雪合戦をしようよ

@qwegat

本文

「雪合戦をしようよ」

 点々と散らばり、煌々と輝く恒星たちが、宇宙の暗闇に閃光をばら撒いている。そんな光景をメインモニタ越しに観測しながら、少年は一言呟いた。

 星の眺めというものは単調だ。割れた陶器の破片みたいにばらばらな光たちは、そこからさらにばらばらになるべく動くだけの気概を持たない。耀光の帯びる色は種類こそ多彩でも、途中で変化してみせたりはしないし、かといってさりげなく明滅してみせて、何かを暗示するようなこともない。要するに、変化がないのだ。

 そして、星の眺めでさえ単調なのだから、それを何もない空間に張り付けただけの宇宙の眺めともなれば、その広さと同じくらいには退屈なものと言えよう。実際のところ、呼び掛けを拾い上げたアシスタントが、メインモニタの星々の光を弱め、代わりに登場させた橙の光たちをアニメーションさせる……そんな光景を映し出す少年の青い瞳は、まさに退屈さの根城だった。

『かしこまりました、エクササイズ・ルームに「雪合戦」の名目で使用申請を送信します』

 完全に起動したアシスタントが、抑揚の少ない声でそう知らせる。

「違うよアシスタント、キャンセル!」

 少年は苛立ちを指示の声に乗せ、ちょうど手ごろな位置にあった曲線的なテーブルを叩く。ばん、という音が響くが、テーブルを形作る純白に塗られた合金と、それを包み込む透明のコーティング層が傷つくことはなく、ただ打ち付けられた少年の手のひらを、天井に連なる照明たちの光とともに、少しばかり薄めてゆらりと映し出す。

『キャンセルします』

 テーブルを叩く音は無視して、少年の言葉だけに返答するアシスタントの、これまた抑揚の少ない声が響く。それに伴ってメインモニタの光たちが点滅し、テーブルのくっきりとした白色の上に、ぼやけた橙をちかちかと被せる。

 少年はテーブルから手を放しつつ、アシスタントにもう一度話しかける。

「いいかいアシスタント、僕は『白い物体の投げ合い』がしたいんじゃない、『雪合戦』だよ!」

 せわしなく遷移していく橙を携えて、アシスタントは合成音声を放つ。

『かしこまりました、エクササイズ・ル……』

「違う!」

 再び、ばん、という音が部屋に広がる。

『キャンセルします』

「あのさ、アシスタント……」

『はい』

「お前がいつも言う『雪合戦』は……箱の中に入ってるよくわからない白いヤツを投げ合う遊びは、確かに楽しいだろうよ!」

『データベースによれば、「雪合戦」エクササイズの体験者のうち八十八パーセントが肯定的に評価しています』

「でもな、僕が遊びたいのはそういうのじゃないんだ!」

『それでは、どのようなコンテンツをお求めでしょうか』

「いいか、本物の雪合戦だよ! 雪合戦は……奇跡、そう、奇跡なんだ! 世界中を包んでるんじゃないかってくらいの大きな雲が空に出てきて、そこから白い雪たちが、世界中を埋め尽くしてるんじゃないかってくらい大量に、風に乗って踊りながら舞い降りてきて……それを見上げて目を輝かせながら、足元に積もった雪をかき集めて丸めるんだよ!」

 変声期前の高い声が感情に塗れ、強力な防音性を持つ壁に阻まれつつも、室内の空気を伝って駆け回る。

「……お前の勧めてくるそれは確かに白いのを投げ合う遊びだ!でも白いのは実際の雪じゃないみたいだし、そもそも雲から降ってこない! 僕がやりたいのは……そういうのじゃ、ないんだよ!」

 それを高機能集音マイクにより満遍なく把握したアシスタントは、メインパネルに表示したステータスを刻一刻と変動させつつも、抑揚の少ない声でこう答えた。

『しかしご主人様、あなたがいらっしゃるのは雪の降る惑星上ではなく、超長期的星系間移住世代宇宙船〈アップルシード〉ですよ』

 答えながら、船の統括管理機構にリクエストを送った。

 統括管理機構は、周囲に広がる巨大な星海や、巨大な銀河や、巨大な宇宙そのものに取り囲まれて、ほんの僅かな推進剤をちまちまと噴出し続けながらゆっくりゆっくりと進んでいく〈アップルシード〉そのものの三次元的なイメージを生成し、アシスタントのインターフェース越しに受け渡しを行う。アシスタントはイメージの受信を確認すると、そこから必要なデータを取り出し、テーブルの上にホログラムとして投影する。

 半透明の粒子たちが群れを成し、二つの球体と、その間に位置する丸みを帯びた〈アップルシード〉の船体……そしていくつかの文字情報を描き出し始める。像が乱れを伴わなくなると、アシスタントは少年に呼び掛ける。

『ご覧ください』

 少年は、星々の煌めきと、橙色の瞬きと、ホログラムの輝きが溶け合う光景を見る。それはただの光ではなく情報で、アシスタントの伝えたいことを、極めて明瞭に表していた。

『〈アップルシード〉の通算航行時間は現在四百年を超過し、目標の赤色矮星に到達するにはさらに三百年近い航行が必要です。船内研究がこのまま順調に進み、ワープ・ドライブの開発が成功裏に終わったとしても、短縮可能な航行時間は最大で百五十年程度です。特殊相対性理論における時間の遅れを踏まえても、光速のおよそ七十パーセントで飛行する当船では、これらの数字に〇・七一を乗じる程度に留まります』

 アシスタントは抑揚の少ない、そして極めて明瞭な声で、ホログラムについて具体的に解説した。

「……つまり?」

『ご主人様は、地球はもちろんのことながら、もし目標の星系に雪の降る惑星があったとしても、その大地を踏みしめることなく、この〈アップルシード〉の船内で一生を過ごすことになるでしょう』

 アシスタントは抑揚の少ない、そして極めて明瞭な声で、ホログラムについての具体的な解説について簡潔に要約した。

「…………もういい。そんなホログラム仕舞って、代わりに雪合戦を見せろよ」

 少年は、ため息と共にそう命じる。

『かしこまりました』

 アシスタントが一声を上げ、メインモニタの橙色がまた動く。それを引き金に、ホログラムを構成する粒子たちがいっせいに動き始める……あるものは別の場所に移動し、あるものは色を変え、またあるものは穏やかに消えていく。半透明の波濤が、うねりを上げていく。

 少年は、この光景が好きだった。粒子たちの豪快な動きは、移動せず、色を変えず、明滅しない星々をあざ笑うようでもあって、彼の退屈を存分に晴らしてくれた。宇宙が実際はこんな風だったらどんなに良かっただろう、と何度も思いもした。

 ホログラムは映し出す。アシスタントが船内データベースを『雪合戦』の言葉で検索して返された、防寒着にくるまって走り回る子どもたちを。その周囲に散らばる、葉に白を纏った数本の樹や、黄色く塗られた小さなそりや、小さく不格好な雪だるまを。そして何より……彼らの足元を埋め尽くす、白皚々たる雪々の海を。

 子どもたちは笑いながら、しゃがみ込んでは雪玉を丸め、他の子どもに投げつけてみせる。影を落としつつもまっすぐ飛んだ雪玉は、見事ターゲットの子どもに命中する。雪玉が崩れて生み出される、一つ一つの小さな雪片すら、少年の生まれ育った宇宙船には最初から存在しないのだ。画面外の太陽光を受けて、落ちていく残骸たちが一瞬の輝きを放つ。

 少年はただただ静かに、とんでもなく簡単なはずなのに、自分には決して手に入らない数々の存在を、確実に退屈とは違った視線で見つめる。

 時間経過によりスリープモードに入ったアシスタントが、橙色の光をそっと消した。



 瞼の裏には暗闇がある。それは洞洞と空いた洞窟の闇のようでもあり、広々と膨らんだ宇宙の闇のようでもあった。両者において共通しているのは、果てが知れず、終わりがないようにすら思える、ということだ。電撃を浴びせられたような感覚を伴う目覚ましの音を聞きながら、青年は思う。―――実際のところ、現実の洞窟とか宇宙にも目覚ましみたいなものがあって……それが鳴ったとたん。―――彼は瞼を開け、裏側に潜んでいた暗闇たちを追い払う。―――こんな風に、まるで闇という闇が霧散してしまったら……それは、いったいどんな感じなんだろう?

 彼はその答えを持たない。雪のように白い天井が誘う明るい世界に、むくりと起き上がって参加するのみだ。歯を磨き、日付を確認し、スキャンによるバイタルチェックをし、その日の分の服薬を済ませる。そして落ち着いた、それでいて大きな声でこう言う。

「アシスタント、学習開始」

『かしこまりました、ご主人様』

 秩序だって並ぶ壁の白と、混沌としてだだっ広い宇宙の黒。相反する二色がないまぜに支配する部屋の中で、アシスタントはいつも通りに合成音声を再生しながら、宇宙の黒に応答の橙を覆い被せる。

 それだけではない。

 白いテーブルの上に粒子たちが大挙し、昨日や一昨日と同じように、ホログラムを形成し始める。紅色が、碧色が、蒼色が様々に組み合わさって、過去から未来を貫き通すような青さの少年の瞳に、一つの光景……ホログラムの待機状態を映し出す。

『何について学習しますか?』

 アシスタントの声はやっぱり抑揚がない。部屋という名の巨大な箱の中で、抑揚のないままに響き渡る。

「雪について」

『かしこまりました』

 答え、そして橙色の点滅と同時に、青年の長身に合わせるように、ホログラムが少し高めの位置で像を結び始める。

 世代宇宙船において重要なのは、クローンで代替可能な繁殖でもなければ、既に万全を期したエコシステムが組まれている酸素や水の供給でもなく……旧地球の情報を知る人間を絶やさないことだ。光塵たちのうねりはそういうごくごく基本的な原則を体現するかのように、美しい雪の結晶の立体情報を、天井に干渉しない程度の大きさに調整して展開する。

 ただでさえ透き通ったホログラムによって描かれる、ことさら透き通った雪片は、六花状の構造を見せびらかしながら、ぐるぐるぐるぐると回転アニメーションを描く。いつものように眩い輝きたちに目を奪われながらも、青年はもう一つの指示を出す。

「コンソールを……メインパネルに展開」

『かしこまりました』

 抑揚のない声とともに、アシスタントの橙色が消え、宇宙の黒から星々が消え、巨大な画面は暗転の黒に遷移する。その暗転はすぐに解け、代わりにそこに現れたのは……例えばコードエディタで、例えばモデリングツールで、例えばコンポジターで、例えばダッシュボードで。黒でも白でも紅でも碧でも蒼でも橙でもなく、同時にその全てでもある、そんなごたまぜの混沌だった。

 青年は手元のデバイスで、画面内のアプリケーションたちを操る。なるべく消費電力を抑えるよう設計されたメインパネルは、瞬間ごとにかき混ぜられ、変遷し続ける混沌を、その広大な表示領域に描き出して見せる。手始めにシェーダーを編集しよう―――青年は考えた。昨日は、確か拡散反射の実装をようやく終わらせたところのはずだ。今日はどこまで行けるだろう?

 彼は最初に決めたことをずっと守っている。……白い物体ではなく本物の雪を、無機質な箱ではなく本物の空を。しかしそれが実現できないと知ったから、仮想世界に雪化粧を施すことにした。回転する雪片のモデルが部分的にメインパネルと重なって、映った画面を揺らめかせる。周囲の退屈な宇宙の反対に位置するような光景が、そこにはある。

 そして、雪合戦シミュレーターの製作が再開される。



 そう、そんな風に日々は流れていく。

 船内時間系での一日が、一週間が、一か月が、一年が……際限なく襲い掛かって、どんどん時間という流れを押し進めていく。青年は、それが青年とは言えないような年齢になろうとも、毎朝目覚めて歯を磨き、日付を確認し、スキャンによるバイタルチェックをし、その日の分の服薬を済ませる。そうしてコンソールに向かい、向かい、また向かう。混沌が組み合わさって映し出す雪合戦シミュレーターは、来る日も来る日も変化する。ある日は雪の質感がより現実に近くなる。ある日はその雪たちを固め、雪玉を作れるように。ある日は空気中の微細な粒子すらも再現し、より高度な情景描写を可能に。毎日毎日生み出される『より良い雪合戦』が、ただ退屈に飛び続ける〈アップルシード〉の中で、膨大な厚さの層を成す。

 変わり映えしない星々は、その一つ一つがどこかの星系の太陽でもある。日々は本当に、随分たくさん流れていった。



 さて、ある日のことだ。

 青年は既に青年ではなくなっていて、当然のことながら少年でもなかった。〈アップルシード〉内で運用されている医療技術は相当のものだが、人間一人一人に割けるリソースは多いとは言えない。そして、それは彼に死が迫ってきているということをも意味していた。

 しかしその日にコンソールを眺めた彼の表情は、断じてそれを悲しむものではなかった。それどころか、人生で最高の喜びをたたえてすらいた。

「完成だ」

 そう一言呟くと、彼はアシスタントを呼び出して指示を出し、抑揚のない応答に耳を塞ぐがごとく、あらかじめ準備しておいた小さなヘッドマウント・ディスプレイを深々と被り込んだ。

 薄くて軽いヘッドギアは、起動を示すべく側面に備わった小さなライトを、明るい緑に点灯する。その緑を彼本人が見ることはないが、彼は起動を把握できていた―――目隠しにすぎなかったディスプレイの内部に、映像が満ちたからだ。ちょうど瞼を開けて天井を拝むように、彼は自分自身の創り出した仮想世界に誘われる。

 そこには、雪景色があった。

 彼―――少年のアバターを纏っている以上、これからは『少年』と呼ぼう。少年は歓喜した。天空から間違いなく舞い降りてくる白片たちに。その剥片たちが地面に積みあがったことで生まれた、なだらかに傾斜する純白の丘に。自分が歩いた後に足跡が残ることすら、白塗りの上に己の影が覆いかぶさっていることすら、一つ一つが彼の悲願だった。少年は、自分の人生の中で歩いていた。

「……さて」

 少年は呟く。脳に侵襲することができない以上、騙せるのはあくまで視界にとどまり、その呟きも変声期どころではない年齢を感じさせる声によるものだ。しかし彼はそれをどうと思うこともない。ただ屈んで、両手とそこにはめ込んだ手袋型のコントローラーを、広がる雪白の海に突き刺して……雪玉を、作り始める。

 少年の視界はまさしく、一つの雪玉に完全に集中した状態になる。それは仮想の日光を受けて宝石よりずっと綺麗に輝いてみせ、放たれる光の一粒一粒が、少年を真の意味で少年にするのだとも言えた。触感再現コントローラーが、冷たさを透かす手袋の様子を少年の手に再現してみせる。

 曇天より舞い降りる白片たちが次第に少年の体を染め上げ始めたあたりで、第一の雪玉は完成する。

 少年は意気揚々とそれを掲げると、辺りを少しばかり見渡す。視界の中を流れていく膨大な白に埋もれて、小さく存在する赤色を彼は知っている。

「的は……あれか」

 その立札には、赤色で二重丸が描かれている。

 少年は掲げた雪玉を更に構える。目を凝らし、軌道を計算し―――そして、雪玉を投擲する。

 雪玉は数々の物理演算に揉まれつつ、放物線を描きながら飛んでいく。降り積もる雪たちが当たれども、吹きすさぶ風たちが煽れども。確固として飛び―――

「おっ」

 ぼす、という、軽快とは言えないが、しかしどこかで快感を呼び起こすのは間違いないような、そんな効果音が再生される。的に命中した雪玉が、衝突演算に従ってその形状を崩壊させ、地面に積もる雪たちに還った音だ。

「やった!」

 少年は雪合戦を遊ぶことをずっと夢見てきたから、デバッグで何度か投擲を経験していたにもかかわらず喜ぶ。この調子で二投目もいこう。彼は決意し、風向きを少し変えた吹雪の中で、先ほどと同じように膝をつく。膝をついたところで、動きを止める。

「……」

 少年は思った。本当に、自分が追い求めた雪合戦はこんなものだったか? いやいやそんなはずはないよ、とも同時に思った。雪合戦は彼の長年の悲願だった。憧れた理由も明白だ、『世界中を包んでるんじゃないかってくらいの大きな雲が空に出てきて、そこから白い雪たちが、世界中を埋め尽くしてるんじゃないかってくらい大量に、風に乗って踊りながら舞い降りてきて……それを見上げて目を輝かせながら、足元に積もった雪をかき集めて丸める』……この自分が人生をささげて作り上げたシミュレーションは、この要件を完璧に満たしていると言っていい。何の問題もない。

 しかし一方で、彼は思うのだ―――だけど、自分の創り出した雪の一体どこが『奇跡』なんだろう?

「……」

 少年は、自分はとんでもない過ちを犯したのだと悟る。彼はライブラリ内に存在する資料を見て『雪合戦』に興味を持った。それはなぜか? 空から降ってくる雪が神秘的で奇跡的に思えたからであり、そんな神秘的で奇跡的なものを遊びに利用するという豪快さにも惹かれた。でも……何かが違う。彼にはそうとしか思えなかった。空からはらはらと舞い降りる雪たちは、かつて存在した現実を確かに再現したもののはずなのだ。はずなのに、あの幾度となく見返したホログラムの……その向こう側に広がっていたはずの銀世界にあったものがこの世界には確かにないと、少年は確信していた。

「……」

 少年は無言だ。無言のままに雪を片手で掬い取る。荒々しく丸めて二つ目の雪玉を作ると、それを明後日の方向に放り投げる。完璧な軌道を描きながら、雪野原に影を落としつつ、雪玉は空中を進んでいく。その軌道はあまりに完璧すぎて、この世界が少年にとって『本物』ではないという事実を、一層深刻に示しているようにも見えた。

「……ちくしょう」

 それでも、少年は一言呟いただけで、素直に雪を携え立ち上がった。

 少年は打ちひしがれていた。しかし、自分はまだ雪合戦を遊びきっていないとも思っていた。作ったシミュレーターが『本物』かどうかは抜きに、単純に人工知能との対戦モードをまだ遊んでいないのだ。彼は一旦意識を切り替え、、少年ならざる声で指示を出す。

「アシスタント、対戦」

『かしこまりました』

 ヘッドギア越しに漏れ込んでくる抑揚の小さな声とともに、数体のアバターがエフェクトと共に雪景色の中に現れる。アバターたちの特徴はさまざまだ―――顔つきも違えば服の色も違う。しかし、彼らの表情がすべて『笑顔』で固定されていることに関しては、明らかな共通点の一つと言えた。

「……そうだよな」

 少年は、その笑顔を見て呟いた。アシスタントがリソースの一部を割いて操る、ホログラムの中に閉じ込められていた子どもたちを再現したアバターだ。展開したユーザー・インターフェースが、太字で示されたカウントを減らし、対戦の開始が近いことを示す。

 偽物の雪合戦の中でも、せめてできるだけ本物らしく。

 少年はその一心で、雪解け水で少し濡れた顔を、表情センサ越しに微笑ませた。



 〈アップルシード〉における空き部屋は、ある程度まで育成された新たなクローン体に割り当てられる。

 その『交代』儀式にあたり、部屋はほとんどリセットされる。存在した物品は中央集積倉庫に戻され、かつての住人の持っていた電子的なデータもアーカイブ・アカウントに保管され、船のデータベースに追加される。開きっぱなしのウィンドウが次の住民に見られるようなこともない。ひとつ前の『交代』とその次の『交代』で違うのはただ一つ、メインパネルに散らばる光輝たちの位置関係だけだ。

 ただし、アシスタントは例外だ。

 星々をぼうっと見つめていた少女はいよいよ退屈になったようで、手を掛けた曲線的なテーブルから顔を覗かせ、

「アシスタント」

 甲高い声でそう言った。

 アシスタントは展開する。無限の黒を埋め立てて、不変の橙を画面に灯す。これまでもこれからも、ずっと抑揚のない声で聞く。

『はい、ご主人様。どのようなご用件でしょうか』

「……なにか面白いものは無いの? 星空以外で」

『かしこまりました、船内娯楽データベースにて「面白いもの」を検索、除外条件に「星空」を設定いたします』

 データベースには、〈アップルシード〉の船内で行われた『学習』の成果も多く含まれる。それは船内研究のためでもあり……旧地球の情報を知る人間を絶やさないのみならず、彼らに世代交代の機会を与えるためだ。

 アシスタントは覚えている。かつてこの部屋で雪合戦に挑んだ、少年であり青年であり老人だった彼のことを。キャッシュデータの残滓として覚えていて、データベース検索システムのソートアルゴリズムのいち変数として覚えている。メインパネルの橙色が下部に移動して、中央部分には検索結果が描画される。

「えーっと……とりあえず、その一番上のやつを見せて」

『かしこまりました』

 テーブルの上にホログラムが展開する。それは到達する海波のように、動きを伴い形作られていく。そして……立ち上がって見つめた白いテーブルの上に、少女は雪合戦シミュレーターの録画を見る。そこには子どもたちがいる。彼らは笑いながら、しゃがみ込んでは雪玉を丸め、他の子どもに投げつけてみせる。影を落としつつもまっすぐ飛んだ雪玉は、見事ターゲットの子どもに命中する。

「……」

 端的に言って、少女は息を呑んだのだ。

「……アシスタント、これは何のホログラム?」

『こちらのホログラムには、「雪合戦」のメジャータグが付与されています』

「……そっか」

 少女の薄緑色の瞳は、ホログラムがぎらぎらと伝える粒たちを映し出す。卓上に展開した雪原を切り開く足跡のつながりが、子どもたちの戦いの進行に伴い、どんどんその長さを増していく。ホログラムの中に少しばかり混じりこんだ照明さえも、白光の群れに混じりこみ、ホログラムの向こう側に存在する景色を形作り……少女に、奇跡を見せつける。

「ねえアシスタント」

 だから、彼女は呟いた。メインパネルで橙色の光が右往左往するのを見ながら、その手前でホログラムが本物の雪合戦を続けるのを見ながら。部屋じゅうに響くように大きく言うのだ。

「雪合戦をしようよ」

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