有名なお方よ」

 そう言ってアマリアは、指に嵌めた大振りのブルーサファイアの指輪をうっとりと眺めている。こちらには一切目を向けないアマリアを見て、リフィアは機嫌の良さそうな母の様子にほっと胸を撫で下ろしつつも、言葉の真意を測りかねていた。

(そんなに高貴なお方が、私をお嫁にもらってくださるなんて……)

 魔法国家であるこのヴィスタリア王国では、原色に近い濃い髪色を持つほど高い魔力を持つ。その最高峰が黒髪だ。

「あまり期待をされない方が身のためですわ、お姉様。クロノス公爵は王太子殿下を庇って受けた呪いのせいで、全身が硬鱗化して死ぬ呪いにかかっているそうです。常に仮面で顔を隠しておられ、誰も嫁ぎたがらないんだとか」

 釘を刺すように告げられたセピアの言葉が、リフィアには希望のように感じられた。

(オルフェン・クロノス公爵様。常に仮面をつけられたお方。もしかしたら……!)

「そうだったわね。呪われた仮面公爵として、社交界ではとても有名なお方だったわ。無能の役立たずでも、嫁ぎ先があってよかったわね」

 そう言って嘲笑を浮かべるアマリアに、リフィアは笑顔で頷くと、手を打って喜んだ。

「私には身に余る光栄です! 素晴らしい機会を与えていただき、ありがとうございます」

「お姉様はどうしていつも、そうやってヘラヘラされているのですか! 多額の支度金のために、売られた結婚なのですよ!」

 ティーカップを強く握りしめ、わなわなと手を震えさせるセピアに、リフィアは優しく微笑みかける。

「心配してくれてありがとう、セピア。最後に家族の役に立てるのだもの。それだけで私は嬉しいわ」

 魔力を持たないゆえに、貴族としての責務を何も果たせなかった。妹に余計な負担をかけてきた。せめて今までの恩義に報いたいと、リフィアは前向きに受け入れていた。

「だ、誰も心配なんて……!」

 セピアは目を泳がせた後、フンと鼻をならしてそっぽを向く。妹のそんな姿を名残惜しく見つめていると、セルジオスがたしなめるように咳払いをした。

「明日には迎えが来る。支度金をいただいているから、出戻りは決して許されない。荷物をまとめて備えておくように」

「かしこまりました。それでは、準備のためにお先に失礼します」

 一礼して踵を返すと、後ろからアマリアの猫なで声が聞こえた。

「セルジオス様、臨時収入もあったことですし、ドレスを新調してもいいですか?」

「先日その指輪を買ったばかりだろう」

「この素敵な指輪に合うドレスが欲しいんです」

「はぁ……仕方ないな。好きなものを買うといい。セピア、お前もドレスを新調するといい。素敵な婿を掴まえるためにな」

「……ありがとうございます、お父様」

 たとえ支度金のために売られた結婚であろうとも、今まで何の役にも立てなかった自分が家族の役に立てるのは、最初で最後のことだろう。リフィアはただ前を向いて、執務室を後にした。

 別邸の自室に戻ったリフィアは早速荷造りを始める。鞄に詰めるのは最低限の着替えと、よく一人で遊んだ古いボードゲーム。そしてクローゼットから取り出した、男性用の上質なコート。綺麗に折り畳みながら、凍える冬の日に優しく自身の肩にかけてくれた男性のことを思い出す。

 リフィアが十五歳を迎えた年の冬、エヴァン伯爵家でささやかな舞踏会が開催された。

 ヴィスタリア王国では十五歳を迎えると、成人を祝して舞踏会を開催する習わしがあり、貴族の令嬢や令息は、そこで初めての夜会デビューをはたす。

 主役でありながら参加を許されなかったリフィアは、どうしても舞踏会を見てみたくてこっそりと別邸を抜け出した。

 綺麗に着飾った男女が、楽団の音楽に合わせて優雅に踊る夢のようなひととき。

 綺麗なドレスも靴もアクセサリーもない自分には分不相応な場所だとわかっていても、本で読んだ光景を一度でいいから見てみたかった。

 その日は冬の寒さが厳しく、薄い部屋着しか持っていないリフィアにとっては凍えるような寒さだった。かじかむ手に吐息を吹き掛けて温める。身を縮こまらせてリフィアは、庭木の陰からこっそりと会場を覗き見ていた。

(きっと今、中で皆はダンスを踊っているのね!)

 静寂に包まれた別邸では聞けない美しい音色にそっと耳を傾ける。

 音楽に合わせて楽しそうに揺れる人影を見ているだけで、自然と口元が緩んでくる。

『よろしければこちらをお使いください』

 声をかけられ振り返ると、仮面をつけた男性が、リフィアの肩に自身の着ていたコートを脱いでかけてくれた。

 ふわりと漂う上品で爽やかなベルガモットの香り。

 上質な生地のコートは冷たい風を完全に防いでくれて、とても暖かく感じた。

『今日は冷えます。そのコートは差し上げますので、早目に室内へお戻りくださいね』

 顔の上半分を仮面で覆った男性はそう言って、足早に立ち去った。

『あの、ありがとうございます!』

 リフィアの声に振り返った男性は口元に微かに笑みを浮かべると、軽く手を振って再び歩き出す。薄暗い庭園で正確な色はわからなかったが、夜空を溶かしたように真っ黒に見えた男性の髪から、かなり身分の高い方だというのだけはわかった。

 隔離された孤独な生活の中で寂しい時、そのコートに袖を通すと不思議と心が温かくなった。リフィアにとってそのコートは、孤独に抗う心の大きな支えのような存在だった。

(クロノス公爵様があの時の男性なのだとしたら、きちんとお礼がしたい!)

 翌日。空気が澄みきって晴れ渡る秋空の下、迎えの馬車に乗り込んで、リフィアは希望に胸を膨らませながらクロノス公爵邸へ向かった。

 車窓には冬支度をし始める紅葉した木々の姿が映り、美しい外の景色を楽しむ。

 揺れの少ない乗り心地のよい馬車はやがて、リフィアに睡魔をもたらした。

 うとうとしながら思い出すのは、エヴァン伯爵邸で過ごした昔の記憶だった。

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