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 わたしは仁美さんと一緒に居られれば、それだけで幸せ。


 それなのに最近、仁美さんは家を開けることが増えている。


 仕事でなかなか家に帰ってこられないことは以前からもあった。でも、それとは違うみたいで、仕事から帰ってくると、わたしの晩ごはんだけ作って忙しなくまた出掛けていく。


 また、わたしに隠れて誰かと電話をすることも増えている。前に一度だけこっそりと覗いてみたら、仁美さんは恥ずかしさと喜びが混ざったような、わたしに見せたことがない表情で話していた。


 きっと、あれは女の顔。詳しくは知らないけど、なんとなくは分かるよ。わたしだって女だもん。


 そして、恐らく相手は恋人なんだとも。


 まあ、仁美さんも二十八歳。そういうのを意識する年齢なのかも、とわたしは寂しさを感じつつ、陰ながら応援することにしてる。だって、仁美さんには幸せになって欲しいもの。


 ある夜、眠っているわたしは隣の部屋から聞こえてくる話し声で目を覚ました。いつもの電話をしている声。


 わたしを起こさないように気を付けて小さな声で話しているみたいだけど、狭いアパートで完全に聞こえないようにするなんて出来るはずがない。


 こんな遅くまで熱心だねえ。と下世話なことを思いながら再び眠ろうとした。


 しかし、どうやらいつもと雰囲気が違う。聞こえてくる仁美さんの声が楽しそうじゃない。


 もしかして喧嘩でもしてる? と気になって、そっと壁際に座って聞き耳を立ててみた。


「無理だよ。返せるはず無い」


 仁美さんの声は別れ話をしているかのように深刻だ。


「前にも説明したでしょ。父親に虐待されて追い出されたあの子に帰るところなんて無いの。それに……」


 そうなんだ。わたしはお父さんに捨てられたんだ。


「ううん。なんでも無い。あの子のことは、どうにか考えるから、ね。少しだけ待って。一度ちゃんと会って話そう。ね?」


 電話を切ってから、仁美さんは一度大きくため息を吐いた。


 わたしは盗み聞きしていたのをバレないように、息を殺しながら布団に戻った。布団に戻ってから眠れるはずもなく、心臓はバクバクと嫌に重苦しく鼓動していた。


 父親に虐待され、捨てられたという事実はわたしにとってどうでも良かった。寧ろ、捨ててくれたおかげで仁美さんと出会えたのだから、感謝すら覚える。


 問題はその後。


 もしかして、わたしは仁美さんが幸せになるための重荷になってるの?


 それに、どうにかって、どうするつもりなの? わたしを捨てるつもり? 父親と同じように。


 そんなはずはないと否定したい。いっそ、今からでも仁美さんを問いただしてしまいたい。でも、もしわたしの望む答えをくれなかったらと考えると、それも出来ない。


 ただ、ドロドロとした思いを抱えて、何も見えないようにギュッと強く目をつぶった。

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