第1章 呪われた仮面公爵に嫁ぐ②



 ヴィスタリア王国で魔法が重宝されるのには、大きな理由がある。

 かつて氷の大地と呼ばれていたこの地に、聖なる力を持つ大聖女が祈りとともにその力を捧げた。すると世界樹が蘇り、この地は緑豊かな大地へと復活を遂げたという。

 世界樹には生き物が住みやすい環境を整える機能と、悪魔や魔物など凶悪な外敵の侵入を拒む防衛機能があった。

 だが人々の平穏な生活を長く守ってくれた世界樹が今、寿命を迎えようとしている。

 それを魔力で何とか延命させているのが、ヴィスタリア王国の現状だった。

 魔力を持つのは王族と貴族だけ。多くの平民は魔力を持たないし、仮にあったとしても貴族とは比べ物にならないほどわずかなもの。

 だからヴィスタリア王国の貴族には、とある義務が課されている。それは爵位に応じて毎年、規定量の魔力結晶を奉納すること。魔力結晶は魔力を蓄積できる魔導具で、貴族は普段から魔力結晶を嵌め込んだ装身具を身につけて魔力を溜めている。

 そんな魔法国家であるヴィスタリア王国で、リフィアは白い髪を持って生まれたことで、両親からは蔑視されて育ってきた。話しかけても無視されるのが当たり前で、まるで存在を消されてしまったかのように、空気として扱われることが多かった。次第に侍女たちからの扱いもぞんざいなものとなり、それを両親が咎めることもなかった。

 逆鱗に触れないよう、息を殺して生きていた。そんな中で唯一幼いセピアだけが「どうしてお姉様にそんなことをするの?」と、侍女たちに声をかけてくれた。父譲りの立派な赤い髪を揺らして駆け寄り、母譲りの美しい赤い双眼で心配そうにこちらを見つめ、「お姉様、大丈夫?」と手を差し伸べてくれる可愛い妹。

 余計な心配をかけたくなくて、リフィアは決まってこう言った。

「私がいけないの。だから大丈夫よ」

 うまく笑えているだろうか。必死に笑顔を作って誤魔化した。姉としての小さなプライドだったのか、こんなにみっともない姿を幼い妹に見せたくなかった。

 真意を探るようにじっとこちらを見つめるセピアの真っ直ぐな瞳を直視できなくて、「心配してくれてありがとう」とお礼を述べて足早にその場を去った。

(情けないお姉ちゃんで、ごめんね……)

 魔力で貢献できないならせめて自分にできることをしようと、暇な時間は本を読んでひたすら勉学に励んだ。

 ある時書物庫で本を探していると、セピアの姿があった。ぼーっと本棚の前に立つセピアは顔色が悪く、声をかけようとしたら目の前で苦しそうにうずくまった。

「セピア、大丈夫!?」

 心配になって伸ばした手は控えていた侍女に強くはたかれて、行き場を失う。

「無能の貴女の分まで、セピア様は強い装身具を身につけて魔力を溜めておいでなのです。魔力なしの貴女が触れないでいただきたい」

「あぁ、セピア様。こんなに小さなお体でご無理をされてお可哀想に……」

 ジンジンと痛む手をもう片方の手でそっと擦りながら、侍女たちに運ばれていくセピアの苦しそうな姿をただ見ていることしかできなかった。

 自身につけられた腕輪の装身具を見ても、嵌め込まれた魔力結晶は無色透明のまま何の変化も見られない。

 不甲斐ない自分のせいで、幼い妹にまで負担をかけて生きていることにリフィアは悔しさを滲ませていた。

(私に、少しでも魔力があれば……)

 そんな希望は叶うはずもなく、八歳の時に行われた魔力測定で無能の烙印を押された。

 魔力が全くないことが証明されたその日から、別邸に隔離されるようになった。

「今日からお前には、西の離れで生活してもらう」

 リフィアは亡き曽祖父が物置として利用していた古い別邸に隔離され、一日二回の食事と最低限の衣類を与えられて放置された。

 見張りの騎士が外に一人立っているだけで、邸宅内には誰もいない。

 室内は骨董品にあふれ埃だらけ。歩く度にギシギシと床が鳴る。

 普通の貴族令嬢なら心細くて泣き出すだろう。

 しかしリフィアは肩の荷が下りたように、穏やかな顔をしていた。

(これでセピアに、これ以上みっともない姿を見せずにすむわね)

 一通り邸宅内を見て回ったリフィアはまず、活動の拠点となる自室を決め掃除をした。

 長い間放置されていたせいか少しかび臭く感じるものの、元々曽祖父が休憩室として使っていた部屋だったのか、そこには一通り生活に必要な家具が揃っていた。

 掃除をして活動できる部屋を広げていくうちに、曽祖父が保管していた多くの書物や珍しいボードゲームを見つけ、暇潰しにも事欠かなくなった。

 さらに乱雑に散らかった骨董品を整理している時に、幸いにも裁縫道具を見つけた。

(これがあれば、古くなった服を加工できるわ!)

 まずはサイズアウトして着られなくなった衣服を、破けた部分の補修や掃除用の雑巾、古い枕のカバーなどに再利用した。

 裁縫の腕が上達したら余った端切れをつなぎ合わせ、小物入れのポーチや防寒用の手袋など、快適に暮らすのに必要なものを作るようになった。

 悠々自適に見えた生活だが、それは長くは続かなかった。昼食にしようとエントランス前にいつも置かれる食事を取りに行く。しかしそこには何も置かれていなかった。

(今日もない。このまま私の存在が皆に忘れられてしまったら、何も届かなくなるのかな)

 日に二回あった食事は夜一回になることが増え、リフィアは孤独の中で震えていた。



 別邸に隔離された五年後、侍女と共にセピアが訪れるようになった。

「お姉様、お食事を持ってきてあげたわ」

 十一歳になったセピアは身長も伸びて、見違えるほど綺麗に成長していた。よく手入れされた赤い髪は綺麗に結い上げられ、可愛いフリルドレスに身を包んだセピアは、本に出てくるお姫様のようだ。

「ありがとうセピア。元気そうでよかった! 会えて嬉しいわ!」

 こちらを一瞥して、セピアは口元に笑みを浮かべる。

「お姉様は、相変わらずですね。今日は特別なお食事を用意してもらったんです。残さず食べてくださいね」

 昼食をわざわざ届けに来てくれるなんてと、思わず涙ぐみそうになる。その上セピア付きの侍女がテーブルまで食事を運び、丁寧にフードカバーまで取ってくれた。

「嬉しいわ、ありがとう」

 トレイに載っていたのは、時間が経って石のように硬くなったパンに、しなびた野菜のサラダ、パサパサした魚のムニエルに、生臭い真っ赤なスープ。

 鼻につく臭いに、リフィアは反射的に口元を押さえ眉をひそめる。

「どうかなさいました?」

「い、いえ、用意してくれてありがとう」

(この五年の間に、何かつらいことがあったのかしら……)

 記憶の中のセピアとは似ても似つかない行動に、思わず心配になった。これを食べることで少しでも彼女の気持ちが晴れるならと、リフィアは両手を組んで祈りを捧げる。

「天におられる我らが守護女神、ヘスティア様に感謝の祈りを。貴重なお恵みをありがとうございます」

 目の前では食事を運んで来た侍女が、「魔力もないのにお祈りなんて……」と堪えるように肩を震わせ笑っている。

「無駄なことをしてないで、さっさと召し上がってください」

 にっこりと笑みを浮かべこちらを見つめるセピアの瞳の奥は、驚くほどに冷たかった。

 全て食べ終わったのを確認して、「明日も用意してあげますね」と言い残し、セピアは別邸を後にした。

 翌日も、その翌日も、セピアは昼になると特別な食事を用意して持ってきてくれた。それが一週間も続いた後、嘔吐と腹痛がして体調の悪かったリフィアは、せっかく用意してくれた特別な食事に口をつけることができなかった。

「食事、用意してくれてありがとう。でも体調が優れなくて喉を通らないの。せっかく持ってきてくれたのに、ごめんね」

 吐き気を必死に抑えながら話しかけると、セピアはハッとした様子で「仕方ありませんわね!」と侍女に食事を下げるよう指示を出して別邸を去った。

 具合が悪かったリフィアは寝台に横たわり、腹痛に苦しみながら眠りについた。


「出された食事も食べずに居眠りとは、いいご身分ね!」

 掛け布団を勢いよく奪われ、アマリアの怒声で反射的に身体が竦んで目を覚ます。

「お母様……!?」

 鬼の形相でこちらを睨むアマリアを前に、慌てて寝台から飛び起きる。

「申し訳ありません。朝から体調が優れず……」

「食事をもらえるだけ、ありがたく思いなさい!」

 右手を大きく振り上げたアマリアを前に、咄嗟に目を閉じて衝撃に備えた。

 頬に鋭い痛みが走り、口の中には血の味が広がる。

 どうやらそれだけでは、アマリアの怒りは収まらなかったらしい。

 強く腹を蹴られ、反動でリフィアの身体は壁に打ち付けられる。

 腹部に走る激しい痛みに、思わず両手で守るように腹を押さえた。

「このエヴァン伯爵家の面汚しが! ありもしない不貞を疑われ、お前を産んだせいで私がどれだけ責められたことか!」

 暴言を吐かれながら、倒れた身体を容赦なく足蹴りされ続ける。

(私の存在が、お母様をずっと苦しめていたのね……)

 そこで初めてリフィアは、自分を生んだことでアマリア自身も周囲から苦しめられていたのだと気付かされた。それなのに我が儘を言って、せっかく出された食事に手を付けず罰当たりなことをしてしまった。

(この痛みは、お母様の心の痛み……私が生まれたせいで、迷惑をかけてごめんなさい)

 これまで蔑視され続けたリフィアにとって、皮肉にもこれが初めて母から真っ直ぐに向けられた感情であった。

 そこにあるのは燃え上がる炎のような抑えようのない怒りと憎しみ。この激情を必死に抑えて今まで養ってくれていたのだと、十三年間生きて初めて母のことを知れた気がした。

(お母様の瞳に、私の姿が映ってる……)

 痛くて苦しくて仕方ないのに、アマリアの瞳に自分の存在を認識してもらえたことが嬉しかった。好きの反対は無関心。本で読んで知った言葉の意味を思い出しながら、リフィアは微かに口を開いた。

「今まで、ありがとう……ござい、まし……た」

 声に出せていたのかわからない。けれど最後にどうしても、伝えておきたかった。

 このまま意識を手放したら、母は喜んでくれるのだろうか。

 そして二度と目を覚まさなければ、少しは母の気は晴れるのだろうか。

 遠退いていく意識に少なからず死を感じながら、リフィアはゆっくりと目を閉じる。

「お母様、おやめください! どうか気をお静めになってください……っ!」

 意識を失う直前、セピアの声が聞こえた気がした。


 翌日、奇跡的にリフィアは目を覚ました。

 見慣れた天井をぼーっと眺めながら、ここが別邸の自室であることに気付く。

(私、生きてる……?)

 腹部の痛みに備え、手で押さえながらゆっくりと上体を起こしても、アマリアに受けた傷の痛みはなく、これまで続いていた身体の不調も治っていた。

 腕や足、腹部には包帯が巻かれており、手を動かすと結び目が緩んで解けた。たどたどしく巻かれた包帯を見て、これを巻いてくれた人物がすぐにわかった。

(やはりセピアは変わっていない。あの頃のまま、優しい子だわ)

 最後に聞いた声はやはり幻ではなかったと実感し、解けた包帯を結びなおしていると、勢いよくガチャリと扉の開く音がした。姿を現したセピアはこちらを見てほっとしたように胸に手を当て、ため息を漏らしている。

「昨日治療してくれたの、セピアでしょう? ありがとう!」

「な、何を仰っているのかわかりかねます! それよりも、お食事を持ってきました」

 笑顔でお礼を言うと、セピアは目を泳がせた後、恥ずかしそうに顔ごと視線を背けた。

「ほら、はやく置きなさい」と、セピアは侍女に食事のトレイをテーブルに置くよう促し、フードカバーを取らせる。

「粉々にしてさしあげましてよ! 苦戦しながら食べるとよいですわ!」

 置かれていたのは、どう見ても消化に良さそうなパン粥だった。

 栄養も取れるように、野菜や肉も細かく刻まれ混ぜこまれている。

「心配して食べやすいものを用意してくれたのね、ありがとう」

「か、勘違いも甚だしいですわ! そ、それでは、用事があるので失礼します!」

 フンと鼻をならしてセピアはいなくなってしまった。その後を慌てて侍女が追いかける。

 本邸から運んでくる間に冷めてしまったパン粥だが、昨日から何も口にしていなかったリフィアには何よりもご馳走に見えた。その証拠に、腹部からきゅーと音が鳴る。

「天におられる我らが守護女神、ヘスティア様に感謝の祈りを。貴重なお恵みをありがとうございます」

(ありがとう、セピア)

 両手を組み、祈りを捧げながらリフィアは心の中でセピアにも深い感謝を込めた。

 すると突然目の前のパン粥から、ホカホカと温かな湯気がのぼり始める。

 スープを吸ってふやけたパン粥が、まるで作りたてのように美味しそうに変化した。

(きっとセピアが、火魔法で仕掛けを施してくれているのね)

 魔法の力に感心しつつ、それからより一層セピアに感謝するようになった。

 あの日以降、運ばれてくる食事も以前より豪華になって美味しくなった。それに運んでくる間に冷めた食事も、祈りを捧げるとできたてのように温かいものへと変化する。

 お礼を言うとセピアはそっぽを向いてしまうけれど、それはセピアの照れ隠しなのだとわかっていた。用事がある日以外は別邸にそうして顔を出してくれるのが、嬉しかった。

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