トゥルーマン・ショー

文献情報


・Author

 Peter Weir(監督)

・ISO Code

 ISAN 0000-0000-26AD-0000-E-0000-0000-W


感想


 会えないときのために、こんにちは、こんばんは、おやすみ。


 トゥルーマン・バーバンクの言った有名なセリフだ。このセリフを知っている人も多いかもしれない。お隣さんに掛ける言葉として有名だからだ。何だって、トゥルーマン・バーバンクを知らない?そんな事を言う人はもしかしたらテレビを見たことがないのかもしれないが、彼は大スターだ。トゥルーマンは真実の人生を歩んだ人で、彼の生きる姿を多くの人が見守った。それこそ、四六時中、二十四時間生配信だ。


 つまり、トゥルーマンの生活を本当に「生まれたときから」生放送し続けるリアリティショー……という題材を扱った映画である。主人公のトゥルーマン(演:Jim Carrey)はシーヘブンという離島で保険勧誘の仕事をする中年男、妻はいるが子供はなく、母はいるが父は幼い頃に死んでいる。という設定で生きている男である。


 ただし、この設定を知っているのは主人公「以外」の全員だ。彼以外のすべての島の住人は俳優で、彼だけが与えられた人生をそれと知らずに生きている。彼は望まれずに生まれつつある赤ん坊の中から選ばれ、産みの親の腹から出てくる瞬間から全ての行動を放送され、試練も愛情もすべて「そうあれかし」と誘導された人生を生きてきた。そんな彼の人生で唯一誘導されなかったことが初恋である。


 この初恋は番組の都合上叶うことはなく、一度のキスだけが記憶に残るばかりであったが、トゥルーマンはその面影を追い続け唯一の手がかりであるフィジーへの旅行を思い立っては踏み出せない。そんなとき、番組制作側の不手際からトゥルーマンは自分がいる世界に疑問を持ち始め……というストーリーだ。


 この映画はJim Carreyの熱演も相まって、全編を通してコメディタッチである。カーラジオに混線する制作の無線や、エキストラ達の慌てた様子、トゥルーマンの妻役や友人役が「コマーシャル」としてカメラ目線で繰り出す宣伝も視聴者としては笑いどころだ。そして、そんなコメディーを挟みながら、トゥルーマンの人生を多くの人々が見守る様子も劇中には描写される。あるものはロマンスに胸をときめかせ、またあるものは彼の行動を賭けの対象にする。ストーリーの中盤からは疑いを持ったトゥルーマンが様々な行動を取るが、「視聴者」である彼らはやはりそれをエンターテイメントとして見つめる。どこかで聞いたような話だ。


 内容のネタバレは極力避けるとして終盤の展開には触れないが、「視聴者」たちは最後までトゥルーマンの人生を「エンターテイメント」として共感し、楽しむ。この映画が公開された1998年当時には少し恐ろしい描写だが、今となってはコメディと言っても良いだろう。SNS上には見向きもされない多くのトゥルーマンがお仕着せで作られたストーリーの中で生きているのだから。


 そもそも、集団の中で生きる以上は「自分以外の誰にも作られていない」人生を生きるのは事実上不可能な時代だ。ネットワークの発達で世界が狭くなったおかげで、私達は「周囲の人々」を見える以上に獲得することができるため、個人個人の世界は単純になった部分もあれば、複雑になった部分もある。しかし、理由はどうあれ接触を持とうとする誰かはあなたの世界の一部を与えるのだから、ショーのプロデューサーであるクリストフ(演:Ed Harris)が言ったように『与えられた人生をそのまま受け入れることは、容易』である。そして、クリストフが言ったように『何が彼にとって正しいのか、君に彼の人生を決める権利はない』のだから、その与えられた人生をどう生きるかは個人の自由だ。


 私達はそのような関係の中で生きているわけだが、その点トゥルーマンは恵まれているとすら言えるだろう。クリストフが言うところの『嘘や、偽善はあっても』『何も恐れるものはない』『真実』の世界に生きる、『本物』の人生、『だから、皆が見たがった』のだから。たとえ『作った世界』であっても。


 終盤の展開が本当に面白く、本当はこの部分を話したいのだが、本当にこの部分がストーリーの核心部分になるので、ネタバレを極力廃することなく語ることができそうにない。そのため、見ていないとわからないような抜き出しをすることになってしまった。それはこのようなシーンだ。


 クリストフから「親離れ」しようとするトゥルーマンとクリストフが「天の声」として会話するシーン。作られた世界から脱出しようとするトゥルーマンを引き留めようとする「父親」クリストフ、それこそ『この世に生まれた瞬間も、初めてよちよち歩きを初めたときも。初めて学校に上がった日も』『歯が抜けたときのことも知っている』のだから、まさしくクリストフはトゥルーマンの父親である。しかし、そんなクリストフもトゥルーマンの『頭の中にはカメラは無い』ために、テレビの中へとトゥルーマンを引き留めようと様々な言葉をかける。それに対し無言のトゥルーマン。『なにか言ってくれ。どうしたっていうんだ、トゥルーマン。テレビに写ってるんだぞ。世界中の人が君を見ているんだ』と言うクリストフに対してトゥルーマンがカメラに返した言葉。それが、冒頭に引いたセリフ、すなわち『会えないときのために、こんにちは、こんばんは、おやすみ』だった。その時のトゥルーマンを演じるJim Carreyの表情が印象深い。


 ネタバレ防止のためになんともふわっとした紹介になってしまったが、カンヌ映画祭のポスターにも使われるような映画(https://www.festival-cannes.com/en/press/press-releases/the-official-poster-of-the-75th-festival-de-cannes/)なので、いらない心配だったかもしれない。しかし、未視聴の方や「記憶喪失」であるような方もいるかも知れないので、保険はかけておくに越したことはないだろう。「明日何があるかは解らない」ものだから。


 さて、今となってはコメディーかもしれないこの映画だが、最後のカットのために、私は恐ろしさを感じずにはいられない。トゥルーマンショーに熱中していた「視聴者」たちの短いやり取りを映したカットだ。彼らは最後にこう言う。「チャンネル変えろよ」

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おおよそ感想文 猫煮 @neko_soup1732

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