09. 落着
◇ 12 ◇
そうしてしばしの時が経ったとき。筆頭剣士はハイレに語りかけた。
「ハイレ。あの者の言っていたことだが」
ハイレは首を振り、筆頭剣士にそれ以上話させない。
「いい。なんとなく知ってた。たぶん、そうなんだろうなって」
「ハイレ……」
「でも、父上は父上だよね」
ハイレは筆頭剣士の瞳を真っ直ぐに見詰める。筆頭剣士の目に、健気に不安に耐えるハイレの瞳が映る。筆頭剣士は力強く応える。
「当たり前だ。お前は私の大切な息子だ」
「父上っ」
ハイレは大粒の涙を流した。ハイレの気持ちが落ち着くまで待ち、筆頭剣士は再び話しかけた。
「ハイレ」
「うん、なあに、父上」
筆頭剣士は憂い顔で続ける。
「お前は王統を継ぐべき唯一の人物。苦難に
「王家の責務って……」
「これは本来、玉座にある者が行うことなのだが。
遙か昔、この地には瘴気が満ち、人々は山上の瘴気が届かぬわずかな地で細々と暮らしていた。
その人々の天への祈りを受け入れ、この地に天より使者が遣わされた。使者が天の恩恵を届かせることで瘴気を払い、この地は初めて広く人々の暮らせる土地となったのだ。
その天の恩恵を
七年前に陛下が
再び儀式を行うのはお前が成人してからと考えていたのだが、祭殿が造り替えられていたことで天との繋がりが思った以上に弱まっていた。
このままではお前が成人する前に完全に天の恩恵が消えてしまう。人々の安らかなる暮らしのため、天を
「え、でも……」
ハイレは戸惑い、困惑する。
「僕、その儀式のやり方を知らないよ」
「大丈夫だ」
筆頭剣士はハイレの目を真っ直ぐに見詰め、断言する。
「儀式とは天を敬い舞うこと。敬天愛人の思いを胸に、心のままに舞えば良い。お前の身に流れる血がお前を導いてくれる」
「でも」
「なにより」
筆頭剣士は穏やかに、しかし迷いなき自信をもって告げる。
「お前は私の子。必ずできる」
ハイレは胸を
「はい、父上」
筆頭剣士は儀式に必要となる場を整えていく。
まず、小拝殿に造られた壁を斬り崩し、風が通り空が見える状態にした。次に床に転がる議長の亡骸を片付け、床を清めた。
そして、自らの髪をくくっていた華やかな布切れを
「これはお前のことを託すとの言葉と共に亡き陛下より賜ったものだ。きっと両陛下は今もお前を見守ってくれている」
ハイレは布の結ばれた手首を握り締めた。
「始めよう」
「はい」
筆頭剣士は手を打ち、床を踏み鳴らす。拍子を取り、地平天成を願う
ハイレは舞う。敬天愛人の思いを胸に、その心のままに、その身に流れる血が導くままに。忘我の境地で、ひたすらに。
そのうちに議長館の外が騒がしくなってきた。筆頭剣士はこれを予想していた。
儀式を行うため四方の壁を斬り崩せば、必然的に周囲からも見通せる。
今は夜とはいえ満月。儀式を行っていることはわかる者にはわかる。当然、新政権に与する者たちは妨害しようと集まってくるだろう。
筆頭剣士は決意している。決してハイレの邪魔はさせない。どれほどの敵が押し寄せようとも、その全てを排除し、ハイレには指一本触れさせぬ、と。
外の騒ぎは次第に大きくなっていく。いよいよ来るか。筆頭剣士がそう考えた時、逆に騒ぎは鎮まり始めた。
なんだ。筆頭剣士は目を
メセレットは牢城に囚われていた囚人たちを解放し、その囚人たちと
メセレットは完全に新政権に属する存在だと考えられていた筈。それがよくぞこの短時間で王政側の人々の信頼を取り戻し、指揮を執っているものだ。さすがは『至宝』と筆頭剣士は感心した。
そして、夜明けと共に天を祀る儀式は終了した。
◇ 13 ◇
建物の外では誰も彼もが七年ぶりに帰ってきた王太子に歓喜し、涙を流す。その人々が熱狂する姿を小拝殿から眺め、ハイレはぽつりと
「父上」
「ん」
「これ、ひょっとして外に出られないんじゃない」
「……確かに」
「ねえ、どうするの。僕、もう家に帰りたい」
ハイレはずっと捕らわれていた不安から解放された反動と疲労から、情緒不安定に取り乱す。
「父ぃ上ぇ」
筆頭剣士はしばし眉を寄せ、頭を掻き考え込む。
「よし、任せろ」
筆頭剣士はハイレを抱きかかえた。セラフミンとハイレが幼き頃そうしていたように、片腕をハイレのお腹に巻き付け抱え上げ、ハイレには首に腕を回させて。
その姿勢のまま床の端へと進む。そして大音声を発し、民衆へと呼びかけた。
「皆の者。見よ、私は王の守り手、筆頭剣士である。こちらに
筆頭剣士は急ぎハイレに
「皆の者、こうして私のために集まってくれたこと、嬉しく思う。
まずは永年の不在を詫びたい。兇徒たちにより王家が除かれ、混乱と不安が
詰めかけた民衆はハイレの言葉に涙し、口々に声を上げる。そんな王太子様、あなたはなにも悪くない、と。
ハイレはそんな取り乱す民衆の様子にどん引きするが、気丈にも筆頭剣士に教えられた言葉を続ける。少し声が震えてしまったのは仕方がないことだろう。
「人々を煽動し、支配し、
民衆は一斉に歓喜の声を上げた。そのあまりの喜びぶりにハイレは短く悲鳴を上げた。幸いその声は筆頭剣士にしか聞こえていない。筆頭剣士は民衆を一喝した。
「静まれ! 殿下の御言葉はまだ続いておるぞ。静聴せよ!」
民衆は少し
「旧政権にも
これからの
また、私が成人するまでの間、
メセレットがなにか、無理ですとか、辞退させて下さいとか言っているが全部無視である。
「私は成人するまでも年に一度、天を祀る儀式を行うため、皆の前に戻る。それ以外の時は良き王となるための学びに使う。
私はいずれ皆の前へと帰ってくる。その日を信じ、今は皆の前から姿を消すことを許して欲しい」
悲しむ声は上がっているが、王太子の言葉に同意する意見が大半を占める。
「それでは皆、また会おう」
ハイレを背負った筆頭剣士が屋根から屋根へと跳び移り、立ち去った。人々は拝跪し、その姿を見送った。
筆頭剣士とハイレは近郊の村でセラフミンと落ち合い、無事を喜んだ。
セラフミンは泣き、笑い、そして怒った。
「この大馬鹿者。兄を助けるために自分の身を危険に晒す弟があるか。この兄はそんなにも頼りないと言うのか」
「兄上ぇ。ごめんなさい」
「もう二度とするな」
「はい、兄上」
セラフミンはここで急に
「どうか、御身大切にしてください、殿下」
「兄ぃ上ぇ」
セラフミンは一度、ぎゅっと唇を引き結び、泣き笑いながら立ち上がった。
「ハイレ、私を兄と呼んでくれること心から感謝する。ありがとう」
二人はしっかと抱き合った。筆頭剣士は告げる。
「さあ、私たちの家に帰ろう」
二人は声を揃え、応える。
「はい、父上」
ハイレは成人するまで、それまでと変わらず筆頭剣士とセラフミンと共に山中の集落で暮らした。成人したハイレは人々に乞われ、テレス・ダク国第三百七十二代目の王として即位する。
ハイレは新しい国の仕組みを整えた後、
王権を手放したハイレとその子孫は、国と人々のために天を祀る一族としていつまでも敬われ続けたと云う。
〈了〉
筆頭剣士と最後の王 墨屋瑣吉 @sumiya_sakiti
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます